石崎祐樹のエトセトラ

Index ~作品もくじ~


 
 焼き肉に誘われたのだった。僕はそういう焼き肉の食べ放題の店というのは初めてだったからどんなところだろうと思ってみると、いわゆるブッフェ形式に肉とか野菜とかを自由に取ることが出来て席の網で焼くという形式らしい。回転寿司のように焼かれた肉がさらに乗って回ってくることを期待していた僕はもうそこから出鼻をくじかれて、かなり不機嫌だった。

「じゃあ、肉焼くよ」

 女友達の岬雪絵の言葉に僕は度肝を抜かれた。

――馬鹿な。

 彼女は今何と言った? 焼くと言ったのか? 何を? まさか肉を?

 動転して言葉も出ない僕の前で彼女は温まって油の敷かれた鉄板に、あろうことかモツを並べ始めたのだ。さらに横ではタレ付きカルビを焼いている。

――あり得ない!

 焼き肉はまずサラダのような前菜から導入するものじゃないか。次に海鮮。次にやっと肉で、ご飯がしめのはずだろう。いきなり肉を、しかもよりによって重いモツから食べ始めるなんて――。

 初めにタレ付きの肉を焼くなんてもってのほかだ。そんなことをしたら鉄板がタレで汚れて、他の肉の味を犯すじゃないか。彼女は何を考えてるんだ。

 でも、バカの橘はそんなこともお構いなしに、焼けた肉を突っついていく。

――なんてことだ!

 橘達のしていることを見ろ。そんなバカなことが、君は今、肉をとったその割箸でその肉を口に運ばなかったか? しかも、「君の唾液がついた箸」で、再び他の肉を返している! 

 聞いたことがある。

――直箸!

 なんて不潔な。自分の唾液がついた箸で他の人が食べるかもしれない肉を返すという所作もそうだが、「豚肉」だぞ? 生の豚肉に付着している病原体が箸を介して体に入り込むかもしれないというのに……。誰か彼を止めないと。

「あれ、石崎君、食べないの?」

「う……ああ、……こういうところ、初めてだから」

「ふーん。焼けたとこから食べちゃっていいよ。こら橘! 肉ばっか食ってんじゃないわよ」

 肉ばっか焼いてんじゃないわよ! 思わず口調が乱れてしまったじゃないか。しかも君、焼き肉のたれが口の端についてる。

「あ、岬お前、口の端にタレ付いてんぞ」

 橘の手はその口の端についたタレを親指で拭って、あろうことかその親指についたタレをぺろりと自分の口に――。

「た、橘! もう、馬鹿!」

「何だよ、変な声出すなよ」

 ラブコメやってんじゃねーよ! 吐き気がするわっ!

 だんだん胃がむかむかしてきた。とても食べていられない。僕はいったん席を中座してトイレに行った。

「は、っは……おええっ!」

 対して食べてもいない胃の中身がそのまま出てきた。ゲロの酸っぱい臭いがさらに吐き気を誘うのでレバーを引いて水を流す。ゲロはぐるぐると回って穴の中に吸い込まれていく。

 恐るべし焼き肉。何という非常識。何という不衛生。何という不条理。僕の常識を超えた世界。あの人たちには、これが常識だって言うのか。

 僕はしばらく便座に座って気を落ち着けていた。

「石崎?」

 長く帰ってこない僕を心配したのか橘が個室の外から僕を呼んだ。

「お前、便秘?」

「……何故?」

「クソしてんじゃねーの?」

「してるわけないだろ!」

 橘にはデリカシーというものを求めても無意味だ。僕の怒声が狭いトイレにこだまする。

「おいおい、でかい声出すんじゃねーよ。何、じゃあそこで何してんの?」

「何って……、どうでもいいだろ」

「まさか……、まさかな」

 橘、お前今、僕が何をしていると思った?

 お前今、僕がここで何をしていると思った?

「悪い。お邪魔だったよな……、ごゆっくり」

「オイ! 待て……!」

 要らない配慮していくんじゃない。橘はバタバタとトイレを出ていった。ちょっと待て、お前は一体何を考えている! 僕がトイレの個室でこそこそとそんなことのいそしんでいるとでも思っているのかこの野郎!

