老化防止に役立つらしい

ゴンがブログをはじめるらしい。そんな見切り発進で大丈夫か?あいつは話をきかないからな。

ポールネフェル・ビヴァルブパール

白熊・長編異世界

パール裏表低画質
パール真珠低画質


名前:パール(本名:ポールネフェル・ビヴァルブパール)
年齢:17歳
性別:男
容姿:
・身長170センチ(カーネリアンと同じ。クロウルよりは五センチほど高い)。
・髪の色、目の色ともに黒。
・髪の毛はつややかなストレートであり、背中程までの長さを特にくくることもなく風に遊ばせている。
・肌の色はやや色白で、見た目にはすらりとした体系。
・しかし実際にはたくましい筋肉に覆われており、それを悟らせないために長袖の服と丈の長いスカートを愛用している。
・服装はベトナムのアオザイに似た青い布でできた清潔感のある長袖の上着と足まであるスカート。
・スカートはスリットが大きく入っており、足を大きく開くなどの大胆な動きも邪魔しないようになっている。
・ストッキングのような灰色の下着を着用しており、靴の色は黒。
・胸のふくらみは布で盛っているが、布がなくても普段から60キロある真珠を担いでいるため大胸筋がほかの人間より発達しており、それなりに大きい。
・普段から白剣真珠を日傘のように担いでおり、一見日傘をさす麗人だが、その姿はすでに構えの状態であり、臨戦態勢に入っている。

性格:
・オカマ。容姿・しぐさ・言葉づかい・性格すべて女性よりも女性らしいが芯の部分には男らしさも兼ね備えいている。
・しっかり者の姉御肌。
・海世界出身者には珍しく完璧な読み書きと計算ができる。
・命を狙われている身の上で、自らのことは秘密にしなければならないため、秘密主義者であり神秘的な魅力がある。
・頭の回転も速く、敵の目的から行動を推察して自分たちの行動を決めたり、海世界においてはブレーン的な役割をする。
・若干呪術も使える。

人生:
・十年前にバルバロスによって滅ぼされた海世界の統治者たる二枚貝の王家「ビヴァルブパール」家の末裔であり、正統な継承者の王子。
・母親をわがものにしたいバルバロスにより、母親の未練となりうるすべてを抹殺するという命令が下っているため、孔雀翁の機転でポールネフェルを逃がすために、当時同じくらいの年で、容姿の似た少年を一人犠牲に身代わりにしており、その少年の死体を孔雀翁がポールネフェルの容姿に呪術で加工して死んだことにした(その少年も孔雀翁の屍兵として使われているとか)。
・以後ポールネフェルの名を隠し、パールとして女に成りすまして、雷の降りしきる離島で暮らしていた。
・しかしある時コランダムとパフの堕天により島を覆っていた結界が破れ、それが原因でアクアたち一行が島に流れ着き、正体がバレてしまう。
・自分の正体がビヴァルブパール家の生き残りの王子であるとバルバロスに知られたら、島に侵攻されかねないと、アクアたちについて行き、旅をすることになる。
・目的はバルバロスへの復讐と一族の再興であるが、バルバロスの目的が死んだ母親を生き返らせることだとは知らない。
・そのため、母親が生き返る可能性があると聞かされた瞬間にはバルバロスへの殺害を躊躇し、アクアたちを妨げてしまう。
・また、バルバロスと母親の間にいるルリという娘が自分の異父兄妹に当たる事実を知らないでいる。

能力:
・怪力:普段から60キロある白剣真珠を担ぎ、時には片手で振り回す怪力とスタミナの持ち主。素手で船を破壊しうるほど。
・白剣真珠:エクセルシオールが鍛えた宝石神具の一つ。60キロの重量と、布のように薄く折ることでその折り目が切断面に代わる刃を持つ。
重量と切れ味であらゆるものを叩き潰し、貫通する威力を持つ。
実際にはその真の姿を隠しており、骨と布が外れ、旗のようにはためく長い布の刃となり、強靭なしなやかさとそのままの重量で広範囲長距離への威力の高い斬撃を自在に繰り出す。
・呪術:孔雀翁直伝の呪術。幼かったために完全ではないが、基礎程度は扱える。
スポンサーサイト

白剣真珠

白熊・長編異世界

白剣真珠

白剣真珠
・野点傘型の大剣
・柄は伸縮し最大で2メートルまで伸びる
・重量約60キロ
・傘部分の布は布状の刃であり折り目がそのまま切断できる切れ味になる。
・幅の広い布上の刃が渦を巻くように傘に巻き付いて構成されている。
・開いた状態だとそのまま盾として使え、その防御力はコランダムのドラゴンとの黒魔法をも凌ぐほど(白魔法による結界を除くと防御力として最高クラスでいいと思います)。
・閉じた状態はイラストにしたみたいに金棒形の剣ということにしました(書いていてどうにも剣状にたためなさそうだし、重量級の武器ならむしろこの形状の方がいいようなとか思いました)。
・その重量とパールの怪力であらゆるものを打ち砕き、ぶち抜く貫通力を持つ剣。
・その真の姿は骨と刃が乖離し、骨は絵に巻き付いた赤い布で束ねられ、刃が柄の先端から旗のように伸びる薄く長い柔らかい刃を持つ剣となり、その強靭なしなりと恐ろしく長い射程、さらに鋭い切れ味を武器に広範囲への斬撃が可能になる。

桃谷晶太郎&桃太

colorsキャラクター

晶太郎桃太低画質
晶太郎浮遊低画質

桃太「そうそうっ! うまいぞ晶太郎! 自分を浮かせるだけじゃなくて、手先で風を操る感覚を覚えるんだ!」

晶太郎「うーん、俺みたいのが浮いてるのは色々と迷惑じゃないだろうか……」

桃太「だからいいんだよっ! 晶太郎に上から降ってこられたら大体の奴はひとたまりもないんだから!」

晶太郎「それって暗に俺のことデブって言ってない?」

名前:桃谷晶太郎
年齢:19歳
性別:男
種族:人間

性格:
・おっとりゆったりのんびりした性格。
・ぼーっとしていることが多いが実際にはどうでもいいことから深遠な哲学までありとあらゆることに思索を巡らしている。
・食いしん坊な性格で美食家でもあり、味についてうんちくを垂れる。
・その他のことについても造詣が深くなにかにつけて語ることが多い。
・人当たりは柔らかく鷹揚で取っつきやすい。
・オカルト、民間伝承について興味があり大学でも研究対象にしている。
・柔道の重量級の有段者でもある。

容姿:
・身長175センチ。体重90キロを超える巨漢。
・今でも柔道で鍛えているのでガチムチ体型。
・キョーコからはデブと呼ばれる。
・髪の色は黒で目の色も黒。眉毛が太く芋顔。肌もよく日に焼けている。
・白目の印象が薄い小さめの目、鼻は低い。頬にそばかすがある。
・髪の毛は割とつんつんした長めの跳ねた直毛。

一人称/口調:
一人称:俺
~じゃない、~なんだけど、~だろうかなどやや自信なさげな断定を控える男性口調。

職業:
・大学一年生

生い立ち:
・幼いころから母親が結婚しては離婚を繰り返しており、その都度に別々の男性を父と呼び、知らない子供を兄弟として接する生活をしており、家族というものに対して一定の嫌悪感を持っている。
・昔は母親がDVを振るう男ばかり選んでいたので、そういう男から自分と母を守るために柔道を習いめきめきと腕を上げ、同時に巨漢のデブになっていった(家庭環境からのストレスによる過食も大きい)。
・しかし今では母親には愛想をつかしており、大学進学を機に家も出て、ほぼ絶縁状態にある。
・高校生時代には緑青響子とともに生徒会執行部の副会長を務め、カリスマ的存在として名を残している。
・小野金蚕に好意を寄せられているが、あえてその答えをはぐらかし、彼女とは一定の距離を保っている。
・ある日母親からメールが来て自殺をする旨が書かれてあり、慌てて家に帰ると母親の偽装自殺が行われており、それをやめさせようとしたところ誤って首に縄が絡んでその巨体ゆえに首つり状態になり死んでしまう。
・そこを色鬼桃太に契約を持ち掛けられ色鬼憑きとして蘇る。
・目的は自由になること。母親と完全に縁を切って、誰にも邪魔されない、させない状態に身を置くこと。

好きな物:
・遺跡、古文書、蔵

嫌いな物:
・新規開拓、改革を叫ぶ声、正義を掲げる人間

能力:風
・風を操る。
・基本的に空を飛ぶことができる。
・手掌により風の操作もでき、手のひらから風の塊を自在に飛ばしたりつむじ風を巻き上げたり、真空波を作り出したりする。
・生命の危機に瀕するとスーパーセル規模の巨大な大気の塊を発生させる。
・これは桃太自身が太虚空巣化しているもので、その中心には何もない虚無空間となっており、その虚無を埋めるべく周囲の大気がものすごい勢いで回転しながら集まってくる風によるもの。

色鬼『桃太』

桃太

名前:桃太
外見年齢:10歳
序列:第十一位

性格:
・割とまじめで突っ込みタイプだが、努めてポジティブ思考を保つようにしており、何事にも前向きなコメントを発する。
・これやばいなぁ、まずいなぁと思っていても、がんばれとかいいぞその調子、とかいう。
・色鬼の中では人間界の常識についても割と早く順応し、おかしいことがおかしいと気づくのも早く色鬼界随一の常識的色鬼。
・契約者の晶太郎によく懐いており、基本的に従順。
・ほかの色鬼とも誰であっても割かしうまくやっていけるタイプ。

容姿:
・身長136センチ。
・髪の色は黒く長く伸ばした髪の毛を後頭部でくくっている。
・瞳の色は薄い桃色。
・人間界に来てからは桃色のフードの付いたパーカーと緑色のハーフパンツを好んで着ている。

能力:風
・自由の象徴であり、荒涼と不毛の象徴でもある。
・本質的には虚無である鴉に近く、晶太郎の生命の危機などにより、容易に太虚空巣と化す。
・ただし本人はそういうものであるという自覚に乏しい。

揚羽海賊団

白熊・長編異世界

揚羽海賊団三人衆低画質

クロウルの思い描いた揚羽海賊団にまた戻れる夢の姿です。
迫害の対象になるので隠してますがクロウルの荷物の中にはこの揚羽海賊団の羽織がずっと入ってたり。

アゲハ

白熊・長編異世界

アゲハ低画質
アゲハ黒曜低画質

名前:アゲハ・クロウンモ(黒雲母揚羽)
年齢:享年23歳(ブレストの二歳上)
性別:男
容姿:
・バルバロスの血を強くひき、深い赤色をした髪の毛と目を持つ。
・迫害の対象になりえる赤毛を堂々と晒して長く伸ばし背中のあたりで一括りにしている。
・肌はやや浅黒く身長188センチの割と大柄な体型(ブレストが178なことを考えるとそれよりもさらに一回り大きいですね)。
・左耳に紫水晶の耳飾りをつけており、この効果で孔雀翁の特定を退ける。
・左利きであり、槍も基本的に左手で持つ(クロウルが左利きなのもアゲハの影響が大きい)。
・この世界では海賊の象徴とされる羽織を羽織っており、地の色は黒で背中には赤いアゲハ蝶の羽が生えた髑髏があしらってあり紅揚羽(べにあげは)と呼びならわされている(海賊旗もこの意匠)。
・羽織の下は赤いワイシャツに茶色のズボンと焦げ茶のロングブーツを履いている。
・その他アクセサリー類もあったりするかもしれませんが力尽きました。

性格:
・明朗にして快活で常に明るく前向きな快男児。
・父親であるバルバロスの暴虐ぶりに対して自らが旗揚げし、迫害にあう人を匿って勢力を拡大し、一時はバルバロスを凌駕しうるまでに人を集めるカリスマを持つ。
・ただ、後天的な免疫不全による病(アクアの弟と同じもの)に犯されており、体の自由が利かなくなりつつあり、それを宝石神具の黒曜の槍の力で補っている。
・自分の余命が幾ばくも無いことを悟っており、バルバロスとの決着をつけようとしたが、ブレストの裏切りによりあえなく殺されてしまう。
・クロウル、ブレストに多大な影響を与えており、ブレストにいたってはいまだに心の中でアゲハに対する劣等感を払しょくできないでいる。

人生:
・24年前にバルバロスが行きずりの女を孕ませて生まれた子供。
・生まれてすぐに捨てられ、海賊に拾われて、ブレストとともに奴隷のようなことをさせられていたが、ある時に抜け出して自らの海賊団を旗揚げする。
・その後バルバロスがパールの母親を寵愛するために自らの血をひくものを抹殺する命令が下された際は、その迫害から逃れる人々を積極的に受け入れて保護し、バルバロス海賊団にとって正面を切って対立した。
・本人もバルバロスの血をひくために孔雀翁の呪いの影響を受けるはずだったが、所持していた紫水晶の耳飾りによりこれを逃れている。
・クロウルがブレストの手引きで導かれた際、クロウルを匿うために耳飾りをクロウルに譲っており、以後その所在が孔雀翁に知れることになるが、それをも利用して決戦の舞台を整える。
・しかしブレストの裏切りによりバルバロスにあと一歩まで迫るも敗北。殺され愛槍である黒曜を戦利品として奪われ、以後バルバロスが使うことになる。

能力:
・槍術(宝石神具黒曜によるもの)
・紫水晶の耳飾り(宝石神具、効果として存在の認識度を下げる働きがある。アゲハは本来の持ち主ではないためさほど効果を発揮しなかったが孔雀翁の呪いに対してはそれなりに効果があった)。

大陸側世界図

白熊・長編異世界

大陸側世界図

簡易的に大陸側世界図を描いてみました。
・真ん中の灰色のものが海世界と大陸世界を分け隔てている山脈で、基本的に人が登れないほど高くそびえており、頂上は空世界へと繋がっています。
・南北を走る山脈から西側に広がる大陸世界を斜め方向に見ている図です。
・北から雪山地帯、針葉樹林体、草原、王都、湿原、熱帯雨林、砂漠になっています。
・赤いラインはヒルダ行動ルートの予定です。
・草原地帯にジェイド・アメジストの生家、針葉樹林地帯にトパーズの村、雪山に狩人の民の集落、砂漠地帯にトルマリンの古代の民のオアシスがあり、その果てに海世界につながるチェックポイントの洞穴があります。
・北は寒さで人が立ち入れない北厳があり、測量もされていませんがおそらく山脈と海も凍って表土になっていると考えられています。
・南はグリーンドラゴンの生息域であり、瘴気の濃度がもはや人間の耐えうるレベルではなくなるので、こちらも測量されていません。

以下描いてみながら考えたこと。
・王都の形と湖と河について
・王都の形はダイアモンドの象徴である六角形にしてみました。南側三方は巨大湖および大河の流域によって区切られている形式にしてみました。
・巨大湖は山脈から湧き出る水が一旦溜まって再び海に流れ出す流路であり、大河周辺は高低差が少なく広い範囲が湿原になっています。

・熱帯雨林と内海について
・季節風が南北に吹くと仮定して、熱帯雨林が存在するためには水源地帯が必要なので、大陸側に大きな内海(大陸が大きく削れている部分)を設けました。夏冬に吹く風はこの内海と巨大湖で大量の水分を補給し、熱帯雨林地帯に大量の雨を降らせます。

・ヒルダのルートについて
・ヒルダの一番最初の目的は物語序盤にカーネリアン堕天の影響で起こった南側における大災害についての慰問のために被災地を訪れることですが、その途上で弑逆を図るクリスの一派に襲われます。
・そんなわけで暗殺が行われるのは巨大湖を渡った先にしてみました。で、巨大湖周辺で暗殺未遂、ジェイドの機転で湖を下り皮を伝って追っ手を逃れて逃避行みたいになる感じです。
・追っ手を逃れたヒルダ達はまずは草原地帯のジェイドの生家に行き、そこでアメジストを仲間にします。
・アメジストはクリスたちの手によってジェイドの身内がとらわれる前に、唯一の肉親の母親を狩人の民で銃の師匠のジャスパーに委ね、雪山地方に逃しており、自分は身を隠しながらジェイドと接触します。
・アメジストを仲間にしたヒルダは狩人の民を頼りに雪山を目指しますが、その途中の針葉樹林地帯で旅の疲労と寒さから病に倒れてしまいます。
・そこをトパーズの村に匿われ、治療を受けます。
・一方でトパーズには王家からの命によりヒルダの暗殺が命じられており、ジェイドやアメジストに疑われつつも暗殺を実行しようとするトパーズを、ヒルダが説得し仲間にします。
・さらに北上し、狩人の民の集落へ行き、ジャスパーから古代の民の話を聞き、ヒルダも王家に伝わる秘伝による砂漠の門の話を思い出し、一路南下して砂漠を目指すことに。
・針葉樹林、草原、王都を避けて湿原、熱帯雨林を超えて砂漠にたどり着きます。
・トルマリンたち古代の民の一族に会い、予言を果たそうとするトルマリンによりチェックポイントの洞穴へ。
・チェックポイントを開封し、海世界メンバーと接触します。

みたいな流れを一応描いてみました。

あと、この大陸世界、東側がこの山脈にさえぎられているという設定だと、太陽が南中するまでの午前中の間、ずっと日が当たらないということになるんですが(太陽の動きが東から西の場合、海世界は逆で午後になると日が当たらなくなる)、それはそういう認識でいいですかね。
つまり大陸側の人間にとって太陽は正午を回ってから山から姿を現し海に沈んでいく存在で、午前中は空は明るくても日差しはなくやや薄暗いものだと思っているみたいな。
海世界の人間は早々に日は山脈に隠れてしまうし、普段から天気は悪いしで、基本的に夜の薄暗さとともに暮らしている感じですかね。
とりあえず何らかの参考までに。

音驢修正

動物の謝肉祭

ネロ裏表
ネロ構え

ケースケ「薄バカネロが! 隙だらけなんだよっ!」

ネロ「俺だっていつまでもやられっぱなしじゃないよっ! それっ!」

ケースケ「やべっ!」

ネロ「ケースケの意地悪ぅうううううっ!」

レザニモ・ユイット――耳の長い登場人物((Personnages à longues oreilles)

名前:ネロ(音驢)
命名:ケースケ
真名:寝

見た目の年齢:人間で大体十四歳前後
性別:男
アニモ歴:2年
外見:
・身長160センチくらい。体重50キロ前後。そこそこに発育のいい少年。
・顔はあどけなく澄んだ水色のどんぐり眼。耳は驢馬の耳が頭の上から生えていて、人間の耳は耳の位置に生えていない(人化不完全)。
・それを隠すために耳を覆う形で郵便局マーク入りのヘアバンドをしていて前髪を上にあげている(このヘアバンドは居眠りをするときのアイマスクにもなる)(ちなみにホトリによる手作り)。
・髪の毛は薄めの茶色で緩やかに波打っていてやや長め。
・服装は郵便屋の制服を上を脱いでワイシャツにベストを着ている(制服はその上にさらに長袖のジャケットと帽子が支給されるが、ネロは耳があるため帽子がかぶれないので代わりにヘアバンドをしている)。基本洋服。

獣形:
・白く長い鬣を持つ驢馬。前身は黒く鬣と耳の内側に生える毛だけが白い(人間形態の驢馬耳は焦げ茶色でも獣形になると色が変わる)。
道具:ロシナンテの耳
・音叉二つ。大きさは可変自在で最大身長程度から、片手に乗る大きさまで伸縮できる。
・取っ手で二つを一本に繋げることもできる。
・ネロの驢馬耳を二つくっつけて下に取手をつけたような黒い音叉で打ち鳴らすと普通の音叉のように共鳴して音を出す。
能力:変換
・一方の音叉でエネルギーを吸収し、もう一方の音叉からそのエネルギーを別のエネルギーに変換し、増大、あるいは減衰させて放出することができる。
・例えば熱エネルギーを運動エネルギーに変換したり、音エネルギーをさらに増幅して放出したりできる。
・基本的には自分の口の前に一方を掲げ、もう一方を正面に向けて、自分の声を増幅するマイクとスピーカーのような形で使う。・成長とともにエネルギーの変換の仕方や放出のタイミングを操作できるようになる。

職業:郵便屋見習い。

前世の因果:
・寝ている間に両親に口減らしのために井戸に捨てられた子供。
・親に眠り薬を飲まされて、もう寝ろ、もう寝ろと急かされた。

性格:
・寝るの大好き。少し目を離すとどこでもいつでも寝入ってしまう。
・仕事中でも授業中でもスキあらば寝ている。
・のんびり悠長な性格で焦らせたり急がされるのが嫌い。
・ユキの先輩にあたるため養育係に任命され張り切っているがユキの出生をめぐって大罪者による誘拐などがあって、自分の気持ちとその結果引き起こされることについては正しいのか間違っているのかを問い直される場面が多かったり。
・ユキのことは好きだが、周りにはユキのことをよく思わないアニモや獣人がいるという事実に心を痛めている。

一人称/口調:一人称オレ、口調は~だよ、~だね等。口癖は眠い。おやすみ。あと五分だけ。あくびも多い。

好き:枕、布団、あったかい窓辺。暖炉。手紙。歌。落ち着いた雰囲気の人。
嫌い:目覚まし時計及び時計全般。ケースケ(いつも起きないネロを起こしに来るのがケースケ。その時に結構乱暴される)。チャイム。朝。忙しない人。

四十九日

ふせいぎふーが

 梅雨も明けて、本格的な夏になり、フーガたちは夏休みを謳歌していた。

 全然、これまでと変わらない、小学五年生の夏休み。
 フーガはさっちゃんと市民プールでひと泳ぎして、その帰り道、裏手にあるエックス山が、ふと気になった。
 誰もあの日のことは、あの一連の事件のことは、何も言わなかった。
 お姉ちゃんも、さっちゃんも、サトルおじさんも。
 何事もなかったかのように、みんなが言うように、フーガたちがいたずらをしただけだったのではないかと、フーガ自身が錯覚するほど、それは遠く、幻のようなものになりつつあった。

「ねえさっちゃん。あの日のこと、覚えてる?」

 あの日のことが、どの日のことなのか、フーガは言わなかった。
 振り返ったさっちゃんは夏真っ盛りになっていよいよ真っ黒だった。
 着ているランニングの色が浮き出て見えるくらいに日に焼けている。
 フーガも少し焼けたけど、それでもさっちゃんの黒さには及びも付かない。

「ばーか、忘れるわけねーだろ。フーガが知らないところでオレがどれだけ苦労してたかとか、話してたらキリないし。大体、オレはあの時初めて嘘をつく羽目になったんだからな。正直が売りだったのに。剣道だって、本当は防具つけてない、しかも女の人なんて殴っちゃいけないんだ。あれはオレの一生のフカクだな。われながら、情けない」

 さっちゃんは呆れたように言った。
 後半はともかく前半については実際その通りだと思った。
 あの日のことが、今こうして、全くなかったことになって、フーガたちが日常にいられるのは、全てさっちゃんのおかげだった。

 さっちゃんが三億円を見つけた時に、お姉ちゃんに相談していなかったら、秘密はきっと誰かにバレてしまい、フーガのおじいちゃんが事件の犯人だと判明していただろう。
 そうすれば、フーガたちはこの街にはいられなかったに違いなく、こんな穏やかな夏休みなど、迎えられなかったかもしれない。
 もっとも、さっちゃんがあの日、恋ヶ窪駅でフーガに会っていなければ、フーガが三億円にたどり着くことはなかった。
 いや、その場合、自然保護区で伐採が定期的に行われているエックス山に隠してあった三億円が見つかるのは時間の問題で、見つかったあとは、結局そこからフーガのおじいちゃんが隠したのだとわかり、それで大騒ぎになっただろう。

 それがフーガが小学五年生の時になるか、あるいはもっとあとになるかだけの違いで、世間にとって、おじいちゃんの正体が謎のまま、それに触れられることさえなく事件の幕が下りたのは、結局はさっちゃんがいたからだ。

「――そうだね、ありがとう。さっちゃん」

「なーに言ってんだか。熱でもあんのか?」

 さっちゃんはフーガの額に手を当てて熱を計る。

「へーねつ。っていうかオレの方が熱いし」

「いや、夢みたいだなって」

 本当に、夢みたいだ。フーガはそういう夢を見ていたんじゃないかと、たまに思う。
 おじいちゃんが死んで、そのことが精神的にショックだったフーガが、正義の味方になりたいという願望で作り上げた、ものすごい作り話。
 お姉ちゃんとサトルおじさんが作り上げた嘘の方が本当は現実で、フーガが知っている事実は、全部フーガの妄想なのではないかと。

 そう思うほどに、フーガの手元には、何も残らなかった。
 三億円も、宝の地図も。おじいちゃんは死んでしまったし、あのサエキさんも、どこかへ消えてしまった。

「夢じゃねーよ。オレたちがとんでもないものを見つけて、とんでもないことやったのも。お前のじいちゃんがしたことも」

 さっちゃんは言う。責めるような口調ではなかった。

 でも、そうなのだ。夢じゃない。
 おじいちゃんは、もしかしたら悪い人だったのかもしれない。
 正義の味方なんかじゃなく。大悪党と言っても過言ではない、歴史的犯罪の、犯人の一人だったのかもしれない。

 それを示す証拠はもう一つもない。何一つ。
 あの日、おじいちゃんがフーガに託したものは、何も残らなかったけれど、フーガはその託されたものを、一生胸に刻み込んで、生きていかなければならない。
 お父さんとお母さんが何も知らなくても。世間や社会が何も知らなくても。
 フーガは知っている。
 あの日、エックス山に隠されていた疑惑のお金と、それを確かに燃やしてくれと頼んだおじいちゃんの最期。

 きっと、誰にも打ち明けることはないだろう。でも、絶対に忘れることもない。

 フーガは夕焼けに染まるエックス山を見る。
 さっちゃんが行くか、と聞いてきたけど、行かないとすぐに答えた。

「今日、おじいちゃんの四十九日だから」

 早く帰って来いと言われているのだ。
 家に帰るとすぐにちゃんとした服に着替えて、おじいちゃんの家、今はサトルおじさんの家に行くことになった。ちゃんとした服といっても、中学生で制服のあるお姉ちゃんと違って、フーガには制服も喪服もないから、とりあえず小さめのワイシャツに、黒っぽいズボンを履いただけだった。おじいちゃんのお葬式の時と大して変わらない。数珠を持たされて、車に乗る。

 サトルおじさんの家は、おじいちゃんのお葬式の時と同じように案内の灯篭も、鯨幕も敷かれていて、でも、おじいちゃんが死んでから、結構日が経っているからか、あの時ほど暗くなかった。とはいえ、フーガはおじいちゃんのお葬式の時は、例のあの地図のことで頭がいっぱいだったから、正座で足がしびれて痛かったことくらいしかほとんど記憶にないのだが。
 お坊さんが来て、お経を読んで。近くのお墓におじいちゃんの遺骨を埋めた。とにかくフーガにはまだ全然わからない儀式を大人たちが行って、そのあとご馳走を食べた。
 もしかしたら、この参列者の中に、例の事件に関わっているおじいちゃんの仲間がいるのかもしれない。もしかしたらその人が今度こそ声をかけてきて、そこからまた悪夢のような事件の続きが始まるのではないか、なんてフーガは勝手に身構えたりもしていたのだが、結局四十九日の法要に来てくれた人にそれらしい人はいなかったし、宴席になってもフーガに声をかけてくるのは、親戚筋のフーガがよく知らない、特に悪意のなさそうな年寄りばかりだった。

 お葬式の時から髪の毛が思いっきり短くなっているお姉ちゃんは、そういう人たちの話題の格好の餌食になっていたけれど、流石にお姉ちゃんはそんな時でも対応をしっかり考えてきたようで、当たり障りのない話題にすり替えて、話が無用に広がるのをきちんと防いでいた。

 お姉ちゃんは四十九日とはおじいちゃんのお墓のあるお寺の宗派では死んだ人がエンマ様に地獄に行くか極楽に行くかその裁判の判決が出る日なのだと教えてくれた。ツイゼンホウヨウとも言って、残された人たちが死んだ人のお裁きでいい判決が出るようにお祈りするらしい。フーガはお祈りはしたけれど、それでもおじいちゃんは極楽にはいけないんだろう。あるいはエンマ様ならば、おじいちゃんがやったことの真相がわかるのだろうか。フーガは少しだけ、その裁判は見てみたかった。もう一度、おじいちゃんに会いたかった。

 そこまで考えて、フーガは、おじいちゃんが、本当に死んでしまったのだと、唐突に、しかし、はっきりと実感を伴って、もう二度とおじいちゃんとは会うこともないのだと理解した。

 おじいちゃんは実は犯罪者だったのかもしれない。三億円強奪事件という、犯罪史上に名を残すほどの一大事件の、その犯人。もちろん直接的な証拠は何もなかった。あったのは、ただ隠されていた三億円だけで、その周りにある状況が、そうなのではないか、と思わせているだけで、実際には、あのお金は、その事件とは何の関わりもないものだったのかもしれない。

 今更言っても仕方のないことだったけれど、フーガに三億円事件のことを教えたのはさっちゃんで、さっちゃんにそのことを吹き込んだのはお姉ちゃんなのだ。決しておじいちゃんがはっきりと証言したわけでも、三億円以外の、あの事件にまつわると思われるような証拠があったわけではない。憶測の域を出ていない話だった。その範囲内であっても危険極まりないものだったからこそ、フーガたちは命懸けでそれを処分しなければならなかったのだが。

 おじさんはあのあと、それとなくおじいちゃんの遺品を整理して、何かしらの証拠になるようなものを探したと言うけど、結局それらしいものは何も見つからなかったと言っていた。
 もちろん実際に見つかったとしたら、おじさんはそれをフーガたちに内緒で処分してしまうだろうから、どっちにしろそれは、フーガの知るところにならないことだった。

 でもおじいちゃんは、あの三億円を燃やしてくれとフーガに頼んだのだ。今際の際に、フーガに優しい言葉をかけてくれるでもなく、フーガもおじいちゃんを励ましてあげることすらできず、ただ、あのお金を処分してくれと、それだけしか話すことができなかった。そしてフーガは、そのことを少しも悲しいとさえ思っていなかったのだ。

 本当なら、そんなことじゃなくて、もっと話したいことがたくさんあったはずなのに。きっと、おじいちゃんもフーガに言いたいことがあったはずなのに。それらを押しのけて、三億円の地図のことばかりでフーガとおじいちゃんのお別れは終わってしまった。

 おじいちゃんにとって、あのお金のことは決着をつけなければならないことだったのだろう。例えおじいちゃんが三億円事件の犯人じゃなかったとしても、あのままにしておくことはできないものだったのだろう。

 それでもフーガにとっては、そんなことは関係なく、おじいちゃんは正義の味方になるという夢を、唯一共有してくれた大切な人だった。誰も来てくれなかった小学一年生の誕生日に、たった一人プレゼントを携えてやってきてくれたその姿に、その思い出に、フーガはこれまでどれだけ救われてきたことだろう。それは、おじいちゃんの正体がどうであれ、フーガは絶対に忘れてはいけない、覚えていなければならないとても貴重なものだった。

 あのおじいちゃんが、もういない。お盆に帰れば花火を買ってくれてあって、お正月にはお年玉をくれたあのおじいちゃんが。フーガの正義の味方になるという夢を、バカにせず聞いてくれて、そのためにいろんなおもちゃを作って、一緒に夢を育んでくれたおじいちゃんは、もう二度と、生きて国分寺の家でフーガを迎えてくれることはない。

 あのカザグルマの鉢植えに――正義の味方の花に水をあげる人は、もういないのだ。

 それが、急に、本当に悲しくなった。
 声は上げなかったが、涙が止まらなかった。宴席で泣き始めてしまったフーガを、お母さんが心配したけど、親戚の人の繰り返しの世間話にげんなりし始めていたお姉ちゃんが私が連れてくよ、と言って、一緒に縁側の方へ行った。

 蒸し暑い夏の夜。庭にはカエルの大合唱が聞こえる。
 月は満月で、世界はなんだか心地よくふんわりと明るい。

「私ね、おじいちゃんが死んだあの日、おじいちゃんに言われたの。フーガのこと、ちゃんと見ててやってくれって。どういう意味なのかその時はわからなかったけどあんなことになって、なんとなくわかった。あんな秘密をフーガに託したとは思ってもいなかったけど」

 お姉ちゃんはあんな秘密、とぼかした言い方で言う。この夜空みたいだと思った。

 お姉ちゃんのまっすぐな髪の毛は、柔らかな月の光を浴びて、やっぱり綺麗な輪をその頭に作った。やっぱり天使みたいに見える。もうすっかり短くなってしまった髪の毛。それでも十分魅力的なお姉ちゃんの黒髪をみて、やっぱり羨ましいな、とフーガは思った。

「うん」

 フーガは短く、小さく答える。

「なんで、私やサトルおじさんには話さなかったんだろうって、最初思った。でも、多分私はそんなもの託されても、本気で探そうなんてしなかったと思う。サトルおじさんは、それが自分しか知らないことだったら、あれを独り占めにしようとしたと思う」

 お姉ちゃんは言う。

 それってサトルおじさんが悪い人だと言っているように聞こえたから、そういう意味かと聞こうとすると、それより先にお姉ちゃんは言葉を継いだ。

「サトルおじさんが悪い人とかっていう意味じゃなくて、一人でどうにかできるだけの力が、大人のおじさんにはあって、そこにあんなものがポン、と入ってきたら、普通は一人でどうにかしちゃうものなんだと思う。あれは、そういうものなんだって。手に入れる人間が大人であれば大人であるほど、ものすごい力で心をねじ曲げていく強い引力を持ってるもの。でも、フーガは子どもで、あんなもの受け継いでもどうしようもない。だから必ず力になってくれる人を探す。さっちゃんのことは、おじいちゃんは予想してなかったんだろうけど、結局それで私につながって、そこからおじさんにつながった。多分おじいちゃんは、最初からおじさんに燃やしてもらうつもりでフーガにあれを預けたんだと思う」

「どうして?」

 泣きはらした赤い目をこすってフーガは聞いた。お姉ちゃんの言っていることは、わかりそうでわからない。

「ケジメって言うのかな。ずっとあれを隠し続けて、もう自分では始末をつけられなくなっちゃって、でもその上でおじいちゃんはあれを探してもらって燃やしてもらわなくちゃいけなかったから、遺言としてそれを誰かに託さなくちゃいけなかった。それで多分、託された人が悪意に負けて、あの三億円を独り占めにしようとしたとしても、おじいちゃんはもうそれをとやかく言える立場じゃないこと、誰よりも自覚してたと思う。でも、フーガなら、誰も傷つけることなく、三億円をなかったことにできるかもしれない。フーガが見つけて、見つけて困ったフーガが私やおじさんに相談する形で、おじさんの手にそれが渡ったなら、悪用されることなく、ひっそりと全てが終わるかもしれない。それって、おじいちゃんにとっては過去の罪に対して何一つ責任とってないし、正直虫のいい話なんだけどね。でも、だからこそ、フーガに賭けてみようと思ったんじゃないかな」

「おじいちゃんはおじさんにもお姉ちゃんにも言っちゃいけないって言ってたよ」

フーガが言うと、お姉ちゃんはそうだねと、困ったようにメガネを正した。

「言うなって言えば、言うのが普通だし、あんなもの自分だけの秘密に普通はしてられない。おじいちゃんの最大の誤算は、フーガがおじさんが悪の手先で、私が洗脳されてるなんて考えたことなんじゃないかな。まさかそんなこと考えるなんて夢にも思ってなかったと思うよ」

 お姉ちゃんが笑うとフーガは顔をさらに赤くした。
 今にして思うが、本当に子供じみた発想だったと思う。

「だから、本当なら、もっと早くに、フーガは私やおじさんに繋がったの。実際、フーガ、私に地図の場所聞こうとしてたでしょ? そうすればよかったのに。そしたらおじさんは、独り占めにはせずに、かと言って警察にも届けず、秘密に処分する。おじさんはそういう優しい正義を持ってるの。正義を通して誰かを傷つけるより、少しくらい悪くても、誰も傷つかない方法を選ぶ」

 誰も傷つけない正義。誰かを傷つける正義。フーガはまだその辺はよくわからない。
 おじさんもフーガも怪我をしているし、フーガに至っては運良く助かっただけで、死ぬ危険があった。
 学校でも家でもいろいろ言われるし、少なからず被害は出ていると思うのだが。
 もっとも三億円のことが明るみになっていれば、もっとひどいことになっていたに違いない。

「それで、結局フーガは腕白イタズラ小僧ってことになったし、おじさんは信頼できないダメな大人ってことになったし、私も中学生なのに思慮分別のない変な女ってことになって、ダメなやつって思われることになったけど、それでよかったの。あの事件のことはもう絶対にバレない。おじいちゃんは、事件のこと、隠し通して、全部終わらせた。だから、これでいいの。よかったの」

「本当に?」

 フーガは聞いた。
 お姉ちゃんは、本当によかったのかと思う。
 だってお姉ちゃんは悪いことはしていないのに、お父さんにげんこつをもらって、しかも自慢の髪の毛を切られる羽目になって、言わないけど多分、学校でもそれなりに嫌なことを言われたりしていると思う。
 フーガでさえ、最初のうちはそうだったのだから。

「じゃあ、フーガはこの話で一番悪いのは誰だったと思う?」

 お姉ちゃんはフーガの柔らかい毛を撫でながら問いかけた。フーガはすぐにサエキさん、と答えそうになって、答える前にお姉ちゃんが違うと言うとわかって、少し考えた。
 お姉ちゃんは、サエキさんは巻き込まれたという意味で被害者なのだと言っていた。でも、それで言うなら、フーガだって巻き込まれたうちの一人のはずだ。というより、この事件に巻き込まれたんじゃない人なんて、いるのだろうか。そもそも、巻き込んだのは誰だ。

――おじいちゃんだ。

「そう、悪いのは、一番悪いのはおじいちゃんでしょ。犯人だったかどうかはともかく、お金のこと、きちっとしてなかったから、こういうことになったんだから。でも、そのおじいちゃんは死んじゃってるの。そしたら、その子供や孫に罪が及んで、日常生活もままならなくなるのが、正しいことだと思う?」

「思わない」

「そうでしょ。だからこれでいいの。全部許されるのは虫が良すぎるから。殴られて、髪切られるくらいで。それでもおじいちゃんには何の罰も与えられてないけど、多分ガンの治療を受けなかったのは、精一杯の罪滅ぼしだったんだと思う。とにかく死んじゃった人のことあれこれ言っても始まらないし。だからいいの。これで」

 なんだか無理矢理な結論の気もしたけれど、お姉ちゃんの顔と声に、嘘は感じられなかった。お姉ちゃんがそう言うなら、それでいいのかもしれない。

 全部最後は、これでよかった、と言える結末だけが残った。そう言い合える日常に戻れたのだ。

「おじいちゃんもやっぱり正義の味方じゃなかったけど、守るべき三つの掟は、ちゃんと守ったんだよ。私たちはあれを独り占めしようって悪意に負けなかったし、フーガもおじさんも助かった。何よりおじいちゃんは、自分の正体を隠し通したの。おじいちゃんがあの事件の犯人だったのかどうなのか、それはもう、誰にもわからない。それでいいの」

 お姉ちゃんはそう言って、フーガの頭にそっと手を置く。
 そこに、サトルおじさんが酔い覚ましと言って、赤い顔をしてやってきた。
 三人で、しばらく縁側でおじいちゃんの思い出を話した。
 楽しかったこと、嬉しかったこと。おじいちゃんの、いい思い出。

 あのことは、誰も言わなかった。言わなくていいことなのだ。
 ただ知っていればいい。話すことは、思い出すことは、きれいな思い出だけで。
 おじいちゃんの罪は、忘れなければそれでいいのだ。忘れず、語らず、一生秘密のまま。
 それからフーガたちは家に帰ってフーガはその日の日記をつけて、お風呂に入って眠った。

――夢を見ていた。

 おじいちゃんの夢だった。

 風車のカラカラ回る縁日の屋台の前に正義の味方の仮面をつけて、浴衣を着たおじいちゃんが立っていた。おじいちゃんはフーガに、すまなかったね、助けてくれてありがとう、と言って仮面を外し、それをフーガに差し出してきた。フーガはそれを受け取って、仮面の下にあったおじいちゃんの顔を見た。晴れやかで、どこか悲しそうな、何とも言えない不思議な笑顔。

 フーガはその顔を朝の枕の上で、ぼんやりと覚えていた。
 しかし、それもお母さんにラジオ体操に行けと急かされてすぐに忘れてしまう。

 フーガは今日、サトルおじさんとお姉ちゃんに誘われて、さっちゃんと一緒に釣りに行く予定だった。
 喪中で夏まつりに行けなかった分、うんと楽しむつもりでいたので、待ちきれない気持ちだった。
 もちろんお母さんには秘密で、お姉ちゃんは友達の家にあそびにいくことになっているし、フーガはさっちゃんと遊んでいることになっている。
 フーガとお姉ちゃんが示し合わせて嘘をついているなんて、お母さんは知る由もない。
 お母さんはあれ以来、サトルおじさんとフーガたちだけになるようなことがないように、すごく厳しくなった。
 お母さんにバレないように釣りに行くために、お姉ちゃんの釣りの道具を気づかれないように少しずつおじさんの家に移していくのは、大変だったけど、同時に楽しい作業でもあった。

 そんな事情もあって今日は、魚を持ち帰ったりはできない。その場で食べられるのだけ食べたら、あとは放流してしまう予定だ。
 お母さんにしてみれば、サトルおじさんの不注意でフーガが死にかけたことになっているから当然と言えないこともないのだが、フーガたちにしてみれば、サトルおじさんはむしろ、同じ困難をともに乗り越えた仲間のような感覚で、こうしてお母さんに隠れてでも、遊びに行けるのは純粋に嬉しかった。

 フーガの夏休みの予定はてんこ盛りだ。宿題も山のようだ。しかもフーガはまだ自由研究のお題を決めていない。
 釣りに行く車の中でなんとなくその話をすると、サトルおじさんが言う。

「じゃあ、エックス山の植物観察なんてどうかな。私は、一応あそこの保全委員の一人なんだけど」

『絶対反対!』

 フーガと、さっちゃんと、お姉ちゃんの声が見事に重なった。
 あんまり綺麗に揃ったので、車の中は一瞬無言になる。そのあと、みんなで弾けたように、笑いが起こった。

 あの山には、できればもう行きたくない。
 正義の味方も、しばらくはお預けでいい。
 フーガは正義の味方にはなれないかもしれない。
 でも、それでもいいやと最近思う。

 みんなちょっとずつ悪くて、誰も完全に正しい、正義の味方なんて人はいなくて、だからこそ、世界はいろんな波乱に満ちているにも関わらず、遠くから見れば、何事もなかったかのようにいつだって日常に戻っていく。

 正しいことを目指すなら、フーガは警察に行くべきで、そうしていたら、フーガの日常は、壊滅的に壊れてしまっていたかもしれない。

 フーガはそうならないために悪いことをした。その結果、それでもフーガの毎日はずっと続いている。
 この国の社会にとって、三億円事件の最大の痕跡の可能性がある、そのお金が消えてしまったことは、きっと悪事なのだろう。
 正義の敗北かもしれない。

 でも、それによってフーガは、フーガが住んでいる、ごく小さな日常という世界を、守った。悪人として裁かれる人を、誰ひとり生むこともなく、守りきった。
 正義の味方なら、きっと守れなかった世界だ。
 それは正義の味方になれない、ごく普通の、小さな悪意に負けてしまう平凡な小学生である、フーガにしかできない救い方だ。

 悪に目をつぶり、正義の声に耳をふさいで。自分の口から出る言葉は全て嘘っぱちだと信じてもらえないようになって、それで自分と、その周りの小さな世界を守る、不正義という仮初の救い主。

 あるいはいつか、そんな仮初では到底救えないような本当の災難に見舞われる時が来るかもしれない。でも、その時はその時だ。今はフーガはこれで何とかなっているのだから、この道をもう少し歩いてみるのも一つの生き方に違いない。

 風見かざみ風牙フーガは普通の小学五年生だ。
 これといって挙げるべき特徴もない普通の子どもで、ごく当たり前の平凡な毎日を送っている。
 いや、少し普通の小学五年生と違うところもある。
 最近、自分の世界を救った。気にしてないがそれが原因で危ない子と思われている。
 みんなは知らないことだが、フーガは人目を忍んで自分の手の届く、ささやかな範囲の世界の崩壊を阻止したのだ。間違いなく自分の手で。

 元に戻った日常の世界で、フーガは今日も当たり前の毎日を変わらず過ごしている。
 自慢できることでも誇れることでも、そもそも人に言えることでもなかった。言ったところで誰一人信じてくれる人はいない。

 でもフーガは、そのことを一生忘れずに生きていくだろう。
 正義の味方をするということは、世界を守ろうとすることは、いつだって誰にも秘密なのだ。

 おじいちゃんの作ってくれた変身ベルトは、もうランドセルに入っていない。おじいちゃんの家から譲ってもらったカザグルマの鉢植えの傍らに、ひっそりと置いてある。

ふせいぎふーが(了)

不正義の活躍 4

ふせいぎふーが

 目が覚めると、病院だった。
 学校帰りらしく、ランドセルを背負ったさっちゃんと目があった。
 さっちゃんはフーガが目を覚ましたのを見て驚いたらしく、脇についているナースコールに手を伸ばしたかと思えば、看護師さん呼んでくると立ち上がったり落ち着かない様子だったが、結局自分で看護師さんを呼びに行って戻ってきたら、ようやく、フーガ、大丈夫か、と聞いてきた。

 話を聞くと、フーガはまる一日意識がないままだったという。学校では事件のことはまだ秘密のままで、フーガは病気で休んでいるということになっているらしかった。

 お母さんたちが呼ばれたこともあり、さっちゃんはあまり長居せずにフーガが無事に意識を取り戻したことを確認して喜んで、そのまま、また、話ができる時に、と言い残してすぐに帰ってしまった。フーガはもっと話したいことや聞きたいことが山ほどあったし、そんなそっけない態度のさっちゃんに少し違和感を覚えたが、それについてじっくり考えている間もなくお医者さんがやってきた。

 お医者さんはフーガにいくつか質問をして問題ありません、と後ろの方に声をかけた。
 すると、カーテンを開けて、お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんと、それからソナタの顔が並んでいた。フーガはシワの方が濃く刻まれているお母さんとお父さんの表情を見て、これから起こることに耐える覚悟をするように、下唇をキュッと噛み締めた。しかし、怒鳴られることを覚悟していたフーガはまずお母さんがフーガの顔を見て泣き出したのにびっくりしてしまった。

 そして、改めてお姉ちゃんを見てさらにびっくりした。お姉ちゃんのトレードマークとも言える、長くてきれいな髪の毛がすっかり短くなって、首のあたりをようやく隠せる程度のショートカットになっていたのだ。
 フーガはサエキさんに髪まで切られたのかと思って、一瞬怒りに駆られてどうしたの、と声を掛けようとしたが、それよりも先にお母さんのここが病院であるということをまるで無視しているような怒鳴り声が叩きつけられた。

「全くあんたたちは、いたずらでお義兄さんの清掃センターの換気扇の中に忍び込んで焼き殺されるところだなんて、お母さんを心配させるんじゃないの!」

「全くだ、退院したらげんこつだぞ! みんなにすごく迷惑かけたんだからな。カノンも中学生にもなって、そんな常識的なこともわからないのか、お父さんはがっかりだぞ!」

 お母さんとお父さんが大声でフーガを叱りつけた。
 フーガには全然なんのことかわからずきょとんとしていると、お姉ちゃんはいいから、というように口に指を立てていた。

「悪いと思ってるから、こうして髪だって切ったでしょ。フーガも無事だったんだし、もういいじゃない。まずは喜ぼうよ」

「いいわけあるか! 兄貴はお前たちが焼却炉に入ったって動転して転んで頭打って三針も縫ったし、その日当直だった部下の人は責任感じてやめちゃったんだからな。父さん菓子織り持って謝りに行ったけど、引っ越したあとで、もうどうやって謝りに行けばいいのか。退院したら清掃センターに謝りに行くからな。その時は二人共一緒に行くんだぞ」

 お父さんはそれからフーガの頭に手を載せて、抱きしめる。
 耳元で聞こえた心配かけやがって、という声は涙に歪んでいた。

 フーガはとりあえず事情が全くわからないので二人に怒られるままにしていた。
 よくよく話を聞くと、お父さんとお母さん、その他世間一般では、こういうことになっているらしい。

――小金井市の小学五年生の少年 (フーガのことだ)は社会見学で清掃センターに行った時に、男の子なら誰でも思うであろう、禁じられている焼却炉の中に入ってみたいという欲求を抑えきれず、それを中学生の姉 (お姉ちゃんのカノンのことだろう)に相談したところ、伯父 (サトルおじさんだけど)が清掃センターで働いていて、ちょうど清掃センターが点検作業中で稼働停止しているのを聞きつけ、計画を立て、身内である伯父が当直の日なら、バレても甘く見られるだろうという打算に基づいて、こっそりと外にある換気口の網を突き破り、焼却炉の中に入り込んでしまった。

 それを知らずに点検作業の最終段階として、焼却炉がきちんと可動することを確かめていた少年の伯父に、事態を深刻に思った、少年たちと一緒に来ていた同級生の少年 (これがどうもさっちゃんのことらしい)が報告すると、焼却炉の中に甥っ子が入ったという事態に少年の伯父は動転し、椅子からひっくり返って机に頭をぶつけ出血してしまった。

 一緒に清掃センターにいた女性職員 (要するにサエキさんだが)は慌てて焼却炉の緊急消火装置を作動させ消防と救急車を呼んだということになっている。

 中に入った少年はだんだんまずいと思ったのか途中で換気口を逆に戻り、消防が突入しようとしたその時、ちょうど脱出してきて、そのまま保護された。

 一連の事件はその日の点検の責任者で、少年の身内でもあった少年の伯父の監督不行届ということで少年の伯父は主任から降格されたが、クビにはされずになんとか落着した。

 責任を取らされた少年の伯父は上司からたっぷり厳重注意を受け給料を結構大幅に減額された上にボーナスもなしにされたらしく、一緒にいた女性職員に至っては少年が焼却炉の中に入ってしまったというのがあきらかになったとわかると、いつの間にかその場から姿を消し、後日職場に、郵送で退職願が届いて、そのままどこかへ引っ越して今では行方もわからない――そうだ。

「全く自分のしでかしたことがわかっているのか、フーガ! 兄貴がお前たちの将来のことを考えて、警察沙汰にしないように清掃センターの人たちに取り計らってくれなかったら、お父さんとお母さんは、お前を警察に連れて行かなくちゃいけなかったんだからな!」

 お父さんがほかの患者さんの迷惑なんてちっとも考えてないような大きな声でフーガに怒鳴った。お母さんは普段ならほかの人の目を考えて、とたしなめるところだったけれど、何も言わないところを見ると、それだけ今回のことで、頭にきていることが伺えた。