 慌てて個室のカギを開け橘の誤解を解くべく、僕は彼の肩をつかんだ。

「ちょっと待ってよ、君は一体……」

「あれ、もう済んだの?」

「済んだも何も、君は一体僕が何をしていると思ってるんだ!」

「……電話中だと」

「電……話?」

 橘はきょとんとしている。

「違ったのか?」

 僕は自分の勘違いに頭が爆発するほど恥ずかしくなった。耳から煙が出そうになっている僕を見て橘が笑う。

「何だ? 顔赤いぞ? 酔ってんの?」

「……ごめん、急に用事が入っちゃって、先帰るね」

 僕は適当な嘘でその場を取り繕ってもう帰ろうとした。

「あ、そうなの? じゃあ、岬呼んでくるよ」

「え?」

「帰るんだろ?」

「一人で……」

「お前車持ってないじゃん」

 そうだ。この焼肉屋には岬雪絵の車で来たんだ。僕が帰らなくてはならないということは畢竟彼女が送らなければならないということだ。

「あ、ああ、大丈夫。タクシーを呼ぶから」

「そう? じゃあ、タクシーが来るまでくってけよ」

「違う違う、もう来てるんだ。外に待たせてあるから」

「どの車?」

「あー、ここからは見えないから。とにかく僕帰るから。じゃね!」

 そう言って僕は逃げるように焼き肉屋から飛び出した。さすがに橘も外まで追ってはこない。

 僕ら――橘健太と岬雪絵、そして僕、石崎祐樹は、同じ大学に通う二年生で、ルームシェアをして少し広いアパートに三人で住んでいる。基本的には話もしないが仲が悪いわけではない。そもそも仲が悪かったらルームシェアなんてしようという話にはならないが。

 でも、僕らはあまり一緒には行動しない。元々は、この近くにあるアパートに、三人別々に住んでいたのだ。今住んでいるアパートは橘の部屋で、橘は何というか……、霊感があるのだった。

 橘は家賃が安いということで、部屋の広さ、新しさに比べると破格に安いそのアパートを、住人が自殺するといういわくつきであることを知っていたにもかかわらず、借りたのだった。

 しかし、橘は一週間もしないうちに、不眠症にかかったり、道を歩いていると看板が落っこちてきたり、信号が青だと思ったのに実は赤で、危うくひかれかけたり、様々な怪事件に見舞われ、精神的に追い詰められ、自殺寸前というところまでいった。

 そんな橘が、頼ったのが岬雪絵である。彼女は何というか……、宗教家というか……。新興宗教の開祖なのだった。いや、宗教というほどでもない。ただ、独自の信仰をもっている変な女で、鰯の頭を信仰している。で、その彼女なのだが、橘の部屋の幽霊をどうにも除霊してしまったのだ。

 それで橘は岬にずっと部屋にいてもらえば幽霊が来ないと結論付け、岬もなぜかそれを承諾した。

 僕と橘は古くからの友人で、橘が変な宗教に入れ込んでいるという、まあそう間違ってもいない情報を聞きつけた彼の保護者からの要請をうけ、橘の様子を監視するように言われた。それで、橘の家を訪れたのが一月ほど前で、橘が岬と同棲という形になると外聞が悪いと、半ば強引に僕をルームメイトにしてしまったのだ。

 そんなこんなで奇妙な三人での生活が始まった。今日はその生活が一か月を迎えたことのお祝いだったのだが……。

――焼き肉。

 僕はこの生活を始めて思ったのだが、かなり几帳面な奴らしい。少なくとも僕の家の焼き肉は、あんな混沌とした世界ではない。あの世界は僕には理解不能だ。

 飛び出したはいいけど、もちろんタクシーなんていないし、僕はタクシー会社の番号も知らない。ここから家までは十キロほどある。歩く距離ではないが歩くしかない。

 恥ずかしさにいたたまれなくなって飛び出してしまったが、僕は今更になって後悔していた。何とか戻れないものだろうか。

 しばらく未練がましく入口の所をうろうろしていたのだが、不思議そうに僕を眺めて出ていく少女の目が痛々しくて僕は家に向かって歩き出した。

 花の時期ももう終わり、目には青葉が栄える頃。春の夕闇は優しい温もりで街に夜を運ぶ。何が嬉しくて十キロもウォーキングをしなければならないのか。それもこれも橘のせいだ。車の往来は激しいが人通りは少ない道で、誰も聞いていないのをいいことに僕は橘の愚痴を言いまくった。

 橘には小さいころから何かと世話になっているが、僕も世話を焼いているのでこれくらい言っても許されると思う。というか許す許さないにかかわらず愚痴は言わせてもらう。

「大体幽霊が見えるのがいけないんだ……。昔から怖い話が苦手なくせに……、どうしてあんなアパートを……」

 でも、確かにいい部屋なのだった。大学までは歩いていける距離。さらに、駅までも徒歩圏内にあり、コンビニも近い。その割に夜は閑散としていて安眠が妨げられることもなく、ベランダは南向きで日当たりがいい。六畳のリビングに、四畳の部屋が二つも付いている。それで家賃が四万円なのだ。シェアすると割高にはなるが、それでも一人分の家賃が二万いかないという素晴らしい物件。

 魅力的なのはわかるが……。

 なぜ三人も自殺した部屋に住もうと思うのか。

 橘はそういう話が一番苦手で、昔だって怖い話を聞くたびに僕を起こさないとトイレに行けなかった臆病ものなのに。

 バカじゃないだろうか。

 いや、バカに違いない。

 橘はバカだ。

「誰が馬鹿だ!」

「! どうして……」

 橘だった。車の運転席に岬の姿も見える。

「だって、あれだけ入口でうろうろされればなぁ。気づかないわけないし」

「どうして追ってきた」

「どうしてって、一人で帰らせられるわけないだろ。ここから歩いたら九時になっちまうぞ。家に着くころには」

「ガキじゃないんだから。それぐらいどうってことないだろ」

「気分悪くて酒飲める雰囲気じゃないっつの。お前あれだろ、焼き肉が汚くて吐き気がするんだろ」

「……、ああいうのは不潔だ。焼き肉にも順序がある」

「だから、お前が食えるものにしようって話。気持ちよくな」

「焼き肉は?」

「どうせ、岬が福引であてた無料券だからな。もったいない気もするけど、損ってほど損でもないしな」

 そういうと橘は、岬の軽の後ろの席に僕を乗せた。岬の車には鰯の頭の置物が置いてある。全高三十センチもある巨大なそれは、橘が作った木彫りだった。マホガニーで光沢のある黒に染められた鰯の頭は奇妙な存在感を僕の隣で発している。

「石崎君さ、因みに何が一番気持ち悪かった?」

 岬が訊いた。

「……、どれもこれも気持ち悪かったんだけど、僕は焼肉食べ放題って、肉が皿にのってくるくる回ってくるんだと思ってたんだ。……だから、あんな形式は」

 ブフェッ、と奇妙な音が運転席から響く。

 その隣で橘が汚ねーなとティッシュをとった。

「石崎君、その発想はないわ。君変だよ」

 彼女にだけは言われたくない一言だった。

「まあ、焼き肉がおじゃんになったのは石崎君のせいだから、とりあえず君持ちで、どこかで夕飯にしようよ」

「僕のせいじゃないだろ」

 おごるなんてとんでもない。財布のひもが固いことには定評がある。

「まあまあ、君を追ってあたしらが店を出てきたのは事実なわけだし? 君さ、橘の言葉のあの解釈はないわ」

「な……、聞いてたの?」

「橘からね。君の発想って斜め上いってるよ。面白くていいけどさ」

 僕は後ろから橘の首を絞めた。

「おいおい、何だよ! お前ら何の話してんだよ」

 橘にはわかってないらしい。わからなくていいけど。結局僕は、岬が、僕がどういう想像をしていたのか言わないというのを条件に、その日の夕食をおごる破目になった。

「今日の教訓は?」

 岬がニヤニヤして聞くので、僕は投げやりに答えた。

『只より高いものはない』

 僕はその日のことを一生忘れないように日記に書き残した。5月3日のことだった。

五月三日の日記より
»»  2010.11.21.