 でも、フーガは違うよ、お父さん、と口答えした。

 フーガは危うく殺されそうになって、逃げ延びたのだ。危機一髪から命からがら脱出したのに、それで叱られるなんておかしい。ましてや、お父さんの言っていることはまるででたらめだった。

「何が違うんだ!」

「ボク、殺されそうになったんだよ。頭の傷、サエキさんにトンカチで殴られたんだよ。おじさんもそうだよ。転んだんじゃなくて、サエキさんに頭殴られたんだよ」

 フーガがそう言うと、お父さんとお母さんは顔を見合わせて目を丸くした。お姉ちゃんは余計なことを、という顔をしていたけれど、それは間違いなく事実だった。そうでもなければ、フーガは清掃センターの換気扇の中になんか入ってみようとは思わない。

「ふうん、お前はサエキさんが、お前と兄貴を殺そうとしたって言うのか?」

「うん」

 フーガは力強く頷く。

「どうして」

「それは――」

 お父さんにそう聞かれて、フーガはようやくどうしてそういう話になっているのか理解できた。これは、嘘なのだ。何よりも、おじいちゃんの三億円を隠すための。

「さ、三億円……」

 フーガがためらいがちに小さく言うと、お父さんは眉を吊り上げて、なんだって、と凄む。フーガは心を決めた。正直に言うのだ。そうしないと、この話は終わらない。

「おじいちゃんは、三億円事件の犯人だったんだよ」

「……はぁ?」

「ボク、おじいちゃんが死んだ日に、おじいちゃんから地図をもらったんだ。自分が死んだらこの場所にあるものを探して、全部燃やしてくれ、って頼まれたから。それで、さっちゃんと一緒にエックス山に行ったんだよ。そしたら、そこに三億円があったんだ。さっちゃんは警察に行くか、って聞いたけど、おじいちゃんが三億円事件の犯人だったって証拠が見つかっちゃったら、ボクたち、きっとタダじゃ済まないから、全部燃やしちゃうことにしたんだ。でも、さっちゃんから連絡を受けたお姉ちゃんが、このまま燃やしたんじゃ、絶対誰かに見つかるからって、おじさんに頼んで清掃センターで燃やしてもらうことにしたんだよ。サエキさんはおじさんに頼まれて、それに協力するフリをしてたんだけど、本当は三億円を独り占めするつもりだったんだ。おじさんはボクたちを先に帰らせたけど、ボクは不安で清掃センターに戻ると、おじさんが頭殴られて女子トイレに倒れてたんだよ。おじさんを助けようとしたら、サエキさんが現れて……」

「もういい!」

 フーガの言葉をお父さんが遮った。それからお父さんは涙を浮かべて、切なそうに目を細めて、フーガの肩をもう一度強く抱きしめて、もういいんだ、と囁いた。

「お前も、怖かったろうな。お父さん、いつも一緒にいなくて、寂しかったんだろ。だから、こんな騒ぎ起こして、気を引こうとしたんだろ。悪かったな。ごめんな」

「違うって、お父さん。サエキさんは――」

「わかった。サエキさんのことは、ひとまず忘れよう。お父さんが悪かった。目が覚めたばっかりなのに、いきなり叱っていけないお父さんだった。フーガ、お前はまだお休みが必要なんだ。何か食べたいものはあるか? ジュース飲むか」

 すっかり優しくなってしまったお父さんに、フーガはどう対応していいかわからない。どうやら、お父さんもお母さんも、フーガの頭がおかしくなったと、本気で心配しているようだった。
 当たり前かもしれない。清掃センターの焼却炉で焼き殺されそうになった息子が、目を覚ましたと思ったら、自分の父親が歴史的大犯罪の犯人だったと言い出したのだ。すんなり信じる人がいたら、そっちの方がよっぽどおかしくなっている。

「本当だよ、お父さん」

 それでもフーガは重ねて言った。

「じゃあ、何か証拠はあるのか? 三億円はどこに行った?」

「全部燃えちゃった。それが入ってたトランクも、焼却炉で焼かれちゃったよ」

「じゃあ、お前がもらったっていう地図は?」

「それも燃えちゃった。っていうか、ボクが燃やした」

「ってことは、フーガが言うことを、本当だって言える証拠は、何もないわけだ」

 フーガは少し考える。それから、フーガの方を面白いものを見るように笑いをこらえるように口に手を当てながら、眼鏡の下で目を細めているお姉ちゃんと目が合った。お姉ちゃんは慌てて目をそらしたけれど、フーガはピンと来た。

「お姉ちゃんに聞いてみてよ! ボクの言うこと、本当だよね。お姉ちゃんも、一緒に戦ったんだもん」

 お父さんとお母さんの目がお姉ちゃんを捉える。お姉ちゃんは言葉を選ぶように口を二、三回パクパクさせたあと、静かに言った。

「フーガの言うとおりだよ」

 即座にスパン、とお姉ちゃんの後ろ頭をお父さんの張り手が軽く打つ。短くなってもやはりサラサラで綺麗につやめくお姉ちゃんの髪の毛が、お父さんの指にひとつも絡むことなく流れて、元の形に戻る。

「こいつ! お前がフーガに忍び込むように言いくるめたんだろ! この期に及んでフーガが錯乱してるのをいいことに、サエキさんを悪者にして、しかも死んだ親父にまで責任を押し付けるなんて、恥を知れ!」

 お父さんが怒りに任せてもう一度拳を振りかぶった。フーガは咄嗟にやめてよ、と叫んだ。

「……ごめん、ボク、なんか、夢の中で、すごい冒険をしてたみたい」

 お父さんはそんなフーガを見て、自分が罰を受けたみたいにしょんぼりして、叩いたお姉ちゃんの頭をガッシリとした手で、ワシワシと撫でた。

「カノンも、ずっとフーガの面倒見てて、大変だったもんな……。悪かった」

 そのあとは、しばらく今後のことを話して、フーガは経過観察のために、今日一日入院することになった。なんだか小難しいセイシンカンテイのテストもさせられたけれど、結局フーガの頭には何の問題もないということで、次の日、フーガはお母さんに連れられて退院した。

 それからフーガとお姉ちゃんは反省ということで、スマホやゲーム機を取り上げられて、部屋で一時間閉じ込められたけれど、そこでようやく、お姉ちゃんの真意を知ることができた。お父さんやお母さんが信じていることは、やっぱりお姉ちゃんとおじさんが作った嘘だったようだ。全ては、おじいちゃんのことを秘密にするためだった。

「まあ、どうも嘘なんかつかなくても、あの分だと本当のことを言ったところで、誰も信じないみたいだけどね」

 お姉ちゃんは自分髪を切らされたり、叱られたことを、少しも気にしていないみたいだったし、フーガに責任を押し付けても来なかった。お姉ちゃんはそういうところが全く大人だと思う。自分で何もかも判断して決めたことだから、その結果起こったことに不満なんか漏らさない。例え自分がいわれのない罪を着せられることになっても、フーガが悪いんだからね、なんて絶対に言わない。お父さんやお母さんよりも、ずっと大人だと思う。

「ごめんね、お姉ちゃん」

「私はともかく、さっちゃんとおじさんにはよく謝っておいてね。特におじさんは経歴に傷が付いたし、お金の面で本当に迷惑をかけているの。言葉ですまないくらいなんだけどね」

 お姉ちゃんが言うには、どうにもさっちゃんはあわや剣道道場破門の危機にまで瀕したらしい。
 ただ、フーガのお父さんが、さっちゃんの剣道の師範に、さっちゃんがおじさんに報告しなければ、フーガは助からなかったかもしれない、さっちゃんのおかげでフーガは死を免れた、命の恩人の立派な子なんだ、自分の息子の命を救ってくれたのに、さっちゃんが責められるのはおかしい、できることなら何でもするから、どうかさっちゃんを責めないで欲しい、と頭を下げて説得して、なんとか矛を収めてもらったらしい。病院でぎこちなかったのは多分、その件でフーガのお父さんと顔を合わせるのは気まずかったからなのだろう。

 サトルおじさんはどうしてちゃんと見てないんですか、とお母さんにきつく責められてビンタを食らったらしい。
 よくよく考えてみれば、お母さんたちが信じている話を前提にするなら、むしろその言葉はフーガたちの監督責任を持つお母さんが、おじさんから責められるべきで、おじさんがそんなこと言われるのはどう考えてもおかしいのだが。

 おじさんは事件の中でサエキさんに頭を殴られて、三針も縫って、お父さんのげんこつなんかよりよっぽど重症で、その上仕事でも罰をもらっていて、そもそも事件については全く無関係だったわけで、本当なら怒り狂ってフーガたちの家族と絶縁したっておかしくないくらいなのに、それでもフーガたちに怒ってきたりしないことを考えると、もしかしたらおじさんはおじいちゃんの起こした事件のことを、知っていたのかもしれない。

 おじいちゃんを介護する生活の中で、あの事件に関わる何か重大な証拠を見つけていて、それを密かに処分する機会を伺っていたのではないかと思う。
 そう、思い返してみれば、フーガがまだおじいちゃんの家で暮らしていて、おじいちゃんが身の回りのことを一人で出来た時、お母さんは家の掃除をする時も、おじいちゃんの部屋だけは、手をつけないでいた。お母さんはそこまで出過ぎた真似をしてもよくない、みたいなことを言っていたけれど、あれはやっぱり、おじいちゃんの部屋にはあの二重底以外にも秘密の仕掛けがあって、そこにはあの事件の秘密が隠されていたのではないだろうか。

 そう思うと、フーガはもう一度くらい、おじいちゃんの家に行ってこっそりその秘密を探ってみたい気がしたけれど、すぐにそれがまた今回のような事件に繋がることははっきりしていたので、思うだけにしておいた。
 それに、きっとめぼしいものは、遺品整理の時に、おじさんが既に処分してしまっているに違いない。整理の時に残っていたとしても、多分このフーガが起こした一件で、決定的なものは、ほとんどなくなってしまったはずだ。

 全部フーガの妄想だから、証拠も、おじさんのそれらしい言葉の一つもないのだけど、なんとなく、事件の落としどころから、フーガはそんなものを感じた。
 一件は大事といえば大事で、消防と救急車を呼ぶ騒動にまでなった手前、新聞にも載ってしまったようでお姉ちゃんがこっそり切り抜いた新聞記事を見せてくれた。それでも子どもの暴走を止められない大人という視点からの切り込みで、そこから三億円に結びつけたりするものは全くなかった。

 三億円のことなんて、誰も知らなかった。

 フーガがあんなにいろいろ悩んだり、あんなに危険で怖い思いをした大立ち回りの末に、灰になった、前代未聞の昭和の未解決事件の顛末なんて、誰もまるで知らなかった。誰ひとりとして、信じるものはいなかった。信じさせるだけの証拠も、もうない。
 サエキさんのことは警察に言ったのかと聞くと、お姉ちゃんは言えるわけないでしょ、と答えた。

「サエキさんのしたことが警察に知られちゃったら、三億円のこともバレちゃうでしょ。あの人はお金独り占めにしようとしておじさん殴って、フーガを焼却炉に落としたんだから」

 まあ、言ってもお父さんと同じ反応しか返ってこないだろうけど、とお姉ちゃんは呆れたように黒い目を伏せて言う。俯いた時、ニキビ一つ無い、少し日に焼けた首筋が覗いた。長い髪があった頃は、そんなところが見えなかったのに、今はよく見える。フーガはそれで、お姉ちゃんの失ったものの大きさが、わかる気がした。髪の毛を切るというのは、きっとお姉ちゃんにとっても大きな覚悟だったに違いない。見る人が見れば、聞きたくない噂だって立つような長さをバッサリと切ったのだから。

 それを思うと、フーガは今も何の責め苦も負うこともなくのうのうと暮らしているであろうサエキさんのことが、許せない気持ちになった。それが顔に現れていたのか、お姉ちゃんは薄い唇に笑みを浮かべて、あの人のことを恨まないでね、と言った。

「焼却炉の止め方を教えてくれたのは、あの人なんだから」

 お姉ちゃんの言葉に、フーガは思わず、えっ、と聞き返してしまった。てっきりおじさんが教えてくれたか、お姉ちゃんが自力で思いついたのだとばかり思っていたのだが。

「あの人は最初から最後まで全部計算尽くだったの。フーガを焼却炉に落としたのだって、あの状況なら、私たちはサエキさんの取引に応じるしかなかった。というより、本当は、そっちの方がよかったんだけどね。そうすればフーガは無事で、三億円はサエキさんの物になるけど、多分足のつかない処理の仕方に心当たりがあったんだろうし。事態がうやむやになるって意味では、誰も危険な目に合わないだけ、マシな選択だったはず。あの人が言ったとおり、私たちは事態が隠せるなら、三億円の所在自体には興味なかったわけだし。だからフーガがあれを燃やしちゃったのは、計算外だったんだろうけど、焼却炉稼働させたあともずっと冷静だった。見逃して、警察に連絡さえしなければ、車に乗ったあとに清掃センターに電話して、スマホから止め方を教えてやるって取引を持ちかけてきたの。すごい女だな、って思ったな。言うのはなんだけど、感心しちゃった」

 そうだったのか。ということは、サエキさんでさえ、結果的には、フーガの命を救ってくれたことになる。正義の味方だと思っていたおじいちゃんは、実は大悪党で、正義の味方を目指していたフーガは、その悪の片棒を担ぐ悪者になった。さっちゃんも、お姉ちゃんも、おじさんも、そのフーガの悪事に協力してくれた。そしてそんなフーガたちを、さらに凶悪な考えで危機一髪に陥れたサエキさんは、最後の最後でフーガを助けてくれていた。フーガは誰が正義で、誰が悪だったのかを考えて、考えるのをやめた。

 この事件に、正義なんてない。そしておそらく、完全な悪も、存在していない。

「こっちとしては、むしろあの人がちゃんと捕まらないでこのことのほとぼりが冷めるまで、警察とは何の関わりもなくそれなりに快適に生きててもらった方が都合がいいの。フーガが死んでたら、ちょっと許せないけど、助かったし。それに元をたどれば私たちのおじいちゃんのせいだし、巻き込まれたって意味ではあの人は被害者。あの人だって三億円なんてものがなきゃ、清掃センターでそれ相応に幸せに暮らせてたに違いないし。だからね、あの人のことはね、無視。気にしない。どこへなりとも勝手に行ってください。ただし私たちの前には二度と現れないでください、でいいの」

 三億円がなかったら。

 その仮定こそが、真実なのかもしれない。
 三億円がなかったら、おじいちゃんがそんなものを遺していなかったら、フーガがそれを託されていなければ、そして見つけなければ、何事も起こらなかった。フーガが危ないことをする必要も、フーガたちやサエキさんが過ちを犯す理由もなかった。

 でも、あの日、エックス山には確かに三億円があって、その結果、フーガたちは、たくさんの間違いを重ねた。そういうものなのだ。正義でも悪でもなく、ただ存在するだけで、その周りにあるものを全て歪めていく、どす黒い影。この世界に存在してはいけないもの。

 そういうものが、確かにあるのだ。フーガはそんなことを思って、少し背筋をしゃんとしなければいけない思いにかられた。その様子を見てとったのか、冷静な目でフーガを見ていたお姉ちゃんは、いきなりいたずらっ子のような笑みを浮かべて、フーガの方に手を伸ばす。

「フーガ、フーガは正義の味方じゃなかったかもしれないけど、立派に、自分の命と、おじいちゃんと、それからサエキさんを救ったんだよ。偉かったね。かっこよかったよ」

 お姉ちゃんはそう言ってフーガを抱き寄せて頭を荒っぽくくしゃくしゃと撫でた。
 フーガにとってこれ以上ない褒め言葉だった。
 嬉しくてたまらなくて、叫びたいくらいだったが、フーガはただはにかんで、顔を赤く、耳の先まで真っ赤に染めてもじもじするしかできなかった。

「でも、もう、二度とゴメンだからね。髪の毛、本当に大事に伸ばしてきたんだし、お父さんのげんこつも、それなりに痛かった。フーガだって、たまたま助かっただけなんだからね。次にこんなことになったら、もう絶対助かったり、何事もなく解決なんて絶対にないから。キモにめいじておいてね」

 それからお姉ちゃんはぐっと握りこぶしを作って、フーガの額に当てて、それで軽くフーガの頭を押し飛ばす。ぐらりと揺れるだけで、吹っ飛ばされたりなんてしない。痛めつけるのが目的ではない、フーガの心に刻み込むための拳。暖かく、柔らかく、少しだけ、痛い。お父さんが殴らなかった分、お姉ちゃんが伝えたいことがそこに詰まっていた。フーガはそれで、本当の意味で叱られて、そして許された気がした。

 反省は一時間で、フーガたちはそのあと退院祝いのお寿司を食べた。
 お父さんとお母さんはずっとフーガたちをどれだけ心配して、どれだけ迷惑をかけたのか、叱り続けた。
 おめでたいんだか、おめでたくないんだかわからないお祝いだった。

 フーガはしばらくは物陰からサエキさんが突然あの天使のような優しい笑みを浮かべながら、手にトンカチを持って襲って来るんじゃないかとか、夜中に物音がするとサエキさんが屋根の上に潜んでるんじゃないか、とか、不安で怖かったのだが、一週間もすれば、それも平気になった。

 事態がバレればまずいのはサエキさんも一緒だから、そういう意味で言えば、上手く逃げられたあの人が、三億円を持っているわけでもないフーガを襲いに来るのは考えにくいことだった。

 結局のところサトルおじさんがちょっと職場で立場が悪くなって、お姉ちゃんやフーガや、さっちゃんがちょっと大人から色眼鏡をかけて見られるようになったくらいで、しかもそれも時が経てば、あっという間に忘れ去られるようなたぐいのもので、事件は本当にすぐに過去のものになった。

 あの事件は、ないことになったのだ。
 三億円と一緒に、燃え尽きて、灰さえも残らなかった。

不正義の活躍 3

ふせいぎふーが

 フーガはマッチに火をつけ、それを紙に灯す。
 あの日、おじいちゃんがフーガに託した、三億円の場所を描いた地図。フーガが本当に燃やすべきだったのは、三億円ではない。こんなふざけた地図を、おじいちゃんの罪の証を、フーガはくだらないと最初に燃やしてしまうべきだったのだ。

 隠すならフーガなんかには絶対に見つけられない、本当に安全な場所に隠しておくべきだったのだ。燃やすなら、まだ自分で十分に決着をつけられる元気な時に、フーガが生まれるとっくの昔に、さっさとケリをつけて、おじいちゃんは堂々と胸を張って、フーガたちのおじいちゃんでいればよかったのだ。こんなもの、こんな地図、隠して取っておいてないで、さっさと捨てて、忘れてしまえばよかったのだ。

 ましてやその処理をフーガにお願いなんてされても、困るだけだ。
 燃え上がる地図を見て、フーガは胸のすくような思いだった。それだけの思い悩みを詰めた、苦しみの証が、火を上げて焼かれていく。そして大きくなった炎をそのまま足元に広がる札束に燃え移す。火はみるみる広がって、焼けた札束が炎による上昇気流で宙を舞った。

「あーあ! やっちゃったよ、もう知らない」

 ヘラヘラ笑っていたサエキさんの顔がすべてを見下した冷徹な色に染まる。

「さよならです。サエキはなーんにも知りませーん。焼却炉運転させちゃいまーす。サエキはその間に逃げますけど、みなさんはせいぜいフーガ君の火葬が終わる前に救出の方法を考えてください。じゃーね」

 そう言ってサエキさんが奥に引っ込んで、何かをした。すると扉が勝手に締まり、三億円が散らばっていた地面が傾くように動き出した。ガソリンみたいな臭いが広がっていく。焼却炉が作動したのだ。

「フーガ、フーガ!」

「任せてよ、お姉ちゃん! サエキさん! ボクは、あんたに殺されたりしないよ! 正義の味方は、死なないんだから!」

 閉じていく扉の隙間からこちらを覗くお姉ちゃんに、フーガは笑ってみせた。
 その後ろで逃げる準備をしているサエキさんにも。
 そして、扉が閉じる。完璧に決まった。完全に正義の味方だ。フーガは命懸けのカッコ付けに心の中で勝ち誇る。

 そして終わった。フーガは閉じ込められた。稼働する、焼却炉の中に。
 いや、めげている場合ではない。フーガは何としても脱出しなくては。

 それがいかに口先だけのものだったとしても、サエキさんは確かに言った。助けて、と。ならばフーガは、それに答えなければならない。正義の味方を夢見た子どもの端くれとして。

 フーガは懐中電灯で辺りを照らす。こんなことで死ぬなんてまっぴらだった。
 何かどこかに出口があるはずだ。きっとお姉ちゃんたちが何かしてくれるに違いない。
 とにかくあきらめたら終わりなんだ。
 そして――正義の味方は、絶対に最後まであきらめない。
 フーガはもう正義の味方では決してないけど、それでも執念深く、しぶとくもがくのだ。

 焼却炉だって、初めからゴミを貯めているわけじゃない。まずそれを作る人がいて、ゴミを貯めて置く場所だって、点検するために、人が入る場所が存在する。今日だって点検作業の最終日だったと、おじさんが言っていたじゃないか。そして今、焼却炉が空であるということは、ここに人が入って、中を確かめたということだ。ということは、どこかに、人が行き来できるようになっているはずなのだ。

 そう思って壁伝いを照らすと、階段が高いところまで通じているのが見えた。
 フーガは動き出した床に逆らってそちらに移動していく。
 まるで遊園地のアトラクションのようだ。斜めに傾いて、ゴミを押し流すためにゆっくりと動いていく床は、そもそも立つことさえままならない。
 しかも傾斜は結構急で、フーガはまるでロッククライミングでもしているような体勢になりながら、両手をついて、必死で床を駆け上る。もともと運動は得意な方じゃなかった。多分フーガは一生で、こんなに真剣に、こんなに激しく走り回ることなんて二度とないだろう。

 三億円はあっという間にずりずりと床を滑り落ち、トランクもはるか下に続く奈落に飲まれていく。そうこうしているうちに、だんだん辺りが熱くなってきた。
 それでもフーガはやっとの思いで、階段の手すりを掴んだ。動く床から解放されたことにほっとする間もなく、その手すりのじわっとした温かさに、残された時間の短さを知る。腕に力を込めてよじ登る。休むまもなく階段を上り始める。

 いくつかのドアがあったけれど、焼却炉の中からは開けることができないようだった。
 いや、それどころか、どのドアであっても焼却炉が稼働中なら、ロックが掛かっているから、ドアからの出入りはきっとできない。多分お姉ちゃんは大慌てで焼却炉を止めようとしてくれているだろうけど、おじさんがあんな状態だったし、そう簡単ではないだろう。

 下の方で、壁から炎が吹き出すのが見えた。マッチなんかより、よっぽど凄まじい炎の勢い。三億円はあっという間に粉みじんになったしトランクは一瞬でどろどろに溶けて燃え尽きていった。
 フーガは疲れと熱さから全身汗でびしょ濡れだったが、それでも階段を上り続けた。
 左右に折り返して登っていく階段の六つ目の踊り場をすぎ、三つ目のドアが開かないことを確認したところで、フーガは膝に手を付いた。

 だんだん息が苦しくなっているのは、走って辛いからだけじゃない。炎が燃えると酸素がなくなって二酸化炭素が出る。
 出るのは二酸化炭素だけじゃなくて、当然体に有毒な煙ももうもうと立ち上って充満していく。燃えているのが今は三億円の札束とトランクだけで、煙の量もきっと普通よりずっと少なかったからなんとか息ができるけれど、空気が足りなくなっているのだ。
 それに、その空気自体がすごく熱くなり始めていて、息をすることそのものが苦しい。空気が欲しかった。正義の風車が起こす、新鮮な息吹が恋しい。

――風車、風、空気――。

――あとは焼却炉内につながる換気ダクトを通るしかないですけど。

 サエキさんの言葉が頭をよぎった。
 そうだ。炎は燃料だけでは燃えない。炎を燃やすためには、大量の空気が必要なのだ。
 フーガはサエキさんが説明してくれた清掃センターの仕組みと自分が習った理科の知識を頭で思い出す。
 まさかここでサエキさんに救われるとは思いもしなかった。
 しかし、あの人は確かに、焼却炉と換気ダクトは直接外と繋がっていると言っていた。
 フーガがその考えに至った時、猛烈な勢いで風を吹き付けている穴が目の前にあった。

――栄光は、カザグルマの下に。

 穴には格子がはまっていたが、フーガなら、小柄な子どものフーガなら、通り抜けることができそうだった。
 問題は、その熱だった。触れば、金属のダクトは、アイロン並みに熱い。ここに体をつけるのは、すごく抵抗がある。フーガは何かないか、と思って、そういえば、三億円を燃やしたあとの消火のために、ペットボトルの水を三本分持ってきているのを思い出した。

 一本を自分の頭にかけ、残りの二本をダクトの下側に注ぐ。まだ水が一瞬で蒸発するほどの熱ではない。しかしこれはこのあとどんどん上昇していく。迷っている場合ではない。
 フーガは身をよじってその格子の隙間に体を挟み込む。もったいないがリュックはここに置いていくしかないようだ。フーガは肩からリュックを下ろし、隙間を体で押し開ける勢いでねじ込む。
 前からは強烈な風で目も開けていられない。後ろからは猛烈な熱さが迫っている。それにダクト自体がやっぱりものすごく熱くて肌は火傷しそうだ。

 おじさんは大丈夫だろうか。サエキさんをお姉ちゃんはどうしただろう。さっちゃんもみんな、無事でいればいいんだけど。

 死にそうな状況に、フーガはいろいろ思って、そんな場合じゃないと思い直す。
 今はとにかく必死でこの換気ダクトに体をねじ込んで、一刻も早く焼却炉から脱出する場合だ。そうだ、今一番優先されることはサエキさんを逃げられなくすることでも、おじさんを心配することでもない。

 フーガがここから助かることだ。それだけを考えて、それだけは実現しなくてはならない。
 こうなってしまっては、それだけがみんなを助ける唯一の方法だ。
 フーガが死ねば、サエキさんは人殺しだし、フーガの人生もこれまでだ。おじいちゃんが隠し続けた三億円のことは隠し通せなくなるし、フーガの家族もバラバラになるだろう。さっちゃんだってきっと無事では済まない。

 だが、生きてここから出られれば、それを防ぐことができる。
 とにかくフーガが生き残ることで、決定的な破滅から、世界を救うことができる。

――それは、紛れもない正義だ。

 じりじり痛む肌を我慢して体を隙間に押し込む。上半身が通った。
 フーガはお腹を引っ込めて腰を通す。おしりが引っかかる。
 フーガは前に後ろに腰を振る。バキ、と鈍い音がしたと思ったら、格子が一本折れてしまった。
 でもそれでフーガの体は格子を通り抜けた。

 そのまま換気ダクトを這うようにしてとにかく外に向かって進む。風のする方が外に通じる道だ。明かりはなくとも、手探りで前へと進む。穴が上下に伸びていた。フーガは体を穴に突っ張って、全力で上へと這い上がる。縦の穴には焼却炉の方に向かって伸びる横穴がいくつか続いていた。多分どこかで大きなプロペラが回っていて、この縦穴は風を分散させるのと、ここで風と一緒に入ってきたゴミを落とすためのものだろう。

 フーガは懸命に縦穴を上へ上へと這い上がる。
 一番上まで来ると、急に、風の温度が一つ、下がった気がした。
 さっきより穴が広い。そして、フーガが登ってきたその後ろに、大きな八枚羽根の換気扇が轟音を立てて回っていたが、それはどんどんゆっくりになっていく。
 止まりかけている。きっとお姉ちゃんたちが焼却炉を停止させたのだ。止まりそうな換気扇から振り返ると、外の景色が見えた。出口だ。

 出口の格子を思い切り中から揺さぶる。フーガは格子を突き破って、外に飛び出した。
 換気口の入口は、やや高いところにあって、フーガは頭から地面に落っこちてしたたかに身を打ち据える。でも、痛いってことは、生きてるってことだ。

 助かったのだ。フーガは生きて焼却炉から脱出できたのだ。

 フーガはまず大きく息を吸い込んだ。焼却炉の燃え盛る灼熱の空気に比べれば、夏の夜の蒸し暑さなんて、よっぽど涼しいくらいだ。焼け付くダクトの中を這って進んできたフーガには真冬並みの冷たさが恋しいくらいだった。
 冷たくて、吸い込んでも少しも苦しくない空気を吸っては吐いて吸っては吐いて、思い切り呼吸し尽くす。空気がある世界は素晴らしい、生きてて良かった、とフーガは心から思った。

 どうやら換気口は清掃センターの裏手に続いていたらしい。目の前にそびえ立つ巨大な煙突が、そそり立つ影のように空に向かって伸びていた。フーガは急いで正面に回って、お姉ちゃんたちを探す。
 辺りは騒がしかった。救急車に消防車が見えた。でもパトカーは見当たらない。
 同じく赤い警報灯をくるくる光らせて、それぞれに大きなサイレンを鳴らして。
 清掃センターの正面の入口に回り込むと、おじさんが担架に運ばれて救急車に乗せられるところだった。その脇で、お姉ちゃんが消防士の人に囲まれていた。

「お姉ちゃん!」

 消防の人を前に泣きそうな顔をして弟が、と説明していたお姉ちゃんに、フーガは駆け寄る。お姉ちゃんは目を丸くした。そして飛び込んでくるフーガを思い切り抱きとめた。

「フーガ、フーガッ!」

 お姉ちゃんが強くフーガの頭を握り締めて名前を叫んだ。サエキさんに殴られたところに触って、フーガは思わず痛いと呻いた。お姉ちゃんは慌てて手を離す。

「フーガ、無事だったの! よかった!」

 どこにいたのか、さっちゃんも駆け寄って声を上げた。
 抱きしめ合うフーガたちを見て、さっちゃんは、嬉し涙を流してよかったよかったと大声で泣く。

「どういうことだい? 焼却炉の中に閉じ込められた少年というのは?」

 消防の人が怪訝そうにお姉ちゃんに聞く。お姉ちゃんは感動の面持ちから急転して、まずいことになった、というように、目を下に動かして、言葉を探しているように、口を何度か動かした。

「ボクです。自力で出てきました――」

 フーガの限界はそこまでだった。
 それだけ言い終えると、フーガは力尽きて、お姉ちゃんの胸の中にズルズルと倒れ込んでしまった。意識はまだあって、立たなくちゃ、とは思ったが、体に力が入らなかった。
 お姉ちゃんがすごい顔をして、大丈夫、フーガ、と叫んでいて、大丈夫と答えようとしたけど、唸り声のような音が漏れるばかりで、ちゃんとした言葉にならない。
 そのうちに世界がぐるぐると回りだして、フーガの意識はぽっかり浮かぶ月の彼方に飛んでいった。

不正義の活躍 2

ふせいぎふーが

「今日は清掃センターの点検、改修工事の最終日でね。炉は止まっているし、もう、私とサエキ君しかいないように手はずを整えてあるからね。あとはこれを焼却炉に入れて、明日の操業で燃やしてしまえば全部終わり。三億円事件はこれにて未解決で、決定的証拠も今日なくなって、無事終了というわけだ」

 おじさんはめでたしめでたし、と昔話を締めくくるような言い方で言った。
 さっちゃんはほっとした顔をしていたし、お姉ちゃんもなんだか安心したような顔をしていた。でも、フーガはなんだかことが上手く運びすぎているような気がして、逆に不安だった。

 本当にこれで全部安心なのか。
 おじいちゃんは言った。これは誰にも知られてはならないことだと。今この状況は、確実にその約束を破っている。フーガの他に、さっちゃん、お姉ちゃん、サトルおじさん、そして全く部外者のサエキさんにまで、おじいちゃんの秘密が知れ渡っている。

 それに、さっちゃんと、お姉ちゃんはともかく、この大人の二人は、本当に味方なのか。口で言うように、本当にこの三億円を燃やして、なかったことにしてくれるのか。
 フーガはそこを疑い始めていた。

 フーガたちに都合のいいことを言って、適当にあしらって、こっそりこのお金を自分のものにするつもりなのではないか。そしておじさんたちは、フーガの見ている前で、ケースのお金を国分寺市指定の燃えるゴミの袋に移し始めた。

「あとは私たちに任せて、フーガ君たちはもう帰りなさい。お母さんには私から連絡しておくから」

「ありがとう、おじさん、サエキさん。助かりました」

 お姉ちゃんが頭を下げる。さっちゃんもありがとーございました、と大きな声で言ってお辞儀する。フーガもやむを得ず頭を下げたが、フーガの疑念はますます大きくなった。

「お礼を言われることじゃないですよ」

 サエキさんはポツリと言った。
 その様子はさっきまでのサエキさんのかわいこぶった様子とは少し違っていて、なんというか、今にも消えてしまいそうな夕焼けのような儚い光を放って見えた。
 その様子にフーガはどきりとする。

「まあまあ、サエキ君には、本当に頭が上がらないよ。センターに私一人しかいないというのは何かと問題になってしまうからね。こんな形で巻き込んでしまって申し訳ない。でも、ここで正義に殉じたところで、誰ひとり得をしないどころか、何らかの形で被害者しか生まないからね。どうか許して欲しい。この子たちを責めないでやってくれ、悪いのは、私と父なのだからね」

 おじさんがそう言って、お姉ちゃんたちは何度も頭を下げながら、その部屋をあとにする。燃やしてくれると言って、燃やすところはフーガたちに見せないで、そもそも焼却炉に入れもしないで、先に帰れというその言葉を信じることなど到底できなかった。

 やっぱり――サトルおじさんは悪の手先なのではないか。
 お姉ちゃんはそれを信じきっているようだけど、騙されているのではないか。
 実はサエキさんはフーガに真実を告げようとここまでやってきたのだけど、おじさんが怖くて本当のことが言えなかっただけなのではないか。
 だって、さっきサエキさんが言ったことは何一つ間違っていなかった。
 間違っているのは、おじさんたち、いや、フーガたちではないか。
 心にもやもやしたものを抱えつつ、フーガは清掃センターの出口に足を進めるお姉ちゃんの後ろ姿をまんじりとした思いで見つめていた。

「フーガ、もう帰るよ」

 お姉ちゃんが言って、少しだけ前に進む。フーガの足は自然にゆっくりになった。
 このまま帰って、本当に全てが終わるのか。全身がそんなわけないだろ、と強く否定している。フーガは理性で帰るんだ、あとはもう大人に任せるんだ、と言い聞かせて、命令を拒む肉体を無理やり動かした。

「フーガ」

 お姉ちゃんがまた呼んだ。
 フーガはやっとの思いで出口の方に向かう。
 ようやくやってきたフーガを特に叱ることもなく、お姉ちゃんはそのまま歩き出した。
 スマホを取り出して、今度はどうやら家に電話しているようだ。

「あ、母さん? うん、これからフーガたちと一緒に帰るよ。うん、ちょっとおじさんのところ行ってただけ。うん、大丈夫。じゃあね」

 日の暮れかかった薄暗い道を歩く。
 フーガの心の中をそのまま表したようだ。疑惑の影が立ち込めていて、辺りがよく見えない。フーガは建物を出て、しばらく歩いて、それ以上、足を進めることができなくなった。

 やっぱりこの手で燃やして、三億円が完全に燃えたことをこの目で確認しなければ、少しも安心できない。おじいちゃんとの約束も、何一つ守れずに終わってしまう。
 いくらおじいちゃんが悪人だったからって、約束は約束に違いなかった。それを一つも果たさずに一件落着なんてありえない。

「お姉ちゃん、ボクちょっと忘れ物しちゃった。ちょっと取りに行ってくるから、先帰ってて」

 フーガは嘘をついた。お姉ちゃんが何か言う前に走り出す。
 後ろでお姉ちゃんが大きな声でフーガを呼んだ。でも止まらず、振り返らない。

 来た道をそのまま引き返し、清掃センターに行く。正面玄関の鍵はまだ開いていた。そして、スパイのように物陰に隠れながら移動する。とりあえず奥の方へ。リノリウムの床を伝って、足を進める。

 ふと、床に赤い雫が垂れているのが見えて、フーガは思わず立ち止まった。心拍数が一気に上昇する。

 それは、間違いなく血だった。血の跡は、女子トイレから出て、奥の扉の方に続いていた。いや、違う、血を流した人が奥の扉から、女子トイレに駆け込んだのだ。

 どうして、トイレに? きっと鍵がかかるからだ。殺されそうになって、真っ先に逃げ込める鍵のかかる場所は――トイレの個室だ。

 フーガは口から飛び出しそうな心臓を飲み込むようにつばをひとつ飲んで、口で息をしながら、トイレに入っていく。女子トイレに入るなんて、良心がとがめるけど、そんな事を言っている場合じゃなかった。前から二番目の個室。血の跡はそこから続いていた。鍵はかかっていない。

 フーガはとりあえず床の隙間から中をうかがった。誰かがトイレに倒れ込んでいる。
 フーガはドアに手をかけて、開けるかどうか自分に問いかけた。

――だって、中には、死体が入っているかもしれないんだぞ。殺人事件が行われているかもしれないんだぞ。

 その時、中から、うう、と小さく呻く声が聞こえた。
 生きてるんだ。中にいる人はまだ生きてる。なら――すぐに助けなくちゃ!
 フーガは大慌てで扉を開けた。

 サトルおじさんだった。
 おじさんは頭から血を流していて、目をうつろに開けたり閉じたりを繰り返している。

「おじさん、おじさんっ!」

 フーガは声を潜めて、おじさんを揺すった。おじさんは呆然とした目つきでフーガを見るけれど、その視点は何処を向いているのかわからない。朦朧としているのだ。
 それでもろれつの回らない言い方で、フーガ君、と小さく言った。

「そうだよ! 大丈夫、おじさん! すぐに救急車を呼ぶから!」

 フーガの頭は大混乱だった。急いで救急車を呼ぶためにスマホをかけようと思ってリュックを下ろそうとした。

「フーガ、君……逃げなさい」

 おじさんがそう言った時、フーガはようやく自分の背後に立つ誰かに気づいた。
 そしてそれを振り返るまもなく、頭を殴られてトイレの壁に叩きつけられる。
 痛みにうずくまりながら、前を向くと、サエキさんが立っていた。
 手には布を巻いたトンカチのようなものを持っていた。

「ダメじゃないですかぁ。戻ってきちゃー。サエキは子どもに乱暴なことはしたくないんですよー」

 サエキさんはトンカチを肩に担ぐようにして、とんとんと動かす。布の表面に赤いシミが付いていた。天使のような笑顔を浮かべながら、その手に人を殺すための道具を握っている。汗がにじみ出るのを感じた。体に火が付いたようだ。緊張を通り越して、フーガの体は臨戦態勢に入っていた。

 本当の悪は。悪い人だったのは――。

 フーガは首筋に暖かいものが流れるのを感じた。
 思わず手で触れて、その手を見ると、そこにはべったりと血がついていた。

「さ、サエキ君、やめなさい……」

 弱々しい声でおじさんが言う。
 サエキもやめたいでぇすと、サエキさんは軽い調子で答える。

「でもやっぱり無理なんですよ。あの三億円見ちゃうと。燃やしてなかったことにするなんて絶対できませーん。これは神様の思し召しなんです。サエキに、あのお金を独り占めしろっていう。だってできすぎてますもん。こんな市の清掃センターの裏側の山にあの三億円事件のお金が眠ってるなんてー。あー、ましてやそれの犯人の息子がサエキの主任で、その甥っ子がお金を見つけちゃって困ってるから、処理に協力してくれなんて頼まれるなんて、ありえなくないですかぁ。それで言うとおりにして三億円独り占めにできるチャンスをみすみすふいにするなんてのは、もっとありえなくないですかぁ。えー、ありえないでしょ」

 フーガはくらくらする頭を抱えながらそれでも立ち上がる。
 おじさんは、悪い人ではなかった。この人だったのだ。
 本当の悪人だったのは――サエキさんだ。

 フーガは自分の人を見る目の不確かさを後悔した。結局、フーガの見立ては最初から最後まで、全部見当外れだ。
 正義の味方だと思っていたおじいちゃんは、実は立派な犯罪者で、悪の幹部だと思っていたおじさんは、単なる面倒見のいいお人好しで、その手先で洗脳されて無理やり悪の組織のスパイをやらされていると思っていたお姉ちゃんは、結局誰よりもフーガのことを心配してくれていたし、さっちゃんは自分の節を曲げてでも、フーガのバカげた話に最後まで付き合ってくれた。
 そして、サエキさんは悪の組織に人質を取られて無理やり働かされているなんてとんでもなかった。

 この人は――いや、この人も、あの三億円という途方もないものに健全な判断力を奪われて、魅了された一人だ。
 フーガたちが、犯罪を行ってまでそれを隠蔽しようとしたように、この人もまた、罪を犯して、それを独り占めしようとしている。そういうものなのだ。あの三億円は。ただあるだけで、その周りにある全てのものがねじ曲がっていく。

 フーガはその優しそうな笑顔を睨みつける。サエキさんはフーガを見て、生意気な顔ですね、とトンカチで肩を叩く。その時後ろに、トイレの入口の陰に隠れて、誰かがいるのが見えた。一瞬サエキさんの仲間かと思って、背筋に冷たいものが走ったけど、そのツンツンした髪の毛は見間違えようがない。
 さっちゃんがデッキブラシを構えているのが見えた。思わず口に出そうとすると、さっちゃんが慌てて黙ってろと口の前に人差し指を立てた。そして、さっちゃんはしきりに口を動かす。サエキさんの注意を引けということだろう。

「お、お金は、どこにやったの……」

「んん? 何だーまだまだ元気なんですねー。お金はまだ中央制御室にありますよー。とりあえず主任を動けないようにしてから車に移そうと思って。命までは取るつもりなかったんですけど、この際だから仕方ないですよねー。あー、えー、申し訳ないけど、二人には焼却炉で骨まで灰になってもらいましょー」

「おばさんもな!」

 さっちゃんが大声で叫びながら、サエキさんに剣道の要領でデッキブラシを叩きつける。完全に不意をつかれたサエキさんは、さっちゃんの攻撃をよけられない。
 まず担いでいたトンカチを持つ右手を打ち、トンカチを落とさせた。怯むサエキさんのガラ空きの顔に、面の一発。膝をついて倒れたその喉元に思い切り突きを入れた。
 そして動けないでいるサエキさんの両手足を、掃除ロッカーの中にあったホースで縛り上げようとした。フーガも一緒になって馬乗りになろうとしたが、サエキさんは思いのほか頑丈で、さっちゃんとフーガを払い除けて、立ち上がった。

 さっちゃんは慌ててトンカチを奪ったが、サエキさんはそんなさっちゃんには目もくれず、奥の制御室に駆け込んだ。

――お金だけでも奪う気なんだ。

 フーガも慌ててあとを追う。
 すると部屋の中には既にお姉ちゃんがいて、三億円の入ったゴミ袋を担いでいるところだった。サエキさんがお姉ちゃんに襲いかかろうとする。フーガはその足を思い切り引っ張った。サエキさんが転ぶ。するとお姉ちゃんはゴミ袋をおいて、サエキさんの上に馬乗りになった。

「この人は私が何とかする! フーガは早くお金を焼却炉に捨てて!」

 言われてフーガは、サエキさんから離れ、ゴミ袋を担いだ。三億円の札束、一万円三万枚の重さはダテじゃない。小学五年生のフーガに、それは余りにも重かった。
 でも、フーガはそれをサンタクロースのように背負って、制御室を出る。ドアの外には、頭から血を流したおじさんが、さっちゃんに担がれながら、廊下を歩いていた。

「フーガくん、見学の時、案内した場所だ。焼却炉への入口……立ち入り禁止の鉄製の扉だ。焼却炉の点検に使うための直通の出入り口だ。階段が焼却炉に続いている。今は火は消えているから、中に入れる。そこから入って、お金を穴に落とすんだ。入れようと、扉を開けに行った途中で殴られて、扉は、……開いたままになっているから」

 瀕死のおじさんはそれだけ言うと、その場に倒れ込んでしまう。
 さっちゃんは重さを支えきれずに膝をついた。
 フーガは力いっぱい袋を担いで、廊下を進む。角を左に曲がって、突き当たりまで行く。扉の前で袋を一旦降ろし、両手で扉を開ける。
 社会見学で案内してもらった。殺風景で、コンクリートのむき出しで、工場みたいな部屋だった。そこに、金属製の大きなハンドルのついた扉があるのが見えた。

 アレだ。

 フーガは袋を引きずってその近くまで行く。
 扉は空きっぱなしになっていて、床を見ると、まだ乾いていない赤い血だまりがあった。
 おじさんはきっと、ここに三億円の袋を捨てようとして、お金を中央制御室に置いたままこの扉を開けに行って、その時にサエキさんに頭を殴られて、それから必死で女子トイレまで逃げ込んだのだ。
 ガソリンみたいな臭いと煙臭さが混じった、あまり長くいると吐き気がこみ上げそうな、体に悪そうな空気が充満する真っ暗な穴。フーガはその穴に向かって三億円の入ったゴミ袋を持ち上げた。その時、後ろから大きな音を立てて、三億円の入っていたトランクを振り回すサエキさんが走ってきた。

「子どもが! しゃしゃり出てくるな!」

 目をぎらつかせたサエキさんはそのままフーガの方に走って、フーガの体をトランクで突き飛ばした。フーガの体は手すりを超えて、焼却炉の宙に浮かぶ。

 お姉ちゃんが、あのいつも冷静な顔を崩さないお姉ちゃんが、目を見開いて、口を開けっ放しで愕然とした顔をしているのが見えた。ゴミ袋から札束が散らばる。サエキさんはそれをつかもうと必死に手を動かすけど、一枚だってかすらない。

 視界がぐるりと一回転した。真っ暗な闇が見えた。深い底なしの穴。フーガはそこに向かって真っ逆さまに落ちていく。

――いいね、フーガ。おじいちゃんがこれからいうことをよく聞いて、その通りにしてくれるね。そうしないと、大変なことが起こってしまう。くれぐれも、私の言うとおりに、その通りにしてくれ。できるね。

 おじいちゃんの言葉が頭をよぎる。

――本当に、その通りだったよ、おじいちゃん。でも、ボクが死ぬのは、おじいちゃんのせいだ。おじいちゃんが自分の罪を、いつまでもいつまでも隠していたのがいけない。

 フーガは落っこちるまでの一瞬の間におじいちゃんを頭の中で責め立てた。
 でも、悪いのは結局自分自身だ。
 フーガがバカで何も考えずに正義の味方なんて夢見た結果、みんなを巻き込んで、こんなことになってしまったのだ。

――ごめんなさい。

 フーガは心で誰かに謝って、ギュッと目をつぶる。ドスン、と鈍い音がしてフーガの体は地面に落っこちた。死んだのかと思って真っ暗の中を手探りするが、どうやら暗いだけで、ここは天国でも地獄でもないようだった。

 焼却炉の底だ。フーガは自分の体の下に、ふかふかした感触があるのに気づいて、それがどうやら三億円のゴミ袋であることがわかった。焼却炉は確か点検の最終日だと言っていたから、中身は空っぽで、金属の床があらわになっていた。下に三億円がクッションになっていなければ、到底ただではすまなかっただろう。

 三億円のおかげで、助かった。

「フーガ! フーガッ! 返事して!」

 上の方にある入口の前でお姉ちゃんが泣き出しそうな声で叫んでいるのが見えた。
 フーガは声を上げる。

「大丈夫だよ、お姉ちゃん!」

 フーガの声が聞こえると、お姉ちゃんは一層大きな声で叫んだ。

「生きてるの! 無事? 平気? 怪我はない? どこにいるの、今助けに行くから!」

 フーガは自分が持ってきたリュックの中に懐中電灯があることを思い出して、それを出して照らす。光を掲げるフーガの姿を見て、お姉ちゃんはぶわっとそのまま泣き出しそうな勢いで、顔がくしゃりと歪んで、目にキラキラしたものが輝くのが見えた。

「フーガ!」

「はいはーい、感動シーン終了でーす。ここからは真剣な大人同士のお仕事の話にしましょーか」

 後ろから妙に気の抜けた、ふんわりした声がして、お姉ちゃんがすぐに安堵の表情を消して鬼のような顔をして振り返る。あの女、サエキさんがヘラヘラ笑っている。

「ここで、焼却炉を運転させて、フーガ君もろとも三億円を燃えカスにするのは簡単です。でもそれじゃあサエキがここまでした意味がないしー、まず間違いなくそのあとサエキはみなさんにボコボコにされて警察に連れて行かれますね。全員始末して高飛びって選択肢もなくはないけど、平和主義のサエキとしてはそこまでしたくないでーす。バカみたいだし」

 もう十分バカみたいですけど、と自分で言って自分で笑う。

「それに、このことを警察沙汰にすると、みなさんも困るでしょー。なんせあの三億円事件のことがバレちゃいますからねー。それを隠蔽するためにこうなったのにぃ、結果的にフーガ君も助からず、しかも秘密も隠せないとなればー、それはそれでバカみたいな話でしょー?」

「もう、そんなこと言ってる場合じゃない。あなた自分が何してるのかわかってるの!」

 お姉ちゃんがこんなにも荒れ狂った感情を見せたところを、フーガはこれまでに見たことがなかった。それほどのことが起こっている。フーガが焼却炉に突き落とされて、突き落とした人の胸三寸で、このまま燃やし尽くされる、その瀬戸際。

 でも、フーガはおじいちゃんが死んだ日のような、心だけどこか置き去りにされたまま、妙に冷静な頭になって、全然関係ないことを考えていた。また場合の話をしていると思った。もうフーガは、今起きているのがどういう場合なのかすっかり理解の範囲を超えて、どうすれば助かるかなんてことは、この際どうでもいいことのように思えた。

 フーガが今考えていたのは――結局正義の味方のことだった。

 問題、悪人が欲する三億円とともに、一人では脱出できない焼却炉に落とされた正義の味方は一体どうする。

「あれあれぇ、意外ですー、そんなこと言われるなんてー。みなさんこそ自分がしてること、どれだけ悪いことかわかってますかぁ、あの大犯罪の隠蔽工作を行おうとすることは、許されるのに、サエキのしてることは悪いことだって責めるんですかぁ? その善悪の基準はどこにあるんでしょうねー。笑っちゃいますよ」

 サエキさんは無邪気な声を上げてけらけらとお姉ちゃんを笑った。お姉ちゃんは悔しそうにぎりぎりと歯を食いしばる。
 サエキさんの言っていることは、認めたくないけど、正論だった。そもそもがフーガたちのしようとしていることが、いや、おじいちゃんのしたことが間違っているのだ。 
 三億円がそこにあった時点で、それを隠蔽しようとすることも、それを独り占めにしようとすることも、間違いであるということでは、どちらが正しいか、なんて比べる余地もない。

 ならばその間違いの上に生まれる行動をどれだけ重ねたところで、それは正しいものには絶対にならない。悪の土壌に正義の花――カザグルマの花は咲かないのだ。

「それにそんなこと言ってる場合なんですよ、今は。お互い得する選択をしませんか? つまり、みなさんはフーガ君を助けるために焼却炉に降りる、サエキは下にある三億円を回収するために下に降りる。それでみなさんがフーガ君を助けて、サエキが三億円を頂いて、それで今回の件は丸く収めませんかぁ? 誰も損しないでしょー? みなさんはそもそも三億円が欲しいってスタンスじゃないじゃないですかぁ。だからサエキが三億円を手にすること自体には、特に反対も賛成もないはず。ましてやフーガ君が助けられるんだから、それがベストじゃなくないですかぁ?」

 お姉ちゃんは、迷った。当たり前だ。実際これは、フーガの命が掛かっているのだから。
 サエキさんがその気になれば、今にも焼却炉を作動させることができる。生命線を握っているのはあくまでサエキさんだった。そして、お姉ちゃんには、ここで切れる手札が残っていない。

「このトランク落としますから、それにそこにあるお金入れてくださーい。入れ終わったらサエキが取りに行きます。ね、これで本当にめでたしめでたしじゃなくないですかぁ」

 サエキさんが乱暴にフーガのところに三つのトランクを投げつけてきた。
 ここにお金を入れれば、自分は助けてもらえる。
 サエキさんを見逃せば、全部なかったことにできる。
 でも、正義の味方なら――。

「それともサエキを人殺しにしますかぁ? フーガ君やそのお姉さんが素直にしてくれれば、サエキは何の罪も犯さなくて済むんですよぉ。それなのに、意地を張ってサエキを悪人にします? 助けてくれますよねぇ、本当はサエキだってこんなことしたくないんですよぉ」

――助けてくれますよねぇ。

 その言葉を聞いた時、フーガの心の何かに、火が付いた。
 それは損得で考えれば絶対損だし、器用な大人の考えでは絶対になかった。多分正しい考えでもない。でも、ここで悪に屈するのは――それこそ卑怯で、悪だ。

「お姉ちゃん、迷うことないよ。大丈夫だよ、サエキさん!」

 フーガは叫んだ。そしてポケットに入っているものを出した。
 それはマッチだった。あとさきのことなんて考えず、フーガは最初からこうするべきだったのだ。

「三億円は、あんたのものになんかならない!」

海神修正

動物の謝肉祭

ミカミ
ミカミ水鏡

レザニモ・セット――水族館(les animaux sept‐Aquarium)

名前:海神(ミカミ)
命名:数世代前のアニモ(すでに死亡)
真名:御神

見た目の年齢:60代
アニモ歴:50年
性別:女
外見:
・白髪まじりの茶色く波打つ肩くらいまでのセミロング。
・目の色は神秘的な色をたたえた緑色。
・笑ったことなど一度もないというような鉄面皮で、ハネルの冗談にも眉一つ動かさない。
・いつも眉間にシワを寄せており、小言や叱りつけるようなことを言う。
・生まれつき目の見えないアニモで、目には黒く丸いサングラスをつけている。
・ガヴァネスのドレスをきつく来ていて、少しも緩んだところのない規律の鬼みたいな女性。

獣形:
・群体形態という特殊な獣形をもつ(もう一人この形式を持つアニモとして鳥籠の籠鳥がいる)。
・獣形になると無数の黒い様々な種類の魚に変身し、そのうちの一匹でも生き残っていれば海神として元に戻ることができる。
道具:
めだかの学校‐白杖と水たまり。普段から移動のために持ち歩いている白杖で水面をつくと、そこに様々な光景が写し取れ、水面を介して会話もできる。

能力:千里眼
・現在のありとあらゆる場所、過去、未来、他人の思念などを見通し、水面に映し出す能力。
・水面を介して通信もでき、ミカミから他者へも、他者から他者への通信も可能。
・それを利用して、ズーロジークの街のすべての家や建物に通信を送ることができ、フルール・ド・リスが現れた際の緊急速報や、専任の獣人や人間が開設するラジオ番組の放送局の局長も務めている。
・また、図や俯瞰図、地図、グラフなどを表示することもでき、アニモ達の作戦会議などで重宝される。
・海神自身は生まれつき目が見えないが、この力のために映像それ自体は認識することができる。

職業:水族館館長
・ズーロジークの街南区の大きな川から海辺にかけて、海中に作られた魚が鑑賞できる施設だが、本来はズーロジークにいる人間やアニモの前世が見える場所。
・因果を果たした人間は、ここで改めて自らの因果を知り、その因果が刻まれた名から、街で受けた祝福の名に、名前の字が置き換わり、樹への登坂が許される。
・海神はありとあらゆる因果をあらかじめ知っているが、それを他人に漏らすことは厳格に禁じられている。

ズーロジーク放送局局長
・ミカミのめだかの学校を通して行われるラジオ局。受信機は水を張ったたらい、および水面であればどこでもよく、象列車の駅前にある噴水の水面からも基本的に流れており、ズーロジークに住む人の家には必ず受信用の水が張れるものが置いてある。
・緊急警報等はミカミが流すが、それ以外の番組は獣人や人間が内容を会議で話し合って決める。
・ズーロジークの店の宣伝や催し物の案内、音楽など、コンテンツは結構豊富にある。

前世の因果:
・荒ぶる海の神を鎮めるために海にささげられた女性。
・しかし、その儀式の最中に高波に会い、自分だけ生き残り、他の住人が全滅する災害に見舞われ、その際に視力を失った。
・以後放浪の旅に出かけ、神にすがって生きたが報われることもなく、旅の途中に体を病んで死んだ。

性格:
・今の子供たち世代が生まれる数世代前に、子ども組の世話する教師役のアニモを務めていたが、大罪者の襲撃によりその子供たちが自分の指揮の下で全滅し、自分ひとりだけ生き残ったという経験以後、それが自らの優しさと緩みによるものだときつく自分を戒め、以後厳しく、努めて厳粛な性格であるように自らに課している。
・本来は優しく、慈愛に満ちた女性だったが、それゆえに子供たちに厳しくできず、それが結果として子供たちの戦闘能力を低下させ、大罪者に抗する力を失わせた要因だと思っており、それを気に教師の役を他者に任せ、自らは派遣教師として、月に一度のスパルタを施す役として、普段は水族館の館長を勤め、そこで様々な因果を見渡している。
・ハネルの冗談にも極力笑わないようにしているが、たまにツボに入ると笑いをこらえるために大きくため息をつく(ハネルは長年の経験でそれがミカミがツボに入ったサインだと知っている)。
・子供たちには鬼婆として知られているが、大人組からはその経緯を知られているし、そうすることがアニモ全体にとって利益でもあるとわかっているため、理解され受け入れられている。

好き:落語(博物館経由で現世のカセットテープがズーロジークの街に流れ着いており、よく聞いている)、音楽、コメディ、にぎやかなお祭り。
嫌い:しゃべらない人、大しけ、高波、嵐の夜。

不正義の活躍 1

ふせいぎふーが

 フーガはその日、学校から帰るとすぐに家を出た。
 お姉ちゃんはなぜかフーガが帰るともう家にいて、夕飯の支度をしていた。
 フーガはそのお姉ちゃんにちょっと遊びに行ってくると言い残して、マッチとロウソクとスコップと、懐中電灯と消火用にペットボトル三本分の水をリュックに入れた。

 その時リュックの中に入っていたおじいちゃんの作ってくれた変身ベルトが目についた。改めて見ると、いかにも手作りのそれは子供だましのおもちゃにしか見えなかった。
 フーガはこれまで信じていたおじいちゃんの裏切りに、その変身ベルトを叩きつけてしまいたい衝動にかられた。

――こんなもの!

 ベルトを振り上げた瞬間、その勢いに風が起こって、ベルトのバックルについている風車が回って、カラカラと音を上げた。その音を聞いた途端、フーガの頭に、ベルトを腰につけて遊び回ったおじいちゃんとの楽しい思い出が一気に溢れてきた。

 おじいちゃんは嘘つきだったんだ。ボクを騙してたんだ。本当は自分は犯罪者だったくせに、正義の味方なんて言って。全部、全部嘘だったんだ!

――こんな、もの。

 フーガは手を下ろして、一度、ベルトのバックルを、自分のおへその下のところに、ベルトを締めた時の正しい位置に当てて、そのままうずくまる。

 おじいちゃんが元気だった頃、そしてフーガの体がその細いしわだらけの腕でも抱えられるほどに小さかった時に、おじいちゃんが抱きしめてくれた温かい感触が、ふんわりとよみがえる。
 フーガは気のせいに過ぎないその幻の温もりが、愛おしくてたまらない。懐かしさに泣きたいくらいなのに、それはもう、純粋な単なるきれいな思い出だけではあってくれない。 
 フーガはそこに隠されていた、おじいちゃんの影を知ってしまった。大切であれば大切であるほど、その思い出ごとこのベルトを粉々に砕きたい。
 その気持ちはまるでお互い退け合う磁石のようだとフーガは思った。強く反発し合う極が、実際には同じ種類であるのと同様に、フーガの心にある、強く矛盾している二つの感情も、本質的には同じものなのかもしれない。フーガは両極端にせめぎ合う心を鎮めるように、身をかがめた体勢のまま、ベルトを離して、手を伸ばして机の上に置いた。

 子供だましのおもちゃだったけれど。実際フーガは騙されていたわけだが。
 おじいちゃんとの思い出は、壊せない。
 おじいちゃんがフーガのために手作りで作ってくれたその思いまでも、嘘だったとは思いたくなかった。おじいちゃんの罪は許されないものだったかもしれないけれど、そんなことは関係なく、あの誕生日、おじいちゃんはフーガのためだけに会いに来てくれた。
 途方もない嘘を携えていたけれど、フーガはそれで救われていることができたのだ。

――ボクが嬉しかったことは、嘘でも偽りでもない。

 だから、ベルトは大切に残しておこう。フーガはそう心に誓って、そしてリュックを背負い玄関を抜け、駅を目指す。

 昨日のように駅にはさっちゃんの姿があった。
 やっぱり何も言わずに電車に乗り、そのまま恋ヶ窪駅で降りて、二人でエックス山を目指す。ビニールテープは張られたままになっていた。穴も、掘り返されたあとは特になかった。

 フーガはまず木にくくりつけてあったテープをさっちゃんと一緒に外して、リュックの中にしまった。それからフーガとさっちゃんは協力して穴を掘り返し、三つのケースを取り出して、中を開けた。
 改めて見ると、現実感がなくなるほどのお金だった。多分、きっと三億円。百万円の札束が三百個。一万円が三万枚。途方もない額だ。

「よし、さっさと燃やしちゃおう」

 さっちゃんが言った。フーガもその通りにしようと思って、マッチをこすって火をつける。森は昨日の雨で湿っていたし、火事とかにはならないと思っていた。
 大丈夫だ、これでおしまいだ。
 でも、いざ火をつける段になると、妙なためらいが生まれた。
 本当にこれでいいのか。これだけのお金、他に有意義な使い道はないのか。

「……フーガ?」

 さっちゃんが声をかけてきた。マッチの火が手元まで迫って、フーガは慌ててそれを落とす。
 湿った地面に触れて、マッチの火が消える。

「オレがやろうか?」

「う、ううん、ボクがやるよ」

 フーガがもう一度、マッチを擦ろうとしたその時だった。

「何やってるの」

 声がした。
 さっちゃんも、フーガも度肝を抜かれた。
 何よりも見られてはいけない場面だった。今フーガたちがやろうとしていることも、そしてこの、三億円も。
 声の主は、お姉ちゃんだった。
 さっちゃんはフーガとお姉ちゃんの間を交互に見回した。
 フーガはびっくりした勢いで火のついたマッチを持ったままお姉ちゃんの方を見て完全に止まってしまった。動きも。頭の回転も。
 お姉ちゃんは、ただフーガの目をじっと見ているだけだった。
 やがてマッチの火がフーガの手元まで燃え落ちてきて、フーガは火傷しそうな熱さにようやく我に返ってマッチを慌てて離した。
 地面に落ちて、またマッチの火が消えた。

「何、やってるの」

 お姉ちゃんは、さっきよりゆっくり、同じ言葉を繰り返した。
 フーガは答えない。答えられない。
 さっちゃんは何も言わずにフーガを見ていたけど、その様子はなんだかこの状況にしてはやけに落ち着いているように見えた。

「それ、何」

 お姉ちゃんはフーガたちの足元に広がっている、ケースに入った古いお札の束をちらりと見て、言った。

「どうしてそんなもの、フーガたちが持ってるの」

 お姉ちゃんが一歩近づく。フーガは怯えたように腰を上げた。
 お姉ちゃんはどうしてここに現れたのか。今この状況で現れるお姉ちゃんは、フーガたちの味方か。おじいちゃんはずっと正義の味方だと思ってたけど、実はとんでもない犯罪者だったかもしれない。そしてそれの遺言を実行しようとしているフーガは多分、悪の手先だ。なら、ここで現れたお姉ちゃんこそが正義の味方なのか。

 フーガにはもう、誰が正義で悪で、自分がどっち側にいるのかわからなくなっていた。
 でもとりあえず、お姉ちゃんは今、フーガたちとは対立する立場にいる。
 戦わなくちゃいけない。フーガがまた、元の何もない、いつもどおりの毎日を取り戻すためには、この三億円はなかったことにならなくてはいけない。
 そう考えている間にも、お姉ちゃんはジリジリとフーガに近づいて、いつの間にか目の前に立っていた。そしてあっという間に、フーガの手からマッチを奪い取った。

「おじいちゃんが死んだ日から、ずっとなんか隠してると思ってたけど、こういうことだったんだ」

「おじいちゃんから言われたんだよ。燃やしてくれって。そうしないと、大変なことになっちゃうからって」

 わかってる、とお姉ちゃんは答えた。
 それから付け加えるように、もう十分大変なことなんだけど、と言った。

「でも、こんなの、ここで燃やしたら、それこそ大変なことになるよ。これだけの量の札束、全部燃やしたら、すごく大きな火になるし、煙も出る。そうすれば誰かそれを見て、山火事かと思って消防に通報が行くかもしれない。そうしたら、秘密にするどころじゃなくなるし、フーガもさっちゃんも放火の罪に問われることになる。それ以前にお金を燃やすことそのものが違法行為だって、わかってるの、二人とも」

 それって、すごく悪い犯罪なんだよ、とお姉ちゃんは言った。
 フーガはわかってるよ、とムキになって答えたけど、本当はそんなことまで考えていなかった。
 でも、フーガたちがやろうとしていることがいけないことだなんてことは、お姉ちゃんに今更言われるまでもない。そうしないと、フーガは元通りの毎日に戻れないのだ。やりたくてやっているわけじゃない。他にどうしようもない仕方のない行いなのだ。

「もしそれで誰にもバレずに燃やせたとして、灰はどうするつもりだったの? 紙幣の印刷は普通に燃えたくらいじゃインクの跡が残るから、灰をそのままにしておけば、ここを保全する人たちの誰かが気づいて、そこからこのことが明らかになるよ」

 フーガは答えようもなくて、うう、とだけ唸った。
 お姉ちゃんの言うことは具体的で、筋が通っていて、フーガにもその通りだと思わせる説得力があった。自分の考えの足りなさを思い知らされている気分がして、嫌な気持ちだったけれど。それでもお姉ちゃんの言うとおりであることには違いなかった。

「なんで相談しなかったの」

 そう言いながら、お姉ちゃんはフーガの手にマッチを返す。
 フーガはそれをどうしようか迷って、結局ポケットにしまった。

「それは……おじいちゃんに」

 いや、違う。確かにおじいちゃんは誰にも言ってはいけないと言ったのだけれど。そうすればひどいことになるからと。
 でも、フーガがお姉ちゃんにこのことを打ち明けなかったのは、単純にフーガが自分の空想の中で、自分が正義の味方で、お姉ちゃんは悪の手先だと思い込もうとしたからだ。
 そうであれば、自分はお姉ちゃんよりすごいと思えたからだ。

 フーガはお姉ちゃんを尊敬していた。自分が敵うはずもないと思っていた。
 だからこそ、お姉ちゃんが洗脳されている悪の手先という妄想はフーガにとって心地よいものだった。お姉ちゃんを貶めることなく、自然にフーガがお姉ちゃんより優位に立つことができた。お姉ちゃんを取り戻すことを目的にすれば、さらにフーガの正義の味方の妄想は、明確な行動の指針を伴って、その空想に拍車をかけた。
 楽しかったのだ。自分が正義の味方なのだと思い込んで、自分の周りにあるあらゆるものがそのために用意された舞台なのだと思い込むことが。フーガは最初からお姉ちゃんのことを信じようとさえしていなかった。バカ、とお姉ちゃんは呟いて、フーガの頭にぽんと手を乗せた。

「いつも一人で抱え込もうとして。自分で助けてって言えないから、こんなことにもなるんだよ」

 フーガの目から思わず涙が落ちる。おじいちゃんが死ぬ時にフーガに渡してきた、とてつもなく重いものが、降ろされた気がした。フーガが気づかないうちにそれは、ずっとフーガを押さえつけて、辛い思いをさせていた。それを取り払ってくれた。お姉ちゃんが、今。

「泣かないで。怒らないから」

「お姉ちゃん、ボク、一人で頑張ったんだよ、おじいちゃんに言われたから。秘密にしておかないと、大変なことになるって言われたから、誰にも知られないように……」

「お、オレもいたんだけど」

 泣きべそをかきながら言うフーガの言葉に、さっちゃんが慌てて付け加える。
 お姉ちゃんはさっちゃんの方を見て、ありがとうね、と言った。

「さっちゃんは本当にフーガのことよく見ててくれるね。おかげでいつも、最悪になる前になんとかなってる。本当に、フーガの友達でいてくれて、ありがとうね」

 さっちゃんは顔を赤らめて、両手を頭の後ろで組んで、締まりのない笑顔を浮かべた。フーガはそれを見てきょとんとする。

「お姉ちゃん、知ってたの?」

「昨日さっちゃんから電話もらったの。フーガ、部屋で死んだみたいに寝てて気付かなかっただろうけど。五十年前の三億円って、ネットで検索かければすぐわかったし。フーガが相当大変なことしてるって、連絡もらったんだよ」

「さっちゃん?」

 二人だけの秘密と口にしたのはさっちゃんの方ではなかったのか。

「いやー、流石にお金のことが絡んでくるとなー。三億円事件のこと教えてくれたのはカノン姉ちゃんだし」

 フーガは道理でと思った。さっちゃんは勘は鋭いけど、大体根拠なんてない。スマホで事件のページを見せてくるなんて、用意が良すぎると思ったのだ。

「それじゃあ、お姉ちゃん、やっぱりこれって――」

「それがはっきりしちゃったら困るからこうしてやって来たんでしょ」

 本当に三億円事件のお金なのか、と聞こうとしたフーガにお姉ちゃんはそう告げた。確証はない、というような言い方だったけれど、お姉ちゃんはそうだと思っているのが伝わる言い方だった。
 フーガはそこで、自分が踊らされていただけのように思えて、なんだかバツが悪くてふてくされた気分になった。さっちゃんだって嘘をつかないみたいなことを言って、肝心なところでは結局約束を破るんじゃないか。おかげで助かったには違いないのだけど。

「そんな顔しない。それより、これをどうするかの方が優先だよ」

 お母さん譲りの優先順位だ。でも、こればっかりはフーガもその通りだと思わざるを得なかった。実際この三億円をこのままにしておくわけにはいかない。

「ここじゃ、燃やせないんでしょ?」

「そう。どうやったって人に見つかるからね。燃やしている最中にせよ、燃やしたあとにせよ」

「じゃあどうするの?」

 フーガが聞くと、お姉ちゃんはスマホを取り出して、誰かに電話した。

「うん、そう、なんとか確保できた。うん、誰にも見つかってないから、できるだけ急いで来て。うん、ありがとう、おじさん」

 聞こえてきたおじさんという言葉に、フーガは思わず身構える。
 おじさんというのはサトルおじさんのことではないだろうか。
 サトルおじさんとお姉ちゃんの組み合わせ。それは、フーガが悪の手先として思い描いていた二人組だ。

「今の、サトルおじさん?」

 フーガがそう聞くと、お姉ちゃんはうん、と答えた。

「おじさんの職場、すぐそこの清掃センターだよ。そこの焼却炉で、この三億円、跡形もなく燃やしてもらう。それなら誰にもバレないし、焼却灰からバレる可能性もほとんど無視できる」

「でもそれって――」

 いけないことなんだよね、とフーガが聞こうとする前に、お姉ちゃんはその黒い瞳を少し伏せて断言した。

「立派な犯罪だよ」

 お姉ちゃんは、自分がしようとしていることがどういう行いなのか、しっかりわかっている。多分、フーガにはよくわからない、法律や罰則のことや、それが明らかになった時に自分に降りかかる影響も全部。みんなわかって、それでもやる、と言っているのだ。

「だから、フーガとさっちゃんは、今ここで帰ってもいいよ。このお金は私がおじいちゃんから言われて見つけて、おじさんと処分しようとしたってことにする。今帰れば、たとえこのあと、これが見つかって大騒ぎになっても、二人は無関係を決め込める。もちろん、フーガは身内だから何にもないってことにはできないけど、それでもフーガ、フーガはここから先に関わったら、もう正義の味方だなんて、絶対に口にできないよ」

 さっちゃんは居心地悪そうにそろそろとフーガの方を見た。
 フーガは答えるまでもなく、ただ毅然と、胸を張って、その場に立って、自分に帰るつもりがないことを示す。そのフーガを見て、さっちゃんとお姉ちゃんは顔を見合わせて笑った。

 ここで帰るなんて真っ平御免だった。この事件はまだ、フーガのものだ。フーガが見つけたことで始まって、そして、フーガにしか終わらせることができないものだ。それに――。

――お姉ちゃんだけならまだしも、そこにおじさんが出てくると、フーガはそこに怪しさや疑念を抱かずにいられない。何せ、ついこの間まで、フーガの頭の中ではこの二人は悪の組織の一員ということになっていたのだ。その二人に三億円を渡してしまうのは、フーガ自身とさっちゃんがこの事件から手を切れるからと言って、やすやすと受け入れられることではない。

 ならば、本当にちゃんと燃やしてなかったことにしてくれるまで、付き合って見せてもらわなければ、今ここで帰っても、疑惑と不安はフーガの心から離れてくれないだろう。

 それから十分もしないうちに、おじさんがやってきた。おじさんはあのサエキさんを連れていた。関係ない人をこの上さらに巻き込む展開に、フーガは疑念を募らせた。

「うっわぁ、すごいすごい! 本当に三億円じゃないですかぁ。あの昭和最大の未解決事件の決定的証拠が目の前にあるのに、これ本当に燃やしちゃうんですかぁ? それっていけないことだと思います!」

 サエキさんはすごく軽い調子で、おじさんに言う。
 おじさんは困った笑顔を浮かべつつ、そうだね、と答えた。

「確実にそう、とは言えないけどね、疑惑濃厚なお金だ。これを世間に公表するってことは、私たちが一生終わらない逃避行の旅を続けなくちゃいけないってことになっちゃうからね」

 おじさんは言う。

「それはそうですけどー、でも、そんなの無視していいんじゃないですかぁ? だって風見主任のお父さんは、三億円強奪事件の犯人の一味かもしれませんけどー、それは今になってわかったことですよね。主任がずっと隠してたわけでも、犯行に加担してたわけでもないですしー。だいたい時効成立してるんですから、三億円事件はもう事件ですらないわけじゃないですか。とすれば、ここにある三億円は、強奪品でも、遺失物でもなく、所有者不明のままここに五十年近く放置されていただけの三億円、ということになるわけで、それを主任が自分のものにしても、誰がどういう根拠でケチつけるって言うんですか? 今更主任のお父さんが犯行グループの一味だったってわかったところで、何の問題もないと思います。警察だって、どうやって捜査するって言うんですかぁ? 事件性そのものがなくなってるんですよ?」

「法的にはそうかもしれないけど、世間は許さないよ。三億円事件の犯人の身内だなんてことがバレたら、今のご時世、どこに逃げてもネット上で私生活を監視されてしまうだろうね。このお金が三億円事件と無関係だったとしても、それをはっきりさせるためには、何らかの手段でこれを公開しないといけない。事実三億円事件の強奪金ならやっぱり大騒動だし、万が一そうでなかったとしても、世間の好奇の目を逃れられないだろうね。そんなことは、私はともかく、この二人には味わわせたくないよ」

 おじさんがそう言うと、サエキさんは、ほっぺたを膨らまして、良くないと思うなぁ、とこれもまた軽い調子で言った。
 でも、すぐにその膨らました頬をすぼめて、ため息をついた。

「でも、そういうことなら、サエキも今日ここで行われていることについては、誰にも言いませんよぉ。一生の秘密として、墓まで持っていきますよ」

 そう言ってサエキさんとおじさんは二人で三つのトランクを持つ。
 おじさんはともかく、サエキさんがトランクを軽々と一つ持ち上げるのを見て、見た目に似合わず、力持ちなんだな、と思ってしまう。

 やっぱり大人だ。フーガたちにはあんなに重かったのに。

 そうして森を出るとエックス山の入口の駐車場に、白いワゴンが止まっていて、二人はその荷台にトランクを載せ、フーガたちにも乗るように指示した。
 車はエックス山のすぐ隣にある国分寺市清掃センターに停まった。高い煙突は、エックス山からでも木々越しに見えていたものだ。
 改めてエックス山との距離の近さにびっくりする。ほとんど森の隣にあるようなものだ。探し回っていたフーガとしては、清掃センターに目星をつけていただけに、これだけ近い場所に目的のものがあったのは、正しく灯台下暗しだと思った。
 おじさんはフーガたちを車から降ろし、トランクをサエキさんと一緒に持って、中に入るように案内した。

遺されたもの 3

ふせいぎふーが

 そうして朝が来て、いつもどおり朝ごはんを食べて、フーガは学校に行った。
 下駄箱の前でさっちゃんに会う。さっちゃんはフーガを見るなり、その頭を脇に挟んで、無理やりトイレの個室に連れ込んだ。

「痛い痛い! もう、なんだよさっちゃん!」

「フーガ、いいか、よく聞けよ」

 さっちゃんはトイレの床にランドセルをおいて、その中からスマホを取り出して、ある画面を呼び出してフーガに見せる。

「あのお金、もしかしたら、すごくやばいかもしれない」

 さっちゃんが見せてきたスマホの画面は、インターネットの何かのサイトで、その一番上の見出しに『三億円強奪事件』と書かれていた。

「三億円事件くらい、フーガも知ってるよな」

「三億円事件、って、あの三億円事件? 白バイ警官に変装してっていう、あの?」

 さっちゃんの言おうとしていることがわかって、フーガは思わずトイレの中で大声を上げてさっちゃんに詰め寄る。さっちゃんが慌てて口の前に指を立てる。フーガは両手で口を塞いで溢れ出しそうな質問を押さえ込んで、ゴクリと飲み込んで、一旦息を落ち着かせた。それから三回深呼吸をして、頭の中で三億円事件、と読み上げた。

 名前くらいなら、確かにフーガも知っていた。事件の内容もそこそこに知っていることはあった。
 確か、偽物の白バイ警官に変装した犯人が、現金輸送車を運転する人たちに、この車に爆弾が仕掛けられている、と嘘をついて、調べるふりをして、運転する人たちを車から降ろし、車の下で発炎筒をたいて煙を出し、爆弾が爆発しそうだ、と周りから避難させ、自分が車にまんまと乗り込み、そのまま車ごとお金を奪ったという話だった気がする。
 他の強奪事件とは違って、誰ひとり傷つけられたものはいなく、さらに盗まれたお金も、保険によって全てが補償されていて、結果的に損をした人が誰もいないという、余りにも鮮やかな犯行で犯罪史上に残る大事件だったとフーガは認識していた。
 確かフーガが生まれるずっと前に時効が成立して、迷宮入りになっていたはずだ。この事件を境に給料を現金で渡すのが見直されて、銀行の口座に振り込む形になったり、現金を運ぶ体制が厳しくなったりと、かなり社会に影響を与えた伝説的事件だ。

 さっちゃんが見せるスマホの画面をざっと動かして眺める。
 盗まれた額は当時の強奪事件としては最高金額だとか、現在の価値に直すと十億円に相当する、なんて文字がすぐにフーガの目にとまった。

「あのお金、多分、その事件で盗まれた、三億円だよ」

「まさか……」

 冗談でしょ、と言おうと思ったのに、言葉が上手く出てこない。
 それは、さっちゃんの言うことが、いかにももっともらしくて、あのおじいちゃんの態度とお願いの理由としても、しっくりくる内容だったからだ。
 それからさっちゃんは言いにくそうに、それでも心を決めたように、フーガの目を見て言った。

「お前のじいちゃん、三億円事件の、犯人の一人だよ」

 フーガは頭から水を浴びせかけられた気分だった。
 フーガはそれでもさっちゃんに否定のための疑問を投げかけた。

「三億円事件って、すごく昔の事件じゃなかったっけ?」

「一九六八年、今から四十八年前の事件だ。あの地図と同じ、大体五十年前だ。お札も福沢諭吉じゃなかっただろ。その頃、お前のじいちゃん何歳だよ」

 さっちゃんの質問に、フーガは一生懸命頭の中で計算する。おじいちゃんは七十八歳、そこから四十八引くってことは。

「三十歳くらい?」

「白バイ警官になりすました犯人も、それくらいだったって言われてた。しかもこの事件が起きたのは府中市なんだ。国分寺のすぐそばだよ。しかも、事件の捜査が行われてた時、警察は犯人のアジトが国分寺にあるんじゃないかと推理してた」

 事件の舞台となった府中市は確かに国分寺市の隣にある。フーガは社会の時間にやった地元のことを調べる授業を思い出す。フーガ達が住む小金井市ともすぐそばにある。何よりおじいちゃんの国分寺の家は、おそらく五十年前もおじいちゃんの家としてあそこにあったはずだ。まだお父さんもサトルおじさんも生まれる前の話。そう言えば、フーガはおじいちゃんが昔、どんな仕事についていたのか聞いたことがない。昔の話はよくしてくれたけれど、話すことはいつも断片的で、おじいちゃんの人生そのものについて、フーガは何も知らなかった。

――今そのことに気付いて、内臓が底の方から冷えていくような感覚に見舞われる。

「……でも、犯人たちはお金をだまし取ったんでしょ? それに事件から五十年近く経ってるんだから、そしたらそのお金はもうきっと使い切ってなくなってるはずだよ」

「三億円事件のお金は出回った記録がないんだ。警察がお金についてる番号を全部控えて、どこかでそのお金が使われていれば、引っかかるはずなんだ。それがないってことは、今になってもまだ、そのお金は、どこかにそのまま、残されているはずなんだ」

 どこかに――エックス山に。

「でも、どうしてそれが、エックス山に?」

「自然保護区、だったからじゃないか。野草の盗掘を防ぐために、公表されなかった場所だろ。当然警察がたくさん来て、そこを荒らし回るってことも、ダメってことになったのかもしれない。何せ今でこそあんなふうに開放されているけど、事件があった四十八年前、あそこはまだ地図に書かれていない秘密の場所だったんだからな」

「それじゃあ、ボクたち――」

 結局、どんな疑問をぶつけても、あそこに三億円があったという事実を前にしては、どれもこれも全く意味を成さない。
 だって確かに、あのトランクの中にはお金が入っていたのだから。
 そしておじいちゃんは、それを燃やしてくれと頼んだのだ。この世界に存在してはいけないものだと。

 なぜ――。

――それが、犯罪によって手に入れられたものだからだとしたら。

「うん」

 警察、行くか。

 さっちゃんは小さく言った。行けとは言わなかった。
 あくまでも判断はフーガに任せるという疑問の形だった。
 フーガは考える。常識とか、正義に当てはめるなら、当然警察に行くべきだ。
 いや、そもそもあのお金が見つかった時点で、本当ならフーガはそうすべきだったのだ。誰か、もっとちゃんと事態を判断できる大人に、助けを求めるべきだったのだ。

 でも、もしここで警察に行ったら。

 多分、フーガのおじいちゃんが三億円事件の犯人だったという証拠が見つかってしまう。

「ねえさっちゃん、三億円事件って、確か、もう時効になった、未解決事件だったよね」

「うん、そうだと思う」

 時効というのは、もうその事件を警察が捜査する期間が終わって、犯罪として裁くことができなくなったということだ。つまり、警察はもう、おじいちゃんをきっと、三億円事件の犯人として追求することはできない。できないと思う。

 でもきっと、世間の目はそれを許さないだろう。
 何せ今でさえたまにテレビで特集が組まれることもあるくらいの、五十年近く経った小学生のフーガでさえ知っているような、超有名な事件なのだ。その犯人が判明したとなれば、きっと大騒ぎになる。
 フーガたちは、その犯人の家族ということで、いろんな人に騒ぎ立てられて、多分この街から出ていかなければならなくなる。お父さんが、三億円事件の真犯人の息子だった、なんてことが判明したら、お母さんはお父さんと離婚してしまうかもしれない。
 そんな簡単に家族の縁を切れるわけがない、とフーガは信じたかったけれど、実際フーガは今、おじいちゃんが歴史的大事件の犯人かもしれないという疑惑が浮かび上がって、自分は全然関係ないという顔ができたらどんなに楽だろう、と思った。
 おじいちゃんと、関係ないんだと言うことができたら。
 そう思ってしまった自分がひどい裏切りをしているのだと思って、フーガは壁に頭をぶつけたい気持ちだった。

 だって、おじいちゃんは、あんなに優しくしてくれたのに。誰も来なかったフーガの誕生日に、あんなに素敵な変身ベルトを作って、体が悪いのに無理をしてやってきて、フーガが傷つかないようにしてくれたのに。そのおじいちゃんが、実は、悪人だったなんて。 
 そして、そのせいでフーガは今、おじいちゃんと縁が切れたらいい、と思ってしまった。こんなにひどいことがあるだろうか。

――お前がもしこれを間違ってしまったら、お前の家族はバラバラになってしまうかもしれない。

 フーガはおじいちゃんの言葉の意味がようやくわかった。

「燃やしちゃおう」

 フーガは言った。

 フーガは今、正義の味方になる資格を永久に失った。フーガがしようとしていることは、間違いなく悪だ。おじいちゃんが昔行った犯罪を、インペイしようとするギソウコウサク。でも、フーガは正しいことを行う恐怖に負けて、安心できる悪事に逃げた。

 正義の味方に一番必要なのは、何よりも正しいことを行い続ける強い心だ。
 そして、その正義が一番試されるのは、悪と戦う時ではない。
 悪いことをしてしまったあと、あるいは、何か自分にとって悪いことが起きてしまったあと、それを隠さずに、取り繕わずに、正直に打ち明けられるかどうか。それをなかったことにしてしまいたい、隠してしまおう、バレなきゃいいんだ、という悪の囁きに打ち勝って、怒られることを覚悟して正直になれるかどうか。それが境目だ。

 正義の味方と、正義の味方になれない普通の人とを分ける、その境界だ。
 フーガは、悪の囁きに負けた。正義の味方にはなれない。
 ひ弱な心の、ただの普通の小学五年生でしかなくなった。

――だからフーガだったのだ。

 お姉ちゃんくらいの大人の判断ができたら、まずおじいちゃんに地図を託されたところで、本気で宝探しをしようなんて絶対にしない。そして、フーガなら、その地図の場所を解き明かしたとして、三億円を見つけても使い道がない。悪用するだけの力がない。
 要するにフーガが子どもで、バカで無力だったから、おじいちゃんはフーガに託したのだ。

 おじいちゃんは――正義の味方なんかじゃない。

「それって、正義の味方のすることじゃないぞ」

 さっちゃんは言った。

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

――そんなこと言ってる場合じゃないの。

 あのおじいちゃんが死んだ日、お母さんがフーガに言ったことだ。
 それと同じ言葉をフーガは今、さっちゃんに言っている。なんて便利な言葉だろう。
 実際に今がどういう場合かなんて関係なく、相手の言っていることの事情も関係なく、自分の都合の悪いことを、そういう場合じゃない、と片付けることができる。
 常識とか、当たり前とか、そういうぼやっとしていて、よくわからないものの名を借りて、自分にとって邪魔になるものを切り捨てる言葉だ。
 しかも相手にそんなこともわからないのか、と言葉に出さずに見下す感じが含まれている。

 さっちゃんだって、そんなこと言ってる場合じゃないことくらい、とっくに承知しているに違いないのだ。
 それでも正義の味方を持ち出してくるのは、さっちゃんがフーガが正義の味方を志していることを知っていて、バカにしつつもその実現に協力してくれるからだ。
 さっちゃんはフーガの夢を尊重して言ってくれている。
 それなのにフーガは、正義の味方を、そんなこと言ってる場合じゃないと、子どもの遊びをやめさせる親と同じ言い方で、場合の問題で片付けてしまった。

 フーガはもう、正義の味方でも何でもない。
 今この瞬間、正義の味方は、フーガにとって、子どものお遊びでしかなくなった。
 フーガは正義の味方になる資格を失ったばかりではなく、それを本気で夢見てきた自分さえも裏切ったのだ。フーガの志はたった今、ただのごっこ遊びに過ぎなかったことになった。

「燃やして、なかったことにしちゃおう」

 そんなことは許されるはずもないのに。

「ね?」

 フーガはさっちゃんにお願いする。なんて情けなくて、惨めなお願いだろう。正義の味方が聞いて呆れる。幻滅もいいところだ。
 正義を貫くためではなく、過去の悪事を見逃してくれるように友達に頼み込むなんて、フーガの正義が行き着くところがこんな場所だと知っていたら、フーガはあの日、誰も来ない誕生日会に絶望して、家出してそのままのたれ死にでもしていた方が、三億倍くらいましだった。
 少なくとも、そのフーガは悪ではなかったのだから。 

 さっちゃんは何かを言いかけたけど、それをやめて、それでいいのか、とフーガに聞いた。いいのかどうかはフーガにはわからない。

「今日、学校が終わったら、もう一回、あそこに行こう。それで、全部終わりだ」

 さっちゃんは少し下を向いて、なんだかがっかりしたように、わかったと言った。

「お前のじいちゃんを、犯罪者にするわけにもいかないしな」

 さっちゃんは無理をするように笑って言った。大人の反応だと思った。本当はきっと複雑な気分なんだろうけど、それをこらえて、フーガを安心させるために、笑ってみせる。フーガにはまだ、できないことの一つだった。

 実は、フーガは、ひょっとして、もしかして、本当はあれは、三億円事件のお金じゃなくて、おじいちゃんが正しい方法で集めた正統なる遺産かもしれないという可能性を捨てきれずにいた。いや、あの三億円が、限りなく汚れた怪しいものだということが明らかになった今、むしろ実はそれがきれいでまともなものかもしれないという仮定を信じたかった。信じ込むことで、自分と、そしておじいちゃんを正当化できるならば、喜んでそうしたかった。

 信じられる根拠は一つもなくて、実際に正しいものである可能性は、万が一、いや、三億に一つくらいの可能性だったけれど。
 おじいちゃんがあくせく働いて、コツコツ築いた財産を、フーガのために遺してくれたのではないか、と。
 でも、そうだったとしても、あれだけのお金の存在は、きっとフーガたち家族の関係を壊滅的に壊してしまうものになり得る。

 それに、正しいお金だったとしても、やっぱりおじいちゃんがそれを燃やしてくれとフーガに頼んだのは事実だった。そして三億に二億九千九百九十九万九千九百九十九は何らかの犯罪に関わるお金に思えるものを、もしかしたらそうじゃなかったかもしれない、という楽観的な考えで誰かに打ち明ける気には到底なれなかった。

 あのお金は、この世界に存在してはならないのだ。
 それがどういうものであったにせよ。

タングステン

白熊・長編異世界

タングステン
タングステントルマリン

トルマリン:「庶民の衣を纏っても偽りえない王家の血筋かい……、あんたじゃな、『王を殺した血まみれの姫』、『大逆の皇女』、ヒルダ姫」

ヒルダ:「ち、違いますっ! わたくしは決してそのようなっ! こ、このような状況下で信じていただけないのはもとより承知のこと、しかし、わたくしは――」

トルマリン:「わかっとるよ、あんたらの状況とやらはの、のう、タングステっ」

タングステン:「何を悠長にしゃべっている、王家の方に、ましてや姫様ともあろう方に何たる無礼! 失礼仕り恐れ入ります。わたくしはタングステン、これは我らが長を継ぎましたるわたくしの兄の息子、マグナスにございます」

トルマリン:「相変わらず堅物じゃな……ちょっとした冗談じゃのに」

タングステン

名前:タングステン(・トルマリン)(トルマリンの名は古代の民の中で長が代表に名乗るしきたりで、長以外は基本姓を持たない。タングステンはトルマリンの父親の弟であり、継承権があり、現在でもトルマリンにもしものことがあればタングステンが長を継ぐ立場のため、その名で呼ばれたり呼ばれなかったり)
年齢:25歳(トルマリンと十歳差。族長であるトルマリンの父親がなかなか子宝に恵まれないこともあり、タングステンこそが次の長だと主張し続ける勢力も多い)(また、タングステンとトルマリンの父親は腹違いの兄弟であり、年齢が離れているのにわざわざタングステンが生まれたのは、先代の王による古代の民の迫害を受け、万が一の時のために長の血筋を絶やさないためでもあった。ほかにも異母兄弟がいたものの、迫害により今の生き残りはタングステンだけになっている)
性別:男
職業:技師(古代の民に伝わる機械の作成及び操作、維持管理の知識と技術を持つ)、古代の民族長代理及び補佐(トルマリンの補佐役およびお目付け役)。

容姿:
・古代の民特有の黒く外側に跳ねる癖のある髪の毛を襟足を長めに残したもさもさした短髪。
・瞳の色は黒く、やや垂れており、普段からあまり目を見開かず、気だるげに見える。
・またトルマリンの言動や行動に対して頭の痛いことも多く、眉間にしわが寄っている表情が多い。身長178センチ。
・服装はほぼトルマリンと一緒で、 粗い布の土気色のズボンに青い樹脂でできた長靴を履き、小物入れをたくさんかけられるベルトを着け、普段からマスク付きのストールとゴーグルと帽子をかぶり、トルマリンが普段タンクトップ一枚なのに対し、砂漠に出る際のジャンパーを羽織っている(ただ砂漠では暑いので普段はジッパーを開けている)。
・ヒルダと会っているイラストは砂漠でグレイドラゴン(大陸の陸上ドラゴン、小型ティラノサウルスみたいな見た目で大陸では馬より上等な乗り物みたいな扱い)を駆りながらヒルダと会ったみたいなシーンだと思ってください。

性格:
・トルマリン曰く堅物。カーネリアンを見てタングステンみたいじゃな、とか言ったり。
・もともとタングステンの父親と正妻の間に子供がいて、実際に長の地位を継いだものの、念のため側室(砂漠の民では重婚に関しては寛容なので腹違い自体はそれほど珍しくなかったり)に産ませた予備の息子で、時の王、現王ジェムシスの父親が古代の民迫害政策を打ち出して、各地で拠点を追いやられて、一族郎党が虐殺されていた時期に、血を残すための保険として生まれた子供。
・その後ジェムシスが先王を討ったことで虐殺の時代が終わるも、古代の民は虐殺を逃れるために長が殺され、一族が滅亡したと偽って生き延びることを選んだため、王家との間には修復しがたい亀裂が生じてしまい、以後王家からの保護は受けられず、王家の管理の及ばないグリーンドラゴンが住まう辺境の砂漠で、グリーンドラゴンの瘴気で脅かされるぎりぎりの領域で人知れず一族を生き永らえさせている。
・虐殺逃れのために長が殺されるという出来事の際、長であるタングステンの腹違いの兄が、息子である幼いトルマリン(マグナス)を長に任じ、その後見をタングステンに任せ、以後トルマリンの保護者として陰に日向に面倒を見ている。
・トルマリンが確信的に予言肯定派なのに対し、自分が育ってきた環境からその手のものに対しては懐疑的で、ひそかに王家との関係を修好させられないかとあちこちに網を張っており、今回のクリスの氾濫については、ヒルダを王家に売ることで、一族の復興をもくろんでいた。

人生:
・26年前にまだジェムシスが王子で、その父親が権威を振るっており、古代の民に対しての迫害が行われている時代に、血が絶えないための保険として生まれた子供の一人。
・正妻の息子である兄と、腹違いの多くの弟妹がいたが、ほとんどが虐殺によって命を落とし、グリーンドラゴンの災害によって多くのものを失いながら育つ。
・もともと長になりたいというような政治的な野心は少ないが、一族を守りたいという責任感は誰よりも強く、その点において予言が果たせないならば古代の民そのものが滅んだところで大したことではないと、達観しているトルマリンに対し、生きている人々がいて、生活が懸かっているということを考えており、その責任を果たすために、いざとなればトルマリンとも敵対する覚悟でいる。
・トルマリンには妻がいるがタングステンは独身(曰くこれ以上継承権が複雑になるのはご免こうむりたい)。
・タングステンの思想は割と古代の民の働き手世代であるシニア層に受けがよく、まじめな人柄と合わせて年かさの古代の民は、多くがタングステン寄りの人。逆にトルマリンは子供や若年層の支持が圧倒的に高い。

能力:
・科学技術(簡単な外科手術、義肢の作成から飛空艇の復元までほぼ何でもできる)。
・グレイドラゴン騎乗
・曲刀術

遺されたもの 2

ふせいぎふーが

「――お金?」

 開けた瞬間、フーガの胸に湧き上がったのは困惑だった。
 中に入っていたのは、これまた正義の味方とは一層かけ離れた、よっぽど生々しいものだった。
 そこにあったのは札束だった。
 フーガたちが見知った福沢諭吉のお札ではない。描かれているのは聖徳太子の肖像だ。多分フーガ達が生まれるよりもずっと昔の紙幣で、おそらく百万円の束になっているものが、ぎっしりと詰められている。
 三つのケースどれもが、札束でいっぱいだった。

「すっげえ、大金持ちじゃん! フーガすげえよこれ! お前のじいちゃん、お前にとんでもないお宝残してたんだな!」

 さっちゃんは見たこともない大金に、はしゃいだ声を出していた。

 フーガは。

 それを見て、なんだか心をすごく冷たいものがワシ掴みにしているみたいな感覚を味わった。

 これは、おじいちゃんがボクに、ボクのために遺した遺産だろうか。

 フーガにはそう思えなかった。こんな大金をフーガに遺す理由が一つもない。
 大金を遺産として遺すなら、家族でしかも大人である、サトルおじさんとお父さんに与えられるべきで、その二人を飛ばしてフーガにそれを与えるとは思えない。思えない、というより、絶対にそんなことにはならない。
 そして何より、おじいちゃんの言葉は、フーガにそれを与える、というものではなかったのだ。
 おじいちゃんはそれを燃やしてくれと言ったのだ。一体何を。

――この莫大なお金を。

 正義の味方の秘密基地が、ガタガタと崩れていく。おじいちゃんと一緒に紡いできた夢。それを破壊するのには、十分な重みを、このお金は持っていた。

「これ、百万円の束だぜきっと! いちにーさんしーこれで十だから、一千万、それが十個ってことは、このケース一つで一億円! それが三つってことは……三億円だ! これだけあれば、なんでもできるな! 一生遊んで暮らせるぞ!」

「やめよう」

 浮かれた声のさっちゃんに、フーガは震えるような声で言った。

「どうしたんだよフーガ、すげえぞ! 喜べよ!」

「やめてよ!」

 フーガが大声を上げる。
 その瞬間、フーガの言葉が必殺技になったかのように、近くに雷が落ちて、ものすごい閃光と、爆発したみたいな音が辺りに轟く。耳が聞こえなくなって、キーンと高い音が響く。

「元に戻そう」

 さっちゃんはまだ耳が聞こえないようで、聞き返すように耳に手を当てた。

「元に戻そう! すぐに隠して!」

 なんでというさっちゃんに構わず、フーガはさっちゃんが取り出した札束をケースにむちゃくちゃに詰めて、留め金をかけて一人で引きずって、ケースを穴に放り込んだ。
 さっちゃんは呆然とそれをただ見ているだけだった。
 フーガは三つトランクを穴に入れて、その上にどんどん土を被せる。それでも元のように自然にはならなかった。どうしても土を掘り返した跡が隠せない。上から木の葉をかぶせても、何をしても、そこだけ不自然になってしまう。

「帰ろう」

「お金は? このままじゃ、誰かに横取りされちゃうぞ!」

 さっちゃんは強い口調で言った。それは、そうかもしれない。
 フーガは少し考えて、持ってきていたビニールテープを掘り返した地面の周りに生えている木に縛り付けた。そして、ルーズリーフにマジックで、植生試験地、立ち入り禁止、と、できるだけ綺麗な字で書いて、それをセロテープで貼り付ける。
 植生試験地というのはこの森の多様性を守るために色んな草木を植えて育てる場所だ。同じように立ち入り禁止と書かれた立札が森の中にいくつかあったから、多分ハッタリとしてはそれなりに通用するものだろう。
 少なくともただ立ち入り禁止と書くよりは。

「そんなの子供だましにもならないぞ」

 その通りだったが、だったらこれを誰にも気づかれずに、ここから別の場所に動かすことができるのか、という問題もある。子ども二人でようやく持ち上げられるトランク三つ。しかもフーガもさっちゃんも電車で来ているから、家に持ち帰るにしても、電車に乗らなくてはならない。そうしたら余計に人目に付くし、その途中でこのお金が見つかれば、それこそ横取りどころの騒ぎではない。持ち帰るにせよ、このままにするにせよ、今日、この持ち物では、どうしようもない。それは確かなことだった。
 フーガがさっちゃんにそう告げると、さっちゃんはなるほど、それもそうかと頷いた。

「じゃあ、どうするんだ?」

「わからない」

 フーガは正直に答えた。
 動揺しているのは事実だった。びっくりもしているし、それ以前に現実味がない。まだ自分でも何が起こったのか、何を見つけたのか、わかっていない気がする。
 もう少しちゃんと落ち着いて、考えたい。
 こんな土砂降りの雨の中じゃなくて、暖かくて、くつろげる場所で。

「とか言って、独り占めする気じゃないだろうな」

「そんなわけないだろ!」

 それは心外だった。いくらさっちゃんでも、そんなことを考えていると疑われるのは、流石に腹が立つ。

「そんなわけないな。悪かった」

 さっちゃんもそれがわかったのか、素直に誤りを認める。

「でも、こんなのすぐバレるぞ」

「わかってる。そんなに時間はかけない。とにかく今日は帰って、眠って、ちゃんと考えたいんだ」

「そうだな。オレも少し、疲れた」

 さっちゃんがそう言って、二人でエックス山をあとにした。
 泥だらけの雨合羽を駅で脱ぐ。それでも靴はどろどろで、下に着ていた服もびしょ濡れだったけど、二人はそれで電車に乗って、家に帰った。
 座りたい気持ちで一杯だったけど、ずぶ濡れの二人はそもそも電車に乗るのさえ、本当ならエンリョした方がいいくらいだった。
 ほかのお客さんは、明らかにフーガたちと触れるのは勘弁してくれ、という顔をしていたし、それはフーガたちも同じことだった。乗る時間が数分で、助かったくらいだけど、でもその数分は、疲れて、しかも途方もないものを託されたあとの二人には、給食の前の四時間目終了五分前より果てしなく長く感じられた。