 焼き肉に誘われたのだった。僕はそういう焼き肉の食べ放題の店というのは初めてだったからどんなところだろうと思ってみると、いわゆるブッフェ形式に肉とか野菜とかを自由に取ることが出来て席の網で焼くという形式らしい。回転寿司のように焼かれた肉がさらに乗って回ってくることを期待していた僕はもうそこから出鼻をくじかれて、かなり不機嫌だった。

「じゃあ、肉焼くよ」

 女友達の岬雪絵の言葉に僕は度肝を抜かれた。

――馬鹿な。

 彼女は今何と言った? 焼くと言ったのか? 何を? まさか肉を?

 動転して言葉も出ない僕の前で彼女は温まって油の敷かれた鉄板に、あろうことかモツを並べ始めたのだ。さらに横ではタレ付きカルビを焼いている。

――あり得ない!

 焼き肉はまずサラダのような前菜から導入するものじゃないか。次に海鮮。次にやっと肉で、ご飯がしめのはずだろう。いきなり肉を、しかもよりによって重いモツから食べ始めるなんて――。

 初めにタレ付きの肉を焼くなんてもってのほかだ。そんなことをしたら鉄板がタレで汚れて、他の肉の味を犯すじゃないか。彼女は何を考えてるんだ。

 でも、バカの橘はそんなこともお構いなしに、焼けた肉を突っついていく。

――なんてことだ!

 橘達のしていることを見ろ。そんなバカなことが、君は今、肉をとったその割箸でその肉を口に運ばなかったか? しかも、「君の唾液がついた箸」で、再び他の肉を返している! 

 聞いたことがある。

――直箸!

 なんて不潔な。自分の唾液がついた箸で他の人が食べるかもしれない肉を返すという所作もそうだが、「豚肉」だぞ? 生の豚肉に付着している病原体が箸を介して体に入り込むかもしれないというのに……。誰か彼を止めないと。

「あれ、石崎君、食べないの?」

「う……ああ、……こういうところ、初めてだから」

「ふーん。焼けたとこから食べちゃっていいよ。こら橘! 肉ばっか食ってんじゃないわよ」

 肉ばっか焼いてんじゃないわよ! 思わず口調が乱れてしまったじゃないか。しかも君、焼き肉のたれが口の端についてる。

「あ、岬お前、口の端にタレ付いてんぞ」

 橘の手はその口の端についたタレを親指で拭って、あろうことかその親指についたタレをぺろりと自分の口に――。

「た、橘! もう、馬鹿!」

「何だよ、変な声出すなよ」

 ラブコメやってんじゃねーよ! 吐き気がするわっ!

 だんだん胃がむかむかしてきた。とても食べていられない。僕はいったん席を中座してトイレに行った。

「は、っは……おええっ!」

 対して食べてもいない胃の中身がそのまま出てきた。ゲロの酸っぱい臭いがさらに吐き気を誘うのでレバーを引いて水を流す。ゲロはぐるぐると回って穴の中に吸い込まれていく。

 恐るべし焼き肉。何という非常識。何という不衛生。何という不条理。僕の常識を超えた世界。あの人たちには、これが常識だって言うのか。

 僕はしばらく便座に座って気を落ち着けていた。

「石崎?」

 長く帰ってこない僕を心配したのか橘が個室の外から僕を呼んだ。

「お前、便秘?」

「……何故?」

「クソしてんじゃねーの?」

「してるわけないだろ!」

 橘にはデリカシーというものを求めても無意味だ。僕の怒声が狭いトイレにこだまする。

「おいおい、でかい声出すんじゃねーよ。何、じゃあそこで何してんの?」

「何って……、どうでもいいだろ」

「まさか……、まさかな」

 橘、お前今、僕が何をしていると思った?

 お前今、僕がここで何をしていると思った?

「悪い。お邪魔だったよな……、ごゆっくり」

「オイ! 待て……!」

 要らない配慮していくんじゃない。橘はバタバタとトイレを出ていった。ちょっと待て、お前は一体何を考えている! 僕がトイレの個室でこそこそとそんなことのいそしんでいるとでも思っているのかこの野郎!