 フーガが家に着いたのは四時頃だった。
 家に帰るとお母さんは泥だらけのフーガを見てお冠で、すぐにフーガを裸にひん剥いて、まずお風呂に入れた。
 その間に、手洗いで泥を落としなさいと、フーガの汚れた服をお風呂場に投げてくる。フーガはいちいちそれを受け取っては、蛇口でお湯を出して、石鹸でゆすいでいく。
 ひとしきり洗濯が終わって、それを洗濯機に入れ終え、自分の体もきれいにして、温かい湯船に浸かると、自然にふう、と声が出てしまう。

 とにかく疲れた。色々と考えなくちゃいけないことがあることはわかっている。わかっているが、何も考えたくなかった。不安を感じていることさえ、考えたくないくらいに疲れていた。

 その時、ガラリと脱衣所の引き戸が開く音がした。すりガラスの向こうに写っているのは、お姉ちゃんだった。お姉ちゃんもどこかに出かけていたはずだったけれど、どうやら濡れて帰ってきたらしい。ポンポンと服を脱いでいく。

「お、お姉ちゃん! ボク入ってるんだよ!」

「知ってるよ。もういきなり降ってくるんだもん。ずぶ濡れ。体も冷えちゃったし。いいでしょ、久しぶりに一緒にお風呂」

 お姉ちゃんがドアノブに手をかけた。フーガは咄嗟にザバリと湯船から立ち上がって、お風呂の扉を内側からロックをかけた。

「ちょっと、何で鍵かけるの」

「いいから入らないで! お姉ちゃんは入ってきちゃダメ!」

 これは間違いなく罠だ。フーガが裸で抵抗できないところを狙って、組織で開発した洗脳チップを仕掛けてフーガを洗脳するつもりなのだ――そこまで考えて、フーガはへなへなとお風呂場に座り込んでしまう。

――そうじゃ、なかったのだ。

「……フーガ?」

 お姉ちゃんの声は、心から心配しているものだった。
 もちろんお姉ちゃんは悪の組織に洗脳されてなんかいない。フーガを油断させて、洗脳するために、演技をしているわけじゃない。
 だって、あそこにあったのは正義の味方の秘密基地でもなんでもなくて、おそらく何かとても悪いことを秘めた、三億円という大金だったのだから。

 おじいちゃんがフーガに遺したものが、お金であり、おじいちゃんの願いがそれを燃やしてくれ、というものだったことは、まずおじいちゃんが正義の味方ではないことを示していた。次に、これが、フーガが正義の味方になるために課せられた試練でないことも明らかだった。もちろんおじさんが悪の組織の幹部だなんてこともないし、当然お姉ちゃんがその手先ということもない。

 全て、フーガが思い描いただけの妄想だった。フーガは勘違いしていたのだ。自分が正義の味方になれるのだと。

――おじいちゃんは、正義の味方だったのだと。

「一人にして……」

「え? 何?」

「何でもないよ、とにかくお姉ちゃんは入ってこないで!」

 フーガはきつく大声で言う。そして、そのまま冷たいお風呂のタイルの壁にもたれかかると、自然に涙が溢れてきてしまった。嗚咽はしばらく止まりそうになかった。
 お姉ちゃんは、フーガの泣きべそが聞こえたのか、小さく、ごめんね、とつぶやいて、下着を着替えて、パジャマを着て、脱衣所を出ていく。

 フーガは湯船に半分顔を沈めて、目を閉じて耳をふさいだ。
 何もしたくなかった。ご飯だって食べなくていい。このままお風呂にひとり残されて、世界に一人きりになりたいと思った。そうすれば三億円のことなんて少しも気にしないでいられる。今、自分が何を託されたかなんて、何も考えずに、時間が止まってしまえばいい。

 でも、心がどれだけ沈んだところで、体はいつもどおりを求める。
 梅雨時とは言え、蒸し暑いと言える程度には小金井の夜は熱をこもらせている。フーガは長湯のしすぎでのぼせ始めていた。これ以上お風呂に入っていたらきっとお母さんがガミガミうるさく言ってくるに違いない。フーガは体をゆすいでお風呂から上がる。

 お風呂から出て、服を着替えて、部屋に行って、ベッドに横になった。
 それだけだったはずなのに、目が覚めたのは真夜中の午前三時だった。
 眠ってしまったのだ。結局作ってもらったお弁当さえ食べておらず、フーガはお腹がぺこぺこだった。

 台所に行って冷蔵庫を開けるとフーガの分の夕御飯とお弁当がラップをかけたまま、残されていた。あまりの空腹に、温め直すこともせずに、冷たいご飯をかきこんだ。お腹が満たされると、少し落ち着いて、フーガは牛乳をコップに入れて、一口飲んで、昨日のことを振り返った。

 ぐっすり眠ったせいか、寝る前にあった絶望感はいくらか軽くなっていて、フーガは少し事態を前向きに考えられる冷静さを取り戻していた。
 おじいちゃんの遺したものは、正義の味方の秘密基地の地図なんかじゃなくて、あの大金のことだったのだ。それはまあいい。
 いや、よくはないのだが、実際にそれが隠してあった以上は、正義の味方の秘密基地じゃなかったからと言って、何を言ったところで、何の解決にもならない。
 そもそもおじいちゃんはそれが秘密基地の地図だなんて一言も言わなかった。フーガが勝手にそう考えただけだ。そうだったらいいのにな、と。

 それは多分、フーガ自身、そこにあるものが、何か嫌なものであるということを、おじいちゃんに頼まれた時から、漠然と感じていたからだと思う。
 おじいちゃんの頼み方は必死で、その内容は少し、怖いものが見え隠れしていた。
 フーガは自分で自分を騙して、怯える気持ちを隠して、自分にとって気持ちのいい空想に逃げ込んだ。 だから、隠されていたのが正義の味方の秘密基地じゃなかったことについては、フーガはがっかりするくらいは構わないだろうけど、それでおじいちゃんを恨めしく思うのは筋違いだ。

 でも。

 あのお金は。

 おじいちゃんが燃やして欲しいと、誰にも見つからないように探し出して、燃やして欲しいと頼んだあのお金は。

 きっと、おじいちゃんが働いている間にコツコツ貯めた財産とかではない。じゃあ一体なんなんだ、とフーガは自分自身に問う。

――やめよう。
 考えない方がいい。明日、学校が終わったら――。

 あのお金は、さっさと燃やしてしまおう。それがいい。

 フーガはそう心に決めて、牛乳を飲み干して、もう一度、ベッドに戻った。

遺されたもの 1

ふせいぎふーが

 さっちゃんとの約束の日曜日が来るまでの間に、フーガにとってエックス山はもはや知らない場所ではなく、そこに正義の味方の秘密基地があるのは必然とも言える場所になっていた。

 大体はさっちゃんが言っていたとおりだが、エックス山は、確かに昔は、秘密の場所だったらしい。なんでも貴重な野草の宝庫であり、盗掘の危険性から、地元では有名でも、公にはその場所は秘密にされていて、だからこそ謎の山、エックス山という隠語で呼ばれていたのだとか。
 それはもちろん表向きのことに違いない。

 本当の理由はそこがこの日本を陰で支える正義の味方の本拠地であり、悪の組織から守るために公表を避けていたのだ。
 そう、盗掘というのは野草を盗むことではなく、悪の組織がスパイとして、エックス山の情報を盗むことを指す、これこそが隠語なのだ。
 秘密にされていた自然保護区。自然保護とはつまり、悪の魔の手から世界を守ることにほかならない。
 つまりそれは、正義の味方の秘密基地がそこにあることの証明だった。
 少なくともフーガにとっては。

 そして、日曜日が来た。
 その日の空模様はフーガが少し不安に思う程度には悪かった。太陽は朝から厚い雲に覆われて、姿を見せていなかったし、空そのものがなんだか少し低くて、しかも黒かった。
 それでもフーガの決意はそんなものには動じなかった。
 フーガはお母さんに前もってさっちゃんと一緒に遊びに行くからお弁当を作ってもらってあり、帰りも遅くなるかもしれないから心配しないで、と伝えておいた。
 エックス山で自然観察、と言えば、お母さんは何も言ってこなかった。
 映画に行くとか、ゲームセンターに行くとか、さっちゃんの家で一日中ゲームをするとか、そういうことよりよっぽどケンゼンに聞こえたのだろう。

 フーガは約束の一時間前にはもう武蔵小金井駅にいた。
 そして、さっちゃんはそのわずか十五分後にやってきた。結局さっちゃんも、おんなじ気持ちで、待ちきれないのだ。

「尾行されてないだろうな」

 現れるなりさっちゃんは抑えた声で言ってきた。言われてフーガはハッとする。秘密基地が見つかるのだと思うとそればかり頭に気がいって、そこまで全然気にしていなかった。
 無用心だった。

「されてないと思う……多分だけど」

「カノン姉ちゃんは?」

「今日は友達の家に遊びにいくって。ボクが出た時はまだ家にいたけど」

 さっちゃんはその答えを聞くと、一度辺りをぐるりと見渡した。

「まあ大丈夫だろ」

 二人は挨拶もそこそこに、すぐに電車に乗って、あの日のように恋ヶ窪駅で降りた。そしてエックス山を目指す。隠されていた自然保護区域、西恋ケ窪緑地へ。
 怪しげな雲行きが幸いしたのか、公園として開放されている保護区の割に、人気はなかった。自転車も止まっていなかったし、ハイキングみたいな装いの人もいなかった。
 絶好の機会だった。

 二人は何も言わずとも、お互いに顔を見合わせて、森の中に入っていった。
 フーガたちはまず中央にあるテーブル広場に行って、そこで改めておじいちゃんの地図を広げた。
 地図に示されているのはこのエックス山の位置だけで、その中のどこにおじいちゃんの遺したものが隠されているかは、例の一文にしか頼る以外になさそうだった。

『栄光はカザグルマの下に』

 栄光とは正義の味方の秘密基地の入口だとフーガは考えていた。
 カザグルマはもちろんおじいちゃん達の組織のマークだ。
 エックス山はフーガがインターネットで調べたところではクヌギやコナラと言った種類のどんぐりがなるような広葉樹が中心の森らしい。
 カザグルマの花は環境省のデータでは東京都市部では絶滅していることになっているが、この国分寺がある北多摩では絶滅危惧のレベルになっていて、かろうじて生き延びているらしい。

 でも、この山を保全するグループの活動報告にある、この山に咲く植物の写真集にカザグルマの花はなかった。咲いていれば目立つ花だし、貴重なものだから、見過ごされるとも考えにくいが、よく考えてみれば、おじいちゃん達の正義の味方の組織は秘密の存在だから、そのトレードマークであるカザグルマの花のことも秘密にされていても全然おかしくない。

 おじいちゃん達は目印にこの森に自分たちの証であるカザグルマを植えて、正義の味方の秘密基地を作っていたのではないか。
 そして、いつかそれをフーガたちのような新しい世代に伝えるために地図として遺したのではないのか。さらにそれは、今になっても暴かれることなく秘密にされているのだ。 
 とにかく、この森のどこかに、カザグルマは必ず生えているはずだ。少なくとも五十年前には、生えていたはずだ。
 そのことをさっちゃんに告げると、さっちゃんはいい推理だ、とフーガを褒めた。

「カザグルマってどんな花?」

「白くてきれいな大きな花だよ。ぴったり八枚、真っ白な花びらを開いて咲くんだ。ちょっと待って」

 フーガはリュックからスマホを取り出し、カザグルマの花を検索してさっちゃんにその画像を見せる。

「あ、これ、フーガの正義の味方のマークのやつか。これがモデルだったんだな」

 正直正義の味方のことは一応秘密の話で、さっちゃんは知らなくていいことなので、話すのはなんだか恥ずかしいような後ろめたいような気持ちになった。
 フーガはごまかすようにわかった? とさっちゃんに確認する。

「この花を探せばいいんだな、結構目立ちそうだし、すぐ見つかりそうだな」

 さっちゃんは納得したように腕を組んで答えた。

 とにかく手がかりはそれしかないのだから、カザグルマの花を探すしかない。
 もし花が見つかればそこだけ掘り返せばいい。絶滅の恐れがある貴重な植物だが、きっと仕掛けがあって秘密基地への入口を開くスイッチか何かがあるに違いない。適当に山を掘り返すわけじゃないから自然破壊でもないはずだ。
 フーガは心の中で自分にそう言い聞かせ、自分がやることを正当化した。

 フーガは背負ってきたリュックサックから虫眼鏡を二つ取り出した。
 さっちゃんはそれを見て、準備万端じゃん、と言った。

「そのリュック、あと何が入ってんだよ」

「とりあえず軍手とスコップと、カッパと傘と、あとお弁当と、スマホと懐中電灯と、マッチとロウソクと、ビニールテープとハサミとルーズリーフとか、とりあえず色々」

 さっちゃんには内緒だが、もちろん変身ベルトも隠してある。
 きっとこのベルトには正義の味方の秘密基地の入口を開く仕掛けが仕込まれているに違いない。
 もちろんさっちゃんはそんなことを言えばバカにしてくるだろうから、そのことは入口が見つかるまでは秘密だ。

「懐中電灯があればマッチとロウソクはいらないんじゃないか?」

 さっちゃんの言葉に、フーガは少し、答えるのをためらった。
 マッチとロウソクは明かりとりの為の道具ではない。ルーズリーフも、焚きつけに使うために用意したものだった。
 なんだかんだで正義の味方の秘密基地という空想を広げて盛り上がっていたフーガだったが、おじいちゃんが言っていたことは、忘れているわけではなかった。
 おじいちゃんはそこにあるものを燃やしてくれと言っていたのだ。

「少し、念入りすぎたかな。まあいいでしょ、備えあれば嬉しいな、って言うし」

「備えあれば憂いなし、な」

 ごまかしのための冗談にさっちゃんは素直に引っかかる。こういうところは単純なのだ。それ以上は詮索してくることもなく、さっちゃんはフーガから虫眼鏡を受け取った。
 遊歩道に沿って柵が敷かれていて、立札が立っていて、できるだけ中に入らないで、と控えめな注意を促していた。
 完全立ち入り禁止の訳ではなく、植物観察のため、最低限の立ち入りは認めているらしい。

「せーので越えようぜ」

 さっちゃんが言った。フーガは頷く。
 二人で声を揃えてせーのと言い、柵を一歩でまたぐ。
 それからもう一歩で柵の外側に出て、それから二人は慌てて辺りを見回して、誰にも見られていないことを確認する。
 誰もいない。聞こえるのは遠くを通る車の音と、森の向こう側を通る電車の音。たまに聞こえる鳥の声。静かだった。

「よし、探すぞ」

 さっちゃんが言って、フーガとさっちゃんは虫眼鏡で、それぞれ一つ一つ白い花を見ていく。
 そしてフーガはすぐに、この膨大な草木の中からたった一輪、カザグルマの花だけを見つけるというのは、大変だろうな、と思っていたフーガの想像以上に、恐ろしく労力のいることなのではないかと気づく。

 よくよく考えてみれば、このエックス山、つまり、西恋ケ窪緑地と呼ばれている森一帯そのものは、きっと百年どころか、江戸時代、いや、そのずっと前からここに森として存在していたはずで、木も花もきっと、その頃からあるには違いないのだ。
 かつては里山として手入れされていたという話だから、定期的に切られては生え変わってを繰り返してはいただろうけれど、それだって里山として利用されていたのはもう何十年も前の話で、またここを、元の綺麗な雑木林に戻そうという運動は、フーガが調べた限りではごく最近起こったものだったはずだ。

 腰を下ろした体勢で、地面を見続けるのは段々に疲れてくるし、なんだか途方も無いことのように思えて、フーガはふう、とため息をついてしまう。
 思いのほか大きな音になってしまって、さっちゃんに聞こえていないかと思って慌てて咳払いしてごまかす。
 さっちゃんは強引に割り込んできた立場だけど、手伝ってもらっているのは事実なので、フーガの方から先に疲れたようなことをあらわにするのは流石にいけないことだ。

 しかし、カザグルマの花は一向に見つかる気配さえなかった。
 実はフーガには気になっている噂があった。それはこのエックス山、西恋ケ窪緑地が今こうして、公園のように開放されている理由についてのものだった。
 さっちゃんが言っていた通り、この森は昔、秘密の存在で、貴重な野草を保全するために、地元の人でなければどこにあるか全くわからない場所だったらしい。それが今、こうして公開されているのは、そこにもともと自生していた貴重な植物が盗掘され尽くしたからだというのだ。

 つまり、貴重な植物は全て盗まれ尽くして、隠す価値がなくなったから、公開するようになったのではないか、と。
 フーガはその盗掘とは悪の組織が正義の組織にスパイを送り込んで情報を盗み出すことだと思っていた。
 でもそれが、言葉通りの意味で、カザグルマのように保護の対象になっている野草が盗まれてしまっているということだとしたら。
 フーガの思っている方が事実でもそうでなくても、この山は既に盗掘され尽くして、荒らされはてたあとなのだとしたら。
 もしかしたら、カザグルマの花はもうこの山からは、消え去っているのかもしれない。正義の味方の秘密基地は、すっかり踏みにじられているかもしれない。

 気が付けば、なんとなく腰と首にずしりとした重みを感じ始めて、集中力が底をつき始めていた。目当てのものが見つかる気配すらないまま時間が過ぎていくのに、イライラが募っていく。

「フーガ、見つかったか?」

「そんな簡単に見つかるわけないよ」

 そんなことは、最初から分かりきったことだったが、実際こうして、地面に座り込んで花を一つ一つ確かめていく作業の苦労を実感すると、フーガは自分の覚悟がいかに甘いものだったかを思い知る。

 言うほど簡単なことでは全然なかった。

 そのうちに、空の神様がそれ見たことかとはやし立てるように遠くで雷が鳴って、空がどんどん暗くなった。
 フーガにはまるでそれが、フーガたちのことを見世物にして神様たちが雲に乗って寄り集まって嘲笑いにきたように感じられて、一層不快だった。

「雨だ」

 さっちゃんが言った。
 フーガは顔を上げる。その鼻先に一粒、雨が触った。
 思うまもなく、すぐに雨は激しくなった。一気に土砂降りになって、フーガたちはとりあえず、雨合羽を着て傘をさした。

「帰ろう」

 この前と同じ言葉をさっちゃんが繰り返した。
 いつも思う。さっちゃんはあきらめが良すぎる。
 それは大人な判断かもしれないけど、正義の味方の発想じゃない。
 正義の味方は絶対にあきらめない。しつこいくらいに粘り強く、悪に対して道を譲らないものだ。

「もうちょっと」

 フーガは食い下がった。

「もう無理だよ。あきらめよう」

「帰るなら、一人で帰ればいいよ」

 フーガの言葉に、さっちゃんは少し怒ったように言う。

「こんなところに一人で残ってたら、叱られるぞ」

「叱られるのが怖くて、正義の味方なんかになれないよ!」

「まだそんな事を言って!」

 さっちゃんがドン、とフーガを突き飛ばした。
 フーガはバランスを崩して、ぬかるみに足を取られて転ぶ。背中を太い幹にぶつける。
 さっちゃんは小さく、あ、と言ったけれど、ごめんとは言わなかった。

「じいちゃんが死んで、悲しいから、悲しいのに耐え切れないから、バカみたいなことしてるんだと思って付き合ってたけど、もうやめだ! フーガ、こんなところにお宝なんて、ましてや正義の味方の秘密基地なんてあるわけない!」

 さっちゃんが大声で言う。
 フーガは薄々感づいていたことだった。
 さっちゃんは、やっぱりフーガよりちょっと大人で、自分がおじいちゃんを亡くした時の経験をキャッカンテキに捉えていて、その時の気持ちを、フーガも味わっていると思って、同情したのだ。
 そして、同情して、心配だから、同じバカをやって、きっと、フーガが自分から正義の味方をあきらめられるように、付き合ってくれたに過ぎない。本気で正義の味方の秘密基地が見つかるなんて、思ってもいない。
 改めてそれが本人の口から告げられて、フーガはなんだ、やっぱりと思う反面で、どこか安心していた。

 さっちゃんは正義の味方になれない。

――だって正義の味方になるのは、おじいちゃんに選ばれたのはボクなんだから。

「オレ、帰るから!」

 さっちゃんが背中を向ける。フーガは立ち上がろうとして、地面に手を付いた。
 太い木の根元、水が溜まる土の上。フーガは気づいた。
 木の幹になにか刻まれた跡がある。黒く変色してほとんどわからなくなっているけど、雨水で濡れたところに薄い光が差して、白く模様が浮かび上がっている。八枚羽根の風車の紋様。それはフーガたちの正義の味方のトレードマークだった。

――栄光は、カザグルマの、下に。

 フーガの目はその木の根から続く地面へと移る。木を伝って流れる雨水を追うように。
 木の幹の根元に溜まった水が、流れている。その水たまりの少し先にある、地面の中に向かって。それを見た瞬間、全身の血が、足の方に流れて、頭に血が足りなくなるのを感じた。
 フーガは手に持っていたスコップを突き立てる。

 不自然な感触がした。
 そしてすぐに、ガツ、と硬いものに当たった。フーガは流れ込んでくる泥を払って、虫眼鏡で覗き込む。中に何かプラスチックのような自然物ではないものが見えた。

「さっちゃん! あった!」

 フーガは大声でさっちゃんを呼ぶ。
 何だという、不機嫌な顔でさっちゃんは振り返った。

「ここ、何かある。ここだよ。ここ!」

 さっちゃんはまさか、という顔をして近づいてきて、穴を覗き込んだ。そして中にある明らかに人工的な何かを見て、フーガと顔を見合わせる。二人は何も言わず、懸命に地面を掘り返した。気づいたら結構な大穴がポッカリと掘り下げられていた。

 そして出てきたのは、正義の味方の秘密基地ではないことは、明らかだった。
 中にあったのはプラスチック製のものすごく重いケースが三つだった。
 さっちゃんと二人で、全力で持ち上げなければ穴から引きずり出すこともできない、一抱えもあるケース。簡単な留め金がついているだけで鍵はかかっていなかった。
 フーガはさっちゃんと顔を見合わせて、それを開ける。

 震える。

 フーガ自身、本当に何か見つかるとは、心の底から信じられていない部分があった。
 それが、本当に見つかったのだ。おじいちゃんがフーガに託した、何かものすごく、秘密にしなければならないその証拠が。

地図の示す場所 3

ふせいぎふーが

 さっちゃんが向かったのは市民プールの方だった。毎年夏休みにさっちゃんと市民プールに行く時は西国分寺駅で降りて向かうから、恋ヶ窪方面から行くのは初めてだった。
 道はあまり広い道路でもなく車の通りも多くなくて、周りの風景には緑が多い。
 さっちゃんの話によるとエックス山にはカブトムシなんかもいて、捕りに行く子どもも多いらしいが、フーガはそういうのに興味を持たなかったからか全然知らないことだった。

「フーガ、何でそんな正義の味方になりたいわけ?」

 フーガの前を、道案内するように歩きながら、フーガに背を向けたままさっちゃんが聞いてきた。さっちゃんと友達になってから、もう五年近くなるが、そのことを聞かれたのは初めてだった。

「誰にも言わない?」

「他の奴、興味ねーからな」

 さっちゃんの言葉に、フーガはカチンとくる。それじゃあ興味持たせてやる、なんて気持ちが煽られて、フーガはその思い出を口にした。おじいちゃんに、誰にも秘密にしておかなければならないと言われた、小学一年生の誕生日のことを。

「ボク、小金井の子どもじゃないんだ。生まれたの、国分寺で、保育園も国分寺の保育園だった。だから小学校に上がった頃、友達いなかったんだ」

「オレも生まれたの長野だし、小学校上がる頃にこっち引っ越してきたけどすぐに友達できたぞ」

「それ、ボクのことだろ」

「フーガだけじゃないけど」

「もう、ボクの話だろ! さっちゃんが聞いてきたんだから、最後まで話の腰折らないでちゃんと聞いてよ!」

 フーガが怒鳴ると、さっちゃんは前を向いたままフーガの方を見ずに肩をすくめた。

「だから、友達いないから、みんなと仲良くなりたくて、誕生日会開いたんだ。招待状書いてさ、お母さんと折り紙のコマ作って、ご馳走もケーキも用意して」

「そんなことあったっけ?」

「覚えてなくて当然だよ。だってその時、誰一人学校の友達来なかったし」

 さっちゃんは小さくうわ、と声を上げた。自分でも惨めな思い出だと思う。その頃はまださっちゃんとは友達ではなかったが、クラスは同じだったから招待状は渡したはずだ。何せクラスメート全員に招待状を出したのだから。三十八人に招待状を出して、結果として一人も来なかったのだ。どうして誰も来てくれなかったのか、フーガにとっての永久の謎の一つだった。

「でも、その時に、おじいちゃんが来てくれたんだ」 

 フーガたちが引っ越してから、一月か二月経った頃だ。おじいちゃんがガンだということはわかっていたが、まだ外を歩いたりすることはできた。でも、その時すでに、随分体の調子は悪かったのだろう。きっと無理をして家を訪ねてくれたに違いない。そのおじいちゃんを思えば、感謝こそすれ、不満などぶつけられるわけもないのだが、当時小学一年生で、誕生日に誰も来てくれないという絶望に打ちひしがれていたフーガにとって、そこに身内であるおじいちゃんがやってきてくれても、少しも嬉しい気持ちにはなれなかった。それどころかおじいちゃんは訪れるや否や、フーガに向かってこう言ったのだ。

――フーガ、お誕生日おめでとう、お友達は、誰も来ていないね。

「後にも先にも、おじいちゃんを殴ろうと思ったのはその時だけだよ」

 フーガが言うと、さっちゃんはさっきより引いた声で、うわぁ、と漏らした。

「でもすぐに、おじいちゃんはプレゼントをくれたんだ。正義の味方の変身ベルト。それでおじいちゃんは、ボクのこと、正義の味方の卵に任命するって言ったんだよ。いつか本物の正義の味方に任命するから、その時が来るまで自分を鍛えて、強く、正しくありなさいって。それでそのことは誰にも秘密だからねって。それで、ついにその時がやって来たんだよ!」

 おじいちゃんに正義の味方の卵に任命されてから四年、ついに訪れた、本物の正義の味方になるための試練。フーガが望み続けたその運命の時が、今か今かとフーガがたどりつくのを待っているのだ。

――エックス山で。

「それ、信じてるのか?」

「さっちゃんは信じなくてもいいよ。でも、だとしたらおじいちゃんは何でこんな地図をボクに託したの? 正義の味方がただの出まかせなら、そんなことする必要ないだろ」

 そう言うと、さっちゃんはそれもそうだなぁ、と納得したように言った。

 これがフーガの一年生の時の誕生日それっきりの話なら、サンタクロースと同じレベルの作り話でもおかしくない。でも、フーガの話には現在進行形で語られる続きが存在する。フーガの手にはおじいちゃんから託された地図があり、そして今フーガはそこがわかると主張するさっちゃんとともに、その場所に向かっている。

 地図はその紙の質感から昨日今日用意されたものではないことは明らかだった。さらに隠されていた机の二重底だって、いたずらにしては手が込みすぎている。何もないわけがない。そして、何かあるのならば、それが正義の味方に無関係であるはずがない。なぜなら、おじいちゃんの孫の中で、おじいちゃんに正義の味方について夢を語り合っていたのはフーガ一人で、そのおじいちゃんが、フーガにしか頼めないこととして、この地図を託したのだから。

「嘘だと思う?」

 それでも、さっちゃんには信じてほしかった。

「いや」

 さっちゃんの声は短く、少し弾んでいた。

「わくわくするな。こっちだ」  

 さっちゃんの足が一層速くなる。フーガはそれを追い抜かす勢いで後を追いかける。フーガは嬉しかった。さっちゃんが仲間になってくれたような気がした。道の途中でさっちゃんはプールに行く方の道からそれて、人気のない道に入っていく。開けた畑が広がっていて、その奥に、やや小高い森が見えた。

「あれがエックス山だ。西恋ヶ窪緑地」

 あそこが。あそこに。
 おじいちゃんが遺したものがある。

 敵の本拠地のすぐ近くにある、正義の味方の秘密基地が。

 フーガの足は自然に先へ先へと進んでいた。
 森の入口には看板が立っていて、案内図が描かれていた。
 もちろん、おじいちゃんの遺したものは、そんなわかりやすい場所にはないだろう。

「とりあえず、一回りしてみよう」

 さっちゃんの声は、少しだけだけど、震えていた。
 フーガも、ここに確かにおじいちゃんの遺したものがあるのだと思うと、興奮して立っているのかどうかもあやふやな感じだった。
 踏み出した一歩がやけに手応えがない。なんだかふわふわして、転びそうになる。

「大丈夫か、フーガ」

「平気だよ」

 見かねてさっちゃんが手を差し伸べてくるけど、フーガはそれを突っぱねる。

 そうだ。正義の味方はこんなことでいちいち立ち止まっていられない。

「――栄光はカザグルマの下に、だよな」

 おじいちゃんの地図に書いてあった言葉だ。
 フーガは確認するようにさっちゃんから返してもらった地図を見る。
 確かにそう書いてある。
 素直に考えるなら、ここにカザグルマの花があってその下に秘密基地の入口があるように思える。市民プールや清掃センターに比べたら、ずっとそのメッセージは、ここのことを指しているように思えた。
 何しろカザグルマの花は絶滅の恐れがある貴重な野草なのだ。そういうものを守るために秘密にされていた山ならば、少しも不自然ではない。

 とりあえずフーガとさっちゃんは二人で道に沿って森を歩いた。
 森の中はなんだか森の外より湿っている気がした。梅雨時だからだろうか。
 地面にはこの前に降った雨の水たまりがあちこちに残っていたし、遊歩道は一見綺麗だったけれど、歩いてみればフーガの靴はすぐに泥だらけになった。
 あちらこちらの木に『この木なんの木』と書かれたプレートがかかっていて、裏返すと木の種類が書かれていたり、テーブルと椅子のある広場があったり、公園としてきちんと整備されているのはすぐに分かった。

 いかにも秘密基地がありそうなウッソウとした森を期待していたフーガは少し肩透かしを食らった気分だった。
 奥に入ってみればそうでもないのだが、入口の方は結構人の家に近く、木も少ないこともあって丸見えだった。もちろん五十年前はそうではなかったのだろうけど。
 ものすごく広い、ということもなく、三十分もしないうちに終わりまで辿ることができた。
 でも、それは道が、という話で、広さで言えば、道になっていない部分は大きく、しかもその中からたった一輪の目当ての花を探すというのは、相当な苦労だろう。

 しかも、森の立札には、道以外の部分に立ち入りをセイゲンする言葉が書かれていた。
 話していた通り、貴重な植物が生えているからだということは、なんとなくわかる。
 そして、いくら正義の味方の秘密基地を探すためとは言え、森を荒らすという行いは、フーガ自身の正義感からは外れる行為だった。

 それに、日が暮れ始めていた。
 これからあっという間に夜が来るという時間に、子どもだけで森の中に入ろうとするのは自殺行為だ。

「今日はもう、帰ろう」

 さっちゃんが言った。
 フーガはその顔を恨めしげに振り返る。

「そんな顔してもダメだぞ。エックス山ってわかっただけでも一歩前進だろ」

 エックス山かどうかだって、秘密基地が見つかってみなくちゃわからないんだ。
 フーガはそう言おうと思ったけど、さっちゃんの言っていることはどう考えても正論で、しかも大人の考えだった。
 悔しいけど、認めざるを得ない。今日はもう、無理だ。
 フーガは言葉にはせず、ただ来た道を戻ることで意思を示した。
 さっちゃんは何も言わず、そのあとをついてきた。恋ヶ窪駅まで戻ってきて、ようやくフーガは口を開いた。

「今日は、ありがとう」

「ん。探検は、日曜日か? 予定立てて置くぞ」

 フーガももっぱらそのつもりだった。二人は次の日曜日、十時に武蔵小金井駅の前に集合して、もう一度エックス山を探検する計画を立てた。

「さっちゃん、今日のことは」

「おう、二人だけの秘密だからな」

 フーガが念を押そうとすると、さっちゃんはそれを察して先に応じてくれた。指切りをして、武蔵小金井駅でさっちゃんと別れた。
 空は随分暗くなっていて、フーガはお腹が空いていることに気づいた。
 家に帰ると、お母さんが頭に角を生やして待っていた。

「遅かったわね」

「ごめんなさい」

「どこに行ってたの?」

 お母さんは腕を組んで玄関の前に立ちふさがって、フーガを見下ろしていた。
 フーガは少し考えて、嘘をついてごまかそうかとも思ったけど、やめた。
 これから正義の味方になるというのに、いちいち小さなことで嘘をついたりしていたらダメだと思ったからだ。

 でも、だからといってお母さんに正直に言えるようなことでもなかった。
 内容もそうだし、そもそもおじいちゃんからは、誰にも知られてはいけないと言われていたのだ。
 さっちゃんには知られてしまったが、それはフカコウリョクというもので、とにかく既に一人、もう約束を破って知られてしまった以上は、これ以上秘密が漏れるのは避けなければならなかった。
 だから、フーガは何も答えなかった。

「答えなさい、フーガ」

 お母さんの怒りが急上昇していくのがわかった。
 それでもフーガは答えない。答えられない事情があった。
 お母さんの言葉を借りて言うなら、優先順位が、フーガにとっては、おじいちゃんの秘密を守ることが一番で、お母さんにとっていい子でいることは、それほど重要ではない。
 お母さんはフーガがいい子であればいい子であるほど喜ぶのだろうけど。フーガはお母さんを喜ばせるために生まれたわけじゃない。
 もっとずっと大事な、やるべきことがある。
 そして今、それはおじいちゃんの秘密に関わること、つまり、地図の謎を解き明かすことに思えた。

「私が頼んだんだよ」

 後ろからエプロンをつけたお姉ちゃんが声をかけてきた。

「この前おじさんと釣りに行った時、おじさんのお気に入りのルアー間違えてもって帰ってきちゃったから、フーガに届けに行ってもらってたんだよ。そうだよね、フーガ」

 お姉ちゃんはお母さんを通り越して、冷静なメガネの下からフーガの目をじっと見ながら、口からでまかせを言った。
 かばってくれているんだ、とこれまでのフーガだったら思っただろう。
 でも、おじいちゃんが正義の味方で、お姉ちゃんが悪の手先かもしれないということを知っているフーガにとっては、そのお姉ちゃんの嘘は、何か疑わしいものに見えた。

 これは、罠に違いない。

 フーガはお姉ちゃんの言葉にやはり返事をしなかった。

「ほら、もうご飯にしようよ。それとも、フーガと一緒にそこで、ご飯が冷めてカピカピになるまで意地の張り合いを続けるつもり?」

 お姉ちゃんがそう言うと、お母さんは仕方ない、というように、入りなさい、とフーガに道を開けた。

「靴を揃える!」

 何気なく上がろうとしたフーガにお母さんがこれみよがしに怒鳴る。
 フーガは慌てて靴を揃えて、手を洗ってうがいをし、お母さんと、お姉ちゃんと、ソナタの四人でご飯を食べた。

 今日のごはんはお姉ちゃんの酢豚だった。
 酢豚のもとなんてお姉ちゃんは使わない。生姜焼きだってタレを自分でつくるし、フレンチトーストは前日から用意を始める。
 お母さんは仕事で疲れているからかもしれないけど、そういう時は絶対レトルトに頼るし、そもそも手間のかかるものをあんまり作りたがらない。
 だからフーガはお母さんのご飯より、お姉ちゃんのご飯の方が美味しいと思っていたし、実際今日のご飯も凄く美味しかった。

 でも、今考えてみると、手作りで作っているということは、それだけお姉ちゃんの料理には、お姉ちゃんが組織で作った薬や特殊なチップを入れる隙が多いということだ。
 フーガは細心の注意を払いながら、一口一口をしっかり確かめて、もし何かおかしいことに気が付いたら、即座に吐き出すつもりで、ご飯を食べた。するといつの間にかみんな先に食べ終えていて、フーガ一人だけ、やたらと時間がかかってしまった。
 あと片付けはフーガの仕事だった。みんなの食器を洗って、流しをきれいにする。そのあとフーガはお風呂に入って、自分の部屋に戻った。

 子ども部屋は、今はまだお姉ちゃんと共用で、お姉ちゃんは自分の机に向かって勉強していた。
 お姉ちゃんが高校生になって、フーガが中学生になって、ソナタが小学生になれば、この部屋はフーガとソナタで兼用になって、お姉ちゃんには一人部屋が与えられる予定だった。
 どうして今、この時点で共用なんだろう、とフーガは少し不満に思う。
 悪の組織のお姉ちゃんと一対一というのは、少し分が悪い。
 フーガはそんなことを思いながらお姉ちゃんを見張るように視界の端に入れつつ、そそくさと、何食わぬ顔で自分も勉強机に向かう。

「今日、どうして遅くなったの?」

 お姉ちゃんはノートにきれいな字を書きながら、フーガの方を見ないで言った。
 フーガはどきりとした。やっぱりと思った。そら来たと思った。

「お姉ちゃんに頼まれて、おじさんにルアー返しに行ってたはずだけど」

 フーガはまずケンセイにお姉ちゃんがお母さんについた嘘をそのまま返した。

「じゃあおじさんにフーガがルアーちゃんと返せたか連絡してみようか」

 お姉ちゃんはフーガの方に目もくれず平然と言う。
 それはまずい。なるべくおじさんにはこちらの動きを知られたくない。
 流石にお姉ちゃんはフーガの一番嫌がることを押さえている。

「どうしてそんなこと聞くの?」

「フーガ、この頃様子おかしいから」

 やっぱり、お姉ちゃんは――。

「おじいちゃんが死んだあとくらいから、何か変なんだよね。いちいち私のことじっと見てたりするし、机やランドセルに何か隠してるみたいだし。最初はおじいちゃんが死んで、心の整理がついてないから変なことしてるのかと思ったけど、何か違うね。フーガ、もしかしておじいちゃんから、何かもらってるんじゃないの」

 間違いない。お姉ちゃんはやっぱり悪の手先なんだ。だからおじいちゃんがフーガに託したものを、横取りしようとしているんだ。

 フーガの目に、確信の色が宿る。

 お姉ちゃんは――敵だ。

「何を隠してるわけ。もしかして、お金か何か?」

「お姉ちゃんは、知らなくていいことだよ!」

 フーガは大きな声で言った。

「やっぱり何かもらってるんだ」

 フーガはしまったと思った。本日二度目の誘導尋問だ。

「関係ないでしょ!」

 フーガは更に怒鳴る。するとドアを強くたたく音がした。

「喧嘩はやめなさい。静かにして」

 お母さんが叱って、一旦はフーガもお姉ちゃんもお互いに口を閉ざした。
 お姉ちゃんの何かを探るような視線と、フーガの拒絶の眼差しがぶつかる。
 先に視線を逸らしたのはお姉ちゃんだった。

「フーガが言わないなら、私も聞かないよ。そのうちわかることだろうしね」

 それきり、お姉ちゃんは話しかけてくることはなかった。
 フーガはいつお姉ちゃんが悪の手先としての本性を現してくるか、気が気ではなかったが、寝て起きてみれば、結局いつもどおりの朝だった。

 フーガは枕カバーの内側にしまいこんであったおじいちゃんの地図を確かめて、きちんと折りたたまれて、枕の下に入れた時と同じように入っているのを確認して安心する。
 部屋に既にお姉ちゃんの姿はなく、居間に行くと、台所で部屋着の上にエプロンを着たお姉ちゃんがご飯を作っていて、お母さんは洗濯物を干し、お父さんはベランダの花に水をくれている。ソナタは朝の教育テレビに夢中だ。
 それでも、フーガの中には、はっきりとした思いが宿っていた。
 この家に、味方はいない。そして、フーガは、一刻も早く、おじいちゃんの遺したものを見つけなければならない。

地図の示す場所 2

ふせいぎふーが

「はい、小金井西小学校のみなさん、こんにちは。私は国分寺市清掃センターの風見です。そう、みなさんのお友達にフーガ君がいるよね。私、彼のおじさんだから」

 案内を務めるのはよりによってサトルおじさんだった。

 フーガは妙な紹介をされて、みんなの視線を集めて、すごく恥ずかしくなった。
 おじさんはそんなフーガを見て、申し訳なさそうに笑った。

「あれか、お前のおじさん」

 隣にいたさっちゃんが小声でフーガの耳に囁いた。
 フーガは無言で頷く。

「あんまりフーガに似てないな。怖くなさそうだし、いい人っぽい」

 確かにさっちゃんの言うとおり、清掃センターの制服を着たおじさんは、悪人には見えない。気の弱そうな、年齢不詳の痩せた男だ。

 でも――これは、嘘だ。

 おじさんの今の言葉の本当の意味は、フーガのことを監視しているから、少しでも不審な動きをしたら即座に始末する、という意味に違いない。

 くそ、目をごまかして、この清掃センターの秘密を探るつもりだったのに。釘を刺された。

 フーガたちは二組に分かれて清掃センターの中を案内された。
 フーガたちの案内に付けられたのは佐伯サエキと名乗る、随分若い、なんていうか、すごく綺麗な女の人だった。茶色く染めた長いふわふわした髪の毛を後ろでひとつにまとめて、その上に制服のキャップをかぶって、それがなんだか頼もしさと可愛さを感じさせる。猫を思わせる柔らかい笑顔を浮かべていて、頼み事なんかされたら断ることが悪だと思ってしまうような女性だった。

 フーガは見とれていた自分に気づいて、いけない、と我に返る。

 ここは悪の組織なのだ。だとすれば、あの人もやっぱり組織の一員なんだろうか。いや、きっとこの組織の実態を知っているのはおじさんをはじめとする少数の幹部だけで、他の人たちは自分たちが何をしているのか知らされていない一般人なのだ。このサエキさんも、何も知らずにここで働いているに違いない。そうでなければ、人質を取られて無理やり働かされているのではないか。

「えっとー、ここがゴミピットです。街中をゴミ収集車でかき回って集めた燃えるゴミははあのプラットホームからトラックで全部ここに落とされるんです。それでー、あれがゴミクレーンで、あれでゴミをかき混ぜながら釣り上げて焼却炉に落とします。まあクレーンゲームみたいなものですねぇ」

 サエキさんの間延びした言葉遣いはわざとらしかったけれど、笑顔と合わさると本当に可愛く見える。
 横に立つフーガのクラスの先生は多分同じ年くらいだし、同じ女性だったけど、どう見ても違う存在だった。

 フーガはサエキさんの説明を受けて目の前に空いた大きな空洞と、そこにひしめくゴミの山を見た。絶え間なく動いて、その山からたくさんのゴミを一掴みで焼却炉へと運んでいく巨大なクレーン。それでもゴミの山は少しも減っていかない。

 もしかしたらこの中には、悪の組織の秘密を暴こうとして、闇に葬られた正義に殉じた人たちの死体が隠されているのではないか。人でも物でも、ここに落とされてしまえば、そこから何かを探し出すのは簡単ではない。探す前に燃やされて完全にインメツされてしまう。どんな証拠も、なかったことにされてしまう。

「はーい、しつもーん。もしここに人が落ちたらどうなるんですか」

 さっちゃんだった。まるでフーガの心を見透かしたような質問で、フーガは少しどきりとする。先生がまずそうな顔をしたが、サエキさんはふんわりとした笑顔で、軍手をはめた手で、頭を少しかいて、いい質問です、と答えた。

「えーっと、実は、こういう清掃関連業務では死亡事故が結構起きてるんです。ゴミピットに落ちるっていうのはあんまりないですけどぉ、内部の点検作業中にはしごを踏み外して落ちるとか、人が乗ってる時にコンベアを運転させて粉砕機に巻き込まれるとかぁ、しかも、実は、こういう仕事だから、職員が力を合わせれば、それを隠蔽することもできるんです。何せ、燃やしちゃえばー、死体は残りませんから」

 サエキさんは余りにも軽々と笑顔を崩さず言った。

 フーガたちはその発言に一瞬ざわつく。先生はアワアワした顔をしているが、フーガはもしかしてこの人は、フーガに何かメッセージを送っているのではないか、と思った。
 今まさに自分がそんなふうに殺されかけている寸前で、存在を抹消されそうになっているから、誰でもいいから気づいて助けてくれ、と。

 サエキさんは続ける。

「実際今は、えー、そういうことが置きやすい管理体制になってるんです。この清掃センターも、いくつかの業務を外部に委託していて、その外部委託先ではさらに社員を派遣で雇っているところもあります。経験の浅い作業員が安全ベルトの着用を徹底できなかったり、それぞれの連携がスムーズに行かなくて、結果として死亡事故に至るケースは、まー、この仕事ばっかりじゃないと思うんですけどぉ」

 サエキさんは先生の方をちらりと見て言う。

 先生は居心地悪そうに視線を逸らすばかりで、話題を変えることもできずにオロオロするだけだった。

「基本的に普通のやり方をしている限り、ゴミピットに人が落ちることは考えられません。トラックをプラットホームに停めてゴミを落とす際にも、そこに人が巻き込まれるような動きはありませんし。全ての工程は中央制御室でコントロールされていて、焼却炉は二十四時間体制で稼働し続けていますから、まずそこに人が入るなんていうことはありえないことです。あるとすれば年に二回、もうじきある点検、修繕作業の前後、この時には焼却炉を停めて、中に人が入ります。作業員も外部からやってきますから、実際危険なのはそういう時の気の緩みです。やっぱり特別な日っていうのは怖いですねぇ」

 サエキさんの言い方は他人事みたいだったけど、言っていることは到底小学校の社会見学の子どもの質問への答えとしては物騒極まりなかった。フーガはそこに、何か特別なものを感じる。
 サエキさんはさらに続ける。

「普段稼働してる最中は内部に通じる扉は全部ロックがかかりますから、えー、稼働中に内部に入れるのはこのゴミピットに落っこちるかぁ、あとは焼却炉内につながる換気ダクトを通るしかありませんけど、稼働中のピットに落ちるなんて、落とされでもしない限りないことですし、外部に通じている換気ダクトは基本的に金網で封じてあるから、よっぽどのことがない限りそこから人が入るなんてことは考えにくいですけどね。だから通常業務よりは、こういう特別なことがある日っていうのがぁ、そのー、一番危ないんです。君みたいな子が妙な気を起こしてゴミピットに入ってみようとか思ったり、外から人呼んで点検作業中にうっかり、みたいな話ばっかりなんです、はい」

「そ、そうだね、こういう時がやっぱり一番危ないんだって! 朔助君、こういうの見るとウキウキしちゃう気持ちはわかるけど、みんなちゃんと安全に職員の方の言うことを聞いて、気をつけて見学しようね」

 サエキさんの言葉にようやく活路を見出した先生は、この話題から早く離れたいと言わんばかりの強引さで、話を無理やりまとめた。
 素直なみんなはハーイとか返事をしているけど、フーガは返事もせず、相変わらず愛想を振りまくサエキさんの笑顔を遠巻きに見ていた。
 その笑顔は作り物なんじゃないか。裏側に涙を隠しているんじゃないか。

「だってさ、フーガ」

 名前を呼ばれて、フーガはびっくりする。さっちゃんがいたずらっ子の顔でフーガを小突く。

「あのおばさん、可愛くて優しそうに見えるけど、多分実はすっげえ性格悪いぞ」

 そういうことじゃないだろ。さっちゃんの言葉にフーガは脱力する。

「変な気起こすなよ。あの人、すごくこっちのことケイカイしてる」

 続けてさっちゃんは真剣な目つきで言った。
 本当にこういう時のさっちゃんの勘の鋭さと、頭の回転の速さと言ったらない。
 こっそりトイレに行くふりでもして、組織の秘密を暴こうと思っていたのに。

「べ、別にボク、ここが悪の組織だなんて言ってないし!」

 フーガは思わず周りに聞こえるような大声で言ってしまった。
 しまったと思うがあとの祭りだった。ぽかんとしたさっちゃんの顔。
 それからみんなが大笑いし出す。

「またフーガの悪の組織だ」
「正義の味方ごっこなんてよく懲りないよな」
「あと二年もしたら中学生なのにね」

 みんなのバカにした笑顔に取り囲まれて、フーガはその場から消えてしまいたかった。
 他の人は誰もわかってくれない。誰もまともに取り合ってくれない。
 おじいちゃんだけだ。おじいちゃんだけが、フーガの夢をわかって、応援してくれた。

 結局それから周りのみんながずっと、チラチラとフーガのことを見張っていたので、清掃センターの中をくまなく見ても、悪の組織らしい一面は見いだせなかった。
 むしろ、ゴミを処分するのは社会に役立つことだし、そのエネルギーを利用して、隣にあるプールや、施設のお風呂を温めているのだから、それは間違いなくいいことをしているに違いなかった。
 窓から見える高い高い煙突は、ダイオキシンを含んだ煙を出さないようになっているらしく、正しくそれは人と環境にやさしい正義の組織としか言いようがない。

 でもフーガは騙されない。

 悪の組織はそうやって社会の構造と癒着することによって、人々を堕落させ、世界を支配するのだ。この清掃センターは国分寺市にとっては、なくてはならないものだ。  
 それはそれだけ悪の組織が、世間に入り込んでいることを示している。世界は悪の手に落ちかけている。一刻も早く、救わなくてはならない。

 フーガはすぐにでも、おじいちゃんの地図の場所を、見つけなければならないのだ。

 次の日、おじいちゃんの命日から八日が経った木曜日、フーガはようやく、今日こそは行けそうだ、という日に巡りあった。

 梅雨の真っ只中なのにカラリと晴れていたし、さっちゃんは今日剣道のお稽古で、遊びの予定も入っていない。お父さんやお母さんから特別頼まれていることもなかったし、お葬式も終わっている。

 絶好の日だった。

 フーガは学校から帰ると、ランドセルを置き、大急ぎで宿題を終わらせて、地図を広げて、リュックサックにおじいちゃんの手作りの変身ベルトを入れて、武蔵小金井駅を目指した。
 正義の味方の秘密基地があれば、きっとこの変身ベルトは何らかの合図になってフーガが正義の味方であることを証明してくれるはずだ。

 フーガはもう一度、国分寺に行ってみることにしたのだ。
 学校の行事で見張っている先生や、バカにしてくるみんなや、さっちゃんがいない時に、一人きりで街を探せば、何かわかるかもしれない。

 まずは中央本線に乗って武蔵小金井駅から国分寺駅へ。
 国分寺駅から国分寺線に乗って恋ヶ窪へ。
 乗り換えは一つで、お金は三百円とかからないし、時間にすれば十分もしない。すぐ近くだ。
 電車に乗ってしまえば、目的地に思いを馳せる間もないくらいあっという間に、恋ヶ窪にたどり着いてしまった。

 駅の前には日本で四つしかない恋の字が入る駅という看板が掲げてあった。
 とりあえずフーガは、近くの植え込みの縁に座って地図を広げる。

 結局、この地図が示している場所にあるのは、清掃センターか市民プールくらいだ。
 あとは大体この辺り一帯が雑木林でしかない。

 おじいちゃんの地図ではそもそも清掃センターも市民プールも建つ前で、何もない。
 やっぱりフーガは清掃センターが怪しいと思っている。何しろおじさんが勤めている先だし、その親であるおじいちゃんがこうしてフーガに地図を遺しているのだ。
 無関係ではないはずだ、とは思うものの単身その敵の本拠地に乗り込むというのはいささか腰が引けてしまう。
 それこそおじさんの思うツボで、ここぞとばかりにフーガが一人でやってくるのを待ち構えていて、なす術もなく捕らわれて、そのまま改造されて洗脳されて、悪の組織の一員にされてしまう恐れもある。

 フーガはまんじりとした思いで地図を広げてウンウン唸る。
 フーガは頭をガリガリとかいた。来てみたはいいけど、結局何もわからない。
 地図に描かれているものと、あまりに景色が変わりすぎている。
 フーガは地図をじろりと睨む。そうしたところで新しい発見があるわけでも、何か隠れたメッセージが浮かび上がるわけでもない。

「よう、フーガ!」

 だから突然後ろから声をかけられた時、フーガは驚きのあまり叫んでしまったし、地図を手から落としてしまった。

「何びっくりしてんだよ、何だそれ?」

 声をかけてきたのはさっちゃんだった。
 肩に剣道の竹刀を背負って、半袖半ズボンでそのたくましい体を晒している。いがぐり頭がやや湿っているということは、きっと習っている剣道の道場からの帰りなのだろう。 
 そういえば恋ヶ窪の方にあるとか言ってたっけ。
 そんなことが矢継ぎ早にフーガの頭をかすめていくが、それよりもさっちゃんはフーガが落とした地図をいつの間にか拾って、手に取って見ていた。

「だ、ダメだよさっちゃん、それ返して」

 フーガが取り返そうと手を伸ばすがさっちゃんは地図を上に掲げて、自分は見上げるようにしてそれを眺める。
 さっちゃんの方が背が高いから、手を伸ばされるとフーガの手はそれに届かない。

「これ、何だ?」

「言う必要ないでしょ、返して!」

「大事なものか?」

「どうでもいいでしょ!」

「なんでこんなところにいるんだよ。一人できたのか?」

「関係ないって言ってるだろ!」

 フーガが声を荒らげてそう言うと、さっちゃんはにやりと笑ってふぅんと言った。

「宝の地図か何かだな」

 ぎくりとした。

「ち、違うよ、な、何言ってんだよ」

「図星だな。そういえば、この前じいちゃんのお葬式だったな」

 さっちゃんの中で、きっとその考えははっきりした形を持つものになっていっていた。
 その考えというのはつまり、あのさっちゃんとの遊びがダメになった日が、おじいちゃんの命日で、あの日おじいちゃんちに行ったフーガが、そこでこの地図を貰い、そこに示された何かを探しに、フーガが今日、恋ヶ窪にやってきたという、ズバリその通りの考えだ。
 さっちゃんはこういう時だけすごく勘がいい。

「そしてお前は今困っている。地図に描かれている場所がわかんないからだ」

 それも図星だった。
 フーガは何もかも見透かされて不機嫌になりながら、もう一度小さな声で、返してと言った。多分返してはくれないだろうが。

「返して『も』いい」

「『も』って何?」

「その宝探し、オレにも手伝わせろ」

「はぁ? ダメに決まってるでしょ!」

「ってことは、宝探しは宝探しなんだ。で、やっぱり場所がわかんなくて困ってるんだな」

 フーガはあ、と声を上げる。しまった。誘導尋問だ。さっちゃんはやっぱりこういう時だけ、すごく頭の回転が早い。

「オレは、この場所がどこだかわかる」

「嘘だよ。絶対嘘。適当なこと言わないでよ!」

 口からでまかせに決まっている。フーガでさえ、もう一週間以上悩んでいるのに。

「オレが嘘言ったことあるか?」

 それはなかった。
 即答で断言できる。
 小学校で友達になってから、五年間。さっちゃんは少なくともフーガの前では一度も嘘をついたことはなかった。
 一年生のころ、掃除の時間に雑巾を投げて窓ガラスを割った時も、三年生になって、学校の桜の木に登って太い枝ごと折れて落っこちた時も、先生に叱られて、尊敬していたおじいちゃんに怒られても、さっちゃんは嘘はつかず、正直を貫き通した。
 目撃者がフーガだけで、フーガと口裏を合わせればごまかせるような時でさえも、さっちゃんは決してそうしなかった。
 さっちゃんは嘘はつかない。それは信じられることだった。そして今は、一人でも多くの知恵が欲しいことも。

「……本当にわかるの?」

 フーガは疑うような目つきでさっちゃんを見つめながら言う。さっちゃんは任せろ、と自分の胸を叩いた。

「で、お宝っていうのは、何なんだよ」

 フーガはため息をついて、おじいちゃんがフーガに託したその地図の経緯を話した。

「ってことは、フーガのじいちゃんは、正義の味方で、やっぱりあのおじさんって人は悪の組織の幹部で、この五十年前の地図が示す場所には正義の味方の秘密基地に繋がる入口か何かがあって、そこを見つけ出せたらフーガはじいちゃんと同じ、正義の味方になるってことか?」

「うん」

「ばっかじゃねーの」

 さっちゃんが心底呆れて、見下したような声で言うから、流石にフーガも頭にきた。

「もういいよ! ふんだ! その地図はもう、ずっと見てたから、頭の中にちゃんと入ってるから! その地図はさっちゃんにあげるよ! もう知らない! 絶交する!」

 フーガは顔を真っ赤にして大声で言い、歩き出す。そして知らない方へ一人でずんずん進んでいく。
 慌ててさっちゃんが追いかけてくる。

「あー、悪かった。ごめん。フーガ、じいちゃん死んだばっかりだもんな。バカにするみたいなこと言って悪かったよ。謝るから、この通り」

 さっちゃんは駆け足でフーガの横に並びながら両手を顔の前で合わせて頭を下げる。
 フーガは無視を決め込んでいた。

「腹減ってるだろ、おにぎりあるぞ、ジュースも飲むか? おごってやるよ、ほら、な? 機嫌なおせよ、いい子だから」

 すっかり子ども扱いの言い方に、フーガはますます腹を立てた。
 背が少し高いからって、自分の方が大人みたいな顔して。生まれたのはフーガの方が二ヶ月も早いのに。
 さっちゃんは怒ったままのフーガに呆れたようにため息をついた。

「エックス山だ」

 さっちゃんが立ち止まって言った。フーガは三歩歩いて、足を止める。

「その×マークが示してるのは、エックス山だ。×じゃないんだ。英語のXなんだ」

 フーガは振り返った。さっちゃんはやっぱりニヤリと笑っている。

「何、エックス山って」

「言ったろ、わかるって。そこ、エックス山だよ。絶対。その地図の辺りにあってエックスって言ったら、エックス山だよ」

 さっちゃんは自信満々に言う。
 フーガはその確信めいた様子がなんだか気に食わない。
 自分がずっと悩んでいたものを、ついさっき地図を見たばっかりのさっちゃんが解き明かしたというのがむしゃくしゃする。
 それでも、何も手がかりがないよりは、さっちゃんの知恵に頼るのが、一つ前進なのは間違いなかった。エックス山というのも、ちゃんと聞いておきたい。

「その近くにそう呼ばれてる山があるんだよ。山っていうか、森っていうか、林っていうか。ほら、市民プールの近くだし、あそこにある清掃センター、フーガのおじさんが勤めてるところだろ、昨日社会見学行ったところ」

 それはとっくにわかっている。でも、エックス山というのはフーガは知らなかった。

「今は公園だけどな、そこ、本当は昔、地図に描いてない場所だったんだよ。確か、天然の貴重な植物がたくさん生えてて、それを盗んでいく人に荒らされないようにするために。道がエックスに交差してるからとか言われてるけど、本当は秘密のエックスなんだよ。その地図、五十年くらい前に描かれたって言ったよな。ならその頃、エックス山は、まだ秘密の場所だったはずだ」

 フーガは心臓がどくんと高鳴るその音を聞いた。

 小走りにさっちゃんの元に駆け寄る。

「今は公園みたいになって、保護団体の人が手入れしてるみたいだけど、それだって多分隅から隅までやってるわけじゃない。きっとどっかに秘密基地の入口があるんだ。いや、その保護団体の人っていうのが、実は正義の味方の組織の人だったりして」

「そのエックス山はどこにあるの?」

「絶交はどうした?」

 さっちゃんが意地の悪い笑顔で言う。
 フーガは手を差し出す。仲直りの握手だ。

「悪かったよ」

「いいよ。で、そのエックス山って?」

「こっちだ」

 さっちゃんは走り出した。フーガもそれについていく。

地図の示す場所 1

ふせいぎふーが

二 地図の示す場所

 それから慌ただしい日々が続いた。

 お通夜やらお葬式やら、おじいちゃんの遺品の整理やら、とにかく大人たちはすごく忙しそうにしていたし、それはフーガたち子どもも、それに巻き込まれる形で大変になった。  

 おじいちゃんの遺品には正義の味方の重要な武器や道具があるかもしれないから、フーガはそれを確かめたかったし、悪の組織の幹部であるおじさんにそれを行わせるなんて絶対に反対だったのだが、お父さんやお母さんにそのことを告げられるはずもなく、当たり障りのないおじいちゃんの洋服とか、小物とか、バッグとか、そんなものの片付けに駆り出されるくらいで、おじいちゃんの真の顔に迫れるようなことは少しもなくて、ただ忙しくて、労力のいる時間だけが過ぎていった。

 お母さんもお父さんもしばらく家に帰る時間が遅い日が続いて、フーガたちは親の分も含めて夕ご飯は自分で作らなければならなくなった。

 フーガは料理なんてしたことなかったが、お姉ちゃんがご飯を作り出す前に、自分からカレーを作ったり、肉じゃがを作ったり、サラダを作ったりした。普段ご飯を作るのはお姉ちゃんだし、フーガ自身任せきっているところはあったから、これにはお姉ちゃんを含めお父さんもお母さんもびっくりしていた。
 お姉ちゃんはサトルおじさんに連れられて、よく釣りに行く。釣れた魚を持って帰ってきて、自分で捌いて、フーガたちにご馳走してくれることもよくあったから、料理が上手だった。

――きっとお姉ちゃんはそこで、悪の組織のアジトに連れて行かれて、戦闘員であり、スパイとしてのトクベツな訓練を受けているに違いない。

 テレビの特撮ヒーローもの特有の下っ端戦闘員が着る真っ黒な全身タイツみたいなぴっちりした服を着込んで、組織への忠誠の誓いのポーズとかを取らされているのだ。
 おじさんは集めたお姉ちゃん達のような戦闘員を他の上級戦闘員と組み手の訓練なんかをさせながら企むような目つきで見つめている。多分見るからに怪しい仮面なんかをつけて、悪役としての正体を晒しているはずだ。そう言えばおじさんが年齢不詳なのは、実はおじさんが怪人で不老不死の肉体を持っているからではないだろうか。
 いつもお姉ちゃんが釣りに持っていく長いバッグだって、実は中に人を操る電波を発生させる機械が仕込まれていて、フーガが知らなかっただけで、これまでもずっと、誰も知らないところで正義の味方と悪の組織の対決が行われていたのかもしれない。

 フーガはこれまでそれを怪しいと思わなかったことが悔しくてたまらなかった。もしそこで気づいていれば、フーガはもっと早くに正義の味方になれたはずなのに。そして、お姉ちゃんを洗脳させられることなく、守ることができたかもしれないのに――。

 フーガは無念のほぞを噛む思いだった。

 おじいちゃんの遺言があってからこちら、フーガの中にはサトルおじさんを中心とした悪の組織があって、おじいちゃんはそれと戦っていた正義の味方だったという想像がすっかり形を持っていた。
 だから、その手先として洗脳されてしまっているお姉ちゃんは、フーガにとって要注意人物になっていたし、その行動には敏感に目を光らせていた。

 フーガが率先して料理を手伝ったのはそうした背景があった。お姉ちゃん一人に任せていたら、気づかないうちにお姉ちゃんが組織で開発した薬を使って、フーガを催眠術にかけ、おじいちゃんの秘密の地図を渡させてしまうかもしれないし、そのままフーガも悪の組織の一員に洗脳されてしまうかもしれない。

 しかし、とりあえずフーガが見張っている限り、お姉ちゃんにそうした怪しい動きは見られなかった。料理に手を出してくることもなかったし、作ったものはおいしいと言って、残さずに食べてくれた。
 流石にフーガが慕っていただけはあって、下手なことはしない。敵ながらアッパレだ、とフーガは聞きかじったセリフを頭で唱える。

 お父さんやお母さんが忙しくしている間、フーガは一刻も早く地図の場所に行きたいのはやまやまだったが、それ以上におじいちゃんとの別れのための儀式で、フーガ自身も参加しなければならないことが多かったために、なかなか自由な時間が取れなかった。

 だが、フーガはその間、何もせず、ただ悠長に時間を過ごしていたわけではない。

 誰もいない時を見計らって、居間のパソコンで、しきりに恋ヶ窪周辺の地図を検索していた。部屋でスマホを使った方が誰にも見られる危険がなかったが、特に建物や目印があるわけでもない、過去の恋ヶ窪の地図である、ということだけがヒントだったこともあり、できるだけ大きな画面で地図を調べるためにはしょうがなかった。

 おじいちゃんは、地図は昔のものだから、今とは違うと言っていた。そして、五十年近く前の国分寺の恋ヶ窪周辺の地図と言っていた。フーガは五十年も前の東京の国分寺の街並みなんて想像もつかない。一九六〇年代くらいだろうか。その時代に何があったか、フーガはこれといってよく知らない。第二次世界大戦が終わったのは一九四五年だから、多分いかにも戦後で焼け野原、ということはなかったんだと思う。東京タワーが建ったのが五八年で、東京オリンピックが行われたのが六四年だと、確か最近の授業で習った。だからおそらく、なんというか、戦後からの復興、みたいなものにこの国全体で燃えていた時代なんだと思う。

 確か高度経済成長期、というのがあって、それはこの頃から始まったのではなかったか。そして、ウルトラマンが最初にテレビでやったのもこの頃らしい。やっぱり、日本が発展する中で、それを妨害しようと暗躍する悪の組織があって、おじいちゃんはそれと戦っていた正義の味方だったのではないか。

 パソコンでその頃の時代背景を調べれば調べるほど、フーガは自分の思い込みがより一層強いものになっていくのを感じていた。

 フーガは居間のパソコンの前で、地図を広げる。

 東京都、国分寺市、恋ヶ窪。フーガは国分寺の病院で生まれ、今はその隣の小金井市に住んでいる。
 東京都は二十三区に指定されている都心と、それ以外の多摩地域で全く顔が違う。フーガが住んでいる小金井市、おじいちゃんの家がある国分寺市、あとは大きいところで言えばその下の府中市なんかは、多摩地域の中でもかつては北多摩郡として分類されていた場所だ。

 正直なところ、この多摩地域というのは東京という言葉の持つ特別感から、かけ離れているとフーガは思う。
 埼玉でも神奈川でも千葉でも、どこでも同じくらいの街だ。    

 フーガがインターネットで交流がある同じくらいの年の相手に、東京に住んでいる、というとそこそこ驚いてもらえるのだが、小金井、とか国分寺、と言ってもまるでピンと来ないような反応しか返ってこない。
 それにフーガは小金井や国分寺が、どういう場所かと聞かれて、こういう場所だよ、と答えて、ああわかる、と納得してもらえるような説明を思いつかない。一言で伝えられる街の色に乏しい地域だと思う。
 東京都心に比べるとそれほどビルが林立している大都市ではないし、かと言って田舎と表現すれば、絶対に田舎ではない。

 人が住むには、ちょうどいい街だ。都心が働く街なら、その周辺にある多摩地域のこのあたりは、正しく人が暮らす場所だった。仕事場に行けて、少しだけその活力の中心から離れたところにある、やや緩やかな場所。
 有名な学校もたくさんあったし、電車もバスもたくさん通っているから、小学生のフーガでも、かなり簡単にいろんな所に行ける。
 落ち着いた街、というのが一番しっくりくるだろうか。
 名前に寺なんてすごく落ち着いた字があるせいかもしれないけれど、実際国分寺の持っている雰囲気は、静けさとか、穏やかと言えるものだった。

 もっと言うなら、なんというか、地味だ。東京都心は、何だかんだで毎年大事件の舞台になってでもいるように恐ろしいことも起こる。武蔵野あたりまでは、その東京という言葉が持つ怖い事件の雰囲気をまとっている。
 小金井を越えたあたりから、なんとなくその空気が薄れて、安心な街、という落ち着いた空気になる気がする。
 これこそ国分寺! と言えるようなものはピンと来ないし、正義の味方の組織の拠点がある場所としても、何となく場違いな感じはしないでもないのだが、だからこそ案外、ということもありえる気もする。

 おじいちゃんの地図では、辺りは山ばかりで、建物らしい建物もないようで、ただ、真ん中に位置を示す×が描かれているだけだった。
 唯一指標になりそうなのは、地図の上で交わる四本の線路と思われる白黒のしましまの線とそこに描かれた駅と思われる四角の記号だけだ。
 不親切に駅名は書いてなかったが、その線路は、特徴的な二つの直角三角形を描くように交わっていた。×の印は、四本の線路がつくる二つの三角形からさほど離れていない。   
まるで背比べをするきょうだいのように、背中合わせに並ぶ三角形。
 ちょうどかかとの位置に当たるのが、地図を見る限りでは、多分、西国分寺駅で、この三角形に交わっているのは中央本線、武蔵野線、西武国分寺線の線路だ。
 パソコンの画面に表示されているその地図と見比べてみても、すごくよく似ている。高い方の三角形が底辺は一キロ、縦は一キロ三百メートル、斜辺が一キロ五百メートルくらいのそんなに広くない範囲だ。
 そして、×の印は、その高い三角形の外側に、縦の辺のちょうど真ん中辺りから、二百メートルくらい離れた場所にある。

 今の地図で見れば、そこにあるのはフーガが夏になるとたまにさっちゃんと一緒に行く市民プールくらいなのだが。

 おじいちゃんは、これは五十年前の地図だと言っていた。市民プールは五十年前にはきっとそこにはなかったはずだ。だとすれば、これはもっと別のものを示しているに違いない。

 そして、地図を調べていくうちに、フーガは気になるものを見つけた。

 市民プールの横にある建物である。それは国分寺市の清掃センターだった。
 清掃センターは確かサトルおじさんの働いている場所だった。あの悪の組織の幹部のサトルおじさんの。
 おじいちゃんが示しているのは、もしかしたら正義の味方の基地ではなくて、悪の組織のアジトなのかもしれない、とフーガは思った。

 もちろん、この地図が描かれた当初は清掃センターもなかったはずである。
 ということは、おじいちゃんたちの正義の組織にとって大切なものがあった場所に、おじさんたちの悪の組織が清掃センターとしてアジトを建ててしまったということなのではないか。
 そして、それを燃やしてくれということは、フーガにそのアジトの壊滅を任せたということなのではないか。
 それこそが正義の味方に至るための試練で、それを果たせた暁には、フーガは立派に正義の味方として、組織に迎え入れられるのでは。

――あり得る。

 おじいちゃんは最後にフーガに助けを求めたのだ。それはきっと、自分が果たせなかった悪の組織の拠点を潰して、世界の平和を守ってくれるね、という意味だったのではないか。

 だとすれば、フーガのすべきことは、清掃センターに潜入して、そこを破壊すること。
 フーガは少し考えて、それはどうにもまずいことのように思えた。
 清掃センターがなくなれば、少なからず国分寺に住んでいる人たちは困るだろう。
 それにどうにも犯罪行為のようにしか思えなくて、正義の味方のすることじゃない気がする。
 フーガはもう一度、地図を見た。地図には場所を示す暗号のような文章が書かれていた。

『栄光はカザグルマの下に』

 カザグルマとはおじいちゃんの家にあった鉢植えの花だ。

 それはおじいちゃんがフーガに作ってくれた正義の味方のトレードマークだった。
 八枚の羽根を持つ一つの汚れもない真っ白な正義の花。正義の味方の風車は風を受けて回るのではない。自らが回転し正義の風を吹かせるものだ。悪がたまった人の心に正義の息吹を吹き込んで、勇気の炎を燃え立たせる風を起こす風車。
 いかにもお宝がありそうな文句なのだが具体的なことは何一つわからない。
 この地図が示すあたりにカザグルマの花があるのだろうか。
 こういう時こそ、お姉ちゃんの力を借りたいところだったが、そのお姉ちゃんが悪の手先とわかった今は、それはないものねだりというものだった。

 何かきっかけを探しながら、何もできない日々が続いていた。
 いっそのこと恋ヶ窪に行ってみようかなどと考えていた頃。おじいちゃんが死んでから七日目、初七日の水曜日。
 フーガは思いもよらない出来事で、その悪の組織のアジトへと侵入することになった。小学校の社会見学で、清掃センターに行くことになったのだ。

おじいちゃんの遺言 2

ふせいぎふーが

 おじいちゃんは、まだ生きていた。これから死ぬところだった。

 おじいちゃんは悟サトルおじさんと二人で暮らしている。
 元々おじさんは国分寺のアパートで一人暮らししていたが、フーガたち一家が引っ越すことになって、おじいちゃんの介護のために、この家に戻ってきたのだ。

 おじさんはお父さんのお兄さんで、フーガたちが会うたびに結婚しないの、と聞いても、生涯独身を貫く、と笑いながら言う気さくな人だった。
 お父さんのお兄さんだから、お父さんより年上のはずなのに、並んでいると、おじさんの方がずっと若く見えて、フーガには不思議だった。
 お父さんにそう言うと、兄貴が若く見えるのは家族がいる苦労を知らないからだ、と言うのだが、おじさんだって、おじいちゃんの介護をしながら清掃センターのお仕事をしているのだから、そんなに違いはないとフーガは思うのだが。

 そのおじさんも、フーガたちが家に着くと、落ち着きなさげにおじいちゃんの部屋と居間を行ったり来たりしていた。そして、いつも年齢不詳のおじさんが、この時初めて、お父さんより年上の、それなりに年をとった、中年の人に見えた。

 疲れてくたびれているのだ。

 おじさんだけではない。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんでさえ、いつもより二割くらい、年をとっているように見えた。

 そういうものなのかもしれない。人の死というのは、死んでいく人ばかりではなく、その周りに残される人たちからも、少しずつ生の力を奪って、年老いさせていくのではないか。周りから見れば、フーガもそんな風に見えているだろうか。

 おじいちゃんの家にはおじいちゃんの家族が揃っていた。
 おじいちゃんの二人の息子である、サトルおじさんとフーガのお父さん。
 そして、フーガのお母さんと、三人の孫、つまり、お姉ちゃんのカノンと、フーガと、弟の空遥(ソナタ)の六人。

 サトルおじさんは居間にみんなを集めて言った。

「これから、おじいちゃんが、家族の一人ひとりに、お別れを言うから、みんな順番に、一人ずつ、おじいちゃんの部屋に行って、おじいちゃんの言葉を聞いてあげてくれ」

「一人で、ですか、子どもたちも?」

 おじさんの言葉に、お母さんが苛立った刺々しい声を上げた。

「歌子ウタコさん、ここはどうか、親父の言うことを聞き入れてやって欲しい。もちろん、何かあったらすぐに呼んでくれれば、ドアのすぐ外に、私が立っているから」

 おじさんは、丁寧な言い方で、申し訳なさそうに頭を下げた。
 フーガにはおじさんが頭を下げる理由がわからなかった。
 おじいちゃんは、死ぬ前に、みんなに言っておきたいことがあるから、一人ひとり部屋に呼び出して、ユイゴンを伝える。それのどこが問題なのか。
 どうしてお母さんが、嫌そうな反応をするのかが、全く理解できなかった。

「ソナタは遠慮させてください。もし何かあったら……」

「ウタコ……」

「あなたは黙ってて!」

 強い口調でお母さんはサトルおじさんに言う。横からお父さんが割って入ったが、全く相手にされない。ソナタはだいじょうぶだよ、ぼくへいきだよ、と言うが、これもやっぱり相手にされない。

「ソナタ君には、ウタコさんについていてもらおう」

 折れたのはサトルおじさんの方だった。

「とにかく、時間がないんだ。親父は、明日まではもう、もたない」

 それからまず、サトルおじさんが行き、十分くらいして、顔を真っ赤にして、涙をボロボロこぼして、おじいちゃんの部屋から出てきた。

 次にお父さんが入って、やっぱり同じように涙でぐしゃぐしゃになって帰ってきた。
 それを見ていて、フーガは急に帰りたくなった。おじいちゃんに会うのが、とても怖くなった。それは、どうしてなのかわからない恐怖だった。でも、とにかく今。ここから逃げ出したい。あの部屋に入りたくない。

 そして、お母さんが呼ばれた。サトルおじさんと一緒におじいちゃんの部屋に入っていくお母さんを見て、フーガはその背にすがってそれを止めたい気分だった。

――やめよう、お母さん、今すぐ帰ろう。

 そう言えば、きっとお母さんはそれを聞き入れてくれるような気がした。それでおじいちゃんの死は、フーガの知らないところでいつの間にか終わっていて、フーガはそれを聞かされるだけで、自分のいつもと変わらない日常を壊されることなく、普通に暮らしていけるのではないかと思った。

 とにかく、おじいちゃんの部屋に入ってしまえば、その当たり前の毎日は、きっと何かが変わってしまう。そして、二度と、今までの平凡な日常には戻れない。そんな気がした。

 でも、そんなことを思っている間にお母さんは居間を出て行って、そして気づいた時には、やっぱり泣いて帰ってきた。

 血の繋がってないお母さんでさえ、あんなにボロボロ泣いてしまうんだ。きっと自分も泣いてしまうに違いない。そして、さっちゃんみたいに、しばらくは立ち直れなくなるんだ。

 お姉ちゃんが呼ばれた。フーガの番は、もうすぐそこまで迫っている。頭の中で、赤信号が灯る。緊急地震速報みたいな怖い音がする。すごく悪いことが、あの扉の向こうに待っているという、確信めいた予感。背中がじっとりと湿っている。フーガは乾いた唇をぺろりと舐めた。

「フーガ君」

 戻ってきたお姉ちゃんと入れ違いにサトルおじさんがフーガの名前を呼んだ。
 お姉ちゃんは真っ青な顔をしていたけど、泣いてはいなかった。
 フーガは魔法にかけられたみたいに、立ち上がって、サトルおじさんに背中を押されて、おじいちゃんの部屋に向かう。おじさんは、おじいちゃんの様子がおかしくなったら、すぐに呼ぶんだよと言って、部屋の前で立ち止まって、フーガだけ入るように促した。

 フーガは二回ノックして、おじいちゃん、と声をかけた。自分でもびっくりするくらいかすれていて、こんな声だったかと思うほどだった。

 でも、返ってきたおじいちゃんの、入りなさい、という声の方が、よっぽどかすれて弱々しくて、その声は、おじいちゃんの命のロウソクが、もうあと少しで消えそうであることをフーガに伝えていた。

 フーガは少しためらって、でも、ドアを開けた。

 一緒に暮らしていた時期は、フーガの人生の中で短くなかったはずだけど、おじいちゃんの部屋で遊んだり、散らかしたりすることは、お母さんにきつく禁じられていたので、何となくこの部屋そのものが、フーガにとっては日常から切り離された別の空間だった。

 開いたドアの前にはカザグルマの鉢植えがある。絶滅危惧種に指定されている貴重な植物で、一緒に暮らしていた頃は、おじいちゃんがいつもこの花に水をやっていて、この時期になると白い花びらのような八枚のガクを大きく開いて咲き誇る。それは名前のとおり、正しく八枚羽根の風車のようだった。おじいちゃんが、フーガが生まれるより前からずっと大切にしていたもので、おじいちゃんが考えてくれた正義の味方のトレードマークの花だった。その鉢植えも、おじいちゃんに死が近いことを知っているのか、花もつけずに力なく萎れて、枯れかかっているように見えた。

 ベッドの前には衝立があって、フーガはその内側に入る。横になったおじいちゃんが、今にも死にそうな顔をしていた。すっかり痩せて、ガイコツみたいだ。目は周りが黒くなっておちくぼんでいるし、唇は紫色で、震えている。

 それは、死、そのものの姿だった。

 おじいちゃんはもう、死に取りつかれている。

「フーガ」

 おじいちゃんの、震える紫色の唇が言う。その奥にある歯は黄色い色をしていて、舌は真っ黒だ。

「フーガ、聞いているね」

 おじいちゃんが、もう一度フーガの名前を呼ぶ。
 フーガは恐る恐る、聞いてるよ、と答えた。

「フーガ、お前は……」

 おじいちゃんは、何かを言いかけて、口をつぐみ、握り締めた掛け布団の端を、じっと眺めていた。やがて、一つ息をついて、何かを決心したような強い光を宿した目でフーガの目を見た。そして、口を開く。

「フーガ、お前は、正義の味方になりたいと、今もちゃんと思っているかい」

 おじいちゃんの言葉に、フーガはどきりとした。
 それは、フーガが待ちに待った言葉だった。四年前に、正義の味方の卵に任命されてから、こんな日が来ることを、フーガは待ち望んでいたのだ。

「ちゃんと、思っているかい、フーガ」

 おじいちゃんは念を押すように繰り返した。なれなくていい、なんて思ったことは、一日だってなかった。でも、いざその時が来たのだと思うと、フーガは、なんだか怖くて、すくんだように小さく、うんと頷く。

「正義の味方は助けを求める人を、決して見捨てない。そうだね」

 それは、おじいちゃんとフーガが考えた、正義の味方の三つの掟だった。

 一つ、正義の味方は正体を知られてはいけない。
 二つ、正義の味方は悪に負けてはいけない。
 三つ、正義の味方は、助けを求める人を決して見捨てない。

 実際のフーガは、周りに正義の味方を夢見ていることが筒抜けで、そのことをよくバカにされるし、宿題をサボったり、お手伝いをサボったりと、自分の心のうちにある小さな悪の心にしばしば負けてしまう。ただ、助けを求める人を決して見捨てない、という点に関しては、フーガは自信があった。フーガは電車でお年寄りや妊婦さんに率先して席を譲るし、道に迷っている人を交番まで連れて行ったこともある。フーガは少なくともこれまで、助けを求められてそれを見捨てたことはない。

 だからフーガはおじいちゃんの質問に、大きく首を縦に振った。もちろんだった。

 それを確認するように見つめていたおじいちゃんは、ふぅ、とため息をついて、もう一度、フーガの名前を呼んだ。

「お前は、マッチはつけられるね」

 急に話がそれて、フーガは何のことだろう、と思った。これから、おじいちゃんはフーガを正式に正義の味方に任命するのではないのだろうか。

「うん、できるよ」

 流石にもうフーガは小学五年生で、マッチくらいは理科の授業でアルコールランプをつける時にも、林間学校でハンゴウスイサンをした時にもつけたことがあるけれど。

「なら、地図は、読めるね」

「読めるよ」

 フーガはおじいちゃんのオモワクがわからない。

 それに、おじいちゃんが話しているのが、見ているフーガの方が辛くなってくるほどに、弱々しくて、フーガは正義の味方に関係ないのだとすれば、こんな話は早くやめてすぐに病院に行くべきだと思った。
 だって、正義の味方でも、病気で死ぬ人は助けられないのだ。病人を治すことができるのは、お医者さんとお母さんだけだ。おじいちゃんのお母さんはもうとっくにいない。そしてフーガは、お医者さんではない。おじいちゃんは、フーガには救えない。

「いいね、フーガ。おじいちゃんがこれから言うことをよく聞いて、その通りにしてくれるね。そうしないと、大変なことが起こってしまう。くれぐれも、私の言う通りに、その通りにしてくれ。できるね」

 きっと、おじいちゃんはフーガが言うことを聞くまで、何度でも同じことを繰り返す。
 そう思ったフーガは、早くこの空間から出たい気持ちもあって、素直にうん、と返事をした。そうすると、おじいちゃんはベッドの向こうにある文机を指して、言う。

「あの一番下の引き出しの下に、偽物の底がついていて、本物の底はその下にあるんだ。二重底というやつなんだけれどね。その、二重底の中に一枚封筒が入っている。それを出してきておくれ」

 フーガは言われたとおり、文机の一番下の引き出しを引いた。中にはぎっしりと本や書類が入っていた。

「これ、出していいの?」

「そう、全部出して、空っぽにして、封筒を出したあとに、また元に戻しておくれ」

 面倒くさい、とは思ったものの、フーガはその通りにした。それに、二重底というのはいかにも何か秘密っぽくて、少しだけ、本当にほんの少しだけ、ワクワクもしていた。
 それでもやっぱり、そんなもの見ない方がいい、という警告も同じくらい頭の中にはあった。早く見たい、さっさとしろと急かす思いを、やめた方がいい、絶対に後悔するから、という思いが押し戻す。二つの思いがフーガの頭の中でおしくらまんじゅうをしている間に、フーガの体はおじいちゃんに言われたことを優先した。

 とりあえず中のものを全て外に出す。引き出しの底には妙な線が刻まれていた。
 フーガは適当になんとなくでそれをいじる。わずかに左にずらした時、その線が引き出しの左の壁にかちりとはまり込んで、右側に少し隙間ができた。そこから、指を押し入れて底を引っ張ると、引き出しの底は簡単に外れた。

 興奮で脳みそが焼かれていく。頭の中のおしくらまんじゅうは急かす思いの圧勝に終わっていた。
 フーガはとてもドキドキしていた。中には古茶けた大きめの封筒が入っていた。

「封筒は見つかったかい」

「うん」

「それじゃあ、また元に戻して、それを持ってきておくれ」

 フーガはさっき底を外したのとは逆の要領で、元に戻す。うまくできるか不安だったが、案外簡単だった。それから大急ぎで、引き出しから出したものを戻す。この封筒の中身を早く知りたくて、乱暴になってしまったが、フーガはさして気にしていなかった。
 それを見ていたおじいちゃんも、特にとがめはしなかった。

 そして、元のように引き出しを押し込むと、フーガは早足でその封筒を持っておじいちゃんの横に行った。

 おじいちゃんは封筒を見て、わずかに体を起こす。

 フーガは慌ててその背を支えた。
 痩せこけた骨ばった背中がフーガの肌に触れる。それは例えようもなく、恐ろしい感触だった。パジャマ越しに触れた、おじいちゃんのほのかに温かく、湿ったハリのない肌。もうきっと、明日を待たずに死体になるその体。体を満たしているべき生命が、かろうじて爪を引っ掛けて残っているだけの器。そこにわずかに残るエネルギーを、おじいちゃんは今、フーガのためだけに使っている。触れた瞬間に腕から死が伝わって来るようなその感じがフーガにはたまらなく怖かった。
 フーガは震えるのを必死でこらえる。

――大丈夫、怖くない。平気だ。いつものおじいちゃんと変わりない。夏休みに風車のおもちゃを作ってくれる優しいおじいちゃんだ。ボクの大好きなおじいちゃんだ。

 それでも震えるフーガの手に隠すことのできない恐怖に、おじいちゃんは多分気づいていただろう。

 おじいちゃんは封筒を開けて、中に入っていた紙を出した。
 それは地図のように見えた。しかも、とんでもなく古い手描きの地図だ。紙は端の方がふにゃふにゃで全体的にものすごく茶色くなっていて、干からびてしまっているようだった。

「いいかいフーガ、お前にこれから頼むことは、本当に、本当に大切なことだ。お前がもしこれを間違ってしまったら、お前の家族はバラバラになってしまうかもしれない、危険なことだ。だけどお前はこれを果たさなければならない。お前にしか頼めないんだ。サトルでも、ケイスケでも、ウタコさんでも、カノンでもソナタでもなく、お前が。おじいちゃんの言うことがわかるね」

 おじいちゃんの言い方は、真剣だった。フーガはこんな表情のおじいちゃんを見たことがない。目は座っていて、声は静かだけど、強い言い方だった。断ることを許さない、茶化すこともできない、そんな雰囲気だ。フーガはやや緊張して、それでも、わかるよ、と答えた。本当は全然わかっていなかった。

「これは、地図だ。もう五十年近く前のものだから、今の地図とは全然違うけど、ここ国分寺の恋ヶ窪(こいがくぼ)周辺の地図だ。フーガ、お前は、この地図を見て、この地図にある、このマークの場所を探して、そこにあるものを、一つ残らず燃やして欲しい」

 おじいちゃんは地図の真ん中にある×のマークを震える指先でなぞってフーガに示す。

「燃やす?」

「そう、一つ残らず、燃やして欲しい。見つけたら、すぐに、だ。大人に相談しようとか、誰かに知らせなくちゃ、とお前は絶対に思うけど、いいね、誰にも知らせちゃいけない。それは、この世界にあってはいけないもので、おじいちゃんが、お前のおじいちゃんがそれを隠していたという事実は、誰にも知られてはいけないんだ」

 黄色い目をでぎょろりとフーガを睨んで、おじいちゃんは言った。
 怖かった。でもそれ以上に、フーガは気分が高まっていくのを感じていた。おじいちゃんが、そんなにも秘密と言うものは絶対に正義の味方に関わるものだ。そして、それがフーガにだけ託されるということの意味。

 フーガはまだ正義の味方の卵だ。だとしたら、おじいちゃんはきっと引退した正義の味方だ。そのおじいちゃんの死の間際に、こんなものが託されるということは、それはもうフーガにとって、自分が正義の味方に選ばれたのと同じことだった。

「何があるの?」

「それは言えない。そして、そこにあったものを、おじいちゃんがどうして持っているのか、お前はそれを調べようと思えば、きっとわかってしまうだろうけど、でもそれはできるならでいいから、調べないで欲しい。おじいちゃんは本当は悪い人だったんだ。だけど、お前たちの前では、できる限り善良な人間でいたつもりだ。本当のことを知れば、お前は私を嫌いになるかもしれない。だがこれまでにお前たちと接してきた態度には、偽りはなかった。どうか、疎まないで欲しい。わかるね」

 フーガはややためらって、それでもうんと答えた。

 そうだ、このことはきっと誰にも知られてはいけない秘密なのだ。だから、おじいちゃんはそこにあるものについて口にすることはできないのだ。

 でも、フーガには伝わっている。おじいちゃんが言いたいことは、間違いなくフーガの心に届いている。フーガはその気分の高まりを示すように、顔を赤らめて、青ざめて虫の息でいるおじいちゃんを見つめた。

「いいかいフーガ、お前はこの地図で、この場所を探して、そこにあるものを一つ残らず燃やすんだ。そして、それは全て、お前一人で行わなければならない。他の誰にも知られてはいけない。サトルにも、お父さんやお母さんにも」

「お姉ちゃんは?」

 中学生のお姉ちゃんはフーガよりよっぽど大人だったし利口だった。
 地図の解読はもしかしたらフーガには難しいかもしれない。お姉ちゃんなら、きっと大きな力になってくれるはずだし、フーガの正義の味方の夢を知っていて、信頼できる存在だった。フーガはまずお姉ちゃんの力をアテにしようと思っていた。

「カノンか、そうだな。でもダメだ。あの子も、もう……、とにかく、いいね、お姉ちゃんもダメだ。家族にも、それ以外の誰にも教えてはいけない。お前一人でやらなくちゃいけない。そうしないと、本当に大変なことになってしまうんだ」

 あの――お姉ちゃんにも頼めないことを。

 おじいちゃんはフーガに頼んでいる。お姉ちゃんより、信頼されている。お姉ちゃんより勝っている。
 フーガは勝手にそう思って、ますます興奮した。
 そしておじいちゃんは地図を小さくたたんで、フーガに渡した。

「これは、ポケットにしまって、誰にも気づかれないようにしなさい。家に帰ったら、誰にも見つからない場所に隠して置くんだ。そして、私が死んだあと、この場所に行ってくれ」

 フーガは恐る恐るその地図を受け取った。
 その手を、おじいちゃんは枯れ枝のような指が並ぶ手で、がっしりと強く掴んできた。

「お願いだよ、フーガ。私を助けてくれるね」

 おじいちゃんの声は風の音のようにかすれて小さかった。
 フーガは一つつばをゴクリと飲み込む。

「大丈夫だよ、おじいちゃん」

 フーガが地図を受け取って、ポケットにしまうと、おじいちゃんはもう行きなさいと言った。フーガは振り返らず、部屋を出た。

 部屋の外にはサトルおじさんが待っていた。フーガはそれを見て、急に心臓がバクバクしだした。

「大丈夫かい、フーガ君」

 フーガはポケットの中のものを見られまいと、手を突っ込んで、頑なに中の地図を握り締めていた。

「ポケットに、何か入っているのかい?」

 おじさんが身をかがめて迫って来る。フーガは咄嗟に身をよじっておじさんから顔を背けた。自分でもバカだと思うくらい、露骨な仕草だと思った。

「な、何でもないよ」

 その言葉が真っ赤な嘘であることは、きっとおじさんの目にも明らかだった。でも、おじさんはそうかい、と言っただけで、それ以上は何も言ってこず、そのままフーガを居間に連れて行った。
 それからお母さんがソナタを伴ってもう一度、おじいちゃんの部屋に入って、すぐに出てきた。それからあとは、ただ待つだけの時間だった。

 おじさんが出前をとってくれて、フーガたちはおじいちゃんの家でラーメンを食べた。それがどんな味だったか、フーガはほとんど覚えていない。
 ただ、ポケットの中にある、地図の重み、それに託されたおじいちゃんの思いの重さが、ずっとそこにのしかかっていて、フーガは気が気ではなかった。

 お母さんやお父さんが何かを聞いてきたし、お姉ちゃんも何か言ったけれど、フーガはどれにもほとんど反応しなかった。大人はそれを、フーガがおじいちゃんが死んでしまうから、ショックを受けてそうなっているんだろうと思ってくれたようだが、フーガの頭を支配していたのは、結局のところ、この地図が、何を示しているのか、ということだけだった。

 あのおじいちゃんがこうしてフーガに託す以上は、それは正義の味方に関わりのあるものに間違いなかった。
 そしてそれは、お父さんにもお母さんにも、そして、あのお姉ちゃんでさえ秘密にしなくてはいけないことで、たった一人、フーガにだけ託されたのだ。おじいちゃんはフーガだけを特別に、それにふさわしいと考えて、任せてくれた。その事実がフーガを例えようもなくすごくいい気にさせていた。

 一刻も早く、今日を終わらせて、すぐにでもこの地図を解読したい気持ちでいっぱいだった。

 そこには何があるんだろう。

 きっと選ばれたものだけが入れる特別な正義の味方の組織の秘密基地があるんじゃないだろうか。地下には巨大なロボットの格納庫があって、しかもロボットは人工知能によって正義の意思を持っている。
 メンバーは何人くらいだろう。何人でもフーガがきっと一番年下のはずだ。そしてフーガが余りにも子供だからほかのメンバーはびっくりするに違いない。
 隊長みたいな人は、こんな子供を戦わせるわけには行かないとか反対するのだけど、そこでフーガに秘められた特別な才能が開花して、フーガはみんなに認められて、組織の新米エースになる。
 そしておじいちゃんは、実は死んだと見せかけて、その秘密基地で、組織の幹部として、フーガを迎え入れ、フーガは隠れたヒーローとして、悪と戦う本物の正義の味方になるのではないか。
 そしたら、悪の組織っていうのはどんな相手だろう。やっぱり変身するのだろうか。フーガはロボットに乗せてもらえるだろうか。

 フーガの妄想はとどまるところを知らない。

「フーガ、何笑ってるの」

 ラーメンを食べ終わったお姉ちゃんが、ふとフーガに声をかけてきた。フーガは慌てて何でもない、と答える。
 危ない。お父さんやお母さんはともかく、お姉ちゃんはフーガのことをすごくよく見ている。

 そこでフーガはハッと気づく。

――もしかして、お姉ちゃんは悪の組織のスパイなのでは。

 それで、おじいちゃんは、お姉ちゃんにも明かしてはいけないと言ったのではないか。
 だとすれば、フーガが正義の味方となった暁には、いずれお姉ちゃんと戦わなくてはいけないことになる。あんなに優しくて、頭が良くて、尊敬しているお姉ちゃんと。

 いや、違う。きっとお姉ちゃんは洗脳されているだけだ。だからお姉ちゃんを操っているその上の悪い奴から、お姉ちゃんを取り戻すのが、フーガの使命なのだ。だとすれば、その悪い奴っていうのは一体誰だ。

――サトルおじさんに違いない。

 フーガはその考えに行き着いて、脳みそが一気に加熱するのを感じた。

 そうだ、そう考えれば辻褄が合う。おじいちゃんは正義の味方だったんだけど、その息子であるおじさんは、きっとおじいちゃんへの反発から、正義の味方の組織に対立する悪の組織に身を投じてしまったのだ。
 そして、フーガたちが知らない水面下で、ひとつ屋根の下で暮らしながら激闘を繰り広げていたのだ。
 お姉ちゃんはある日、そのことに気づいてしまったに違いない。そして、そこをおじさんに囚われて、洗脳されて、悪の組織の一員にされてしまったのだ。
 だから、フーガはお姉ちゃんの洗脳を解いて、おじさんの悪の組織を壊滅させて、再び世界に平和を取り戻すことを任されたに違いない。
 この地図の場所に行けば、フーガは正義の味方になることができるのだ。すごい。すごい地図だ。何としてでも、この地図の場所を解き明かさなくては。

 フーガは完全に妄想の世界に入り込んでいた。既に頭の中ではフーガは正義のヒーローになりきっていて、悪の組織と戦うための必殺技の考案が始まっていた。

 そんなフーガをおいてけぼりにして、おじいちゃんの時計の砂は着々となくなりつつあった。

 医者が呼ばれた。そして、時計が十時の鐘を鳴らした。

 平成二十八年六月十五日、午後十時十三分。

 フーガのおじいちゃんは、七十八年の生涯を終えた。
 降り出した雨は、まるでおじいちゃんが天国に行くことを許さないとでも言うように、激しいものだった。

おじいちゃんの遺言 1

ふせいぎふーが

ふせいぎふーが

一 おじいちゃんの遺言

 風見風牙(かざみフーガ)は普通の小学五年生だ。
 これといって挙げるべき特徴もない普通の子どもで、ごく当たり前の平凡な毎日を送っている。
 いや、少し普通の小学五年生と違うところもある。

 フーガは正義の味方を目指している。
 頭の中では悪の組織に対抗する準備はバッチリ整っていて、いつでもどこでも、怪人が現れれば、万全に対応できる、つもりでいる。ランドセルの中にはおじいちゃんが木を削って作ってくれた変身ベルトが入っていて、みんなには内緒だがスマホに救助信号が入ればいつでも助けに行くことができる、と思っている。
 なぜならおじいちゃんはこの変身ベルトをくれた小学一年生の誕生日に、確かにフーガに言ったのだ。

――お前が正義の味方に相応しく成長したら、おじいちゃんが必ずお前を正義の味方に正式に任命する。だからそれまでお前は正義の味方の卵として、正しく強く生きなければならない、と。

 その方便はサンタクロースがやってくるからいい子にしていなくちゃいけない、という嘘と同じようなものだったが、以来四年間、フーガは結構本気で自分はいつか正義の味方の組織に呼ばれて、ヒーローに任命される日が来るのではないかと思っている。いや、信じている。

 ちなみに、フーガの目の前には正義の味方はおろか、悪の組織の下っ端戦闘員さえ現れたことは一度もないし、フーガがSNSに作った正義の味方専用のアカウントには救助信号は入ったことはなく、むしろフーガが助けてくれ、と言いたくなるような、読むのさえ嫌気がさす迷惑なメッセージで埋め尽くされている。それでもフーガは一応毎日、律儀にそれに目を通している。もしかしたら本物の救助信号があるかもしれないからだ。

 その日、国分寺にあるおじいちゃんの家から連絡があったのは、フーガが小学校から帰ってきたすぐあとだった。
 フーガは同じ小学五年生の友達の朔助 (サクスケ、ちなみにさっちゃんとみんなから呼ばれている)とこれから遊びに行くところだったから、それを急にお母さんに止められたのは、なんだか面白くなかった。

「おじいちゃんちに? 今すぐ? だって、さっちゃんが外で待ってるのに!」

「さっちゃんは待ってくれるけど、おじいちゃんは待てないの。わかるでしょ、物事には優先順位ってものがあるの。そんなしょうもないこと言ってる場合じゃないの。聞き分けないこと言わないで、さっさと用意して。さっちゃんには帰ってもらいなさい」

 にべもなくお母さんは忙しそうに自分の部屋と洗面所を行ったり来たりして、タオルや下着をいくつも出したり、とにかく落ち着かない様子で、フーガのことも単なる面倒事の一つとしてしか思っていないようだった。

 フーガはでも、と言ったが、お母さんはまるで聞いていない。お母さんはいつもそうだ。なんでもかんでも場合で片付ける。フーガはお母さんが使うこの場合という言い回しが大嫌いだった。
 お母さんは、本当はそれがどういう場合であっても、フーガの言っていることがどういう内容であっても関係なくこの言葉を持ち出して、一刀両断でバッサリ切り捨てて、自分の言うことを聞かせる。全部、そういう場合じゃないから、で片付ける。最初からフーガの言うことなんて聞く気もないのだ。

 もしフーガが本当に正義の味方で、フーガの世界が物語なら、最後に敵として登場するのはお母さんなんじゃないかと思う。何しろフーガからは攻撃できないし、しかもお母さんはフーガの態度によってお小遣いを左右するという強力な攻撃を使ってくる。場合によっては罰としてトイレ掃除をさせられることもあるし、ご飯のお預けを食らうこともある。こちらの攻撃は一切効かず、逆にお母さんからの攻撃は全てが全てフーガに致命傷を与えるに十分なものだ。これほど脅威的なものが他にあるだろうか。フーガには見当もつかない。

 もちろん、お母さんが正真正銘悪い人なわけではない。フーガは別に虐待されているわけでもないし、お母さんが嫌いなわけでもない。
 ただ、お母さんとフーガの意見が食い違うと、お母さんはいつも自分の後ろに、常識とか、世間とか、大人の都合なんてものを味方につけて、フーガの話をそういう場合じゃない、で済ませる。
 そうすると、どうしてだかフーガが絶対に負ける。お母さんに勝てない。
 フーガにだって、フーガの事情がある。お母さんはそれをちゃんと聞きもしない。でもお母さんはそれで当たり前だと思っているし、それを認められないのはフーガが子どもだから、と言われてしまう。

 それって変だ。間違ってる。フーガはそんな思いも込めて、お母さんのうなじをじっと見つめる。慌ただしく動いているせいで服に引っかかって行き場を失った一房は、お母さんが気付くのを待っている今のフーガによく似ていた。