 慌てて個室のカギを開け橘の誤解を解くべく、僕は彼の肩をつかんだ。

「ちょっと待ってよ、君は一体……」

「あれ、もう済んだの?」

「済んだも何も、君は一体僕が何をしていると思ってるんだ!」

「……電話中だと」

「電……話?」

 橘はきょとんとしている。

「違ったのか?」

 僕は自分の勘違いに頭が爆発するほど恥ずかしくなった。耳から煙が出そうになっている僕を見て橘が笑う。

「何だ? 顔赤いぞ? 酔ってんの?」

「……ごめん、急に用事が入っちゃって、先帰るね」

 僕は適当な嘘でその場を取り繕ってもう帰ろうとした。

「あ、そうなの? じゃあ、岬呼んでくるよ」

「え?」

「帰るんだろ?」

「一人で……」

「お前車持ってないじゃん」

 そうだ。この焼肉屋には岬雪絵の車で来たんだ。僕が帰らなくてはならないということは畢竟彼女が送らなければならないということだ。

「あ、ああ、大丈夫。タクシーを呼ぶから」

「そう? じゃあ、タクシーが来るまでくってけよ」

「違う違う、もう来てるんだ。外に待たせてあるから」

「どの車?」

「あー、ここからは見えないから。とにかく僕帰るから。じゃね!」

 そう言って僕は逃げるように焼き肉屋から飛び出した。さすがに橘も外まで追ってはこない。

 僕ら――橘健太と岬雪絵、そして僕、石崎祐樹は、同じ大学に通う二年生で、ルームシェアをして少し広いアパートに三人で住んでいる。基本的には話もしないが仲が悪いわけではない。そもそも仲が悪かったらルームシェアなんてしようという話にはならないが。

 でも、僕らはあまり一緒には行動しない。元々は、この近くにあるアパートに、三人別々に住んでいたのだ。今住んでいるアパートは橘の部屋で、橘は何というか……、霊感があるのだった。

 橘は家賃が安いということで、部屋の広さ、新しさに比べると破格に安いそのアパートを、住人が自殺するといういわくつきであることを知っていたにもかかわらず、借りたのだった。

 しかし、橘は一週間もしないうちに、不眠症にかかったり、道を歩いていると看板が落っこちてきたり、信号が青だと思ったのに実は赤で、危うくひかれかけたり、様々な怪事件に見舞われ、精神的に追い詰められ、自殺寸前というところまでいった。

 そんな橘が、頼ったのが岬雪絵である。彼女は何というか……、宗教家というか……。新興宗教の開祖なのだった。いや、宗教というほどでもない。ただ、独自の信仰をもっている変な女で、鰯の頭を信仰している。で、その彼女なのだが、橘の部屋の幽霊をどうにも除霊してしまったのだ。

 それで橘は岬にずっと部屋にいてもらえば幽霊が来ないと結論付け、岬もなぜかそれを承諾した。

 僕と橘は古くからの友人で、橘が変な宗教に入れ込んでいるという、まあそう間違ってもいない情報を聞きつけた彼の保護者からの要請をうけ、橘の様子を監視するように言われた。それで、橘の家を訪れたのが一月ほど前で、橘が岬と同棲という形になると外聞が悪いと、半ば強引に僕をルームメイトにしてしまったのだ。

 そんなこんなで奇妙な三人での生活が始まった。今日はその生活が一か月を迎えたことのお祝いだったのだが……。

――焼き肉。

 僕はこの生活を始めて思ったのだが、かなり几帳面な奴らしい。少なくとも僕の家の焼き肉は、あんな混沌とした世界ではない。あの世界は僕には理解不能だ。

 飛び出したはいいけど、もちろんタクシーなんていないし、僕はタクシー会社の番号も知らない。ここから家までは十キロほどある。歩く距離ではないが歩くしかない。

 恥ずかしさにいたたまれなくなって飛び出してしまったが、僕は今更になって後悔していた。何とか戻れないものだろうか。

 しばらく未練がましく入口の所をうろうろしていたのだが、不思議そうに僕を眺めて出ていく少女の目が痛々しくて僕は家に向かって歩き出した。

 花の時期ももう終わり、目には青葉が栄える頃。春の夕闇は優しい温もりで街に夜を運ぶ。何が嬉しくて十キロもウォーキングをしなければならないのか。それもこれも橘のせいだ。車の往来は激しいが人通りは少ない道で、誰も聞いていないのをいいことに僕は橘の愚痴を言いまくった。