 お母さんは気づく素振りもない。

 そこに後ろからフーガの肩を叩く手があった。

「あきらめなさい、フーガ。それに、おじいちゃんはこうしてる間にも死んじゃうかもしれないんだからね」

 中学生のお姉ちゃんの奏音(カノン)だった。眼鏡を直しつつ、落ち着いた声で言う。
 くっきりとした顔立ちに落ち着いた目元。少し日に焼けているスラリと細く伸びる手足。お姉ちゃんは、どちらかといえばお父さんによく似ていて背も高く、クラスでも前から数えた方が早いフーガとは雰囲気が少し異なる。

 お姉ちゃんはフーガの数少ない他人に自慢できることの一つだった。フーガが学校で唯一うらやましがられることが、フーガのお姉ちゃんがカノンだということだった。
 ぱっと見では線の細い少女なのに、もっぱらアウトドアが好きで、趣味は釣り。隣の街にいるフーガのおじさんと一緒に時々キャンプや登山にも行く。テントは張れるし、料理も堪能で、家にいても家の外にいても、頼りがいがある。もちろん、学校の成績は、どの高校でも推薦入学できると中学校の先生からお墨付きをもらうくらいだし、お母さんからの信頼もフーガとは比較にならない。
 髪の毛もお母さん似のどれだけ短く切ってもクリクリと巻いてしまう柔らかい猫っ毛のフーガと違う。色も薄くなくて真っ黒でさらりとしなやかに長く伸びている。家の中にいても髪の毛がつやめいて、光でできた白い冠をかぶっているようだ。

「カノン、ちょっと来てちょうだい」

 お母さんの部屋でお姉ちゃんを呼ぶ声がした。
 どうせフーガは最初から当てにされていないガキンチョだ。
 お姉ちゃんは澄んだ声でちょっと待って、と返事をして、フーガの方に向き直った。
 首の付け根で括られている髪の毛が振り向きざまにするりとなびいて、あっという間に元の背骨の位置にきちんと止まる。服のシワに絡んで行き場のない髪なんて一本もなく、何もかもが整っている。

「おじいちゃんが、もうすぐ死んじゃうかもしれない。さっちゃんだってわかってくれるでしょ。フーガ、ちゃんと自分で言えるよね」

 お姉ちゃんは、フーガよりずっと大人の考えができる存在だった。
 大人の考えとは、自分の感情を制御して、本当に自分が得する行動を取ることができる器用な生き方だ。
 そのお姉ちゃんがおじいちゃんちに行く準備をしろと言うのだから、そうすることが正しい、なんてことは、フーガにだってわかってはいた。いや、お姉ちゃんが言わなくたって、今おじいちゃんちに行かずにさっちゃんと遊びたいなんて言うのは、それこそ間違いの上に間違いを重ねるような、幼稚で子供じみたことだとわかりきっていた。
 フーガだって、ここでさっちゃんと遊びに行きたい、なんてわがままが許される場合じゃないことは、百も承知している。

 そう、国分寺のおじいちゃんの家から入った連絡というのは、おじいちゃんが今にも死ぬかもしれないという知らせだった。

 フーガのおじいちゃんは今年で確か七十八歳。五年前に大腸がんが見つかって、抗がん剤での治療を拒み続け、今も入院せず、自宅で暮らしていた。意識はよほどはっきりしていたけれど、寝たきりなのは違いなく、夏休みや冬休みにフーガたちが遊びに行くと、大層嬉しがって、手作りの風車のおもちゃを作ってくれたり、昔の話を聞かせてくれたりした。その割にはフーガはおじいちゃんが昔どういう仕事についていたか、とか、おじいちゃんの生い立ちについてはほとんど知らないのだが。

「正義の味方は、家族のシニメには会えないものだよ」

 フーガは何となくお姉ちゃんの大人の考えに従うのも気に食わなかったので、あてつけのように言った。死に目の意味も、ほとんど分かっていない。するとお姉ちゃんは呆れたようにため息をついて、フーガの頭に軽くげんこつを食らわせた。

「冗談でも、そういうことは本当に言わない方がいいよ。フーガはおじいちゃんのこと、好きだったでしょ?」

 フーガは打たれたところに右手を当てて、どこか寂しそうに伏し目がちにフーガの両目を捉えるお姉ちゃんを見つめた。お姉ちゃんは、怒っている。自分が今言ったことは、かなり悪いことみたいだ。フーガはその目の色から、それを察する。

 ごめんなさいと小さく呟くと、お姉ちゃんは同じように小さく、うんと答えた。またお母さんの声がして、早くしなさいね、と優しく言い添えて、お姉ちゃんは階段を上がってお母さんの部屋に消えていった。

 おじいちゃんが、死ぬ。

 フーガはこのおじいちゃんが大好きだった。
 今の一軒家に引っ越してくるまで、フーガはおじいちゃんの家で、一緒に暮らしていた。五年前、おじいちゃんの大腸がんが見つかるのと同時期に、フーガには弟ができた。流石に家族も増えるし、病気のおじいちゃんの介護と、子ども三人の面倒は見切れない、とお母さんが強く言って、フーガの一家は国分寺市から隣の小金井市にある、今の家に引っ越したのだ。

 おじいちゃんは、フーガの夢の数少ない理解者の一人だった。
 理解者というより、先生と言ってもいいくらいだ。フーガが正義の味方にここまで憧れるようになったのは、間違いなくおじいちゃんの影響だった。おじいちゃんは、フーガが正義の味方になるための、いろいろなものを作ってくれた。正義の味方の変身ベルトや、トレードマークのバッジ、正体を隠すための仮面も、秘密の合言葉も。そもそもフーガが自分は正義の味方の卵だと思い込むきっかけを作ったのがおじいちゃんだった。

 フーガの夢は、全部おじいちゃんと一緒に紡がれたものだった。
 お父さんや、お母さんのように、バカな夢だと笑ったりせず、いつも真剣に、一緒に考えてくれた。

 おじいちゃんが、死ぬ。

 まだ、人の、ましてや血のつながりのある肉親の死を、一度も経験したことのないフーガにとって、それは未知の領域だった。同時にフーガが生きていく以上は、絶対に経験することが決まっている運命でもあった。

 どういう反応をすればいいのかわからない。もちろん喜ぶべきではないことはわかる。でもなぜか、悲しみがわき起こるほど、それは心に迫ってこない。いや、悲しいと考えると、この上なく悲しいことに違いないから、もしかしたらフーガの脳みそが勝手にそれを考えないようにしているのかもしれない。

 とにかく今、フーガの心は、おじいちゃんが死ぬ、ということについて、なんにも感じていない。ああ、そうなの、くらいにしか思っていない。自分でも不思議なほどだ。

 お母さんみたいに、慌てふためくべきなんだろうか、とフーガは思う。
 そうかもしれない。おじいちゃんは、お父さんのお父さんであって、お母さんのお父さんではない。お母さんとおじいちゃんには、血の繋がりはないのだ。それなのに、あんなにあたふたしているのだから、四分の一の血の繋がりがあるフーガは、一層びっくりして、泣いて、とにかく大慌てになるべきなのかもしれなかった。

 それでも、フーガには、今は見えないところで死の淵にいるおじいちゃんにお見舞いに行くより、すぐ玄関先で、フーガのことを首を長くして待っているさっちゃんに、遊べなくなったことを伝えることの方が、よっぽど気の重いことだった。

 廊下で思い悩んでいると、つったってないで用意しなさい、とお母さんが怒鳴った。
 用意って言ったって、何をすればいいのか。
 お母さんの言うことはいつも漠然としている。気をつけなさい、とか、お行儀よくしなさい、とか、全然具体的じゃない。

「とりあえず、ランドセル置いて、ティッシュとハンカチは持った方がいいかな。フーガ、泣くかもしれないし。靴下は汚いから、一応履き替えて。それから、これ」

 お姉ちゃんは廊下でまごついているフーガにはい、とアイスを差し出す。

「さっちゃんにごめんねって、これあげておいで」

 そう言ってお姉ちゃんは笑う。フーガは自分がするべきことがはっきりわかって、頭がすっきりした。すぐにアイスを受け取って、玄関を駆け抜ける。
 お姉ちゃんはお母さんと違って、言うことがすごくはっきりしていて、具体的だ。何をどうすればいいのか、ちゃんと教えてくれる。フーガはお姉ちゃんのカノンが大好きだった。

 玄関を出ると、階段を降りた先にある門の柱に寄りかかってブラブラ体を揺すっているさっちゃんがいた。
 まだ六月なのに、半袖の下から覗くその肌は随分と黒い。国分寺にある剣道道場で鍛えているその腕は、フーガよりずっとがっしりしている。ツンツンしたいがぐり頭は、触るともそもそして案外気持ちいい。
 さっちゃんは玄関から出てきたフーガを見ると、不満げに口をとがらせた。そんな顔しても全然可愛くない。

「おそーいフーガ」

 声変わりしつつあるさっちゃんの口から出るのはざりざりしたしゃがれ声だ。最近は音楽の授業で歌う時も、もう声が出ない音があるみたいで、歌うのをサボってよく怒られている。

「ごめん、さっちゃん、今日行けないや」

「え! なんで?」

 フーガはおじいちゃんのことを説明する。するとさっちゃんは神妙な顔になった。

「それじゃあしょうがないな。フーガ、早くじいちゃんとこ行った方がいいよ」

 さっちゃんは怒りもせずに、あっさりと納得した。

「ごめんね、このアイス、あげるから、また今度ね」

「アイスなんていいから、さっさとじいちゃんとこ行ってやれよ。オレ、この前じいちゃん死んじゃった時、会えなかったから」

 さっちゃんはぐっと涙をこらえるように、鼻をすすった。
 さっちゃんのおじいちゃんはさっちゃんちが経営する工務店の大工の棟梁であり、社長で、ついこの間、お葬式をあげたばっかりだった。さっちゃんはおじいちゃんのことを誇りに思っていて、自分もいつかおじいちゃんみたいな大工になる、といつも言っていて、それだけにお葬式のあとの一週間は、本当に声をかけるのも大丈夫かと思うくらいに落ち込んでいた。
 もしかしたら、それを思い出して、また暗くなるのではないか、とフーガは心配したが、さっちゃんは、そんじゃな、と言って、結局フーガの手からアイスを取って、そのまま走って自分の家の方に行ってしまった。

 さっちゃんがいなくなって、フーガはここで初めて、おじいちゃんが死んでしまうかもしれない、ということに、心臓がひやりと苦しくなるのを感じた。

――おじいちゃんが、死ぬ。

 いつかこんな日が来る、ということは、誰が言わなくても、誰に教えられなくても、フーガ自身予感していたことだった。

 フーガの頭の中には、家族がピンチになって救援を求めてくる時の正義の味方としての振る舞いも、きちんと織り込んであったはずだった。
 でも、実際にこんなふうに、おじいちゃんがそういう状態になったと聞かされると、フーガの備えは何の役にも立たなかった。なんだか思っていたのと全然違う。
 ワクワクしたり、ドキドキしたりしない。

 当たり前だ。本当に人が死にそうになっている時に、ワクワクもドキドキもない。ただただ嫌な胸騒ぎがするだけで、なんだか落ち着かなくて胸とお腹の間の辺りがゾワゾワする。気持ち悪い。

 ちょうど、空を見ると、そのフーガの胸の内を映し出したような、ゴロゴロした曇り空だった。

 玄関から家に戻ると、お母さんはこんな時なのにパリっとしたスーツを着て、化粧をしていた。それを見ていたフーガの目から、お母さんへの不満がにじみ出てしまっていたのか、お姉ちゃんがあんまり見ないであげてね、と声をかけてきた。

「母さんはいろいろ立場があるの。お嫁さんだからね」

 お姉ちゃんの言うことにしては、なんだか漠然とした言葉だった。もしかしたら、お姉ちゃんも、落ち着いているように見えて、頭の中は大混乱なのかもしれない。
 それから大慌てで帰ってきたお父さんと一緒に、フーガたちは、国分寺のおじいちゃんの家に向かった。

跳瑠修正

動物の謝肉祭

ハネル裏表
ハネル構え

ハネル:「ほーら、まだまだ裁きが足りないよっ! 大罪者はこんなもんじゃないんだからねっ!」

ホトリ:「くそっ! しっかりしなさいよ、ホトリ! 集中しろっ!」

ハネル:「さーて、お得意の右足っ! ど・こ・ま・で・飛ぶのっかなっ!」

ホトリ:「ガードがっ、間に合わないっ!」
レザニモ・シス――カンガルー(les animaux six-Kangourous)

名前:ハネル(跳瑠)
命名:士織
真名:刎(はねる:文字通り首を刎ねられたものの意)

見た目の年齢:20代前半
アニモ歴:12年
性別:女
外見:
・茶色い髪をポニーテールにして耳にはピアスをしている。
・目の色はオレンジ色がかった茶色。目鼻立ちがはっきりしていて整っている美人。
・胸もそこそこの大きさでしなやかな筋肉のスラリとしたシルエットの持ち主。
・大抵は黒いタートルネックに白衣を羽織っており、下は粗い布のホットパンツでガーターベルトで膝までのストッキングを吊り下げている。
・黒いブーツを着用していて、それに掛かる丈のズボンは履かない。
・白衣のポケットにいつも手を突っ込んでいて、中には飴をはじめ、患者や子供やこれから会いにいく人へのサプライズの贈り物などが入っている。
・戦闘時も手を抜かないのは本気になってない印。

獣形:黒いカンガルー。尾が長く敏捷に動く。
道具:無音の靴
能力:反跳
・靴に触れたものを完全に弾く能力。
・一定の方向と速度を持って靴にぶつかる物体が跳ね返る方向と速度を自在に操れる。
・普段から歩く衝撃を靴に蓄えており、いざという時にはこれを開放してものすごい衝撃で飛び上がったり相手を蹴ったりできる。
・また、能力の成長として、ハネルに向かってくる攻撃体をほぼ自動的に、反射的に足で受け止めることができ、ソラの車輪さえ全て足で受けきるほどの足さばきの技術がある。
・この反射神経と動体視力を使って逆に相手の攻撃を足場にして急速接近して敵を蹴り上げる戦法が得意。

前世の因果:
・乱世の時代に人質として領主に差し出されていた名家の娘。
・父親に謀反の嫌疑がかかり、父親が嫌疑を晴らすための代償として、ハネルの首を差し出すことを決め、親に裏切られて首を切られた。
・信じていたものに裏切られ信頼も跳ね返される因果を背負っている。

性格:
・かなりテンションが高く、いつでも人を笑わせるようなおもしろおかしい話をしたり、いきなり踊りだしたり、サプライズを仕掛けたり、とにかく人が笑っているのが大好きで、ものすごく明るい。
・実際には落ち込みやすく傷つきやすい面があって、ひと騒ぎしたあと一人でどうしてあんなことしたんだろうと憂鬱になっていることも多々ある(それでも人前では道化じみて明るくしている)。
・ふざけておちゃらけている反面、考えるべきところはしっかり考えており、真面目な時は真面目。
・モットーは至って楽観的に。世の中はそれでも悲観的なのだから。
・実際にはユーシ、コーキとともに世界樹の倒壊を望むアニモ側の裏切り者の一人で、自分たちの先生だったシオリを殺さなければならなくなったときにアニモの立場に疑問を覚え、以後ユーシたちと共謀している。
・内心でユーシのことを思っており、どちらかと言えばユーシの理想が世界樹の打倒なので、従っている部分が大きい。

職業:医者
・薬と治療セットを持ってズーロジークの街を駆け巡る巡回医。
・南区の街の傍らに診療所も開いているが、回診の時間が長く基本的にいない方が多い(決まった時間にはちゃんといるようにしている)。
・暗くなりがちな病人やけが人、およびそれを支える人たちを励ますためにも毎回違うネタの面白いことを秘密のネタ帳にためていて、最期の時まで笑顔で寄り添うことを心に誓っている。

好き:サプライズ。面白い話。美味しい食事。人の笑顔。動きやすい服装。明るくよく笑う人。
嫌い:いつもどおり、型通りの仕事。ルーティーンワーク。じっとしていること。小言。何をしても驚かない人、笑わない人。泣いている人。怒っている人。

犀象修正

動物の謝肉祭

犀象
犀象構え

ケースケ「そう何度も何度もやられっぱなしじゃあ、ねぇんだよっ!」

サイゾー「ほう……、なら重さを倍にしてみようか……」

ケースケ「っぐ……、この、っくそったれ!」

サイゾー「まだまだ余裕だろう、ケースケ……、こんなものか……?」

レザニモ・サンク――象(les animaux cinq-L'éléphant)

名前:犀象(サイゾー)
命名:海神
真名:最憎―最も憎まれたの意。

見た目の年齢:人間で40歳前後
アニモ歴:40年
性別:男
外見:身長198.5センチの巨漢。色黒で筋肉質で巌のような巨体。髪の毛は黒で短く整えられてないざんばら髪。目の色は黒で割と伏し目がちであまり目を見開くことがない。粗い布の擦り切れたズボンに上半身は半裸でマントを羽織っていることもある。腰にはサラシを巻いており、腕と足に包帯が巻いてあり、普段から裸足。
獣形:巨大な二本の牙を持つマンモス
道具:ガネーシャの杖
長い釣竿と錨の形をした釣り針からなる道具で、釣竿の剥けた先に錨が飛んでいき、物体に沈み込むようにして浸透する。錨を入れられた物体は釣竿が振られる先に追従し、かつサイゾーの意のままに質量を操作される。
能力:質量―ガネーシャの杖の錨を沈めた相手の質量を操作し、軽くしたり重くしたりできる。また自身の体重も操作可能。
職業:象列車機関士―世界樹の周りを円周上に広がるズーロジークの街の中央を輪を描くように東西南北四区全てを通過する鉄道列車を、動物の姿であるマンモスの姿で、自らの力で引く機関士。一日かけてズーロジークの街を四周する。象列車を一人でけん引できるのはサイゾー一人であり、他のものが変わるとなるとゆうに獣人の屈強な男が五十人は必要で、しかも休みなく四周はできないといわれている。

前世の因果:後世において人が作り出すべきではなかったといわれるほどの殺戮能力を持つある兵器の理論を独力で打ち立てた科学者。その技術によって生み出された兵器によってその世界の人類が死滅するほどの危機に見舞われ、最も憎まれた。
最終的にはその世界の人類は死滅を免れたもののサイゾーはその世界の人間に抹殺される羽目になる。本来の力を発揮すると世界が滅びかねないという因果を背負っており、いつでも実力のセーブして生きることを強いられており、一度でいいから全力を出したところでびくともしないという、真に強大なる力に打ち負かされたいと思っている。
性格:寡黙で落ち着いた顔つきで、無愛想。声をかけられても挨拶を返さなかったり、もともとの顔の厳しさもあって近寄りがたいと思われている。本人もそれを自覚しており、また人と関わることも苦手だが、象列車の機関士としてズーロジークでは誰一人としてサイゾーのことを知らない者はいないため、例えば仕事中にくしゃみをしただけでもそれが町中の話題になってしまうほどの有名人。
象列車はズーロジークにおいて貴重な公共交通機関の一つであり、実力においてアニモ中最強の名をほしいままにしているが、基本的には象列車の運行が優先され、アニモとして虫退治の戦闘には加わらないことが多い(虫が発生したときの緊急避難先として象列車があり、いざというときは各車両基地から客車を増設して街の住人を安全な場所に避難させる役目があるため)。
また単純に体重がかなり重いため粗雑な作りの家や、脆い樹上にいると枝が折れたり家を壊したりして危険なのでよほどの時以外は樹には登らない。ただいざという時は肉体の強さ及び能力の汎用性の高さからものすごく頼りにされる。もともと実力は高く、不言実行タイプで、命令される前にあらかたのことを片付けてしまう。それゆえに事後承諾になることもしばしばあるが、それで問題になることは割と少ない。
一人称/口調:一人称、俺。基本無口、喋る前に……が入ることが多く、ぼそぼそと単語だけをいうような口調。だぞ、しろ、だななど。

好き:海、釣り、一人でぼーっとしている時間。
嫌い:おしゃべりな人、構ってくる人、何もしてないのに怖がってくる人。子供、女。

【良い噂話】

ピルグリムの唄

 おい、聞いたか、ミス・ブラームスの噂。
 聞いた聞いた、外国に行ってしまわれるって本当かい?
 本当も本当、何でも新規事業の開拓だって。
 あの方は辣腕でいらっしゃるからねぇ。
 何もそんな遠くにまで行かなくってもいいのに。
 そんなことを言うものじゃないさ。
 そうとも街のためにやってくださっているんだし。
 東から香辛料が入ってくるとなれば、この街はもっと発展できる。
 寂しくなるねえ。
 行ったらしばらくは帰ってこられないんだろう?
 早くても半年というからなぁ。
 でもフィーネ様はきっと大丈夫だよ。
 そうさ、彼女はこのグリッサンドの守護天使なんだから。
 あたしゃ早く身を固めてほしくってね。お子様が楽しみなんだよ。
 そういや、何でも外国に、あの方の思い人がいなさるとか。
 そうそう、その人に会いに行くって聞いたぞ。
 おいおい、そんな話聞いたことないぜ。
 おやおやそれは本当かい? 
 もっと詳しく聞かせておくれ――。

ピルグリムの唄 ~for-given~
fin.

【エピローグ】

ピルグリムの唄

 奇妙な三人の旅人が去って、月日が流れました。
 フィーネちゃんのヴィア・ドロローサから三年が経ちました。
 フィーネちゃんは今年で十六歳になります。
 正式にブラームス家の当主として家督を継ぐことになりました。
 まだまだヨハネス氏とクララ夫人から習うことばかりの毎日です。
 それでもフィーネちゃんは努力を怠りません。このグリッサンドをよりよくするために。

 あれからフォルテ君からの手紙が来ることはありませんでした。
 最初のうちは三人の旅人の行先を調べ周りましたが、それも徐々にお勉強と、次期当主としての執務が忙しくなり、いつの間にか、旅人を追うこともやめてしまいました。
 それでもあの三人を思い出さなかった日はありません。 

 新調した万年筆はすっかり肌になじんでいます。書類に書くサインもとても流麗です。
 髪の毛も背も伸びました。顔もすっかり大人びて、あどけなさは姿をひそめています。
 もう、彼らはフィーネちゃんだとは気づかないかもしれません。
 それだけ子どもにとって、三年の隔絶は大きいものでした。 

 グリッサンドはあれから徐々に再建計画が進みつつあります。
 去年、計画推進の先鋒だったピラト司祭が亡くなりました。
 そして計画の中心は、ブラームス家に委ねられました。
 これからは彼女の存在も大きくなっていくことでしょう。

 アメリアはフィーネちゃんの近侍になりました。
 あの祭りの中で警報を勝手に鳴らした罰でした。辞表を取り消されたのです。
 以来ずっとフィーネちゃんのそばで身の回りのお世話をして三年。
 フィーネちゃんへのお手紙を持っていくのは彼女の仕事でした。 

 ある朝、アメリアが手紙の仕分けをしていた時でした。
 ブラームス家には毎日何十通もの手紙が届きます。
 仕事の物だったり、社交の物だったり様々です。
 その中に、ブラームス家に届くとは思えない封筒がありました。
 質の悪いごわごわした紙でできていました。所々汚れが目立ちます。

――アメリアはおかしいと思いました。

 アメリアは、思わずフィーネちゃんの部屋に駆け込みました。
 それを誰が出したのかがわかったからです。それから慌てて封筒をあらためます。
 封筒に押されている差出印は東の海を隔てた外国の物です。
 ブラームス家とはいえ、そんなところとは交易がありません。 

 差出人の欄には、左右が逆のFだけが書かれています。
 宛名はグリッサンドのフィーネ・ブラームスになっています。
 しかしあまり上手な筆致ではありません。
 アメリアはあの日記帳に踊っていた拙い文字を思い出します。

「どうしたのアメリア、急に」

「お嬢様、……これが」

 フィーネちゃんは封筒を見るとさっとそれを取りました。
 そして息を飲みくるりと後ろを向きました。フィーネちゃんにもすぐにわかりました。
 あの三年前の約束が思い出されます。あの時に渡した万年筆の感触が、今でも手には残っています。

――これを使って、手紙を書いて。フォルテ君が訪れた街のこと、かかわった人のこと、起こったできごと。フォルテ君からの手紙を読めば、これからどんなにつらいことや悲しいことがあっても、きっと私は大丈夫だから。

 こらえきれずにその場で封筒を開けてしまいそうになりました。
 三年前のフィーネちゃんなら迷わずそうしたでしょう。
 しかしもうフィーネちゃんは子どもではありません。
 机に戻り、オープナーを使ってきれいに封蝋を剥がします。

 中に入っていた手紙も、封筒に負けず劣らずぼろぼろの紙でした。
 書いてある字もそれに見劣りしない程です。とてもきれいとは言い難いものでした。
 一見してそれは書き損じのようにも見えます。フィーネちゃんは一読して、くすりと笑いました。

「お嬢様……?」

「フォルテ君からだわ。元気でやっているみたい。もう多分戻ってくることはできないけれど、生きてはいる、ですって。アンダンテさんも」

 それからフィーネちゃんは手紙を机の上に置きました。
 深く椅子の背もたれに背を預け、大きくため息をつきます。
 あれ以来ずっと気がかりだった心配が、解消された合図でした。
 それからフィーネちゃんは悪戯っぽく笑います。その顔は三年前のフィーネちゃんのものでした。

「ねえアメリア、この手紙がどこの郵便局から出されたものか調べられない? 街だけでもわからないかしら」

「それは、調べられないことはないでしょうが、いいえ、ダメですお嬢様、お嬢様はこのグリッサンドの当主として……」

「違うわアメリア、探し出して、会いに行こうなんて考えて……、考えたけど、そうじゃないの。今フォルテ君がいる街は、どんなところかな、と思って」

 フィーネちゃんは窓から見える遠くの空を見つめました。
 ちょうど、鳥が一羽、枝から飛び立って、空を飛んでいきます。
 フィーネちゃんはおもむろにペンと紙を取り出しました。

「お返事を書かれるのですか? しかし宛名は……」

「直接会って渡すわ。この街の再建が済んだら、少し旅をしたいの。そう、東の国あたりを。いいでしょう?」

「お供いたしますからねお嬢様」

 そして、フィーネちゃんは笑いました。

――親愛なるフォルテ君へ。

 この手紙がフォルテ君に届く頃には、私はおばあちゃんになっているかもね。――なんて、冗談です。お手紙をありがとう。私も元気です――。

 それを見て、アメリアもくすりと笑います。
 そして、開けっ放しになっていたドアを静かに閉めました。

【12】

ピルグリムの唄

まるで深い深い空の底に横たわっているようでした。
 閉じられたまぶたの裏に燦々と輝く太陽。頬を撫でる暖かなそよ風。
 雲が尾をたなびかせながら陽の光を遮って泳いで行きます。
 悲しみも苦しみも、迷いも不安もありません。どこまでもただ平穏な空が続いていました。

――ずっとこのままでいられたらいいのに……。

 不思議な感覚の中で、フィーネちゃんはそう思いました。
 不意に温かく湿った何かがフィーネちゃんの頬に触れました。
 まるで生き物のようにそれは動きます。遠くから声が聞こえてきました。

「ピア! 朝食の時間ですよ! ピア! ……全く、飼い主に似て自由気ままなんだから……」

 ニャァオと耳元で声がしました。目をうっすらと開けると、光が差し込みます。
 真っ白な猫がフィーネちゃんの頬を舐めていました。

「ピア……ただいま」

 フィーネちゃんはそう言いました。
 どうしてだか、長い旅から帰ってきたような気がしたのです。
 フィーネちゃんが頭を撫でるとピアはまた嬉しそうに鳴きました。
 そして、フィーネちゃんは戸口に立っている人に気が付きました。

「お嬢様……」

「アメリア……おはよう」

 何と言っていいのかわかりません。フィーネちゃんは頬を赤らめました。
 随分懐かしいような、久しぶりに会ったようなそんな気がします。
 アメリアはコツコツと歩み寄り、ベッドの端に立ちました。その顔はまるで怒っているようです。

「アメリ……」

 言葉を待たず、アメリアはその体を抱きしめました。潰れる程に。強く、強く。

「丸二日も眠っていたのですよ」

 絞り出すような声でアメリアが言いました。

「そう……」

 フィーネちゃんは息もできず、本当に絞り出して言いました。

「心配しました」

 アメリアはようやく手を離します。
 フィーネちゃんは思わず咳き込みました。それを二人で笑い合います。

「ごめんなさい」

 フィーネちゃんは笑顔で言いました。そよ風が入ってきました。
 窓から温かな日差しと街の人々の活気を乗せて。
 それはいつも通りのグリッサンドの街並みでした。
 フィーネちゃんの、ブラームス夫妻の愛した街並みでした。

「すぐにお食事にしますか? お祭りの時からほとんど食べてないのですから、お腹がペコペコでしょう」 

 窓の外を眺めながらフィーネちゃんはアメリア、と尋ねました。

「フォルテ君たちは?」

「ご心配なさらずともまだお屋敷にいらっしゃいますよ」

 アメリアがフィーネちゃんを支えて起こしながら微笑みます。
 フィーネちゃんはそれを見てホッとしたように笑いました。

『ミス・フィーネと、我らがグリッサンドに乾杯!』

 二人が階下に下りていくとてんやわんやの騒ぎが始まりました。
 フォルテ君は感激のあまりフィーネちゃんに抱きつく程です。
 それを街の人から茶化され、目を白黒させるとみんなが笑います。
 もうすっかり彼はこの街の人とも顔なじみになっていました。
 ヨハネス氏とクララ夫人もやはり涙を浮かべていました。
 そしていつまでもフィーネちゃんを抱きしめていました。

「これは……?」

 食卓の脇にはフルーツや色とりどりの花束がありました。
 それからきれいな紙に包まれた贈り物の山。フィーネちゃんはそれを見てきょとんとします。

「街のみなさんからの祝賀ですよフィーネ」

 クララ夫人が言いました。

「オレからのもあるんだぜ!」

 フォルテ君が嬉々としてその中から一枚の絵を取りだしました。

「これ、フォルテ君が描いたの?」

 フィーネちゃんが聞くとフォルテ君は誇らしげに胸を張りました。
 アンダンテさんが後ろから覗き込んで目を見開いて言いました。

「ふむ、前衛的な絵画だ。差し詰め、街中に生えた羽のあるサボテンといったところか」

「うるさいな! 心がこもっていればいいんですよ!」

 みんなが笑う中、それから、と席を立ったのはプレスト君でした。
 フィーネちゃんと顔を合わせるのは初めてです。
 二人は簡単な自己紹介をしました。それから彼は金の懐中時計を取り出しました。
 フィーネちゃんはてっきり旅人の合図かと思いました。
 しかし、プレスト君はそれをフィーネちゃんに差し出します。

「崩落したリタルダンド渓谷で、ブラームス卿と奥様は、二人でこれを守るように握りしめていた。おそらくあんたへのプレゼントだったんだろう」

 大崩落に巻き込まれ、右上に大きなヒビの入った懐中時計です。
 蓋を開けると名前と、誕生日の日付が入っていました。
 時計は一秒のずれもなく時を刻んでいます。
 時計の針がコチコチと鳴り響きました。静まり返った食堂の中に。フィーネちゃんの胸の中に。

「……本当に、ありがとうございます。ずっと大事にします」

「それでだね、フィーネ」

 ヨハネス氏が困ったような、気遣うような表情で言いました。

「週末に、兄様たちの……お前のお父様とお母様の正式な葬儀をあげようと思っているんだ。お前には何度も悲しい思いをさせてしまうことになるが、どうだろうか」

 フィーネちゃんは目を瞑ってしばらく考えていました。それからゆっくり頷きました。

「ありがとうヨハネス叔父様。パパとママも喜ぶと思うわ」

「それから、フォルテ君、君が嫌でなかったら、君のお母様の墓碑も、この街に作ってはどうだろう。君の活躍がなければ、今年のヴィア・ドロローサはどうなっていたかわからない。そんなことで、恩返しになるかはわからないが、どうだろうか」

「え……そんな」

 ヨハネス氏の唐突な申し出にフォルテ君は戸惑いました。
 そして、許しを請うようにアンダンテさんの顔を見ます。
 アンダンテさんはまるで気にしていないように、無表情にひげを撫でていました。
 フォルテ君は迷います。正直、嬉しくてたまらない気持ちはありました。
 でも、本当にそれでいいのかと、何かが首を縦に振らせることを躊躇わせていました。

「すぐに決められなくても構わない。ただ、私たちは本当に君たち旅人に感謝しているんだ」

「おそれおおいことです、だんな様……」

 フォルテ君は慣れない敬語で言いました。
 ヨハネス氏はそれを見て、一つ微笑んで、話題を切り替えました。

「しかし、よくもあの深山幽谷のリタルダンド渓谷から兄夫婦を見つけてくださいましたね。一体どんな方法を?」

 科学者の瞳を光らせるヨハネス氏をクララ夫人がたしなめます。
 するとアンダンテさんが横槍を入れました。

「何、プレスト君はちょっとばかり鼻が利くんですよ」

「人をハイエナかハゲタカみたいに言うんじゃねーよ」

「ほうら、こんな風にすぐ噛みついてくるでしょう」

 食堂はまた笑い声に包まれます。
 それからみんなで楽しくお昼を食べました。
 その間に執事が入ってきました。そしてプレスト君の名を呼びます。

「プレスト様にお電話がかかってきております」

「おやおや、こんな時に借金の督促かね? いくら世界最速の駿馬がいようと郵便馬車などでは食うや食わずだろう」

「うるっせーな、あんたこそ旅人以外の副業がない割にやたらと金回りがいいのはどうせロクでもねえことをやってんだろ」

 プレスト君はアンダンテさんの皮肉に皮肉を重ねて返します。
 食堂がまた笑いに包まれると失礼と言ってホールを出ました。
 プレスト君はそれきり戻ってくることはありませんでした。

 アンダンテさんは旅の話をしてみんなを楽しませます。
 フォルテ君も調子づいて、場を和ませました。
 とても楽しい、お祭りのような一日は夜遅くまで続きました。

 しかし活気づいていた街もだんだんに落ち着いていきます。
 太陽はもうとっくに沈んでいました。夜は更け、人々が夢の中へと誘われる頃。
 ブラームス家の中庭に二つの小さな影がありました。
 フォルテ君とフィーネちゃんです。少し欠けてしまった月を、二人は並んで見上げていました。

「私、本当にヤコブの梯子を昇ったんだね……」

 他人のことを思い出すようにフィーネちゃんは言いました。

「うん。フラフラになって、今にも階段を転げそうになって、本当にハラハラさせるんだもん。でもすごく一生懸命昇ってた。覚えてないの?」

「少しだけ。……とても暗くて、孤独だった。でも本当は、パパやママや、叔父様や叔母様、それからフォルテ君やアメリアが私の背中を押してくれていたんだよね……ありがとう、フォルテ君」

 フォルテ君は気恥ずかしそうに鼻をすすりました。

「来年もこの街にいれば、その時はフォルテ君がラビに選ばれるかもしれないね」

 ふとフィーネちゃんはそんなことを言いました。
 フォルテ君は慌てて否定します。
 旅人は教会のある街に居つくことは許されないのです。

「それは無理だよ。オレはよそ者だし、アンダンテさんは一度訪れた街にはなかなか戻ろうとしないんだ」

「そう、だよね……」

 フィーネちゃんは小さなため息をついて俯きました。
 その様子でフォルテ君も彼女の考えていることがわかりました。
 夜風が吹き抜け、二人の間に沈黙が残りました。
 言いたいことがあるのに言い出せない。
 そんな表情で相手をうかがってはお互いに口をつぐむのです。
 切り出したのはフィーネちゃんでした。

「フォルテ君、前に言ってくれたよね。私も一緒においでよって。旅人になって世界中を回ろうって」

「う、うん!」

 フォルテ君の表情がパッと明るくなります。
 しかし、それとは反対に、少女は月に背を向けて話を続けました。

「今でもその気持ちは変わってないよ。フォルテ君たちと世界中を回れたらどんなに素晴らしいだろうって思う。世界にはまだ私の知らないことがいっぱいあるんだよね。パパもママも、そうやって世界中を回ったんだよね」

 それからフィーネちゃんは話し始めました。
 かつて、パパとママが旅した場所の話を。パパとママが話してくれたように。
 このグリッサンドとは、何もかも違う街の話。着るものも、食べるものも。
 吹く風も、聞こえる歌も、きっとみんな違う場所の話。
 中にはフォルテ君も行ったことのある街もあったかもしれません。

「私もいろんな街に行って、いろんなものを見て、いろんな人に会いたい。だから……」

 振り返ったフィーネちゃんの表情を月明かりが照らしました。
 まっすぐフォルテ君を見つめます。少しの悲しさと大きな決意を宿した瞳で。

「だから、もっともっとたくさん勉強して、パパとママの跡を継げるくらい立派な商人になって、そしたら……その時は、フォルテ君たちと一緒に世界中を見て回りたい」

 フォルテ君は静かにフィーネちゃんの話を聞いていました。
 まっすぐに彼女の瞳を見て頷きます。

「フィーネちゃんなら立派にお父さんとお母さんの跡を継げるよ。必ず」

「フォルテ君……ありがとう」

「戻ろっか。もう夜も遅いし、明日から、お葬式の準備をしなくちゃ」

「うん」

 フィーネちゃんはフォルテ君の後をついて歩きます。
 そしてもう一度誰もいなくなった楡の木を振り返りました。
 もう一匹のピアの眠る場所。フィーネちゃんの罪が眠る場所。
 その時、月明かりを何か黒い影が横切った気がしました。気のせいだったでしょうか。
 フィーネちゃんの胸にざわざわと波紋が広がりました。
 誰かがあそこに座って、話している光景が浮かびました。
 その影に何故か、ぼんやりとアンダンテさんの横顔が重なります。

 フォルテ君、とフィーネちゃんは前を歩く少年を呼び止めました。
 何とも言えない胸のざわめきに、言葉が見つかりません。

「その……気をつけて、ね」

「うん! 今度会う時は、たくさんお土産話を話してあげるから。楽しみにしててよ!」

 フォルテ君の無邪気な笑顔。
 それがどれ程フィーネちゃんを安心させたかわかりません。 

――いつだってそうだったもの。

 フィーネちゃんはそう思いました。
 すると、また言いようのない気持ちになってしまうのでした。
 嬉しいようでもあり、悲しい気もしました。
 それでもまだ二人は気づいていません。

 お別れが刻一刻と近付いていることを。

 フォルテ君がベッドに入り、深い眠りに落ちてから数時間。
 静かに扉が開いて誰かがフォルテ君の毛布を剥ぎました。

「フォルテ君、起きたまえ。出発だ」

 冷えた空気がフォルテ君の肌を撫でました。
 眠い目をうっすらと開けます。
 アンダンテさんが毛布を持ってベッドの脇に立っていました。
 困惑してフォルテ君は飛び起きました。

「出発?」

「プレスト君が今馬車を引っ張り出している。早く準備をしたまえ。夜明けの前に出発する」

 突然のことにフォルテ君は頭がうまく回りません。
 窓の外にはまだ薄暗い闇がグリッサンドの街を覆っています。

「そんな、何も言わずに出発するなんて! それにフィーネちゃんのお父さんとお母さんのお葬式は……?」

「ヨハネス氏には昨夜出立の旨を話してある。ご両親二人の魂はすでに彼岸へと発った。ピラト司祭にも、もはやあの二人の死を受け入れられない理由がなくなった。罪は許され、死は祝福を受ける。私たちがなすべきことは何もない。赤毛の司祭の免罪譜も、手に入らない以上、この街にいる意味はない」

 アンダンテさんはもう何の興味もないように無表情に言います。
 フォルテ君は何と言っていいのかわかりません。
 アンダンテさんは最初から免罪譜を目当てにこの街に来て、それ以外のことはどうでもいいのです。
 それはわかりきったことでした。でもそれはフィーネちゃんを裏切ることのように感じられました。
 しかし、とアンダンテさんがフォルテ君を上から見て言います。

「君にはこの街に残るという選択肢もないわけではない。ヨハネス氏は君の母親の墓を作ってくれるとも言った。もちろん免罪符を教会から下賜してもらってと言うことだろう。君にとっては願ったりかなったりの話だ。君は私の弟子だが、まだ旅人ではない。旅人とは人と別れるためにいる人間だ。君がこの別れに耐えきれないというなら、君はここに残ることができる。クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテの名前とともに、旅人の弟子を捨てることができる。そうしろとは言わないし、そうするなとも私は言わない。君が決めたまえ」

 フォルテ君はアンダンテさんの顔をじっと見つめました。
 アンダンテさんはフォルテ君を見つめます。でも、その目には誰も映っていません。
 だからその真意はフォルテ君には図りきれませんでした。
 きっと半分は本心で言っているんだとフォルテ君は思いました。
 確かに、ヨハネス氏はここにフォルテ君を置いてくれるかもしれません。
 それにお墓を作ってくれるとも言いました。それはフォルテ君がずっと望んできたことです。
 もう二度とない機会かもしれません。一瞬、フィーネちゃんの顔が浮かびました。
 そして、次々に、この街で仲良くなった人たちがよぎります。

「……」

 フォルテ君は黙ってベッドから飛び降りました。そして素早く荷をまとめ始めました。
 アンダンテさんはしばらく黙ってフォルテ君を眺めていましたが、すぐに静かに部屋をあとにしました。

――免罪符は、オレ自身の力で手に入れなければ意味がないんだ。

 確かにブラームス家の人の好意にすがれば簡単に目的は達せられます。
 でも、それは何か違う気がしました。
 この街で頑張っていたのはフィーネちゃんであり、フォルテ君はその手伝いをしたにすぎません。
 ましてやその努力は、フォルテ君の母親の墓とは全く無関係の問題です。
 フォルテ君は自分の力で手に入れる免罪符を望んでいました。
 他人にすがっていいなら、母親が自殺者だということを偽って、とっくにどこかの墓所にその骨を埋めていたでしょう。

 屋敷の外はまだ冷気に包まれています。微かに白み始めた空にうっすらと星が瞬いていました。

「フォルテ君、待って!」

「フィーネちゃん……」

 馬車に乗りかけた足を下ろしてフォルテ君は振り返りました。
 屋敷の玄関から、フィーネちゃんが駆けてきます。

「そんな……本当にもう、行っちゃうんだね」

 息も切れ切れにフィーネちゃんが言いました。フォルテ君は俯くように頷きます。

「パパとママのお葬式、出てもらえないんだね……」

「……ごめん、どうしても行かなくちゃいけないんだ」

「……そっか」

「オレの母さんのこと、ありがとうね。ヨハネスさんからの話を聞いた時、本当に嬉しかったんだ。でも……母さんのお墓は、オレが自分の力で手に入れた免罪符で、建てなくちゃいけないと思うから」

「……そっか」

 お別れがくることはフィーネちゃんもわかっていたはずでした。
 昨夜もそのことをフォルテ君と語り合ったばかりでした。いえ、昨夜だからでしょうか。
 こんなにも別れが早いなどと一体誰が予測できたでしょう。  

 足下に温かいものを感じてフィーネちゃんは俯きました。
 ピアがこの朝の空のような瞳でフィーネちゃんを見上げています。
 この一ヶ月の記憶が、ピアの瞳の中に見えたような気がしました。
 両親が亡くなったこと、自ら命を絶とうとしたこと。
 フォルテ君らとの出会い、司祭の告白、ヴィア・ドロローサ――。

「ううっ……うっ」

 嗚咽が口から零れ落ちていきます。
 泣いてはだめだと必死にこらえようとしてもこらえきれません。
 最後の、フォルテ君とのお別れなのに。笑顔でお別れをしようって決めていたのに。
 堰を切ったように涙が溢れてしまいます。どんなに念じてもやっぱり我慢できません。

「フィーネちゃん……」

「ごめんなさい、悲しいんじゃないの、そうじゃなくて、いろいろなことがありすぎて、何だか胸がいっぱいになっちゃって……。私、ついこの間まで逃げることしか考えてなかった。命を投げだそうって思ってたのに、それが嘘みたいで」

――ねえフォルテ君。

 フィーネちゃんは涙を拭いて顔を上げました。
 それから胸ポケットから万年筆を取り出しました。パパとママの形見である、あの万年筆です。

「これを使って、手紙を書いて。フォルテ君が訪れた街のこと、かかわった人のこと、起こったできごと。フォルテ君からの手紙を読めば、これからどんなにつらいことや悲しいことがあっても、きっと私は大丈夫だから」

「フィーネちゃん……」

 フィーネちゃんはフォルテ君の胸ポケットに万年筆を差しました。
 それは日の出の光を受けて眩しく輝きます。

「フォルテ君……行ってらっしゃい」

「坊主、出すぞ!」

 ハンチング帽をかぶったプレスト君が御者台から声を上げました。
 ヴォルフガングが街中に響き渡るくらい大きく一つ嘶きました。そして馬車は走り出します。

「たくさん字を練習して、必ずお手紙を書くよ!」

 荷馬車の縁に体を乗りだして、フォルテ君は叫びました。
 徐々に小さくなって、坂の向こうに消えていくフィーネちゃん。
 フォルテ君は手を振って叫びます。フィーネちゃんもいつまでも手を振っていました。

「ずっと待っているから!」

 やがて馬車は大きく曲がり、ヤコブの梯子の階段を大きな音を立ててガタンゴトンと下ります。
 フォルテ君はそれでもまだ聞こえるのでは、とフィーネちゃんに大きな声でお別れを叫んでいました。
 そんなフォルテ君を、アンダンテさんが静かにたしなめます。

「よしたまえ、フォルテ君。紳士がレディとの別れに大声を上げるものじゃないよ。それより耳を澄まして聞きたまえ」

 アンダンテさんの言葉に、フォルテ君はぽかんとしましたが、耳に手を当てて、辺りに響く音に注意を向けます。
 朝を告げる鳥たちのさえずり、吹き抜ける風のささやき、そして何より、このヤコブの梯子を転がる車輪の音は、一段一段音色が違い、よく聞くとそれが確かに旋律を持っているのがわかります。

 それは音楽でした。街の上から下まで一直線に貫く階段を全て使った壮大な楽曲。

 ガタガタガタ、ガタガタガタ、ガタガタガタ、ガタガタガタ、ガッガッガッガッガ――。

「アンダンテさん、この曲は――まさか!」

「調和の霊感――免罪譜は確かにこの街に存在した。百年前に行われたヴィア・ドロローサが失敗し、この街に疫病が蔓延し、街の住人の三割が亡くなった時、赤毛の司祭が訪れ祈りをあげ、楽譜を献上した。ブラームス家はその譜面の主旋律に合わせて音が鳴るように、このヤコブの梯子を増改築した。この白黒のちぐはぐな階段はそれぞれの音程に合わせて石を削ってあるのだ。低音は長く広い段、高音は短く狭い段、音の長さは階段の長さで調整した。百年かけて行われたこのヤコブの梯子による調和の霊感は、ヨハネス氏の馬車の開発によって完成した。聞きたまえフォルテ君、この馬車の奏でる音こそが、免罪譜そのものだ」

 フォルテ君はそれじゃあ、と息巻いて続けようとしましたが、その先をアンダンテさんは手を広げて制します。

「ヨハネス氏はこう言った。『せめて、一目だけでもあの子に両親を合わせてやることができたなら』とね。そうすれば免罪譜を私達に譲ってくれると。最初はミス・フィーネとこの街の呪いを解いて、譲ってもらうつもりだったが、どうにもこの街の呪いを解いたのは私ではないようだったし、この街の呪いを解いた張本人は、自らが免罪符を下賜されるのを辞退したようでね。ならば私がこの免罪譜を受けるわけにはいかないだろう」

 アンダンテさんはフォルテ君の顔を見ずに、はるか後ろの方を眺めながら不敵に笑って言いました。
 フォルテ君は意味が分からず呆然と口を開けたままです。

「なかなかどうして隅に置けない弟子と言うことだ。聞きたまえフォルテ君。君のために奏でられる、これが許しの讃歌だ」

 それだけ言うと、アンダンテさんは物思いにふけるように、黙ってしまいました。
 フォルテ君も、それ以上は何も聞かず、ただ、この朝に奏でられる美しい旋律を静かに聞いていました。

 これが、調和の霊感。アンダンテさんが求めてやまない救済の音楽――。

 一台の大きな馬車がグリッサンドの坂道を下って行きます。
 まるで、街に福音をもたらすように美しい旋律を奏でながら。
 階段の街――グリッサンド。誰かが昇り、誰かが降りていく。
 そこに刻まれた許しの讃歌は、いつまでも終わることなく続いていくのです。
 大空に輝く太陽のように。そこに続く光の階段のように。

 フォルテ君は、耳を澄ませて朝日の中に奏でられる許しの音楽に聞き入ります。

 きっと、フィーネちゃんの耳にも届いているこの曲を。

 きっと、フォルテ君の母親にも、聞こえているであろう旋律を。 

【11】

ピルグリムの唄

――私たちは階段を作る。私たちは階段を作る。
 天高く続くいただきに。いただきに階段を作る――。

 体を横たえることさえできない程狭い箱の中。
 フィーネちゃんはひたすらに祈りの言葉を唱え続けています。
 静かに箱の中の小さな箱に座って。

 いえ、もう唱え続けているという感覚はありませんでした。
 それは呼吸と同じくらいに自然なことになっていました。
 意識して唱えているのではありません。唱えていることが自然で当然なのです。 

 箱の中には明かり一つありません。
 音もフィーネちゃんが唱える聖句以外には何も聞こえません。
 本当に狭い箱の中でした。座っていてなお、頭をかがめなければ天井に触れてしまう程です。
 フィーネちゃんは背を丸め、ずっと同じ言葉を繰り返し続けます。 

 箱に入ったのがどれくらい前のことになるのか。
 そして後どれだけここにいなければならないのか。もはや何一つ気にはなりません。
 何故自分が祈っているのかも、今自分が何をしているのかも。
 何もかもわからなくなってどれくらい経ったでしょう。
 果てしない祈りの中。フィーネちゃんは自分が何者なのかも失ってしまいました。

 暗闇はいつまでもいつまでも無限に続くように思われます。
 一時間が過ぎ、半日が過ぎました。
 一日が経過する頃には意識はどこか遠くに、おぼろげに浮かんでいました。
 神がかり――というのでしょう。
 毎年、ラビはこの極限の状態の中で一歩ずつ階段を昇るのです。
 そしてまさに今、フィーネちゃんは箱から出されます。
 このグリッサンドの正門から山頂の教会まで延々と続く大階段。
――ヤコブの梯子を昇ろうとしていました。

 ヴィア・ドロローサが始まるのです。
 フィーネちゃんを取り囲む樫の木の板が外されました。
 その姿があらわになります。
 彼女を知る人には、その姿はとても痛々しいものに見えました。
 春の新芽のような若々しい緑色をした目は一点の光もありません。
 鈴が転がるような声で笑う唇は渇いてひび割れています。所々ささくれ立ってさえいました。
 櫛の通されていない髪は乱れたまま。そしてかなり痩せてしまっているのが一目にわかります。

 フィーネちゃんはすでに自分の名前もわかりません。
 それでも自分が今何をすればいいのかは覚えていました。
 ゆっくりと箱の上から立ち上がります。
 そして目の前にそびえたつ階段を昇ろうとします。
 しかし、足腰はすっかり萎えていました。
 丸一日も動くことを禁じられていたのです。
 思うように動かせるわけがありません。
 最初の一歩にフィーネちゃんは転び、身を打ち据えました。

 その痛みはあまりに新鮮で強烈に感じられました。
 あらゆる感覚を遮断されていた中で久しぶりに感じる痛み。
 刺激が強すぎて声を上げることもできません。ただ荒い息を吐きます。
 そして、それでも四つん這いになりながらゆっくり動き始めます。
 虫のように、一歩ずつ。這うようにして階段を昇ります。

 裸足の両足はぺたりぺたりと歩くたびに、小さな音を立てます。
 春先の夜の石畳の階段はとても冷えていました。
 もちろん真冬のように足の皮が凍って張り付くことはありませんが、すぐに冷えた末端は感触を失いました。
 それからはもう、意志の力だけで体を動かすしかありません。 

 目は箱の中ですっかり衰えてしまいました。
 いまだに焦点をうまく合わせることができません。
 ぼやけた視界には街並みさえおぼろに映ります。
 高みにそびえる教会は、一向に近付いている気がしません。
 心臓だけは激しく脈打って、今にも口から出てきてしまいそう。
 フィーネちゃんは心臓が出ないように口をつぐみます。
 そして元に戻すようにごくりとつばを飲み込もうとしました。
 しかし、口の中はカラカラで、逆に喉が張り合わされたようになって咳き込んでしまいます。 

 ぺたりぺたり。

 フィーネちゃんは震える手足を必死に動かします。階段を一段、また一段と昇っていきます。

 ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぺたり、コツ、コツ。

 不意に背後から聞こえた靴音。フィーネちゃんは一瞬立ち止まります。
 しかし、すぐにまた階段を昇り始めました。

 ぺたり、ぺたり。コツコツ、カッカッ。
 ぺたり、ぺたり。コツコツ、カッカッ。

 それは明らかにフィーネちゃんのものではない足音です。
 革靴とハイヒールの靴音でした。誰か二人が、階段を昇っているのです。
 フィーネちゃんの後につき従うように。

――誰。

 フィーネちゃんは心の中で問いかけました。もちろん答えはありません。
 フィーネちゃんが一段を昇るたびに、一段。
 昇るまでずっと立ち止まって、昇るとすかさず一段を昇る足音。
 振り返りたくても、それは許されないことでした。
 ヤコブの梯子でラビが振り返ることは、試練を放棄する合図。振り返れば祭りは中止。
 その時点で教会のシスターたちが、手当てをしてくれます。
 しかしそれは同時に、祭りの失敗を意味することでした。 

 もちろんもうフィーネちゃんはそんな戒律は頭の中にはありませんでした。
 しかし十三年をこの街で過ごした体はそのことを覚えています。
 心の奥底には祭りの決まりがしみついています。それがフィーネちゃんに戒律を守らせていました。

 ぺたり、ぺたり。コツコツ、カッカッ。

 一歩を踏み出すたびに、誰かは同じ歩幅で一歩進みます。
 離れもしなければ、近付きもしませんでした。

――あなたたちは誰。

 ぺたり、ぺたり、コツコツ、カッカッ。

――どうしてついてくるの。

 ぺたり、ぺたり、コツコツ、カッカッ。

――シスター? 教会の人たち?

 ぺたり、ぺたり、コツコツ、カッカッ。

――ヨハネス叔父様、クララ叔母様?

 ぺたり、ぺたり、コツコツ、カッカッ。

 後ろを振り向けば、全てを終わりにすることができます。
 振り向いてしまいたいとも強く思いました。
 それでも、前へ、前へと少しずつフィーネちゃんは歩きます。
 振り返ってはいけないのだと、体だけが覚えていました。

「プレスト兄ちゃん!」

 フォルテ君は小さくプレスト君を呼びました。
 今、フォルテ君の目の前には女の子がいました。
 幽霊のような足取りでひたすらに階段を昇る女の子が。
 それは変わり果てたフィーネちゃんでした。
 全身はぼろぼろで、今にも崩れてしまいそうです。
 よじ昇るという言葉にふさわしい足取り。もうやめろと、駆け寄りたくなる程です。

「見届けろ。いいか坊主、フィーネ・ブラームスは死のうとしていたんだ。お前との出会いが、今彼女にこの試練を受けさせている。お前が彼女をこうさせたんだ。お前が彼女に決意させた。全部何もかもお前の責任だ。見届けろ」

 プレスト君が冷たくそう言い放ちます。フォルテ君は顔をしかめて泣きそうな顔をしました。

「だって、街の人は誰も見に来てないじゃないか!」

 そう、今日はグリッサンドの一番のお祭り、ヴィア・ドロローサ。
 それなのにどの家も門扉を固く閉ざし、窓を閉め切っています。
 街にはフォルテ君とプレスト君、教会の人たち数人しかいません。
 戒律によって、ラビの血縁者は教会の聖堂で祈りを捧げています。
 だからブラームス家の人々もいませんでした。
 フィーネちゃんを見守っているのは、たったこれだけなのです。
 フォルテ君たちの言葉は結局、届かなかったのでしょうか。

「それもしょうがない。それだけこの街の奴らが自分の罪を認めようとしない奴らだったってことだ。悪いのはお前じゃない」

「それでも、こんなの、ダメだよ、フィーネちゃんが可哀想だよ!」

「なら街の連中に慈悲でも乞うんだな。せいぜい他人の施しを期待していろ」

 プレスト君はそれだけ言いました。
 そのままぷい、と振り返ってブラームス邸に戻っていきます。
 アンダンテさんも教会にいて、そしてフォルテ君には教会には来るなと言われていました。
 フォルテ君はあてどなく周りを見ましたが、誰もいません。

「どうか! 誰か! ねえ、お願いします! 中にいるんでしょう! フィーネちゃんが階段を昇っているんだよ! 出てきて見届けてよ! 誰か!」

 フォルテ君はすぐ近くの家のドアを強く叩き叫びました。
 しかし返ってくるのは跳ね返った自分の声。それからドアを叩く痛みばかりです。

「もしもし! お願いします! 誰か出てきて! どうか、どうか!」

 フォルテ君は叫んで街中を回ります。
 しかし、誰一人として答えるものはありません。
 失意のうちに、フォルテ君は広場にへたり込みます。
 頭を垂れて、無力な自分の手のひらを見ます。
 何もできない。フィーネちゃんのために何一つしてあげられない。

 フォルテ君は無力感に打ちひしがれます。
 あの、と声をかけられても、しばらく気づかない程でした。
 その小さな手に黄色いマントを引っ張られ、やっと気が付きます。

「君たちは……確か、この前広場で会った……」

 三人の子どもがフォルテ君を見下ろしていました。
 フォルテ君らの演奏を広場の影から見ていたあの子どもたちです。
 一番背の高い男の子が前に出て言いました。

「僕たちにも何か手伝わせてほしいんだ」

 後ろから三つ編みの女の子が小さな声で言います。

「フィーネおねえちゃんの力になりたいの……わたしたち、フィーネおねえちゃんにひどいことしちゃったから、ちゃんと償わなきゃ」

 彼らに手を支えられてフォルテ君は立ち上がりました。
 フォルテ君は嬉しくて唇を震わせました。
 昨日の言葉はちゃんと届いていたのです。少なくともこの子どもたちには。
 いえ、きっと他の人たちも心のどこかではわかっているはずです。

「ありがとう、みんな。フィーネちゃんを見守ってあげて」

 子どもたちは力強く頷くと、ヤコブの梯子へと駆けていきました。

「そう、お嬢様は一人ではありません」

「アメリアさん……」

 振り返るとブラームス家のメイドのアメリアが立っていました。

「けれど、どうやってそれを証明すればいいのでしょう? フィーネ様が一人でないということをどうやって示せば? 主人がつらい試練に身を置いているのに、わたくしはのうのうとそれを黙って見ていることしかできない」

 アメリアは哀しそうに笑って、メイドキャップを取り外しました。
 ピンでまとめていた黒い髪をほどき、顔を振ります。
 その長い髪の毛がしなやかに波打ちます。
 せっけんの香りがフォルテ君の鼻を掠めました。
 その様子にフォルテ君は少しどきりとしてしまいます。

「……先程、屋敷に辞表を出してきました」

「そんな! どうして!」

「フィーネ様をないがしろにする薄情な街になんて、未練はありませんもの」

 アメリアは長い前髪をさらりとかき上げます。
 そして冷たい視線で階段の上に広がる街並みを眺めました。
 フォルテ君は泣きたい気持ちになりました。
 フィーネちゃんの味方だと思っていたのに。
 アメリアはフィーネちゃんを見捨ててしまうのです。

「……空を飛ぶ羽を持たなければ、神へと続くいただきに、私たちは階段を作る――こんな碑文!」

 アメリアは碑文の上にメイドキャップを叩きつけます。
 更にその上から石畳を踏みつけました。フォルテ君は驚きます。

「何が聖人よ! お嬢様が何をしたって言うの? ご両親を亡くして、どうして街からも拒絶されなければならないのよ! こんな、こんな街!」

「ダメだよアメリアさん!」

 アメリアはなおも地団太を踏むように碑文を蹴りつけます。フォルテ君は慌てて止めました。

「離してください! こんな街、呪われてしまえばいいんだわ!」

「違う!」

 フォルテ君は周りに響く大声を張り上げて言いました。
 その声に思わずアメリアも止まりました。

「確かに、この街は今フィーネちゃんを許さないようにしているけど、でも、それでもこの街は、フィーネちゃんのお父さんとお母さんが、フィーネちゃんの一族が、ずっと守ってきた街だ! そしてフィーネちゃんは、今その街を許して、そして許されようと頑張ってるんだ! アメリアさんがこの街を呪ったら、それは街の人たちとおんなじだ! それはフィーネちゃんを呪うことだ!」

 その言葉にアメリアはハッとしたように目を見開きます。
 そして恥じ入ったかのように目を伏せました。

「……すみません。我を失っていたみたいです」

 アメリアはため息を付くように言いました。そして静かに頭を下げます。

「そうですね、お嬢様のことを思うなら、わたくしがこの街を呪うことができるはずがありません」

 頭を下げるアメリアに、フォルテ君はおたおたしてしまいます。
 目上のしかも女の人に頭を下げられるなんて初めてでした。
 いくらとっさのこととはいえ、あまりいい気分ではありません。

「ううん、オレもごめんなさい。ちょっと言い過ぎちゃった」

 それから二人は少しぎこちなく笑いました。やがてどちらともなくため息をつきました。

「本当に、どうにもならないことなのかな。せめて一目でもフィーネちゃんの姿を見てくれれば、絶対にわかると思うんだ。あんな必死の女の子を見て、放っておける人、いるわけないよ」

「そうですね……」

「こんな時にあの時みたいにサイレンが鳴ったりすればいいのに。そうしたらみんなヤコブの梯子に集まるんでしょう?」

 フォルテ君は井戸に落ちた時の光景を思い出して言いました。
 それを聞いたアメリアの顔色が目に見えて変わっていきます。
 アメリアは何かを呟きながら、唇に手を当てて考え込みました。

「アメリアさん?」

「それだわ、それですわ、フォルテ様……聖人は血にまみれて角笛の中を昇るのですわ。お嬢様は血にまみれていないし、角笛が鳴っていない」

 言うや否やアメリアは走りだしました。
 フォルテ君は慌てて後を追いかけます。
 裏道を通って広場から一気に駆け上がります。
 そのまま横道を走ってブラームス邸にたどり着きました。
 お屋敷は人気がなく、明かりもほとんどついていません。静まり返っていました。

「ここを開けてください!」

 アメリアは門扉に手をかけて門番に怒鳴りつけるように言います。
 門番はアメリアを見つけて眉をひそめました。

「フィーネ様を見捨てたあなたが今更何の御用でしょうか」

 アメリアは今になって、お屋敷をやめたことを後悔しました。
 しかしここで立ち止まるわけにもいきません。
 その時、後ろから息せきかけて追いかけてきた声がありました。
 フォルテ君です。アメリアはすかさず門番に緊急事態ですと言いました。

「こちらの旅人のお弟子様がお嬢様の試練に必要な大切な道具を屋敷の中に忘れたままにしていると。取りに行きたいので開けてもらえませんか?」

 それを聞くと、威圧的だった門番の表情が不安げに曇りました。

「しかし、もうヴィア・ドロローサは始まっていますよね。大丈夫なのですか?」

「お嬢様が教会に到着するまでに間に合えばいいのです。開けてください。それともこのままお嬢様の試練が失敗に終わるのを待ちますか?」

 アメリアが少し強い口調で言いました。
 めっそうもないと門番は二人を門の内へと通します。
 フォルテ君はきょとんとしていました。しかしアメリアに手を引かれるように門をくぐりました。

「わたくし一人ではやめた手前お屋敷に戻ることができないのです。勝手に嘘のだしにしてしまってすみません」

「それはいいけど、何をするつもりなの、アメリアさん」

「サイレンを鳴らすのです」

 え、と思わずフォルテ君は立ち止まってしまいました。
 アメリアは振り返ってフォルテ君を見つめます。

「この街でサイレンを濫用するのは重罪です。ですからフォルテ様をこれ以上巻き込むわけにはいきません。どうかここでお待ちになっていてください。ここからはわたくし一人で行います。たくさんのご助力とお導き、言葉もありません」

 そしてまた、アメリアは深く頭を下げるのでした。

「冗談でしょ。ここでサヨナラなんて、悲しいこと言わないでよ。最後まで付きあわせて」

「わたくしはこの街の人間です。そしてブラームス家に仕えた身。主人を助ける義務があります。フォルテ様はお客様です。これ以上のご面倒をおかけできません」

「オレはフィーネちゃんのともだちだよ。ともだちが困ってるなら、助けるのは当たり前だよ」

 フォルテ君は毅然とアメリアの目を見つめます。
 アメリアは睨み付けるように見返します。そしてふと顔をほころばせました。

「この街に訪れた旅人があなたでよかった。こちらです」

 それから二人はお屋敷に入ってヨハネス氏の書斎に向かいます。
 その間中、誰とも会うことはありませんでした。
 お屋敷の人たちは、みんな教会でお祈りを上げているのでしょう。
 ひたすらにフィーネちゃんの試練の成功を祈って。

 書斎は鍵がかかっていませんでした。
 中に入ると、フォルテ君の前にたくさんの本の山が現れました。
 積まれた本が、絶妙なバランスでお互いに支え合っています。
 いろいろな学術書。壁のあちこちに貼られた設計図のようなもの。
 複雑な計算式の書かれた紙の山。いかにも発明家の部屋という感じでフォルテ君は驚きます。

「わぁ、すごいお部屋だなぁ!」

 自分を驚かせたサイレンもこの人が発明したんだ。プレスト兄ちゃんを驚かせた馬車も――。

 その部屋はそれらの業績を認めさせる説得力がありました。
 アメリアは見慣れているのかそれに構うこともありません。
 手際よく壁面の本棚の一冊を引き抜きました。
 ガチャリと錠前の開くような音が響きます。
 アメリアはそのままその本棚ごと壁を押します。
 するとそこがドアのように開いて、中に部屋が現れました。
 物置と言っても差し支えない小さな部屋です。
 中にはフォルテ君が見たこともない機械がひしめいています。
 アメリアはその部屋の中から鐘をいくつか取り出しました。

「これは警報がなかった頃に街の人に避難を知らせるために使っていた半鐘です。フォルテ様はこれを鳴らして街を走り回って街の人をヤコブの梯子に案内してください」

 フォルテ君はぽかんと口を開けたままです。
 アメリアは小さく笑って、その部屋の椅子に腰を掛けました。
 赤いボタンを押します。すると机の上の赤いランプが点滅し始めました。
 それとともに大きな音が鳴り渡ります。

「わたくしはここで可能な限り警報を鳴らし続けます」

 アメリアは目配せをし、フォルテ君に街に戻るように示します。
 フォルテ君は頷きました。そして、手の中の鐘を大きく打ち鳴らし、叫びます。

「みんな! 大変だ! 今すぐヤコブの梯子に集まれっ!」

 街中はあっという間に赤い光でいっぱいになりました。
 あちこちで警報のサイレンが唸りをあげます。
 何の前触れもなくいきなり鳴りだした警報。街の人たちは驚きました。
 警報が鳴るのは主に採掘所で爆発がある時です。
 爆破の日程は月ごとに街の掲示板に張り出されます。
 その日からずれることは決してありません。
 その予定にない警報が鳴っているのです。街の人々は大慌てです。

 それでも地震の多いグリッサンドでは初めてではありません。
 この街の人たちは、こういう事態に慣れています。
 今は亡きブラームス卿が確立した避難時の手引き。何度も行われた避難訓練。
 それが反射的に街の人たちの足をヤコブの梯子に向かわせました。
 半鐘が鳴っているのが遠くの方に聞こえます。

 何事だろう、一体何が起こったというのだろう――。
 それ見たことか。呪われた娘が厄災を招いた――。

 そう思いながら駆け足で人々はヤコブの梯子に集まります。
 そしてその光景を見て思わず息を飲みました。

 そこには階段を昇る少女の姿がありました。
 生まれたての鹿のように頼りない足取り。
 弱弱しくも、懸命に地面を踏みしめています。
 全身から汗が滴り落ちて階段を濡らす程です。
 顔を濡らしているのは涙なのか汗なのか、もう判別もつきません。

 満月とかがり火と、そして避難を知らせる赤い光。
 それらがその苦難の表情を照らしています。
 少女の姿はこの地に伝わる古い伝承と何一つ変わりませんでした。
 この街を異国の侵攻から守った最初の侯爵、聖ヤコブと。
 魔女として引き出され、神に許された聖女ヴェロニカと。
 苦痛に耐えながら、死力を尽くして階段を昇っている少女。
 今、人々の目の前に、まさに伝説が顕現しているのです。

――かくて聖人は血の衣を纏い、鳴り響く角笛の下、罪を背負いて階段を昇る。

 彼女の姿を見た街の人々は立ち尽くし、そしてひれ伏しました。
 手を組み、頭の前に掲げ、そして無言で祈ります。
 自分たちは愚かだったと誰もが思いました。信じるべき、尊いものは目の前にあったのです。 

 やがて、そうして祈る人々の人垣ができました。
 ヤコブの梯子の両脇に壁のように並びつくしています。
 もはやこの少女が呪われているなどと、誰一人思っていません。
 呪われるものがこの清浄なる階段を昇れるはずがありません。
 ましてこの困苦に耐えうるはずがありません。
 試練を果たそうと挑むものが呪われているわけがないのです。

 グリッサンドの人々は祈ります。
 彼女が試練を果たすことは彼女自身の罪が許されること。
 またそれは街の住人自身の罪も許されるということです。
 誰もが涙を浮かべて祈りました。自分の罪に許しを求めて。

「大変だ……、大変だよ……はあ、はあっ、……はあ」

 フォルテ君は大声で叫び続けながら半鐘を打ち鳴らします。
 それはもう街中の至るところを駆け回りました。
 その鐘に続いて多くの人たちが窓から顔を出しました。
 そしてヤコブの梯子の方へと向かいます。
 フォルテ君はもう息も絶え絶えでした。思わずその場に倒れ伏してしまいました。 

――こんなものじゃない。フィーネちゃんはもっとつらい思いをしているんだ。

 フォルテ君は自分にそう自らを奮い立たせようとしました。
 しかし、もはや寝返りを打つことも満足にできません。
 もう街では、家の中に残っている人はほとんどいませんでした。
 多くの人がヤコブの梯子に集まっていました。
 それでもフォルテ君はそれでもまだ走り回っていたのです。
 息が苦しくて、目の前が暗くなっていきます。

――ダメだ、もう動けない。

 そのままフォルテ君のまぶたはぴたりと閉じてしまいました。
 そして、深い寝息を立て始めます。
 やがて背の高い男が物陰から現れました。
 彼はフォルテ君を抱き起して、肩に担ぎ上げました。

「ホント、むちゃくちゃやる奴だよ、お前……。なあアドルフ、あんたこの子に何をさせようと思ってんだ」

 呆れたような顔でプレスト君は言います。
 そして、ハンチングの下で、悩ましげに肩の少年を見ました。
 そのままプレスト君はブラームス邸に入っていきました。

「ヨハネス様、クララ様! お嬢様が!」

 教会の聖堂で祈るヨハネス氏と、クララ夫人。二人は駆け込んできたアメリアの姿に驚きます。
 今年のヴィア・ドロローサは例年のものと全く違っていました。
 フィーネちゃんがラビに選ばれたこと、見知らぬ旅人が言うままに教会に嘆願して二つの棺を祭壇の下に置いてもらったこと、そしてこの騒ぎ。
 二人はあまりの慌ただしさにどうかなってしまいそうでした。

「アメリア、どういうことだね、街中の警報を鳴らして、一体何があったというのだね」

「ご叱責はことが済み次第賜ります。それよりフィーネ様が……」

 ヨハネス氏はその言葉に、そのまま聖堂から出ました。
 そして、教会の門の前に立ちます。
 そこは大階段、ヤコブの梯子から連なる教会の門前。
 目の前に広がる光景に、ヨハネス氏は言葉を失いました。 

 目下に広がる階段の向こうに、大きなかがり火の群れが見えます。
 階段を昇る人々のかがり火です。
 間違いなくフィーネちゃんの背後につき従っていました。
 祈りの歌声が聞こえます。誰もがフィーネちゃんの試練の成就を祈っていました。

 クララ夫人も、アメリアに車椅子を押されて同じく声を失います。
 ようやく目の当たりにしたその光景。ああ、と小さくため息を洩らします。
 街の人々がフィーネちゃんを受け入れてくれたという事実。
 それにヨハネス氏は崩れ落ちました。そしてクララ夫人の膝に泣き縋るように頭をうずめます。
 彼女も夫の頭を優しく包むようにしてそして、泣きました。
 フィーネちゃんは兄夫婦が亡くなって、一人残された娘でした。
 それが街の人たちから恨まれて、二人には何もできませんでした。
 そのことにどれだけ悩んでいたことでしょう。どれ程こんな日を待ち望んでいたことでしょう。

 ヨハネス氏はふと懐中時計を見ました。日の出は六時です。
 今は五時十五分。かがり火の群れは、ゆっくり一段ずつ昇っていきます。
 まるで日の出に合わせるかのように。間に合うか、間に合わないか。
 ちょうどそのギリギリの境界にいるような微妙な状況です。

「祈ることです」

 後ろから低い声がしました。いつの間にか黒衣に身を包んだ髪の長い男性が立っていました。

――アンダンテさんです。

 その足元からピアが飛び出しました。
 白い猫は、一目散に教会の外にかけて行きます。階段を昇るフィーネちゃんのもとへ。

 足も手も、もはや感覚がなく、ただの棒切れのようでした。
 いえ、もはや手も足もなくなってしまったのかもしれません。
 腰を曲げては芋虫のように這って進んでいるのかもしれない――。
 彼女はそう思いました。

 ふと前を見上げます。依然教会は遠くにあるように見えました。
 一向に近付いているようには見えません。 

 ぺたり、ぺたり。
 ぺたり、ぺたり。
 ぺたり、ぺたり。

 その時フィーネちゃんは気づきました。後ろを歩く足音がしていないのです。
 フィーネちゃんは後ろの気配を感じようとしました。しかし何も聞こえません。
 いつからいなくなっていたのでしょうか。

 後ろの足音がいないという事実。
 それにフィーネちゃんは心が折れる気がしました。
 その足音は、いつしか彼女の心の支えになっていたのです。
 誰かが一緒にこの試練に挑んでいる。
 そう思ったからこそ、ようやくつらい登坂に耐えられたのです。

 今、その誰かさえ失いました。パパとママのように。
 フィーネちゃんはがくんと崩れ落ちました。
 フィーネちゃんは顔が地面に触れるのを感じます。
 熱い体に冷えた石畳がとても心地よく感じられました。
 目を閉じればそのまま眠ってしまいそうです。

 急に悲しくなりました。
 パパとママを失った夜のような寂しさが胸に込みあげてきます。
 つらさが一気に噴き出して、目から伝い落ちました。
 一体自分は何をしているんだろうと思いました。

――パパもママもいないのに。こんなことをしても、誰も見ていないのに。

――誰も?

 その時、やっと耳は音をとらえる機能を回復しました。
 後ろから背中を押すようにサイレンの音が聞こえました。
 そしてそれに負けないくらいに響く歓声。
 それらがフィーネちゃんの耳に届きました。口々に声は言っています。

 がんばれ、立ち上がって、ごめんなさい、あなたは――。

――ダメだよ。

 声がしました。かり、かりと頬に柔らかく爪を突き立ててきます。
 フィーネちゃんは目を開けました。目を閉じていたことに気づきました。
 目の前に白い毛並みが見えます。夜のとばりがだんだんに開けようとしています。
 大気が青白くなっていました。

――立って。行かなくちゃ。一緒に行こう。

「ピア……」

 ピアがフィーネちゃんのぼろぼろの指先をなめます。
 じんわりと温かく、そこから再び力がわいてくるのを感じました。
 フィーネちゃんは満身の力を込めて、立ち上がります。
 白い猫が導くように前を歩きます。
 頭がくらくらしました。膝はがくがく言います。それでも彼女は前へと進みます。

――一緒に行こう。さあ。

 もちろんピアがしゃべるわけもありません。
 しかし朦朧としている彼女にはしっかりとピアの声が聞こえます。
 一人じゃない。ピアが前を歩き、そして街の人々が背中を押してくれる。
 俄然力がわいてきました。フィーネちゃんはもう寂しくありませんでした。
 この試練は、もう彼女一人だけのものではなくなっていました。

 ヴァイオリンの音色が聞こえました。
 それに合わせて歌う歌声が後ろから聞こえています。それは大きな声でした。
 その大合唱が彼女を背中から押してくれます。
 そして、フィーネちゃんはようやく、教会の前に立ちました。
 太陽は、まだ水平線から顔を出していません。  

 フィーネちゃんは教会の扉を開け、聖堂の中に入っていきます。
 ヨハネス氏と、クララ夫人が、跪きました。アメリアもそれに倣います。
 フィーネちゃんはまっすぐ進みます。
 祭壇の前には二つの漆黒の棺が置いてありました。
 街の人たちが聖堂に入ってきて中を満たします。
 入りきれずに溢れた人たちは教会の前に詰め寄ります。
 フィーネちゃんは棺の前に立ちました。祭壇の上にはピラト司祭が立っていました。

「よくたどり着きました。フィーネ・ブラームスよ」

 ダン、と司祭は持っている杖で強く床を叩きます。
 ヴィア・ドロローサもいよいよ佳境です。審問が始まるのです。

「グリッサンドの民よ。ヴィア・ドロローサへ、ようこそ。この暁に、一人が許され、一人が裁かれる。ここに二人の罪人がいる。一人はフィーネ・ブラームス。彼女は呪いを用いて両親を殺し、街中を呪ったと言われている。これは真か」

 司祭が厳かに聖堂を超えて街中に響き渡るような声で言いました。
 すぐに集まった人々が偽りであると口々に言います。

「では、街の民よ。ここにいるフィーネ・ブラームスはどのような罪でこの場に立っている」

 街の人々は唸りました。答えたのは他ならぬフィーネちゃんでした。

「私の罪は、私が呪われていると言われた時に、それを否定しなかったことです。呪われていると言われて世界を本当に呪ってしまったことです。そして自ら死のうとしたことです。私の罪は、私の罪を許せなかったことです」

 まっすぐに司祭を見つめてフィーネちゃんが言いました。司祭は頷きます。

「ここに今一人、罪人がいる。罪人の名をピラトという」

 司祭がその名を叫ぶと、人々は一気にどよめきました。
 それは他ならぬ司祭本人の名前だったからです。

「ピラトは司祭の立場を利用してブラームス夫妻に街の復興を急がせ、それが災いとなり二人を死なせてしまった。それだけに留まらず、己が病をさも二人の娘のせいであるかのようにふるまった。街の民が、彼女の呪いだと噂するのを敢えて諫めずにおいた。フィーネ・ブラームスを自殺にまで追いやった罪はこの私にある。これは全て真である」

 ざわめきは一層大きくなりました。司祭は強く杖を床に打ち付けます。

「さあ、グリッサンドの民よ。許されるのは誰だ。罪人はどちらだ!」

「それは違います、司祭様!」

 民衆の中から一人の男が進み出て跪きました。

「街の再建を急がせたのは私たちに他なりません。私たちは心のどこかで、ブラームス家が街のために尽くして当たり前だと……そんな馬鹿げた考えを妄信しておりました。裁かれるべきは私たちです」

 別の女がフィーネちゃんの足下に跪きました。

「彼女が呪われているという噂を広めたのは私です。裁かれるべきは私ですわ!」

 街の人々が次々と頭を垂れました。裁かれるのは自分だ、いや自分だと。
 そんな中コツコツと石畳を響かせて前に出る男がいました。

「お待ちください」

 漆黒の喪服をまとい、真っ白な顔の男が立っていました。
 手には漆黒のヴァイオリン。長い髪は後ろで同じく黒いリボンでまとめています。
 喉元はきつくボタンを留め、黒いネクタイを締めています。
 その後ろにはやはり漆黒の礼装をした褐色の肌の赤い瞳の青年が。

「この暁に、審問に異議申し立てがあると、冥府より馳せ参じた方がいらっしゃいます。列席を賜りたく存じます」

 男がよく通る声で言いました。

「そなたは――」

 司祭がわずかに驚いた表情を浮かべながら問いました。

「旅人――アンダンテと呼ばれております。こちらは同じく旅人のプレストと申します」

「そなたが……して、異議のあるものとは?」

「二人の罪人、いえ、全ての罪人の罪を決定づけ、このグリッサンドの混乱の根源となった方々です」

 フィーネちゃんは思わず目を見開きます。
 その言葉の意味することが理解できたからです。
 二つの棺、自分の罪のその始まり。それは――。

「お二人はもうこちらにいらしています。皆様にももうお見えのはず」

 アンダンテさんがヴァイオリンの弦を一本弾きました。
 キーンと冷たい音が静かにこだまします。
 それが虚空にしみ込むと同時に、足音が聖堂に響きます。

――コツコツ、カッカッ。

 フィーネちゃんの後ろに立つ誰か。
 その誰かがそっとフィーネちゃんの肩に手を置きました。
 プレスト君は棺の前に立ち、観音開きになった窓を開きます。
 そこから覗く顔に人々が息を飲む音が広がっていきます。

――お前は。

――あなたは。

「呪われた子じゃない。私たちの立派な娘だ。フィーネ」

 そしてその声はフィーネちゃんの前に進みました。
 その後姿をフィーネちゃんが間違えるはずがありません。忘れるわけがありません。

「パパ、……ママ!」

 フィーネちゃんは叫びました。
 そして振り返ったその胸に飛び込むように抱き着きます。
 ブラームス卿はフィーネちゃんを抱きかかえます。

「ブラームス卿!」

 司祭は目を丸くして驚いています。
 二人はすでに冥府の門をくぐったはずでした。
 いえ、今二人の遺体が祭壇の上の棺に入っているのです。
 それは間違いなく二人が亡くなったことを示していました。
 その顔は崩れ落ちた谷底から引きずり出されたとは思えません。
 二人ともまるで眠っているかのように安らかな美しい顔でした。

 棺の中にいる人物が、棺の前に立って娘を抱きかかえています。
 ならば今聖堂の中央に立つ二人は何だというのでしょう。
 街の人たちは恐れおののいたようにひたすらに地に伏せます。
 二人の旅人と、ブラームス一家、そして司祭――。
 たったそれだけが、頭を上げています。 

 ブラームス夫妻は、平伏する人々の前を通り過ぎます。
 フィーネちゃんはその腕の中でひたすら泣いていました。
 夫妻は祭壇に昇り、自らの遺骸が横たわる棺の前に立ちます。
 そして振り返って聖堂を見ました。街の人々を見回してそして言います。

「みなさん、頭を上げてください」

 ブラームス卿は柔らかい声で言います。恐る恐る、街の人々は立ち上がります。

「私たちの死が、この街に多くの禍根を残したようです。司祭様と、街の人々と、そして娘を、この上なく苦しませてしまった。でも、罪の重さを秤にかけて、どちらの罪が重いか比べるなんて意味がありません。軽ければ罪が許されるというものでも、重いから許されないというものではないでしょう。ただ、自分自身の罪を知り、それと向き合い、許していくことでしか、人は前に進めないのです。この街に罪人なんていない。司祭様、あなたのしたことは何も悪いことではありません。フィーネ、お前にも罪などない」

 フィーネちゃんはその言葉にブラームス卿の顔を見つめました。
 そして何も言わず、その胸に顔をうずめます。
 ブラームス卿はその頭を優しく撫でました。

「全ては一つの歯車の狂いから始まってしまったこと。この暁に罰せられるものがいるとすれば、それは街の人間全員であるべきで、許されるならば、街の全員が許されなければならない。そうではありませんか?」

 ブラームス卿は振り返ります。司祭は青ざめて見えました。
 即座に司祭は頭にかぶっている帽子を取り、跪きました。

「あなた方には、何を言っても許されないことをしました。……ごめんなさい」

「頭を上げてください、司祭様。責任を感じてくださるなら、どうか娘によくしてやってください。そしてこの街のことを頼みます」

「許してくださるのですか?」

「グリッサンドは罪が許される街です。どうか判決を」

 司祭は顔を上げ、帽子をかぶりました。
 そして杖をダンと大きく叩きつけます。朗々とした声を張り上げて言いました。

「街の民に問う! フィーネ・ブラームスを罰するもの!」

 司祭が問いかけます。聖堂は静まり返っていました。

「では、ピラトを罰するもの!」

 やはり何の声もしません。

「……みなが、許されるべきだと思うもの!」

 聖堂の中心で小さく拍手が響きました。
 フィーネちゃんです。ブラームス夫妻も手を打ち鳴らします。
 それに合わせて聖堂が、街中が、歓声と拍手に溢れました。司祭は杖を鳴らします。

「ここに判決を言い渡す! 全員無罪! ここに、グリッサンドの街そのものに対する免罪符を発行する!」

 そう言って司祭は祭壇の上にある書状に名前を書き、教会の証印をドン、と捺してその免罪符を大きく掲げました。

 歓声は一層大きくなりました。聖堂の中はお祭り騒ぎです。

 その中で、フィーネちゃんだけは、喜んでいませんでいした。
 ブラームス夫妻がいなくなってしまったからです。
 判決が下った瞬間に、二人は霧のように消えてしまいました。

 アンダンテさんが鐘楼台に上っていくのが見えました。
 フィーネちゃんはすかさず後を追いかけます。
 鐘の前に出ると、太陽が水平線から顔を出すところでした。
 日の光が朝霧を透かし、光の帯が続いています。
 まるでそれは、天国へとつながる階段のようでした。
 アンダンテさんが脇に立っていました。そして正面には、ブラームス夫妻がいます。

「パパ、ママ、帰ってきたんじゃないんだね……」

 フィーネちゃんは涙をこらえて言います。

「お別れを言いに来たのではないのよ」

 奥様が言いました。

「……パパ、あの日パパが言った謎かけの答え、私、まだわからない。でも憎むことや恨むことでは、何も進んで行かなくて……、許すことが、許さなくちゃそこから一歩も進めないから……だから私」

 それで合っているよ、とブラームス卿は優しくフィーネちゃんのその栗色の髪を撫でました。

「私たちの可愛い娘よ、あの日お前が言えなかったことを、私たちに言っておくれ」

 フィーネちゃんは何と言うべきなのかわかっていました。
 それを言えなければ、きっとこの先ずっと後悔するでしょう。
 でも、その言葉は最期の別れを意味していました。
 だからどうしても言うことができません。

「フィーネ、お誕生日、おめでとう」

 フィーネちゃんはハッとして目を見開きます。
 それは、彼女がついに聞くことのできなかった言葉でした。
 帰ってくることのなかった二人が言えなかった言葉でした。
 どんなに待ち望んでも、決して聞くことのできない言葉でした。

「パパ、ママァ……」

 フィーネちゃんは涙をボロボロ零しながら、それでも言います。

「……行ってらっしゃい」

 フィーネちゃんは言いました。
 二人は手をつないで、太陽の階段を昇って行きます。
 そして太陽が水平線の上に昇る頃には――。
 もう二人の姿は消えていました。

【10】

ピルグリムの唄

「――成程、それではミス・フィーネはご自身の意思でラビになることを受け入れたのですね」

 アメリアとフォルテ君がブラームス邸に着いたのは七時過ぎです。
 もうあたりは真っ暗になっていました。あまりに帰りが遅い三人を家の誰もが心配していました。
 ヨハネス氏も、クララ夫人も。ようやく帰ってきたかと思えば、一人足りないではありませんか。
 誰よりも大切なフィーネちゃんの姿が見えません。二人は大層驚きました。

 事情を聞くと、二人は更に驚きました。
 何とフィーネちゃんはラビに選ばれたというのです。
 ヴィア・ドロローサの主役とも言えるとても重要な役目です。

――お嬢様はお祭りのために教会ですでに禊に入っています。

 アメリアは言いました。

「おめでとうございます、ミスター・ブラームス、ミセス・ブラームス。彼女の栄誉に」

 アンダンテさんは、応接室にいました。そこでヨハネス氏とグラスを交わしていたのです。
 黙っていたかと思えば、嬉しそうにヨハネス氏にグラスを掲げます。
 一方でその報告を聞いた二人は落ち着かない様子でした。
 心配でどう受け止めてよいかわかりません。
 顔には喜びと不安がないまぜになった複雑な表情が浮かびます。

 グリッサンドでは最も名誉のある役目。それがヴィア・ドロローサのラビでした。
 しかしそれは同時にとても責任が重く、大変な役目でもあります。
 フィーネちゃんは決して体調も万全とは言えません。
 外に出かけられるようになったのも、つい最近のこと。
 二人の旅人がやってきてからのことでしかありません。
 それまでのフィーネちゃんはひどく落ち込んでいました。
 自殺を思い立つ程までに思いつめていたのです。

「……姪は、フィーネは大丈夫なのでしょうか」

 肘掛椅子に座りこむヨハネス氏の手をクララ夫人は両手で包みます。
 ヨハネス氏はその手を一度握り返し、アンダンテさんに問いました。
 アンダンテさんとフィーネちゃんは何の接点もありません。
 そんなアンダンテさんに保証などできるはずもないことです。
 それでも誰かに大丈夫だと言ってほしかったのです。それくらいに不安でした。

「信じることです。ミス・アメリア、探し物は見つかったのでしょう?」

「あ、そうですわ。旦那様、ピアは無事見つかりました。教会で保護されていたんです」

 アメリアがそう告げました。ヨハネス氏とクララ夫人は顔を見合わせます。

「それは本当かね、アメリア」

「ピアは生きていたの?」

 二人が同時に言うのでアメリアは少し言いよどみました。
 しかし、間違いありません、と落ち着いて答えます。

「では、昨日庭に埋葬したあの白い猫は?」

「あれもピアでしょう。お嬢様はそう仰った」

 アメリアの言葉と明らかに矛盾する答え。
 しかし何一つ問題ないかのようにアンダンテさんは答えます。
 ヨハネス氏とクララ夫人はもう一度、二人で顔を見合わせます。

「奇跡、というのはえてして起こるものですからね。ピアはミス・フィーネの祈りによって彼岸から舞い戻ったのです」

 アンダンテさんは両手を広げてそう言いました。
 二人は両手を組んで祈るように額の前にかざしました。
 それはとても畏れ多いことに二人には思えました。

「さて、夜も更けました。フォルテ君も戻ったことですし、私も仕事があるので今日は失礼いたします」

 そう言ってアンダンテさんは席を立ちました。
 これは、と気づいたようにヨハネス氏は立ち上がります。

「ミス・フィーネが無事にラビを果たせるように祈りましょう。奇跡は祈りの前に降ってくるものですから」

 アンダンテさんはそう言い残して扉を開きます。
 フォルテ君は話の邪魔にならないように脇に立っていました。
 でも、アンダンテさんに伴われて応接室を後にしました。

「よう坊主、久しぶりだな。相変わらず小っちゃいなりしてんな。少しは成長してんのか?」

 応接室の外の扉の前には黒い服の青年がいました。
 壁に背中を預けるようにもたれかかっています。
 その枯れ枝の色をした髪と、ハンチングの下で不敵に笑う深紅の眼を見て、フォルテ君は思わず声を上げました。

「プレスト兄ちゃん!」

「すまないねプレスト君、さっき話した通り、離れはあの状態なんでね。君と彼のために客間を開けてもらうようにお願いしておいた。ヴィア・ドロローサが終わるまでフォルテ君の面倒を頼むよ」

「っけ、急ぎで無茶な仕事させて今度は子守かよ。言っておくがこの仕事は別料金だからな」

 プレスト君は眉を寄せてため息をつくように言いました。
 ハンチングを乱暴につかんでいかにも憎々しげです。フォルテ君には話が見えません。
 どういうことかと聞くと、プレスト君が答えます。

「いいか、坊主。お前の師匠はな、お前が昨日まで泊まった離れを使えなくしちまったんだぜ。今もそのことをこのお屋敷のご主人様に平身低頭謝りっぱなしでようやく、お前が泊まるための客間を貸してもらえる算段をつけてもらったってこった。で、偉大なるお前のお師匠様は離れで『壊れ物』をできる限り修復するからって、健気にも自分は夜も眠らずに修復作業だとよ」

「あ、アンダンテさん……」

 フォルテ君は不安げな顔をしてアンダンテさんを見上げます。
 アンダンテさんはそっぽを向いていました。

「ま、お前が気にすることじゃねえよ。お前は邪魔にならねえように隅っこで縮まってろ。あいつは離れに戻るが、お前は俺と一緒に客間だ。せいぜい、お金持ちの建築様式ってものを堪能するとしようぜ。こんなお屋敷に入れることは、もう二度とないだろうからな」

 そう言ってすたすたとプレスト君は歩いていきます。
 アンダンテさんも何も言わずに、背を向けて離れていきます。
 フォルテ君はアンダンテさんを追いかけようとしました。
 しかし、背中からプレスト君が、坊主、と呼んできます。
 あきらめるように後ろを向いて、プレスト君の後に続きます。

「ねえ、プレスト兄ちゃん、アンダンテさんは何をしたの?」

「贖罪だよ。あいつはそれ以外に何もしてない」

「食材?」

 その言葉とともにフォルテ君のお腹がぐうとなりました。

「何だよ、お前夕飯食ってないのか?」

「だって、今日は本当にいろいろあって」

 責め立てるようにプレスト君は言いました。
 フォルテ君は思わず下を向いて腕をさすります。ピアを探す道中に怪我をしたところです。
 いろんな場所でついた傷は腕だけではありませんでした。

「あーあー、お前何だよ、傷だらけじゃねえか」

 プレスト君はかがみこんで、ぐいとフォルテ君の腕の傷を見ます。
 それからフォルテ君の全身をまじまじと見ました。あちこちに手当てのあとがあるその体を。

「子どもの傷は勲章って言うけどな。女の子のために負った傷ならそれこそ栄誉の負傷だけどよ。しょうがねえ、キッチンでなんか残ってないか聞いてきてやるよ。ここで待ってろ」

 プレスト君はそう言ってキッチンの方に向かいました。
 広い玄関ホールにフォルテ君だけが残ります。何だか急に一人きりになった気がします。
 唐突にフィーネちゃんのことを思いました。
 きっと、同じように今、教会で一人きりのはずでした。
 フォルテ君は帰り道にアメリアから聞いた話を思い出します。

――ラビとは、ヴィア・ドロローサのお祭りで、階段を昇る役目を担うもののことです。
 ラビを選定するのは司祭様の役目です。
 ラビは大体お祭りがある春分の一週間前から教会で禊を受けなければなりません。
 お嬢様の場合、祭りまで一週間を切ってしまいましたから、ぎりぎりになりますが、泉の水で体を清め、俗世のものを身に付けず、肉や魚を絶ち、一日中箱の上に座って過ごすのです。

 箱、とフォルテ君は聞き返しました。

 アメリアはそこがグリッサンドの頂上なのだと語りました。

――お祭りの前日から、ラビは立つこともままならない木製の箱の中に入ります。
 その箱の中では一切の物音は聞こえず、光も入りません。
 食事も禁じられ、最初の日に自分が入るのとともにいただける、はちみつと水とひとかけのパン以外は何も食べることは許されません。

 いわゆる断食という奴だ、とフォルテ君は思いました。

――そんな中でひたすらに聖句を唱え続け、一昼夜をかけて、街の男たちが箱を教会から門前に降ろします。
 そしてお祭りの日の零時、箱はようやく開けられ、ラビは空腹と、長時間閉じ込められていたことによる疲労で、神がかりの状態になりながらこの果てしない大階段を昇るのです。

 そう言ってアメリアは立ち止まって正門を見下ろしました。
 大きな大きな階段、ヤコブの梯子の中腹で。
 ずっと向こうに星明りのように小さく灯る門前のかがり火。
 それを何とも言えない表情で見つめていました。

 フォルテ君はふと振り返りました。背後には夜の闇の中に更に暗い巨大な石造りの教会。
 その気の遠くなるような長い道のり。到底、自分にはできそうにないなと思いました。
 フォルテ君はきっとすぐに餓死してしまうことでしょう。

――それでも、フィーネちゃんはやるんだね。

 アメリアは何とも答えませんでした。
 グリッサンドはフィーネちゃんが生まれ育った街です。
 お祭りがどういうものか。ラビが何をするのか。そんなことは十分承知だったことでしょう。
 それきり、二人とも何も言わずに、ブラームス邸に帰りました。
 そしてヨハネス氏たちに、そのことを報告したのです。

 きゅる、とお腹が鳴りました。お腹が空いているのは間違いありません。
 でも、自分だけお腹いっぱい食べていいのかと思ってしまいます。
 フィーネちゃんは、大変な試練に挑もうとしているのに。それも一人きりで。

「おー、どうした難しい顔して。腹が空きすぎて気分悪くなったか?」

 プレスト君が戻ってきました。両手には美味しそうなチキンのグリルを載せています。
 漂う香ばしいにおいに、口の中によだれが溢れます。
 おら、とプレスト君は右手の皿をフォルテ君に渡しました。
 目の前にそれがあると一層食欲をそそります。

 それでも――。

「プレスト兄ちゃん、ラビの人は、こういうものも食べられないんだね」

「お前はラビじゃないし、お前が食べない分がラビの腹にたまるわけでもない。食べないでいればお前の心はそれでいいかもしれないけど、体は決して満足しないし、ましてやお前以外の誰一人、それをありがたいとは思わない。いらないなら俺がもらうぞ」

 プレスト君は肉を一切れ指でつまんで食べました。
 これはなかなか、とどうやら気に入ったようです。
 フォルテ君は複雑な思いでプレスト君を見返します。
 視線に気づいてか、プレスト君は頭をかきました。

「あらかじめ食べないことが決まってて、生き物も殺さないならそれは意味があることかもしれないけど、殺しておいて、料理しておいて、いざ食べる段になって食べられませんっていうのは、尊いことでも何でもないぞ。お前が食べなきゃこれは捨てられるしかないんだからな」

「そんなこと、わかってるよ……」

 心を見透かしているかのようにプレスト君は答えます。
 フォルテ君は憮然として唇を尖らせました。
 フィーネちゃんのことを考えるとご飯も喉を通りません。
 それは本当です。でも、それをフィーネちゃんが喜ばないのも確かでした。
 むしろフィーネちゃんはそれを知れば、傷ついてしまうでしょう。

「ラビがこの家の娘の役目なら、お前にはお前の役目がある。せいぜいそれを見定めて、役目を果たすんだな。祈るってなそういうこった。食えるうちは神様が食えって言ってんだから、つべこべ言わずに食うんだな。いずれ食えない日が来ても後悔しないように」

――自分の、役目。

「……うん!」

 フォルテ君はプレスト君の言葉に元気よく頷きます。
 割り当てられた客間に入ってご飯を食べました。
 たくさん食べて、たくさん眠って。そして、たくさん考えようと思いました。
 今フィーネちゃんのために何ができるのか。自分は何をしたいのか。

 ふかふかのベッドの上で、フィーネちゃんのことを思いました。
 きっと、彼女は固い石の上で寝ているのです。

「そういえばプレスト兄ちゃんは、何でこの街に来たの?」

 不意にフォルテ君はそう思って聞きました。
 プレスト君は構わずにランプの灯を消しました。

「仕事だよ、お前の師匠に頼まれてな。まあグリッサンドにはいつか行こうと思ってたし、いい機会だと思ってな。この街の馬車はすげぇぞ。坂道で転がらないばっかりか、上り坂では馬が馬車を引くのをばねが伸びる圧力を利用して自動で進んでいくんだ。下り坂になった時は車輪が回ることで空気を圧縮してばねを縮める。それが、馬車が転がっていくのを制御するんだ。しかも手元のレバーで空気圧を調整することで、坂道の勾配に合わせて車輪の回りにくさを調節できるようになってる。発明したヨハネス氏は偉大だ。一台購入してもいいと思ってる」

 暗闇の中で、プレスト君は珍しく楽しそうに早口で言いました。
 フォルテ君にはどういう仕組みかは全く理解できませんでした。
 でもプレスト君は楽しそうです。それでフォルテ君も幸せな気分になります。

「もう寝ろ、坊主」

「……うん。お休みプレスト兄ちゃん」

――お休み、フィーネちゃん。

――夢を見ました。

 夢の中のフォルテ君は長い長い階段を昇っていました。
 それは本当に果てしなく長い階段でした。いつから昇っているのか思い出せません。
 そしていつ終わるのかもわからない永遠に続く階段でした。
 でも、不思議とフォルテ君は疲れを感じません。きっと夢の中だからなのでしょう。

 ふと耳を澄ませました。自分の足音が聞こえます。
 視界を自由に動かすことはできませんでした。
 フォルテ君は、ただ足元だけを見てひたすらに昇っています。
 真っ白の階段。ずっと続く道。自分のゴム靴がペタペタと足音を立てているのが聞こえました。 

 でも、よく耳を澄ますと、他の音が聞こえます。もう一つ、誰かの足音がしているのです。
 フォルテ君は自分の足元以外を見ることができません。それはとても静かな足音でした。
 でも、確実にフォルテ君とは違うものでした。

  その足音はフォルテ君のすぐ後ろにいます。すぐ後ろを離れることも近付くこともありません。
 ひたすらに同じ速さで階段を昇っています。

――誰だろう。

 そう思っても、振り返ることはできませんでした。
 ただ、ひたひたと、自分と同じ速度で、誰かがついてきています。

――アンダンテさん?

 フォルテ君は後ろの人に尋ねました。答えはありません。

――プレスト兄ちゃん?

 やはり答えはありません。

――フィーネちゃん?