 橘には小さいころから何かと世話になっているが、僕も世話を焼いているのでこれくらい言っても許されると思う。というか許す許さないにかかわらず愚痴は言わせてもらう。

「大体幽霊が見えるのがいけないんだ……。昔から怖い話が苦手なくせに……、どうしてあんなアパートを……」

 でも、確かにいい部屋なのだった。大学までは歩いていける距離。さらに、駅までも徒歩圏内にあり、コンビニも近い。その割に夜は閑散としていて安眠が妨げられることもなく、ベランダは南向きで日当たりがいい。六畳のリビングに、四畳の部屋が二つも付いている。それで家賃が四万円なのだ。シェアすると割高にはなるが、それでも一人分の家賃が二万いかないという素晴らしい物件。

 魅力的なのはわかるが……。

 なぜ三人も自殺した部屋に住もうと思うのか。

 橘はそういう話が一番苦手で、昔だって怖い話を聞くたびに僕を起こさないとトイレに行けなかった臆病ものなのに。

 バカじゃないだろうか。

 いや、バカに違いない。

 橘はバカだ。

「誰が馬鹿だ!」

「! どうして……」

 橘だった。車の運転席に岬の姿も見える。

「だって、あれだけ入口でうろうろされればなぁ。気づかないわけないし」

「どうして追ってきた」

「どうしてって、一人で帰らせられるわけないだろ。ここから歩いたら九時になっちまうぞ。家に着くころには」

「ガキじゃないんだから。それぐらいどうってことないだろ」

「気分悪くて酒飲める雰囲気じゃないっつの。お前あれだろ、焼き肉が汚くて吐き気がするんだろ」

「……、ああいうのは不潔だ。焼き肉にも順序がある」

「だから、お前が食えるものにしようって話。気持ちよくな」

「焼き肉は?」

「どうせ、岬が福引であてた無料券だからな。もったいない気もするけど、損ってほど損でもないしな」

 そういうと橘は、岬の軽の後ろの席に僕を乗せた。岬の車には鰯の頭の置物が置いてある。全高三十センチもある巨大なそれは、橘が作った木彫りだった。マホガニーで光沢のある黒に染められた鰯の頭は奇妙な存在感を僕の隣で発している。

「石崎君さ、因みに何が一番気持ち悪かった?」

 岬が訊いた。

「……、どれもこれも気持ち悪かったんだけど、僕は焼肉食べ放題って、肉が皿にのってくるくる回ってくるんだと思ってたんだ。……だから、あんな形式は」

 ブフェッ、と奇妙な音が運転席から響く。

 その隣で橘が汚ねーなとティッシュをとった。

「石崎君、その発想はないわ。君変だよ」

 彼女にだけは言われたくない一言だった。

「まあ、焼き肉がおじゃんになったのは石崎君のせいだから、とりあえず君持ちで、どこかで夕飯にしようよ」

「僕のせいじゃないだろ」

 おごるなんてとんでもない。財布のひもが固いことには定評がある。

「まあまあ、君を追ってあたしらが店を出てきたのは事実なわけだし? 君さ、橘の言葉のあの解釈はないわ」

「な……、聞いてたの?」

「橘からね。君の発想って斜め上いってるよ。面白くていいけどさ」

 僕は後ろから橘の首を絞めた。

「おいおい、何だよ! お前ら何の話してんだよ」

 橘にはわかってないらしい。わからなくていいけど。結局僕は、岬が、僕がどういう想像をしていたのか言わないというのを条件に、その日の夕食をおごる破目になった。

「今日の教訓は?」

 岬がニヤニヤして聞くので、僕は投げやりに答えた。

『只より高いものはない』

 僕はその日のことを一生忘れないように日記に書き残した。5月3日のことだった。

五月三日の日記より

2010.11.21.[Edit]
 焼き肉に誘われたのだった。僕はそういう焼き肉の食べ放題の店というのは初めてだったからどんなところだろうと思ってみると、いわゆるブッフェ形式に肉とか野菜とかを自由に取ることが出来て席の網で焼くという形式らしい。回転寿司のように焼かれた肉がさらに乗って回ってくることを期待していた僕はもうそこから出鼻をくじかれて、かなり不機嫌だった。「じゃあ、肉焼くよ」 女友達の岬雪絵の言葉に僕は度肝を抜かれた。――馬...

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