 足音はずっと同じ速度でついてくるだけです。不意にフォルテ君の足がぴたりと止まりました。

「――っ!」

「うっるせーな! 静かに起きろっつの!」

 フォルテ君はあたりを見回します。眩しい光が白いレースのカーテンから差し込んでいます。
 それが柔らかな影を作っているのが見えました。
 ベッドはふかふかで、真っ白くて、いい香りがしました。
 フォルテ君が知る部屋とはまるで違う豪華な造りの部屋です。
 フォルテ君はまだ夢を見ているんだと思って、目を閉じました。

「二度寝すんな」

 頭を小突かれて、ようやく見慣れた顔を見つけます。
 浅黒い肌に、日に焼けてやや枯草の色をした銀の髪の毛。深い赤みを帯びた呆れたようなたれ目。
 どこか小馬鹿にしているような、脱力した表情。

「プレスト兄ちゃん」

「ほら、さっさと起きて片付けろよ。一応扱いは客分だけど、だからって昼寝坊はいい印象を与えないぜ」

「……そうだ、フィーネちゃんは?」

「お嬢様ならまだ教会だよ。でも――街の方がな」

 プレスト君は含みを持たせて、窓の外を示しました。
 フォルテ君は駆け寄って外の景色を眺めます。
 斜面にやはり階段をなすように階層上に建ち並ぶ白い家々。
 その間を縦横無尽に駆け巡る迷路のような階段。
 朝の光に包まれて、とても穏やかで、静かな街並みがありました。 

 しかし、フォルテ君はすぐにその違和感に気づきました。静かすぎるのです。
 部屋にある柱時計を振り返ります。もう九時をとっくにまわっていました。
 ヤコブの梯子の大通りには、露店の一つも出ていません。
 今が一番忙しいはずなのに。街には人っ子一人、姿を見かけることはできませんでした。
 まるで、街全体が廃墟になってしまったようでした。

「教会でラビがフィーネ・ブラームスだと発表されるが早いか、それを知った街の奴らはみんな家に閉じこもっちまった。呪われた娘がいよいよ街を滅ぼそうとしているだとよ。呪いで街が滅びるなら、わざわざ戦争なんか起こす奴らがいるものかよ」

 プレスト君は憎々しげに言いました。
 フォルテ君はその光景に、とても悲しくなります。
 フィーネちゃんは、街の人から認められようと頑張っているのに。
 街の人たちはそんな彼女を見ようともしていないのです。
 フィーネちゃんの頑張りを、無駄にさせるわけにはいかない。
 フォルテ君は朝ご飯も食べずに、着替えて駆け出しました。

「ったく、しょーがねーな」

 やれやれとプレスト君はフォルテ君を追いかけようとしました。

「何事かね、プレスト君」

 物陰からのっそりと姿を現したのはアンダンテさんでした。

「あんたか……準備は終わったのか?」

「大方ね。明後日、娘が教会を出るのと入れ違いに運び込む。手違いがなければ、三日後の祭りに全てのケリがつく。彼女はヴィア・ドロローサの儀式を果たし、我々はこの街を出る」

 そこでアンダンテさんは一つため息をつきました。
 壁の一角を見据えながら「いいかいプレスト君」と言います。

「私たちは旅人だ。必要以上に教会が支配する街に干渉するべきじゃないし、これ以上私たちにできることは何もないんだ」

「あんたが言う台詞じゃねえだろ……それで? まわりくどいな。何が言いたい」

「いや、私が君にフォルテ君の子守を頼んだ理由を忘れないでほしいというだけのことさ」

 アンダンテさんはひげを撫でて言いました。

「あーあー、そういうことかい。そうかよ。フィーネ・ブラームスがあんたと関わることになったのは、ブラームス卿の魂があんたをこの街に招いたからだ。そこから起こった出来事はあんたが旅人としての職分をただまっとうしただけで、あんたから教会の方に積極的にかかわる意思はなかったってか? 免罪譜がないって見切りをつけたら結局それかよ!」

 アンダンテさんは答えませんでした。
 深い闇を湛える漆黒の双眸と、怒りが燃えているかのような紅い瞳。
 しばらく二人はじっと見つめ合っていました。
 いえ、睨み合っていると言った方がいいかもしれません。
 やがてプレスト君が吐き捨てるように言いました。

「ガキと旅するようになってちったぁ変わったと思ったが、やっぱりあんたはあんたのままだな。結局あいつのことも利用することしか考えてない。あんたにとって自分以外の人間は全員、許しを得るための道具に過ぎないんだ」

 きびすを返してプレスト君はフォルテ君を追って屋敷を出ました。
 その背中を、アンダンテさんはただ黙って見つめていました。 

 その頃、広場ではフォルテ君がぐったりと項垂れていました。
 何軒かの家を回って戸を叩いてみたものの返事はありません。
 誰もフォルテ君を相手にしようとはしません。
 このままでは、フィーネちゃんは一人ぼっちです。
 本当にたった一人で昇らなければならなくなります。この長い長いヤコブの梯子を。
 何か自分にできることはないか、フォルテ君は必死に考えます。
 でも、なかなか良い案は浮かびません。

「青菜に塩とはこのことだな」

 コツコツと石畳を叩く足音。フォルテ君はハッとして顔を上げました。

「あ……何だ、プレスト兄ちゃんか」

「何だとは何だ。ったく、俺の苦労も知らずに……。で、街の人間は説得できそうか?」

 フォルテ君は俯いて首を振ります。

「ねえプレスト兄ちゃん。どうして街の人たちはこんなにもフィーネちゃんにつらく当たるんだろう」

「それは街の連中にとっちゃそっちの方が安心だからさ」

 フォルテ君の隣によっこいしょと腰掛け、プレスト君は言います。
 自分の頭のあたりにプレスト君の腕があります。改めてフォルテ君は彼の巨躯を実感しました。

「どういうこと?」

「何故フィーネ・ブラームスは呪われた娘と言われたと思う?」

 プレスト君が聞きました。

「それは……、フィーネちゃんの身近な人がたくさん死んで、しかもフィーネちゃんは街の伝説を作った家の娘だったから、不思議な力があってもおかしくないと街の人たちは思ったからだよ」

「それは原因の方だな。俺が聞いてるのは理由だ。街の連中はフィーネ・ブラームスが呪われていると思うことでどうしたかったんだと思う?」

「どうって……」

 フォルテ君にはプレスト君の質問の意味がよくわかりません。

「この街は一枚岩の信頼関係があった。ブラームス夫妻を中心にして、グリッサンドの連中は団結していた。だが、その信頼関係の中心である夫妻が死んで、一枚岩は崩壊の危機に陥っている。街の人間は結束を守ろうとした。だから、その中心に自分たちを結束させるに足るものを無理やりはめ込んだんだ」

「それが……フィーネちゃんの呪い?」

「古典的な方法だよ。対立する関係は共通の敵を見出すことで結束する。街の人間はフィーネ・ブラームスを敵とみなすことで再び安定した。今の街の人間にとって、彼女が呪われていないことを認めることは再び結束が失われることを意味する。それがいやなのさ」

「そんな――!」

「だが活路もある。街の奴らが求めるのが結束だっていうなら、現状はむしろ好都合かもしれない。敵としてではあるけれど、連中はフィーネ・ブラームスを中心に結束していることには違いない。なら、彼女が劇的な力で街の信頼に足る存在になったとしたどうだ? 彼女はブラームス夫妻の代わりとして、街の長として信頼の中心に座れるんじゃねえか?」

「そうか――。もし、街の人たちにフィーネちゃんが呪われていないことを直接的に示すことができれば、みんなフィーネちゃんのことを祝福してくれる。でも、どうやって?」

 活路が見えた気がして、フォルテ君は早口に聞きました。

「なあ小僧。お前も旅人の見習いならな、旅人らしく街の奴らを説得してみろよ」

「旅人らしく?」

「ちょっと待ってろ」

 そう言ってプレスト君は来た道を戻っていきます。
 しばらくしてプレスト君は、後ろに漆黒の馬を連れて来ました。
 彼の愛馬、ヴォルフガングです。ヴォルフガングの背中には黒いケースが括りつけられています。
 プレスト君はその一つを取り外すと、ケースを開きました。

「最近随分弾いてなかったからな。音がずれてるかもしれねえが……よっと」

 ケースの中から現れたのは、真っ黒なギターでした。鏡のように艶やかな表面。
 青い空に浮かぶ雲さえはっきりと映っていました。
 漆黒のギターを抱えるプレスト君。
 真剣で、彼が普段持っている軽薄な感じが少しもありません。

「ガブリエルって名だ」

 ヴァイオリンよりも二回り程大きな楽器。それをひょいと持ち上げてプレスト君は言います。

「楽器に名前があるの?」

「ああ、旅人の持つ楽器には全て名前がある」

 へえと感心していたフォルテ君はあっと息を漏らしました。
 アンダンテさんのヴァイオリンの名前をフォルテ君は知りません。思わずプレスト君に訊ねます。

「エーデル……。二度と忘れるな」

 プレスト君は呟くようにそう言いました。

「旅人の楽器ってのは本当は鎮魂のために使うもんなんだが……まあいいさ。小僧、お前、ヴォルフガングに合わせてタップを踏め」

「タップ?」

 ヴォルフ、とプレスト君が小さく呼びました。そしてギターをかき鳴らします。
 すると、漆黒の馬は前足二本を器用に踏み鳴らし始めました。
 それは見事に軽快なリズムを奏でます。 

 タン、タン、タタタン。タタタン、タタタ、タタタ、タタタン。

 ヴォルフガングは世界最速の郵便馬車馬、タップを踏むなど造作もないことでした。
 蹄の音は石造りの街全体に響き渡りました。
 硬い壁に反響して。踏みしめられた石畳を伝わって。
 プレスト君のギターがそれに彩りを加えます。
 時に激しく、時に緩やかに、緩急をつけて、闊達に。
 二つの旋律が美しい音楽を生み出しました。

「すごい! オレもやりたい!」

「お前、礼服のローファーを持ってるだろ? お前の師匠はその様子だとまだ教えてないみたいだが、ありゃタップシューズなんだぜ。取ってこいよ」

 フォルテ君は目を爛々と輝かせました。
 大急ぎでブラームス邸に戻ると、靴を履き替えます。
 そして急いで来た道を戻ります。確かに言われた通りでした。
 石畳を走るたびに、かつんかつんと高い音を立てます。その靴音に足取りも軽くなります。

 その足音に、何事かとふとある人はドアを開けました。ある人は窓から広場を覗きます。
 そして、広場には少しずつ人が集まり始めました。その軽やかな音色に誘われるように。

「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい! 奇想天外摩訶不思議、本日皆様にお目にかけるのはこちらに控える悪戯好きの腕白小僧、その名もクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ! ある日彼は靴をもらった。そしてその靴、歩いてみるととっても素敵な音がする」

 プレスト君がフォルテ君に目配せをしました。
 フォルテ君は、慌てて足を踏み鳴らします。
 カン、カンと足の裏から脳髄を揺さぶるような軽快な音がします。

「そこで少年、タップの先生に手ほどきをしてもらおうと街で一番きれいな足音をさせてる人を探した。そして見つけた一番きれいな足音の持ち主はあろうことか人間じゃなかった! そう、少年にタップを教えてくれるのは何と馬! 走らせたなら疾風のごとく、荷を運ぶのも何のその! 世界一のクシコスポスト、ヴォルフガング!」

 プレスト君が大きな声で言い、ギターをかき鳴らします。
 するとヴォルフガングが小刻みに蹄を鳴らしました。周囲から歓声がわき起こります。

「おい坊主、見てみな」

 フォルテ君が振り返ります。周囲にはすでに小さな人だかりができ始めていました。
 ほとんどはフォルテ君より小さな子どもです。それでもみんな興味深そうに、こちらを眺めています。

「さあ、少年が馬にタップを習うこの舞台、見逃したなら一生モノの後悔になること間違いなし。よってらっしゃい見てらっしゃい!」

 それからフォルテ君は一生懸命タップを踏みました。ヴォルフガングの蹄に合わせて。
 フォルテ君はタップの心得はありません。もちろん最初からうまくできるわけがありませんでした。
 しかし、失敗をしてもプレスト君が時に茶化して笑いに変えます。
 ヴォルフガングはあきらめの目線を投げかけたりします。
 そして不肖の弟子に呆れたように鼻息を鳴らしました。
 集まった人たちは大笑いし、拍手を送りました。

 どれくらい経ったでしょう。フォルテ君にはとても短い間に思えました。
 でもいつの間にか東の空の太陽がちょうど真上に来ていました。
 フォルテ君は夢中でタップを踏んでいました。自分が汗びっしょりなことにも気づきませんでした。

「なかなか良いステップじゃねえか坊主。ほら、観客に挨拶がまだだ」

 プレスト君が言いました。フォルテ君は観客の方に向き直り、深々と頭を下げます。
 人はまだそんなに多くありません。でも見ていた人は惜しみない拍手を送ってくれました。
 ふと物陰でこちらを覗いている三人の小さな子に目が合いました。
 フォルテ君は小さく手を振りましす。
 すると三人は恥ずかしそうに眼をそらし、去ってしまいました。

 そうしての二人と一頭は徐々に人だかりを作っていきました。
 三日目の夕方には街の半分くらいの人々が集まっていた程です。
 プレスト君の演奏に合わせて踊る人や歌う人。まさにお祭り騒ぎです。
 公演に合わせ、露店で食べ物やお酒を売る人たちも出てきました。
 二人が演奏をしている最中は街中がわき立っています。

 ヴィア・ドロローサはグリッサンドで最も歴史のあるお祭りです。
 街の人たちだってこのお祭りを毎年とても楽しみにしていました。
 誰も、やりたくないなどと思っている人はいません。
 フォルテ君たちの公演も三日が経ちました。いよいよお祭りは明日に迫っていました。

「みんな聞いてくれ」

 音楽がやみ、広場がしんと静まり返りました。群衆の中心でプレスト君が立ち上がって言いました。

「どうして例年通りに祭りをしない。屋台を出して、装飾を施さない。こんなチンケな演奏じゃなく、伝統と誇りに満ちた祭典がこのグリッサンドにはあるだろう」

 水を打ったような広場の中、一人の年老いた男が進み出ました。

「どうにもならぬ事情があるのだ。ある魔女が司祭様をたぶらかし、ヤコブの梯子を汚そうとしておる」

「フィーネ・ブラームスか」

 プレスト君がそう言うと、男はわずかに身じろぎました。

「かつて十字架の聖女が何故この階段を昇ったか、その罪状をあんたらはよく知っているはずだ。かつて聖ヤコブが、何と言われて十字架を背負ってあの階段を昇ったか、あんたらが一番よく知っているだろう!」

 広場には徐々にどよめきが広がっていきます。
 それに負けないくらい大声でフォルテ君は叫びました。

「そうだよ! フィーネちゃんが魔女なんて、そんなわけない! フィーネちゃんは泣いてたんだ! 死のうとしてたんだ! 自分がいるせいで人が死んじゃうからって!」

「あの娘は呪われた娘だ!」

「かかわると殺される!」

「この冬が開けてあの娘にまつわる人間が何人死んだ!」

 フォルテ君の声に一斉に集まった人たちは怒号の雨を降らせます。
 フォルテ君はたじろぎました。今にもその人だかりは二人に襲いかかってきそうに見えました。
 フォルテ君は後ずさりしそうになります。しかしそんな彼を、プレスト君はそっと支えました。

「プレスト兄ちゃん……?」

 その時です。ヴォルフガングが嘶きました。
 前足を高く振り上げ、首を伸ばし、雄叫びを上げました。
 もちろんフォルテ君もびっくりしました。しかし、それ以上に街の人たちは驚いたようです。
 あたりは一瞬で静まり返りました。

 フォルテ君はプレスト君を見上げます。
 そこにいたのは見知ったプレスト君ではありませんでした。
 いつもの気怠げな表情はありません。握り拳を固め、プレスト君は怒っていました。
 でもそれは、街の人たちに対してではないように感じられました。

 しかし、一瞬でその違和感は消えてしまいました。
 プレスト君は一度大きく息を吸います。そして街の人々に向かって言いました。
 その表情はフォルテ君の知っているいつものプレスト君でした。

「その中に、フィーネ・ブラームスの両親が含まれてるってことを忘れてんじゃねえのか」

 前に立つ男はしばらく何か言おうと口を開け閉めしていました。
 しかし、その内項垂れてしまいました。
 その姿は、グリッサンドの街の住人全ての心を表していました。

「あんたらも本当はわかっているはずだ! この街には悪人なんかいない。魔女もいない。誰もかれも善人ばかりで、本当は祝福に満ちた街だったじゃないか! 思い出せ、ブラームス卿が何をしていたか。あんたたちに何をしてくれたか!」

 一人の男が呟きました。

「私たちは取り返しのつかないことをしてしまった。今更許してもらえるはずがない」

「それは違うよ」

 フォルテ君が男の前に立って言いました。

「それはフィーネちゃんが決めることだよ。許してくれないだろうから間違ったままでいいなんて、そんなのおかしいよ。許してくれてもくれなくても、間違っていると思うなら謝らなくちゃ」

「少年、君は小さいし旅人だからわからない」

「そうかもしれない。でも、みんな聞いてほしい。街の人たちみんなに聞いてほしい。フィーネちゃんがどういう気持ちで、この長い階段を、飲まず食わずのフラフラの状態で昇るっていう試練に挑むのか。フィーネちゃんは、街の人たちに謝りたいんだ。心配や不安を振りまいて、みんなに迷惑をかけたことをすまないと思ってる。本当にすまないと思ってるから、つらい試練も覚悟した」

 フィーネちゃんはきっと街の人を恨んだりしていません。だからこそラビを受け入れたのです。
 自分の罪を認めたからこそ、試練を受け入れる覚悟をしたのです。
 街の人たちにはその覚悟を見届ける責任がありました。

「だからみんなに、フィーネちゃんの覚悟と誠意を見てほしい。明日、フィーネちゃんはこの階段を昇る。それを見て、それでもみんなが、フィーネちゃんが魔女だと思うなら、その時は好きにすればいい。許すか許さないかみんなが決めればいい。でも、フィーネちゃんが謝るのを見もしないで、許さないって決めつけないでよ!」

 日が西に傾き、街の人々はそれぞれの家へと帰っていきました。
 閑散とした広場に二人だけが残りました。

「みんなわかってくれたのかな、プレスト兄ちゃん」

「さあな。でもやることはやったろ。あとは嬢ちゃんが儀式を無事に終わらせるのを願うしかない」

「うん」

「それからな、坊主」

 ガブリエルをケースに仕舞いながら、プレスト君は言いました。

「困ってる人を助けてやるのは基本的におせっかいなんだからな。転んだ奴は自分で起き上がるしかない。悩んでる奴は自分で道を見つけるしかない。助け起こしてやろうとか、答えを教えてやろうなんて思わない方がいい。それは親切じゃないし、いつかお前は誰かを助け起こそうとして自分も一緒に転ぶことになる。お前の足はお前以外の人間を支えるようにはできてない。人間は結局一人で立っているしかできない。もたれ合ったり支え合ったりしてると、二度と立てなくなるぞ」

「え?」

「普通のおせっかいなお人よしとして生きていくなら別にそれだって構いやしないし、立派な生き方だと思うがな。でも、お前が自分のことを旅人だと思っていて、これからもお前の師匠と一緒に旅をしていくつもりなら、そういうのはやめろ。いつか後悔する」

 ヴォルフガングの黒い背にケースを括り付けるプレスト君。
 その顔はフォルテ君からは見ることができませんでした。
 ただ、その声は小さく、その分深刻な響きを持っていました。
 意味を聞こうとするフォルテ君の背を、冷たい風が撫でます。
 汗の染みたワイシャツにそれは、冷たい感触を伝えます。
 フォルテ君はくしゃみをしてしまいました。

「おら、さっさと帰って、一っ風呂浴びて飯にありつこうぜ。ったく余計な体力使っちまった。お前らとかかわるとロクなことねえよ」

 プレスト君は前の言葉をかき消すように大きな声で言いました。
 鼻をすすりながらきょとんとするフォルテ君。
 そんな彼を置いて早々と階段を昇っていきます。
 その先の坂道の頂上――教会の隣に大きな月が浮かんでいます。

 ヴィア・ドロローサが、ついに明日に迫っていました。

【9】

ピルグリムの唄

 すでに日は暮れかかっていました。
 フォルテ君たちはようやく山頂の教会にたどり着きました。
 太陽が、フォルテ君の目線と同じくらいの高さに浮かんでいます。
 フォルテ君は背後に悠々と佇む教会を見上げました。
 街を見下ろす教会の塔の上には、立派な鐘楼台がありました。
 そこには見事な、大きな金色の鐘がきらきらと輝いています。

 司祭の住まいは教会の裏側にありました。
 三人は広大な教会をぐるりと回りながら周辺を探します。どこかにピアの姿が見えないかと。
 頂上は広く、平坦にひらけていました。教会から少し離れたところには大きな泉がありました。
 そこから四方に水路が流れています。

「ここはこの街の水源でもあるんですよ」

 フォルテ君にアメリアがそう教えてくれました。
 しかし探せどもピアの姿は一向に見つかりませんでした。

――ここにもピアはいないかもしれない。

 教会の外周を三分の二程回った頃です。フォルテ君の脳裏にはそんな思いがよぎっていました。
 その時ちょうど前から人が歩いてくるのが見えました。
 フィーネちゃんは司祭かと思ってどきりとしました。
 近くに来るとそれは真っ白な服に身を包んだシスターでした。

「今日のお祈りはもうおしまいですよ」

 シスターは微笑みながらそう言います。
 しかしフィーネちゃんの顔を見てハッと表情をこわばらせました。

「あなたは、ブラームス家の……」

 その表情にここでもかとフォルテ君は思いました。
 教会のシスターまでフィーネちゃんの噂を気にしているだなんて。
 フォルテ君は気分が落ち込んでいくのがわかりました。アメリアを見ると小さく首を振っています。
 仕方ありません、そう告げているようでした。

「あの、突然こんな時間にお邪魔してごめんなさいシスター様」

 フィーネちゃんが一歩前に進み出ました。

「今日は……司祭様に謝りに来ました。今更だというのはわかっています。でも、私が元気をなくしている時に何度も訪ねていただいたのに……私、一度も司祭様とお会いしませんでした」

「いえ、フィーネ様――」

「わかっています」

 シスターの言葉を遮って、フィーネちゃんは続けます。
 声を震わせながら。必死で言葉を紡ぎます。

「街で私が何と噂されているのかは知っています。迷惑はかけません。でも少しの間だけでいいんです。私、とても失礼なことをしました。司祭様が体調を壊されたのもきっと私のせいで……。お願いします、司祭様に会わせてください」

 真剣な三人の表情を見て、シスターは慌てました。

「フィーネ様、ご心配なさらないでください。司祭様はもちろん会ってくださいます。むしろ司祭様ご自身が、間もなくあなたがいらっしゃるだろうと仰っていたので、少し驚いてしまったのです」

 三人はどういうことかと顔を見合わせます。
 それからシスターはにっこり笑って言いました。

「どうぞこちらへ。司祭様とフィーネ様のご友人がお待ちです」

 教会の裏手にある司祭の住居はとても簡素なものでした。
 まるで岩をくりぬいて窓と扉をくっつけただけのようです。
 部屋の壁はゴツゴツとした岩がそのままでした。

「あちこち少し尖っているので気をつけてくださいね」

 シスターが言いました。フォルテ君はもう二箇所程、腕をすりむいていました。
 血が出る程大きな傷ではありませんでした。フォルテ君は指に唾をつけてそれで傷口を撫でます。

「司祭様はこちらにいらっしゃいます。本来ならば書斎か客室にお通しするべきなのですが、床を出ることができないのです。どうか中へ」

 シスターは一礼してそう言いました。
 その言葉にフィーネちゃんはドキリとします。
 そして、そんなにお加減が悪いのですかと問いました。

「ご心配には及びません。先日、棚の上のものを取ろうとして足を捻ってしまったのです。司祭様も、フィーネ様にお会いすることを心待ちにされています。どうぞ中へ」

「寝間に立ち入るのであれば、みんなで行ったのでは失礼ですね」

 アメリアが言います。するとシスターがいいえと制しました。

「フィーネ様とともに訪れた方皆様とのお達しでございます。皆様でどうか」

 頭を下げるシスターに、三人は迷いました。
 しかし心を決め、ドアを叩きます。
 中から、ややかすれた低い声が返ってきます。

「フィーネ・ブラームスです。司祭様、あなたに謝りに来ました」

 お入りなさい――。静かに声が答えます。

 フィーネちゃんはゆっくりと木造りの扉を開けました。
 きぃときしむ音を立てて重いドアが開かれます。
 途端にフィーネちゃんの胸に、何かが飛び込んできました。
 フィーネちゃんは直感的にそれを思い切り抱きしめます。もう二度と離さないように。

 柔らかい肌触り。手になじむ懐かしい感触。その温もり――。

「ピア――!」

 フィーネちゃんはそれを両手でつかんでまっすぐ腕を伸ばします。
 いなくなってから何度その名前を唱えたことでしょう。何度彼女のために泣いたことでしょう。
 死んでしまったと思った時、どんなに絶望したことでしょう。 

 しかし今。まさしくこの瞬間。

 ピアは確かに、生きて彼女の腕の中に帰ってきたのです。
 フィーネちゃんはピアを抱きしめて顔をうずめます。
 ピアはフィーネちゃんの耳を優しくなめました。

「ピア、……ピア! ああよかった、本当に。すごく心配したわ、すごく……街中探し回ったのよ。どこに行っていたの……?」

 ピアは一声鳴いてフィーネちゃんの手から離れます。
 それから部屋の机の上に乗りました。
 その上に置いてあるものをくわえて、再び戻ってきます。
 ピアはそれを誇らしげにフィーネちゃんに渡します。
 そしてフィーネちゃん腕の中で満足そうに喉を鳴らしました。
 フォルテ君が後ろから覗き込んで言いました。

「フィーネちゃん、それ……」

「うん」

 それは万年筆でした。あの日、川に落とし、ピアが拾った、パパとママの形見――。

「ありがとう、ピア」

 涙が流れるフィーネちゃんの頬を、ピアが心配そうになめました。
 フィーネちゃんはくすぐったそうに微笑んで涙を拭いました。

「ごめんね、ピアも心配だったよね。私、泣き虫だから心配だったよね。でもね、いろんな人に助けられて私はここまで来ることができたの」

 ピアは青い瞳でフォルテ君を見つめました。
 フォルテ君には、何だかお礼を言われているように思えました。

「でも、どうしてピアは家に帰らずにずっとここにいたんだろう? まるでここでフィーネちゃんを待ってたみたいだ」

 それが聞こえたのか、ピアはまたフィーネちゃんの肩を降ります。
 そして、ぴょんとベッドの上に飛び乗ります。
 ベッドの上には白い髪の老人が座っていました。
 寝間着ですが、どこにもたるんでいるような気配はありません。
 それでいて、穏やかな雰囲気を持った人でした。
 肩には長い三つ編みがかかっています。
 膝に乗るピアを皺の目立つ大きな手が優しく撫でていました。老人は口を開きます。

「ピア、と名付けたのですね。ブラームス卿がこの子を引き取りに来た日のことを今でも覚えていますよ。この子の母親は生まれつき体が弱くて、この子もとても小さく生まれてね……、長くは生きられないだろうと思っていました」

 老人の空の色をした瞳がフィーネちゃんをとらえます。そして、再びピアを見ました。
 老人は立派に育って、と嬉しそうな声で言いました。

「明かりをつけてくださいませんか。私は目が弱くてね。暗くてお顔がよく見えない」

 日はすでに没していました。フォルテ君たちにとっても部屋は薄暗くなっていました。
 アメリアはさっとランプにマッチで火を灯します。
 ろうそくの炎が照らす老人の顔。厳かな顔でした。
 でもその言葉にはどこか疲れているような気配が漂っていました。

「そちらの子は――初めてお会いしますね。グリッサンドで司祭を務めています。ピラトと申します」

 フォルテ君は慌てて背筋を伸ばします。

「は、はじめまして。フォルテ、です!」

「椅子の用意ができなくて申し訳ありません。あなたは、アメリアさんでしたね。すまないが、その辺の椅子をこの子たちに用意していただけませんか。何分、長い話をしなければならない」

 仰せのままに、とアメリアは二人に椅子を差し出しました。
 フォルテ君とフィーネちゃんは恐る恐る座ります。

「あなたもどこか適当な場所に掛けてください」

「いえ、わたくしは――」

「どうか。子どもたちにとっては年寄りの長話など聞きたくもない類だろうが、これは、ブラームス夫妻の死にかかわる話なのです。どうか私の告白を聞いていただきたい」

 私の、罪深い告白を――。

 司祭はそう言って、もう一度ピアを撫でました。
 アメリアが座るのを確認すると、司祭は話を始めました。

「街では――あなたに関して悪い噂が立っているようですね」

「司祭様……!」

 司祭の言葉に思わずアメリアは憤り、腰を浮かせます。
 しかしフィーネちゃんはアメリアの名前を短く呼び、制します。
 司祭の顔をじっと見つめる幼い主人の顔。フィーネちゃんは毅然と前を向いています。
 アメリアは失礼しましたと、椅子に座り直します。

「失礼しました、司祭様。――ええ、その通りです」

 フィーネちゃんが言いました。

「相当、気に病んでいたのですね。……自殺を思い立つ程に」

「――何故、それを」

「ご家族に遺書を残されたでしょう。心配したヨハネス様はそれを教会に届けてくれたのです。あなたの行いが、神に許されるだろうかと。――自殺が罪だということはご存知ですね」

 自殺は殺人と同等の罪――。いいえ、それ以上に罪深いとされている行いでした。
 自殺者は葬儀を行うことも、墓を作ることも禁じられています。
 牢屋に入れられる罪人でも、墓を持つことは許されます。葬儀も行われはします。
 自殺者は、それさえも拒絶されるならわしがありました。

「――知っていました」

 そう、フィーネちゃんはそんなことは承知だったのです。
 その上で遺書を書き、ひたすらに神に許しを乞いました。
 そして家を出て、橋に向かいました。

 フィーネちゃんは悲しくなったのです。パパとママが死んだことも。
 その二人にひどい言葉をかけてしまったことも。
 それが原因で街の人たちからひどいことを言われることも。全て、何もかもが。
 どうすればいいのかわからなくなって、ただ救いを求めました。

 夜の街はとても静かでした。フィーネちゃんの悪口を言う人もいませんでした。
 あの日に死ななかったのは、単なる偶然だったのかもしれません。
 悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。でも、それを責める声もしなかったのです。
 夜の街は静かにフィーネちゃんの嗚咽を聞いてくれました。
 死ななかった理由があるとすれば、それだけのことです。

「あの時は、パパもママも、本当に嫌いだと思いました。こんなにつらい中に私を一人にして、って。お誕生日は一緒にいてくれるって言ったのに……、約束したのにって……」

 段々とフィーネちゃんの声は弱弱しくなります。鼻をすする音が聞こえ始めました。

「お仕事だから仕方ないんです。……でも、約束したのにって。約束したのに、帰ってきてくれなくて……、死んだって、言われて。私、パパとママがいなくて寂しかったのに、寂しいってことも、言えないままだった」

 聞いていてフォルテ君も段々に悲しくなって来ました。目頭が熱くなってきます。
 フィーネちゃんが苦しんでいた胸の内を思います。どんなに悲しくつらかったことでしょう。
 フォルテ君だって母親が死んで、埋葬さえできなくて、どれほど悲しい思いをしたことでしょう。
 愛していた人が死んでしまうというのは本当に、どうしようもなくつらいものです。
 フィーネちゃんはずっと一人で耐えてきたのです。

「それからずっと、泣いていて、最初はただ悲しかったのに……、いつの間にか、パパもママも約束を破ったんだっていう気持ちが強くなってきて、自分が一番かわいそうだって……、泣いてたんです。私は世界で一番不幸なんだって。本当にかわいそうなのは、死んでしまった人たちのはずなのに」

 誰もが最初、かわいそうだと泣いてくれました。
 でもだんだんみんなの声は励ましに変わっていきました。
 いつまでも泣いていてはいけないとか。泣いているとご両親が悲しむとか。
 そういうことを言う人を疎ましく感じるようになりました。

 自分は大切な人を一度に二人も失ったというのに。こんなにも悲嘆にくれているというのに。
 悲しみのどん底にいるというのに。
 それでもお日様は昇ります。街の人はいつも通りに暮らしているのです。
 それは何だか、とても許せないことに感じられました。
 ましてや元気を出してと言われるのはすごく腹が立ちました。

「――噂を聞いた時、少しだけホッとしましたね」

「――はい。噂を最初に聞いた時、なんてひどいって思う半分で、私は喜んでいたんです。みんなが私のことを恐れているって、すごく悲しかったけど、何だかとても安心しました」

 二人が死んでも、街は壊れもしないし、滅びもしませんでした。
 それどころか、街はブラームス夫妻の死を忘れようとしました。
 それがフィーネちゃんには許せませんでした。
 ブラームス家が作った街が、ブラームス家無しでも続いていく。
 それを認めたら、二人は何のために死んでしまったのか――。わからなくなります。

 だから、呪いで街が滅んでもいいと思いました。
 噂はブラームス家への信頼が残っている証拠でもあったのです。
 フィーネちゃんは悲しみの底でとても安心していました。

 街は自分を恐れている。ブラームス家の影響力におびえている。
 受け入れれば、そこはとても居心地のいい場所でもありました。

 自分は魔女の末裔。呪いで街を支配する――。
 パパも、ママも、この街も、何もかも、だいっきらい。全て滅んでしまえばいいんだ。
 この命と一緒に。

――そう思いました。

「それは間違っていますよ」

 司祭は静かに言いました。フィーネちゃんも静かに、はいと返します。

「間違っています。だから――壊すことにしたんです」

 その時、自分がひどく穢れた存在に感じられました。
 自分は家を穢してしまったのだと感じました。呪われたというのにふさわしい程に。
 だからフィーネちゃんは、悲しくなったのです。そして家を抜け出したのです。
 少しでもパパとママの近くに行くために。まだ心にきれいなものがあるうちに。

 そうですか、と司祭は俯き、膝の上のピアを見ました。

「今も死にたいと――あなたの世界を壊してしまいたいと思いますか」

 問われて、フィーネちゃんは静かに首を振ります。
 今はむしろ、このままでは死ねないという気持ちがしていました。
 こんな状況では、パパとママに合わせる顔がないと思いました。

――ああ、そうだ。そうだったんだ。

「いいえ」

 フィーネちゃんはきっぱりと答えます。

「それは何故?」

「ピアが許してくれました。私が生きていてもいいと言ってくれました。きっと私が昨日埋めた猫は、世界を呪って恨んでいた私自身だったんです。でも、その私は死んで、アンダンテさんが埋葬してくれました。ピアも帰ってきてくれました。フォルテ君も、アメリアも、叔父様も叔母様も、みんなこんな私でも生きていていいって言ってくれます。だから生きます」

「噂は残っていますよ」

「でも噂は噂です。私がちゃんといいことをしていれば、みんなわかってくれます。私がふさぎ込んでいるから立った噂なら、明るくしていればいずれ消えます」

 司祭は、老いた顔に淡い笑みを浮かべました。
 それはろうそくの光が揺らめいてそう見えただけかもしれません。本当に一瞬、瞬き程の間でした。
 でもフィーネちゃんには確かに笑ったように見えました。

「罪は許されると思いますか?」

 司祭は言いました。

「グリッサンドは罪人が許される奇跡が起こる街です」

 フィーネちゃんは言い切りました。

「――私が殺したようなものです」

 司祭は息が詰まるような声で言いました。

「ブラームス夫妻は街の再建を担っていました。私も再建計画の会議に出席していました。ブラームス卿が街を再建すると言った時、反対するものは誰もいませんでした。私ももちろん賛成だった。北市街の老朽化は著しく、いつ地震が起こるともわからないこの地では、耐震性のある街にしていくのは当然です」

 フィーネちゃんもその計画のことは知っていました。

「ただ、それは決して早急に進めることではなく、長い時間をかけて徐々に進めていくはずのものだった。着工も当初は、三年は先のことだという話になりました。でも、私は計画を急がせました」

 司祭はそこまで言うと激しくせき込みました。
 アメリアが慌てて背中をさすります。口を拭う布を見てフォルテ君はあっと驚きました。
 白い布は強かに血に濡れています。

「失礼、私には時間が残されていなかったのです。私は自分が死ぬ前に街の再建の道筋だけは作っておきたかった。それが私の務めだと思ったのです。今思えば、自分の名誉のだめだったのかもしれません。私は生きているうちに街の再建の着工に取り掛かりたかった。私が死んでも、街は残る。私の功績になる――そんな欲に取りつかれたのです」

 フィーネちゃんはただ黙って司祭の告白を聞きます。

「だから私は今年のヴィア・ドロローサには、着工が始まるように手配しました。ブラームス卿にも無理をしてもらいました。一月前、隣街に資材が届いたという報告が来たのです。私はすぐにブラームス卿に知らせて、確認し、受け取りに行ってくれるように頼みました」

 それは、とアメリアが慌てた声を上げます。フィーネちゃんはなおも黙っていました。

「ブラームス卿は断りませんでした。その日があなたの誕生日だということを私は知っていました。頼めばあの方は断らない確信もありました。その日ブラームス卿は出かけ、そして二度と帰ってこなかった」

――本当にごめんよ。急な仕事なんだ。

――そんな……。嘘つき、パパとママの嘘つき!

 何か胸の奥を鋭い刃物で貫かれたような感覚に見舞われました。

「……それじゃあ」

 フィーネちゃんはようやく絞り出すように言いました。

「お二人を死に追いやったのは間違いなく私です。本当にすまないことをしたと思います。――ごめんなさい」

 フィーネちゃんは何も言えませんでした。更に司祭の告白は続きます。

「そしてあなたが呪われているという噂が立つようになったのも私の責任です。崩落の知らせの後、私はあなたの家を何度も訪れました。許されるとは思いませんでしたが、あなたにはこの経緯を知らせなければならなかった。あなたはなかなか私との面会を許してくれず、私は日々消沈して帰りました」

 その頃は必死に自分の家の礼拝堂でお祈りをしていたのです。パパとママが無事であるように、と。

「あなたが人を呪うというのは、一連の私の様子を見ていた街の住人が言い出したことです。そして私はそれを知っていて、敢えて訂正をしなかった。あなたに無実の汚名を着せることに私は抵抗しなかったのです。それどころかあなたが絶対に私に会ってくれないとわかった後もしばらくあなたの家に通い、噂を助長さえしました」

「司祭様、あなた……」

 アメリアは蒼白な顔をして司祭を見つめました。
 司祭はアメリアの手を借りてようやく体を起こしていました。それでもなお話を続けます。

「私は自らの罪でブラームス夫妻を死に追いやってしまいました。私は最初、それを真摯な気持ちであなたに伝え、そしてあなたの怒りも甘んじて受け入れようと思ったのです。もしも夫妻を生き返らせることができるというなら、命を投げ出すことに微塵のためらいもありません。でもあなたはなかなか会ってくれなかった」

――許してくれなかった、と司祭はかすれた声で言いました。

「私の心の中は段々と穢れていきました。私はこんなにつらい思いをして謝りに行っているのに話すら聞いてもらえない――そんなあなたが呪われていると噂されようと、私は構わなかったのです」

 それにこうも思いました、と司祭は言いました。すでに顔に色はなく、目はうつろです。

「あなたが本当に呪いの力を持っていて、その力のせいでブラームス夫妻が亡くなったというのは真実かもしれない、と思ったのです。そうすれば二人が亡くなったのは私のせいではない。私は潔白でいられる――欺瞞です。私は結局、自分のわがままで二人を犠牲にし、それから目を背けるためにあなたを自殺に追いやったのです」

 さあ。

――こんな私をあなたは許してくれるでしょうか。

 そう言って司祭はフィーネちゃんを見据えます。
 その時のフィーネちゃんの目に浮かんでいたものを正しく理解できた人は、きっとフィーネちゃん自身も含めて誰もいなかったことでしょう。

――この人が、いなければ、パパとママは。

――生きていたかもしれないのに。

――私は、今も。

――それなのに、許せなんて。

 そんな思いがろうそくの炎が揺らめく刹那に、フィーネちゃんの心の中を激しく、ぞわぞわとかき乱していきます。

「――少し、考えさせてください」

 乾いた喉でフィーネちゃんはようやくそれだけ言えました。

「フィーネちゃん……」

 フォルテ君の声には構わず静かにフィーネちゃんは出ていきます。
 その後をフォルテ君とピアは追いかけます。
 アメリアは司祭に尋ねました。蒼白だった表情は幾分落ち着きを取り戻しています。

「司祭様、あなたのような敬虔深い方が本当にそんなことを……」

「アメリアさん、人間というのは本当にもろい生き物です。白ければ白い程汚れてしまう服のように。気づいた時には、服は取り返しのつかない程汚れてしまっていることは少なくありません」

 確かに、と司祭は続けます。

「あの子に真実を話す必要はなかったかもしれません。あなた方に支えられ、ここにたどり着いた時の彼女はもうほとんど回復しているように見えました。あなたには、私の行為がまたもや卑しい欺瞞に思えるかもしれませんね。自らの罪に耐えかね、楽になりたいがために許しを請うているのだと」

 でも私は彼女の決断を知りたかった、と司祭は言いました。

「これから先、彼女は幾度となくこの一ヶ月の出来事を思い起こさねばならない時が来ます。自分のせいで両親が死んだと、あのいわれのない噂がふと脳裏を掠めた時、その時彼女の隣にあなたはいないかもしれません。あの旅人の坊やもピアも」

 アメリアはハッとしました。そして、黙って頷きます。

「そんな時、彼女は彼女を許すことができなければならないでしょう。私は許されなくても構わない。でも、せめて彼女は、自分に許されるべきだと思いませんか?」

 一滴の涙がその皺だらけの頬を伝います。アメリアはただただ見つめることしかできませんでした。

 グリッサンドの夜はゆっくりとやってきます。
 地平線の向こうからやや膨らんだ月が顔を出していました。
 明るいはずだ、とフィーネちゃんは思います。時が流れるのは本当にあっという間です。
 その圧倒的な力は、何もかも平等に押し流していきます。良いことでも、悪いことでも。

「フォルテ君は今までどんな街を旅してきたの?」

 煉瓦で囲われた泉の縁に、ピアを挟んで二人は座っていました。
 不意に尋ねられてフォルテ君は少し詰まります。でも、しばらく考えて元気に話し始めました。

「グリッサンドみたいないい街は久々だよ。たいていは小さな町。教会がある街は死者の救済が確立されてるから、行かなくていいってアンダンテさんは言うんだ」

 グリッサンドは大きいし教会もある。アンダンテさんが寄ったのが奇跡みたいだよ――。
 フォルテ君はそう笑います。

「普段行くのは、じめじめして暗いところ。鼻がおかしくなりそうな薬の臭いが立ちこめてる村だったり、全くだーれもしゃべらない町もあった。変な鶏が干からびたようなものを首からぶら下げてて、それがこの町の唯一の会話の方法なんだって。こんなに賑やかな街に入るのは珍しいんだ」

 フィーネちゃんは熱心にフォルテ君の話を聞いていました。それからぽつりと呟きました。

「私も、フォルテ君と一緒に行きたいな。私、商人の子どもなのにどこにも行ったことないから。パパとママが行った街に私も行ってみたい」

 フォルテ君は満面の笑みを浮かべて言います。

「おいでよ! いろいろ大変なこともあるけどきっと楽しいから。アンダンテさんはオレが何とか説得してみせるよ」

 そう胸を張るフォルテ君。フィーネちゃんは微笑みました。
 本当に行けたらいいなとぼんやり思いました。 

――きっと素晴らしいことが、たくさんあるだろうな。

 ビュウと風が吹いて二人と一匹の間を通り抜けていきます。

「フィーネちゃんは……その、司祭様のこと許せない?」

 しばらく考えて、フィーネちゃんはゆっくりと首を振りました。

「わからないの。ううん、多分、憎いし、恨んでも、いると思う。でも、よくわからないの。どうして司祭様なんだろうって。どうしてパパとママが死んでしまったんだろうって。司祭様は絶対に意地悪でパパとママに仕事を急がせたわけじゃない。だって、本当にお具合が悪そうに見えたもの。きっと、どうにもならないことがあって、だから、パパとママは死んじゃったんだけど、それの原因は確かに司祭様なんだけど……。でも、司祭様を責めてもどうにもならないよね。あんなことになるなんて、誰にもわからないことなんだから」

「司祭様が死んじゃえばいいと思う?」

 突然、フォルテ君は物騒なことを言い出しました。
 しかし、フォルテ君の緑色の瞳は、それが冗談ではないことを物語っています。

「そんなこと……うん、そうだね。そういうことだね。私、また同じことの繰り返しをしようとしてる。ここで私が司祭様を憎んで、ひどいことを言って、それで司祭様がお亡くなりになったら、きっと私、また嫌になる。後悔すると思う。許せないってそういうことなんだわ。相手がいなくなってしまったときに、それは自分自身に呪いとして返ってくる」

――フィーネ。

 その時、フィーネちゃんの頭に、ブラームス卿があの日の少し前に出した謎かけが過ぎりました。
 聖ヤコブは自分の死を前に、それでも自分を殺そうとする者たちが主に許されることを望んだ。
 それはどうしてなのでしょう。
 今のフィーネちゃんと同じだったのではないでしょうか。
 自分の民が、侵略者を憎まないように、憎悪と復讐に縛られることなく、新しい土地で前を向いて生きていけるように、後悔にならないように願ったのです。

 司祭の行いは、確かにブラームス夫妻を死なせる結果になってしまいました。
 フィーネちゃんが街から差別される原因になってしまいました。
 でもそれは決してそうしようと思って行われたことではありません。
 だからフィーネちゃんはそのことで司祭を憎むべきではありませんでした。

 憎んだところでどうしようもなく、さらに司祭には残りの時間もわずかなのです。
 フィーネちゃんはそれを分かった上で、司祭も、街の人も許すべきだと思いました。
 少なくとも許したいと思いました。
 そして、自らの非を詫び、許され、改めてグリッサンドの人々に認めてもらおうと思いました。
 責めて、憎んでもどうにもならないことです。
 お互いの罪を認め合い、許し合って前に進まなければ。そうでなくては、何も変わっていきません。
 ただ恨みと憎しみという呪いの渦の中をぐるぐると回るだけです。

――そういうことだったんだよね、パパ。

 答えを司祭に伝えるために、フィーネちゃんは駆け出しました。
 フォルテ君は急いでその後を追います。
 ピアはフィーネちゃんの後を追い、追い越して走っていきます。
 そしてあっという間に姿が見えなくなってしまいました。
 でも、フィーネちゃんはもう焦りません。

――ピアはどこにも行かない。私のことを待っていてくれる。

 フィーネちゃんは今、はっきりとそれを信じることができました。
 フィーネちゃんは呪われた娘だと呼ばれました。
 呪われたと言うのなら、呪ったのは誰でしょう。フィーネちゃん自身が自分を呪っていたのです。
 自分で自分を孤独と哀れみの渦の中に突き落としていたのです。
 度重なる不幸と不運がそう思わせていたのです。
 でもフィーネちゃん自身を呪うフィーネちゃんはもはやいません。

 それはブラームス邸の楡の木の下にいます。
 たくさんの花に囲まれて眠るように埋まっています。アンダンテさんが埋葬してくれたものです。

 グリッサンド――罪人が許される街。
 誰かに許されたいと思うなら、誰かを許せなければいけません。
 許されるとは許すということ。呪いとは――許せないこと。

 司祭の部屋の木戸の前にピアはいました。頬を寄せるように体をこすりつけています。
 フィーネちゃんがここに来ることを知っていたようです。
 そして今か今かと待ちわびているみたいでした。フィーネちゃんはその木戸をそっと開けます。
 中程まで開けるとアメリアが手伝って開けてくれました。

 中には司祭がいました。外にいたシスターもいました。
 寝床の上でもなお凛々しく座っています。峻厳としているようで、どこか慈悲深い面持ちでした。

「司祭様のこと、本当は少し、怒っています」

 フィーネちゃんは、短く言いました。

「でも、許そうと、許したいと思うんです。パパもママも、司祭様のことを恨んでいません。災いは天が起こすもの。パパとママが死んでしまったのは確かに司祭様が原因かもしれません。でも、それを責めても、何も変わらないんです。噂のこともそうです。司祭様のせいだ、司祭様が悪い、なんて言って責めても、噂がなくなるわけでも、パパとママが帰ってくるわけでもなくて、だから、上手く言えないんですけど――」

 フィーネちゃんは言葉に詰まります。司祭はただその宣告を静かに受け止めていました。

「――許します。司祭様がこれ以上ご自分を責めないように。私も、これ以上自分を責めないように。自分と、司祭様と、街の人たちみんな、許してまた最初からやり直そうと思うんです」

 フィーネちゃんはにっこりと笑います。
 パパもママもきっと、最期の時も司祭様を恨まなかった――。
 それは確信できます。二人はそういう人ではありません。
 二人を思うのならば、目の前の老人を責めることはできません。
 二人が愛した街を恨むことが、どうしてできるでしょう。
 それをしたら、本当に呪われた娘になってしまう――。そうフィーネちゃんは思いました。

「悔いることと許しを乞うことは別なのだと思います。私たちは自らの行いを悔いることはできますが、人間の罪を許すのは神様の仕事でしょう? ならば司祭様が自らの行いに罪を感じるなら、それを許せるのは神様だけです。私は司祭様の行いは潔白だったと思います」

 司祭はゆっくりと目を閉じました。

「街の再建は早い方が良かったに違いなく、司祭様が、自分が亡くなる前に段取りだけは作っておこうとするのは当然のことです。噂の話は司祭様の行動は一つも間違ってないでしょう? 謝りにいらしてくれたのを受け入れなかったのは私の罪です。司祭様は本当にお体が悪いのに……謝るのは私の方です。本当に、ごめんなさい」

 フィーネちゃんはそう言うと頭を深く下げました。
 ピアがフィーネちゃんの足元に首をこすりつけます。

――これでいいんだよね?

 フィーネちゃんは心の中でピアに問いました。
 ピアは目を細めて体をすり寄せます。
 体全体でフィーネちゃんを褒めてくれているように感じました。
 それから、とフィーネちゃんは言いました。

「街の再建を手伝わせてください。パパとママができなかったこと、私が引き継ぎたいんです。私にできること、やるべきことは、きっとそれだから」

 司祭はしばらく目を瞑っていました。それからゆっくりと呼吸を整えて静かに言いました。

「フィーネ・ブラームス、あなたを許します。天啓が下りました」

 フィーネちゃんは顔を上げました。優しい笑みを浮かべた司祭の顔がありました。
 まるでつきものが落ちたようです。

「あなたが今年のラビです」

Menu

プロフィール

ゴルル・ゴン

Author:ゴルル・ゴン
うつ病気味の情緒不安定屋さん。
スリリングな言動と支離滅裂な行動であなたの老化防止に役立つらしい。

最新記事

最新トラックバック

埋葬されている人数

アルバム

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR