July

Index ~作品もくじ~


 
【七月】

 一連の式部北高校生徒連続殺害事件は、国栖雄次郎と、早田明美の痴情のもつれから始まった連続殺人であり、潮ヶ浜夜、曽根百合子は明美殺しを目撃した人間として、国栖に殺され、篠塚揚羽は旧生徒会にその容疑がかけられ、特に濃厚に疑われた神楽崎弓枝の嫌疑を晴らすため、自らが囮となることで、国栖と対峙し、結果的に殺されるに至った。
 ただし、この事件は殺人犯と、その死体を遺棄した人物が全く別の目的で動いており、国栖が生徒を殺した後、学校に遺棄したのは、一連の広域連続殺人死体損壊遺棄事件(吸血ジャック事件)の犯人と同一とみられる。二者の関係性については、今後の取り調べ及び捜査によってこれを明らかにするらしい。
 そして、今回のカササギビル炎上事件は、殺された兄の事件の真相を明かそうとした同校の一年生篠塚蜻蛉と、その同級生である坂崎亮、松木太一が、事件を調査していることを知った国栖が、その露見を恐れ、六月第三週の金曜日早朝、同校に不法に残って事件を捜査していた三人のうち、単独行動をとっていた坂崎亮を絞殺する。坂崎亮は駆け付けた松木太一らの救命措置により一命を取り留めるが、その後三人は小野宮蚕、吉沢颯に見つかり、また殺害の犯人である国栖は、教師の立場を利用し、自分が見回りに早朝に学校にいたと偽り、同五人を帰宅させた。
 また、この時、同事件を調査していた松木太一の保護者である、式部中央交差点前派出所の巡査部長を務める山下勝彦に、同週月曜日に発見されたカササギビルの殺害と思われる痕跡についての容疑をかけ、指名手配させた。
 同日深夜、坂崎亮を小野建設が所有するマユダマビル(通称カササギビル)に呼び出し、籠城。小野宮蚕に高跳び用の資金と移動手段を要求し、金で雇った男達にビルを占拠させた。土曜日、要求に応じないことを決めた小野宮蚕は山下勝彦、松木太一、吉沢颯、神楽崎弓枝らと共に、カササギビルに侵入し、人質である坂崎亮を救出し、国栖雄次郎を捕縛した。小野宮家の醜聞を恐れた小野宮蚕は、一連の行動をすべて内密に行い、事後警察に通告した。

 それが、トンボが聞かされた事件の顛末だった。
 さすがにタスクが生き返ったとか、ユミエが吸血鬼だったという供述をまともに取り合ってもらえるわけもないし、事件としてはそれで決着がついているように思われた。
 ひとまずトンボは納得している。
 国栖は逮捕された。あのことを正直に語ったら、精神に異常をきたしていると思われるだけだろう。
 それこそ心神喪失を疑われ、それによる無罪さえあり得そうな話だったが、少なくとも国栖が自供した事柄については、山下とカイコが入念な録音と録画を行っていたらしく、四人の殺人と、あのビルでの出来事については、その罪を免れえないらしい。

 ただ、その処置は報道されることはなく、このまま闇の中に葬り去られていくだろう、とカイコは語った。
 学校側は単なる退職としていたし、教師が殺人犯というニュースが流れることもなかった。
 トンボ達の学校への侵入も、結局それでうやむやのままにされたまま、学校は元の日常を取り戻している。
 本物の吸血ジャックについても、結局何一つわかったことはない。
 でも、トンボはそれで十分だと思った。

 あの後、小野学院大学付属病院に搬送されたトンボとタイチは一日で目を覚まし、退院した。
 山下とハヤテは、怪我が大きかったものの、意識はもとよりあったし、二人とも、後遺症などは残らず、膝を撃たれた山下は、しばらくは松葉づえをつきながら、わき腹を刺されたハヤテは激しい運動などを控えつつ、日常生活に回帰している。
 この前会ったとき、山下はもう杖をついていなかった。
 当時無事に済んだのは、カイコだけだったから、あの一件は、ほとんどカイコが処理したらしい。
 トンボは事後で取り調べを受けたが、あらかじめカイコに聞かされていた内容に齟齬が出ないよう、またタスクやユミエについての、非人間的な、超然的な事項については、一切語っていない。
 それもまた違法な行為ではあったが、そもそもがこの事件は死体が生き返るところから始まった、法を超越した事件なのだ。
 ならばその顛末が、法に従ったものである必要はない。
 少なくともトンボはそう思う。

 国栖が行ったことはあくまで法の範疇の事件。
 タスクやユミエがやったことは、全く法の外側の事件。
 国栖は法によって裁かれるべきだが、タスクやユミエはそうではない。そう思う。

 あれから二週間が経った。
 陰鬱で、もやもやした灰色の雲に覆われた空は突き抜けるような青と、綿のような入道雲に変わり、太陽の日差しは痛いくらいに苛烈なものになった。
 梅雨は開け、夏が来た。
 トンボは陸上部の大会に選手として出て、惜しくも三位入賞を逃した。
 ヨースケは優勝を飾り、関東地区の大会に出場する切符を手にした。
 トンボの日常は着実に前へと進んでいる。しかし――。

――タスクはまだ眠ったままだった。
 聞いた話では、臨床医学的には、タスクが目覚めない理由がないらしい。
 それなのに、タスクの瞼は固く閉ざされたままで、その口はものを言わない。
 唯一頼れそうな山下も、トンボに言われるまでもなく、何度もタスクの見舞いに訪れていた。
 しかし、彼もまた、手の施しようがないという。

 少し、寂しくて、しかしどこかでトンボはタスクが目を覚まさないことに安堵している。
 目を覚まして、またあの惨劇を繰り返すだけかもしれないから。
 それならばいっそ、このまま二度と目を覚まさない方が、タスクのためかもしれない。
 タスクと、タイチと、そしてトンボにとって。それがいいのではないか。
 そんなことを思っていた昼下がり、トンボの自宅に電話がかかってきた。

「タスクが、いなくなった――?」

 タスクの母からそれを聞いて、トンボはその場に受話器を落としたまま、急いで家を出た。
 トンボには予想と確信があった。タスクがいるのはそこしかないと思った。
 トンボが向かったのは、カササギビルだった。
 一連の事件以降、青いビニールシートで覆われた廃ビルは、今も閉鎖されたままだった。

 トンボはビニールを捲ってその下から入り、屋上に駆ける。
 そこは――ただ単に、ところどころが消えて、より一層寒々しくなったコンクリートが広がっているだけだった。 もちろんタスクの姿はない。

「――当たり前だよな」

 いるわけないか。その時、トンボの携帯が鳴った。相手はタイチだった。
 
「トンちゃん、大変だ、今すぐ学校に来て!」

 タイチは慌てた声で言う。そしてすぐに電話は切れてしまった。
 何度かけ直しても繋がらない。
 タスクが消えた。そしてこの状況。トンボの頭でそれはすぐに最悪の想像になる。
 トンボは走った。
 来年、ヨースケのいなくなった次の陸上部を背負う、エースの足で。

 学校は日曜日だというのに、校庭には車が何台か止まっていた。
 そして、体育館が騒がしい。
 まさか、もう――。

「――タスク」

 トンボが体育館のドアを開ける。
 すると、そこにいた顔は、トンボが知っている顔が並んでいた。
 タイチ、ヨースケ、山下、ハヤテ、カイコ、そしてなぜか姉がいる。
 そして、学生ではない、多分誰かの家族と思われる人達が何組かいた。
 タスクはいなかった。
 タイチはトンボの手を引いて、姉の横の席に座らせた。
 トンボはどういうことかと説明を求めたが、タイチはいいからいいからと取り合わない。
 辺りを見回すと、皆制服を着て――いや、山下や、姉のヒグラシは、黒い礼装を着ていた。黒い礼装というより、それはむしろ、喪服だった。

 ステージには緞帳がかけられ、その前に五つに分けられて席が設けてある。
 四つの塊は前に、タイチや山下やヨースケは、その一列後ろにある席に座っていた。
 トンボが座った席は前にある四組のうちの一つだった。トンボは他の顔ぶれを見る。
 誰かの父親と、誰かの母親と、多分その兄弟姉妹、あるいは祖父母が――。
 皆喪服を着て、静かに着席している。トンボは一つの家族に見覚えがあった。
 あれはあの一連の事件のいつだかにヨースケに招かれた墓地にいた家族だ。
 ということは、潮ヶ浜夜の家族。だとすれば。これは――。

「これより、昨年度この学校で殺害された四人の生徒を偲び、お別れの会を開きたいと思います」

 ハヤテが進行役のようだった。
 普段聞きなれないその声が、マイクで響く。
 緞帳が上がると、ステージの上には四枚の写真があった。
 早田明美、潮ヶ浜夜、曽根百合子、そして――篠塚揚羽。

「弔文献上。生徒会長、小野宮蚕」

 ハヤテが呼び上げると、カイコは立ち上がり、ステージの前で礼をし、壇上に上がり、四つの遺影にまた礼をした。
 マイクの前で三度目の礼をして、そして服のポケットから、白い包紙に包まれたつづら折りの紙を取り出し、それを開く。

「去年の四月、この学校に入ってきた新入生に、早田明美さんがいました。とても快活な少女で、いつも明るく、絵を描くことが大好きで、美術室にある白いコートの女性の絵を、とても気に入っていました。アケミさんがこの学校の生徒としていた期間は、一か月と余日という、短いものでしたが、この学校に、数点の絵を残してくれました。それは今も、美術室の傍らで、通う生徒を見守り続けています」

 アケミの母が、すすり泣く声が聞こえた。

「潮ヶ浜夜さんは、私の一学年上の先輩でした。彼女はとてもきれいな黒い髪の毛を一つに結んで、それをなびかせながら、いつもグラウンドを走っていました」

「ヨルー! 大好きだったんだからなー!」

 ヨースケがいきなり立ち上がって、大声で叫んだ。
 ヨルの家族は、泣きながらそんなヨースケを見て、少し笑う。
 カイコも笑顔で一つ頷いた。
 心なしか、ヨルの写真も、淡い笑顔を浮かべたようにトンボには見えた。

「ヨルさんはとても優しい先輩で、昨年私達六十二代生徒会の、手が足りないとき、いつも力になってくれました。私が花壇に水をやっていた時、ヨルさんは何も頼んでいないのに、いつもそれを手伝ってくれました」

「本当に大好きだったんだから……」

 ヨースケは、泣いていた。泣きながら無理に笑っている。
 横に座っていた山下がその肩に手を回し、なだめるように座らせた。

「曽根百合子さん、彼女は私と同じクラスで、私の友達でした。ユリコさんはとても恥ずかしがり屋で、あまり人前で目立つことをする人ではありませんでした。でも、私がこの学校に入学した時に、一番最初に話しかけてくれたのはユリコさんでした。それは同じクラスの新入生を探すだけの他愛のない会話でしたが、それでもその言葉が、入学したての緊張していた私の心を、ほぐしてくれました」

――そして。

「篠塚揚羽君。彼は、私の幼馴染でした。ずっと同じ小学校に通い、中学校も同じで、同じ高校に進みました。同じ生徒会役員になりました。私にとっては、かけがえのない、たった一人の幼馴染で、私が困っている時、いつでも力になってくれました。アゲハ君は生徒会の会計として、当時の会長、神楽崎ユミエに任命され、一度もその責任を果たさなかったことはありませんでした。とても責任感が強く、誰よりも強く優しい人でした」

 トンボはアゲハを思い出す。
 アゲハは自分より他人を優先する人間だった。
 自分のことは後に回して、人の助けになろうとする人間だった。
 いつも優しかった。優しくて、強かった。
 笑顔を絶やさず、不満をこぼさず、誰に対しても敬意を払っていて――。

 思うと涙が溢れてくる。次から次へと溢れて、止まらない。
 兄は、生きていたのだ。確かに生きて、この学校に通っていた。
 それなのに、今はいない。殺されてしまったからだ。
 かつて確かに生きていた人が、今、絶対に確実に死んでいなくなっている。

 それは例えようもなくつらいことだ。
 誰もそれを逃れることができない。
 誰かを失うことから。そして自らが失われることから。
 その悲しみは、誰の元にも平等に訪れる。
 誰の元にも絶対に訪れる、深い悲しみ。

「過去、この学校で起こった事件については、私が語ることではないと思います。ただ、みんなを守り、生徒の最善の利益を守ることを本懐とする生徒会の末席を担っていながら、四人もの生徒の命を守ることができなかった自分の無力さが、無念でなりません」

 トンボはそう語るカイコの気持ちが偽りでないと知っている。
 あの日に、あのビルの駐車場で、ユミエの前で、自らの罪に泣いたあの顔。
 それが、カイコの素顔なのだ。
 責任を感じているというなら、カイコ以上に責任を感じている人はいないと思う。
 カイコはアゲハを助けられなかったことを、ずっと苦しんでいた。
 それを知っていれば、カイコの今の尊大な振舞いが虚勢だとわかる。
 痛々しいほどに、自分を演じていなければ、保てないほどの後悔。
 だから今も、弔文を読み上げる手は、微かに震えている。

「今日、この日に、お別れの会を開催でき、参列していただける皆様に感謝を述べるとともに、もっと早くに行えなかった自らの不足をいたく陳謝いたします。願わくば、亡くなった、四人のその魂が、安らかに眠ることを祈るとともに、また、同じ悲劇を、今後絶対に起こさないという決意の表明に、この弔文を捧げます。西暦2020年、七月五日、埼玉県式部市立式部北高校、第六十三代生徒会長、小野宮蚕」

 カイコは弔文を畳み、包紙に入れ、それを四人の遺影の前の台に置き、登壇した時と同じように礼をし、席に戻った。

「献花。皆様、ご起立ください」

 ハヤテが言うと、静かに会場に集まった参列者は立ちあがる。
 スピーカーからは音楽が流れ、カイコから順にステージに上り、遺影の前に白いユリを並べる。
 それぞれの家族は、それぞれ思い思いの言葉を亡くなったものにかける。
 やっぱりヨースケは、ヨルの前で大好きだったと叫んだ。
 
 トンボは、姉と一緒にアゲハの遺影の前に立つ。
 かける言葉が、見つからない。
 言いたいことは山ほどあって、でもどれも一言では気持ちに足りなくて。
 言葉の代わりに涙が溢れ、それはトンボが胸に持つ百合の花にもいくつか降り注ぐ。

「トンちゃん、ほら」

 姉が促す。トンボは兄さん、と呟いた。
 それ以上は言葉にならず、結局トンボは無言で涙に濡れた花を供えた。
 多分、どんな言葉より、どんな手紙より、トンボの思いを表している白い百合を。

 そして、トンボがステージを下り、最後の参列者の山下が席に着いた。

「お見送りの歌を歌います。参列者の皆様もご斉唱ください。曲目『今日の日はさようなら』。指揮、小野宮蚕。伴奏、坂崎亮」

――え。

 トンボが戸惑っているうちに、ステージ脇のドアから合唱部がぞろぞろと舞台下に並び、カイコが登壇して指揮棒を取る。そして、舞台の傍らにあるピアノには――タスクの姿があった。

「――タスク!」

 トンボは思わず叫んだ。
 タスクはちらりとトンボの方を見て、罰が悪そうにはにかんだ笑みを浮かべた。
 そしてトンボはタイチの方を見る。
 悪戯がばれた子どものように、舌をちらりと見せている。
 さらにタスクの母親が、ごめんなさいねというように、頭を下げているのが見えた。
 では、あの電話は――。この会は――。

 カイコが指揮棒を振ると、ピアノが少しの危なげなさを感じさせることもなく、安定感のある前奏を奏でる。
 それから、合唱部と、そして参列者による歌が歌われる。

――いつまでも、絶えることなく。

――そうか。これは、遺族にとって、学校が公的に行う葬儀であり、つまり事件があったことを学校側が認めたということで。
 カイコやトンボや、あの事件に関わった人間にとっては、その区切りであり。
 そして、タスクにとっては、この演奏が、復活の合図なのだ。

――明日の日を夢見て、希望の道を。

 この歌は、死者に対する鎮魂歌であり、トンボ達にとっては、生きていく意思の表明でもある。

――今日の日は、さようなら。また会う日まで。

――また会う、日まで。

 その歌詞は、その演奏は、トンボの心に例えようもなく響いた。
 多分きっと、生きているものの魂を通じて、アゲハや、死んでいった生徒にも届いた気がした。
 タスクは、最後の一音まで、油断なくピアノを弾き切った。
 そしてカイコが、終止の合図をし、音楽が止まり、その手が下がる。
 カイコは遺影の方を向き、一礼した。
 その背に、大きな拍手が送られる。

「いい演奏だったぞ坂崎!」

 またヨースケが叫ぶ。
 するとタイチも調子づいて、合唱部最高、などと大声で言った。
 その拍手の中、タスクがピアノを立ち、マイクの前に立った。
 カイコはやや困惑した顔を浮かべていたが、何かを察したように目を伏して笑う。
 タスクは思い出したように一礼して、マイクのスイッチを入れる。

「今日の、この会は、この学校で亡くなった、四人の生徒を偲ぶお別れの会だってことは、わかっています。だから、ボクが私情で個人的なことを言うべきじゃないこともよくわかってます。でも、この場を借りて言わせてください」

 キーンと、マイクがハウリングする。
 タスクは驚いたように、マイクから離れる。
 どうやらマイクを手で握っているのがよくなかったらしい。
 そそくさとハヤテがやってきて、マイクをスタンドに立て、位置を調整しタスクを促す。

「ボクは――これまで、ごめんなさいと言ったことが、多分ありません」

 タスクの言葉は唐突で、脈絡のない告白から始まった。

「それは、その言葉がいつも、嘘くさいと思っていたからです。だって、ごめんという言葉は、要するに許せと言う意味で、なさいは命令の言い方で、つまりごめんなさいは、許してというのを強要していう言い方で、それはとても、罪を悔い、反省する言葉には思えませんでした。すみませんという言葉も、それが取り返しのつかないという事実を示しているだけ。日本語には、素直に謝るための言葉がない。ずっとそう思っていました」

 参列している家族には、タスクの言葉は無関係のものだったかもしれない。
 それでも誰もタスクの言葉を遮らなかったし、真剣に聞いていた。

「そして、それを理由に、悪いことをしても、いつも謝ることができませんでした。いつも自分が悪くない理由を探して、自己弁護を繰り返して、人のせいにしていました。それでも、罪悪感は募っていくばかりで、いつの間にかボクは、何か取り返しのつかないことをしたら、自殺するのが正しいと思い込んでいました」

 そして、一度ならず、それを実行しました。
 
 タスクは静かに言う。体育館は静まり返っていた。

「でも、それが間違いだということに、ボクはようやく、気付くことが出来ました。それを教えてくれたのは、蝶野会長であり、同級生の松木タイチであり、篠塚トンボであり、そして、今日、この壇上に並んでいる、四人の先輩達だったように思えます」

 タスクは一度、背後の遺影を振り返った。

「ボクは、六月にあった合唱のコンクールで、合唱部のみんなに迷惑をかけました。その後の一週間に、色んな人に迷惑をかけました。そして、家族には現在も、生まれてからずっと、迷惑ばかりかけていました。ボクは今日、生まれて初めて、心から、自分が悪いことをしたと反省し、謝ります」

 そして、タスクはマイクのスイッチを切った。
 大きく息を吸い、体育館中に響く大声で言う。

「みなさん、本当に、ごめんなさい!」

 下げる頭の角度は九十度。立礼における最敬礼だった。
 トンボはその下げた頭に大きな拍手を送った。
 それにつられて、拍手が沸き起こる。

「お見事!」
「ご立派!」

 ヨースケとタイチが囃し立てる。
 そしてタスクは一礼して舞台を下りた。
 その後、故人退場と称して、生徒会の委員が遺影を持ち退場し、会は閉じられた。
 会が終わると、トンボはまっすぐにタスクの元に駆け付けた。

「意識が戻ったって、聞いてない」

「ごめん。びっくりさせたくて」

 タスクの口からすんなりとその言葉が出る。
 心なしか仏頂面が普段より穏やかな気がした。

「こんな会が開かれることも聞いてない」

「口止めしたのは蝶野会長だよ」

 タイチが答えた。そしてタスクのまねをするように、ごめんと言う。

「全く。みんな勝手なことばっかりして。電話が来て、ボクがどれだけ心配したか。本当に、目が覚めたなら、その時に教えてくれればよかったのに」

 ごめん。
 またタスクが謝った。申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。

――ああ、生きてるんだ。タスクは今、生きていて、話ができて、こうやって笑いあえる。

 それだけのことなのに、アゲハとはもう二度とできないことなのだ。
 あの時、あの事件が起こらなかったら、タスクだって死んでいたに違いない。
 だから、それは、本当にそれだけのことだけど、絶対に奇跡だった。
 あり得ないはずのことだった。それが今トンボの目の前に起こっている。

 ならば祝っていいはずだ。祝福に値するはずだ。
 トンボは思わずタスクのその肩を抱きしめる。
 昔から、兄がしてくれた、掛け値なしの祝福の印。
 抱擁し、抱きしめて――快哉を上げる。

「本当に心配だったんだから」
「ごめん」
「何でボクにだけ教えてくれなかったの?」
「ごめん」
「ごめんごめんって、本当は反省してないだろ」
「ごめん」

 喜びの言葉のはずなのに、どうしてだかそれは怒っているようなセリフで。
 タスクはずっと、ごめんと言い続ける。
 これまでに言えなかった分を取り戻すかのように。

 その後、会の運営を担っていたカイコや、タスクは丁寧に校門で帰る参列者を見送った。
 やがて参列者もそれぞれの家路につき、結局あの事件に関わっていた人間だけが、タスクの周囲に固まるように集まっていた。

「さて、タスク君の再起を祝するのもいいけれど、我々としては取り急ぎ知っておかなければならないことが一つある」

 黒い背広のネクタイを緩めて、山下が言う。
 トンボは何だろう、と思っていたが、タイチやヨースケの顔は真剣で、ハヤテはカイコの前に立ちふさがるように、少しその体を肩で隠している。

「つまり、君と色鬼灰音は、結局どういうことになったのか」

「もうあんな騒動はごめんだぞ」

 タイチが辟易したように言う。
 トンボはその名を聞いてようやくその存在を思い出した。

「おいで、『灰音』」

 タスクはポケットから出したライターに火をつけ、その名を呼んだ。
 するとそこに灯っていた橙色の火が灰色に変わり、それが大きく燃え広がっていく。
 その中から、灰色の目隠しをした、青い着物姿の小学六年生くらいの男の子が現れる。
 その場にいた全員が思わず身構えるが、タスクは心配ないと静かに言う。
 灰音は音もなく、校門の前に降り立った。

「――やあ、はじめまして」

 芝居がかった挙動で一礼するその後頭部をタスクがぽかんと拳骨を食らわせる。
 そんなことをしたらあの炎で何をされるか、とトンボ達がひやひやしていると、灰音は殴られた部分を撫でて、いったいなぁと、いかにも人間じみた動作を取った。

「はじめましてより先にお前は言わなきゃいけないことがあるだろ」

「っは、人間の分際で少し主導権を握るとすぐ付け上がる。これだから自己中心性から脱却できない下等生物の上に、低俗な精神性しか持ち合わせていない子どもは――」

「お前の方がチビだろうが!」

 そう言ってタスクは優越感に満ちた鬱陶しい笑顔で、自分の頭から水平に灰音の頭に手をスライドさせ、自分の方が、身長が高いことを示す。
 多分それは、タスクがやりたくてやりたくてしょうがなかったことなのだろう。
 大人げない、というより子どもじみている。

「肉体の大きさでその存在の大きさが測れると思ってるんだからおめでたいったらないや! こちとら何千年単位で、何万世界の単位で存在し続けてると思ってるんだか。いやしくも鬼神の眷属に対し、人間の子どもごときが思い上がって!」

 偉そうなことを言う灰音の頭をまたタスクが拳骨する。

「精神的に低劣だから、暴力という原始的な力に頼らざるを得ない! 魂で勝てなければ口、口で勝てなければ力、君達人間はそうやって、常に葛藤を低次元の攻防に変換していくことに何のためらいも持たないから――」

「みんなごめん。こいつ何か神様の癖に、まだ人間界の常識とかわかってないみたい。言ってきかせてるんだけど、いまだに自分の方が主導権もってると勘違いしてて。ホントごめん。特にタイチと篠塚には、命の危険も味わわせて。悪かったと思ってる」

「――ボクを無視するんじゃあない!」

 灰音の言葉にかぶせて、タスクが謝罪を述べると、灰音は長い裾を音を立ててひるがえしながら、自分をアピールした。

「――おいタスク、こいつ演技して、オレたちの油断を狙ってるとかそういうんじゃないのか? これまで見てきたのと全然性格違うぞ」

 タイチが言ったことは、トンボも思っていることだった。
 あの病院で、墓地で、そしてカササギビルで、タイチを何度も殺そうとしていたのは、こんなどこか微笑ましいものでは絶対になかった。

「安心してよ松木タイチ。そんな姑息な手段を使うほどボクは落ちぶれた鬼じゃないから。大体こりごりというなら、ボクの方こそこりごりしているんだ。君を殺そうとすれば色鬼は誰かしら邪魔に現れるし、黒人といい、桃太といい、緑矢といい。返り討ちに遭ってこの体が傷つけば、結局は、ボクは自分の存在を削って、タスクを修復しなければならない。タスクは精神性が未熟だから、あんなこと言ってもう自殺しないみたいに聞こえるけど、まだ絶対振り切れてない。死ねばまた復活させなくちゃいけないし、代わりの肉体に移ろうとすれば、生き返らせるより多くのエネルギーを取られる。つまり、ボクはありがたくなさ過ぎて涙が出そうになるけど、これ以上タスクの身が危険にさらされることは嬉しくないし望まない。だから、当面君の命を狙うのはもう中止せざるを得ない。やろうとすればタスクの意志を乗っ取るのに消耗して、その状態はかなり不完全だから障害が現れるとすぐに負ける上に死ぬ可能性もある。君を殺すっていうのは、割に合わないんだよ」

 灰音が指を突きつけてタイチに命令するように言う。
 タイチは頭を掻いて、そりゃどうも、と訳の分からないことを言った。

「とにかく、ボクはもう少しこの世界の情報を集めて、他の色鬼と接触して、意見を集めることにする。どうやら他の色鬼も同じようなことをやっているらしいし。なんだかんだでボクみたいなのが、君の命を狙いにやってくる可能性もないわけじゃない。ならタスクにくっついて、君のそばにいるのが今のところは手っ取り早いってこと。全く、我ながら情けないことだよ。人間ごときに使役されるとは――」

 灰音は憤懣やるかたないと言った感じの声音でぶつぶつと呟く。
 で、と言ったのはタスクだった。

「本当に全く、こいつのせいだよ。月曜日のカササギビルの跡が見つかったって言うのからずっと――、こいつが、ボクが死んだという事実を焼き消したせいで。おかげでボクは生き返るし、しかもこいつそれに失敗して、色んな所に支障をきたすし、血だまりとか、さっさと姿を現して、全部言えばいいのに無理やりに乗っ取ってタイチを殺そうとするから、病院や墓地で襲ったりフェンス落としてみたり……で?」

 タスクは呆れたように頭を掻いて言ったが、その目でまっすぐに灰音を見る。

「それで、お前はボクが言った、みんなに言わなくちゃいけないことを忘れたわけじゃないだろう?」

 その言葉にいやらしさはなかった。
 毅然とした調子で、約束を守れと言っている。
 灰音はぎりぎりと歯噛みし、目隠しの下で、タスクとにらみ合う。
 目をそらしたのは灰音の方だった。

「あーもー! この度は、皆さんに多大なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした! 二度とあのようなことはいたしません! 大虚空巣を統べる鴉の名において、色鬼灰音はここに宣誓します!」

 タスクがぐいと、その頭を後ろから押して下げさせ、自分もごめんなさい、とまた頭を下げた。

「これで言われたことはやったからな。もうボクは消える! こんな屈辱は生まれて初めてだ! 特に用がないなら呼ぶんじゃないぞ! この人間ども!」

 灰音はそういうと、袖を翻し、灰色の炎を纏って、再び虚空へ消えて行った。
 あとに残されたのは、ぽかんとした顔を浮かべる――人間だけだった。

「何か、拍子抜けだな。思った以上にフレンドリーで」

 タイチが言うと、騙されるな、と言ったのはカイコだった。

「山下さんから話は聞いているが、彼の言う通り、私達は見た目の印象に騙され、表面に見えることのみに捕らわれがちだ。今回の事件も、結局は、私達が予想もしていなかった、国栖が真犯人だったわけだし、少なくとも彼は――灰音君は、一度ならず松木君の命を狙っていた存在なのだ。気楽に接していい相手ではない。少なくともそう思うべきではない」

 そうだね、とカイコはタスクに聞いた。
 タスクは真顔になり、わかりません、と答える。

「どこまで本気なのか、ってことはもちろん、わからないことだらけですから。タイチの命を狙うつもりはないと言っているけど、それだって嘘かも知れないし、話によれば、この世界に色鬼は全部で、十二人いるみたいです。その中の誰かが、灰音のようにタイチを狙わないとは限らない。今すぐにということは、ないと思いますが、ずっと安全かと言われれば、保障はありません。灰音は一週間でタイチを殺すことから、殺さないことに決めた。だったらあと一週間で再び殺すことを決断しないとは言い切れないです」

 それはそうだろう、とトンボも思う。
 何せ相手は人間ではない、正真正銘の鬼なのだから。

「まあまあ、何はともあれ、ヨルを殺した犯人は捕まったことだし、誰ひとり死ななかったことだし、こうして坂崎も復活した上に謝れるようになったことだし、俺も陸上の大会で優勝したことだし、ひとまずはお祝いしてもいいと思う人! はーい!」

「はーい!」

 ヨースケが子どものように手をあげると、タイチも同じように手を上げる。
 カイコとタスクは視線を交わして肩をすくめ、控えめに手を上げる。
 ハヤテもそれに倣う。そしてトンボも、笑って、手を上げる。
 山下は、車を出してこようと言い、校門前に七人乗りのワゴンを乗り付けた。
 ちょうどいるのは七人だった。

「さて、それではどちらに向かいましょうか?」

 山下の問いに回転ずし、と答えたのはタイチで、焼肉と言ったのはヨースケだった。

 そこにカイコが携帯を取り出し、どこかに電話をかける。

「ああ、平塚。私だ。そうだ。パーティの準備だ。寿司と、焼肉と、オードブルは任せる。七人だ。増えても対応できるようにしておけ。ああ、お土産に持ち帰るための包みも。セッティングもお前に一任する。アルコールは……運転手が酔っぱらってもいいように帰りの車と運転代行の用意を。一時間くらいで着く」

 カイコは携帯を切ると、何でもないことのように、山下に、うちに回してくださいと言った。
 隣に座っていたタスクは呆然とした顔でカイコを見ている。
 タスクだけではない。
 庶民感覚から外れた注文に、ハヤテ以外の全員がカイコを見ていた。
 カイコはそれに気付き、いけない、といった顔をした。

「差し出た真似だったかな。ここは多数決に従うべきだったか」

「い、いや、僕達は構わない、というか、願ったりかなったりなんだけど……君んちって、小野宮家の――」

 山下も驚きを隠せずに言う。

「大丈夫ですよ。蓮穣が住む本宅と、私が暮らす館は、二キロは離れていますし。本宅に入らない限りは、自由にしていいというのが、小野宮の不文律ですから」

 もう言葉の全てが突っ込みどころ満載で、トンボはどこから突っ込めばいいのかわからない。

「寿司はあるんでしょ?」

 待ちきれないと言った顔でタイチが問う。

「本マグロの大トロから、最高級のエゾバフンウニまで。食べたい放題。持ち帰り放題」

「焼肉もっすか?」

 よだれが溢れそうな顔でヨースケが聞く。

「黒部和牛でお待ちしてます。最高級のキッチンでおもてなししよう。カラオケもあるし、余興の芸人もたんといる。今宵は宴、はめを外して、何の悪いことがあろうか」

「あ、あの!」

 トンボはたまらず声をあげた。

「その、お、お金とかは? 割り勘、です、よね?」

 その途端に、急に車の中の雰囲気が盛り下がった。
 でも、トンボは間違ったことを言っていないと思う。
 そこに実は、と声をあげたのは山下だった。

「僕の傷、労災が降りた上に、警察の誤認手配の慰謝料、それとボクを撃った相手からの見舞金と口止め料と、後国栖家からの口止め料で、実は懐に一センチを超える札束が眠ってるんだけど」

 タイチがぱあっと顔を輝かせる。

「僕の手配が誤認であることを証明してくれたのは他ならぬ蝶野さんによるところが大きいし、事件が解決できたのは、君達がいてくれたからだ。さて問題。このお金は僕が独占していいものでしょうか?」

「ダメ、絶対ダメ!」

「そ、そのお金は、みんなのために使うべきっすよ!」

 タイチとヨースケが声を重ねて言う。

「いいんですか? 本当に支払っていただくとすると、かなり高くつきますよ?」

「そ、そこは小野宮のお墨付きということで……」

 カイコが改めて問うと、急に山下は自信がない声を出した。
 カイコは柔らかく笑って、では折半ということで、と言う。

「さて、それでは、場所は私の家、料理は食べ放題、費用は山下さんのご厚意と言うことで異存はないかな?」

 答えを待ちかねたように、山下は車を発進させた。
 宴の前だというのに、初めていくカイコの家への期待で、車の中は賑やかだった。
 
 助手席のタイチはその後ろのヨースケと今からご馳走のことで頭がいっぱいのようだ。
 ハヤテはヨースケの隣で無表情だが、心なしか楽しげだった。
 そして、カイコとトンボは、改めてお互いの確執を謝りあう。
 タスクはそんなみんなと共に、やはりうれしそうに笑っていた。
 多分トンボがタスクと出会ってから見た、どの笑顔よりも純粋な笑顔で。

 六月が終わり、七月になった。
 どうやら梅雨の、長く灰色の曇り空は、終わりを告げたようだった。
 眩しい西日を浴びて、トンボはそう思う。
 赤い光を受けて、鴉が一羽、飛んでいく。

colors: the Crisis by Out-Low-Object Refered as Shiki
»»  2013.09.03.

【七月】

 一連の式部北高校生徒連続殺害事件は、国栖雄次郎と、早田明美の痴情のもつれから始まった連続殺人であり、潮ヶ浜夜、曽根百合子は明美殺しを目撃した人間として、国栖に殺され、篠塚揚羽は旧生徒会にその容疑がかけられ、特に濃厚に疑われた神楽崎弓枝の嫌疑を晴らすため、自らが囮となることで、国栖と対峙し、結果的に殺されるに至った。
 ただし、この事件は殺人犯と、その死体を遺棄した人物が全く別の目的で動いており、国栖が生徒を殺した後、学校に遺棄したのは、一連の広域連続殺人死体損壊遺棄事件(吸血ジャック事件)の犯人と同一とみられる。二者の関係性については、今後の取り調べ及び捜査によってこれを明らかにするらしい。
 そして、今回のカササギビル炎上事件は、殺された兄の事件の真相を明かそうとした同校の一年生篠塚蜻蛉と、その同級生である坂崎亮、松木太一が、事件を調査していることを知った国栖が、その露見を恐れ、六月第三週の金曜日早朝、同校に不法に残って事件を捜査していた三人のうち、単独行動をとっていた坂崎亮を絞殺する。坂崎亮は駆け付けた松木太一らの救命措置により一命を取り留めるが、その後三人は小野宮蚕、吉沢颯に見つかり、また殺害の犯人である国栖は、教師の立場を利用し、自分が見回りに早朝に学校にいたと偽り、同五人を帰宅させた。
 また、この時、同事件を調査していた松木太一の保護者である、式部中央交差点前派出所の巡査部長を務める山下勝彦に、同週月曜日に発見されたカササギビルの殺害と思われる痕跡についての容疑をかけ、指名手配させた。
 同日深夜、坂崎亮を小野建設が所有するマユダマビル(通称カササギビル)に呼び出し、籠城。小野宮蚕に高跳び用の資金と移動手段を要求し、金で雇った男達にビルを占拠させた。土曜日、要求に応じないことを決めた小野宮蚕は山下勝彦、松木太一、吉沢颯、神楽崎弓枝らと共に、カササギビルに侵入し、人質である坂崎亮を救出し、国栖雄次郎を捕縛した。小野宮家の醜聞を恐れた小野宮蚕は、一連の行動をすべて内密に行い、事後警察に通告した。

 それが、トンボが聞かされた事件の顛末だった。
 さすがにタスクが生き返ったとか、ユミエが吸血鬼だったという供述をまともに取り合ってもらえるわけもないし、事件としてはそれで決着がついているように思われた。
 ひとまずトンボは納得している。
 国栖は逮捕された。あのことを正直に語ったら、精神に異常をきたしていると思われるだけだろう。
 それこそ心神喪失を疑われ、それによる無罪さえあり得そうな話だったが、少なくとも国栖が自供した事柄については、山下とカイコが入念な録音と録画を行っていたらしく、四人の殺人と、あのビルでの出来事については、その罪を免れえないらしい。

 ただ、その処置は報道されることはなく、このまま闇の中に葬り去られていくだろう、とカイコは語った。
 学校側は単なる退職としていたし、教師が殺人犯というニュースが流れることもなかった。
 トンボ達の学校への侵入も、結局それでうやむやのままにされたまま、学校は元の日常を取り戻している。
 本物の吸血ジャックについても、結局何一つわかったことはない。
 でも、トンボはそれで十分だと思った。

 あの後、小野学院大学付属病院に搬送されたトンボとタイチは一日で目を覚まし、退院した。
 山下とハヤテは、怪我が大きかったものの、意識はもとよりあったし、二人とも、後遺症などは残らず、膝を撃たれた山下は、しばらくは松葉づえをつきながら、わき腹を刺されたハヤテは激しい運動などを控えつつ、日常生活に回帰している。
 この前会ったとき、山下はもう杖をついていなかった。
 当時無事に済んだのは、カイコだけだったから、あの一件は、ほとんどカイコが処理したらしい。
 トンボは事後で取り調べを受けたが、あらかじめカイコに聞かされていた内容に齟齬が出ないよう、またタスクやユミエについての、非人間的な、超然的な事項については、一切語っていない。
 それもまた違法な行為ではあったが、そもそもがこの事件は死体が生き返るところから始まった、法を超越した事件なのだ。
 ならばその顛末が、法に従ったものである必要はない。
 少なくともトンボはそう思う。

 国栖が行ったことはあくまで法の範疇の事件。
 タスクやユミエがやったことは、全く法の外側の事件。
 国栖は法によって裁かれるべきだが、タスクやユミエはそうではない。そう思う。

 あれから二週間が経った。
 陰鬱で、もやもやした灰色の雲に覆われた空は突き抜けるような青と、綿のような入道雲に変わり、太陽の日差しは痛いくらいに苛烈なものになった。
 梅雨は開け、夏が来た。
 トンボは陸上部の大会に選手として出て、惜しくも三位入賞を逃した。
 ヨースケは優勝を飾り、関東地区の大会に出場する切符を手にした。
 トンボの日常は着実に前へと進んでいる。しかし――。

――タスクはまだ眠ったままだった。
 聞いた話では、臨床医学的には、タスクが目覚めない理由がないらしい。
 それなのに、タスクの瞼は固く閉ざされたままで、その口はものを言わない。
 唯一頼れそうな山下も、トンボに言われるまでもなく、何度もタスクの見舞いに訪れていた。
 しかし、彼もまた、手の施しようがないという。

 少し、寂しくて、しかしどこかでトンボはタスクが目を覚まさないことに安堵している。
 目を覚まして、またあの惨劇を繰り返すだけかもしれないから。
 それならばいっそ、このまま二度と目を覚まさない方が、タスクのためかもしれない。
 タスクと、タイチと、そしてトンボにとって。それがいいのではないか。
 そんなことを思っていた昼下がり、トンボの自宅に電話がかかってきた。

「タスクが、いなくなった――?」

 タスクの母からそれを聞いて、トンボはその場に受話器を落としたまま、急いで家を出た。
 トンボには予想と確信があった。タスクがいるのはそこしかないと思った。
 トンボが向かったのは、カササギビルだった。
 一連の事件以降、青いビニールシートで覆われた廃ビルは、今も閉鎖されたままだった。

 トンボはビニールを捲ってその下から入り、屋上に駆ける。
 そこは――ただ単に、ところどころが消えて、より一層寒々しくなったコンクリートが広がっているだけだった。 もちろんタスクの姿はない。

「――当たり前だよな」

 いるわけないか。その時、トンボの携帯が鳴った。相手はタイチだった。
 
「トンちゃん、大変だ、今すぐ学校に来て!」

 タイチは慌てた声で言う。そしてすぐに電話は切れてしまった。
 何度かけ直しても繋がらない。
 タスクが消えた。そしてこの状況。トンボの頭でそれはすぐに最悪の想像になる。
 トンボは走った。
 来年、ヨースケのいなくなった次の陸上部を背負う、エースの足で。

 学校は日曜日だというのに、校庭には車が何台か止まっていた。
 そして、体育館が騒がしい。
 まさか、もう――。

「――タスク」

 トンボが体育館のドアを開ける。
 すると、そこにいた顔は、トンボが知っている顔が並んでいた。
 タイチ、ヨースケ、山下、ハヤテ、カイコ、そしてなぜか姉がいる。
 そして、学生ではない、多分誰かの家族と思われる人達が何組かいた。
 タスクはいなかった。
 タイチはトンボの手を引いて、姉の横の席に座らせた。
 トンボはどういうことかと説明を求めたが、タイチはいいからいいからと取り合わない。
 辺りを見回すと、皆制服を着て――いや、山下や、姉のヒグラシは、黒い礼装を着ていた。黒い礼装というより、それはむしろ、喪服だった。

 ステージには緞帳がかけられ、その前に五つに分けられて席が設けてある。
 四つの塊は前に、タイチや山下やヨースケは、その一列後ろにある席に座っていた。
 トンボが座った席は前にある四組のうちの一つだった。トンボは他の顔ぶれを見る。
 誰かの父親と、誰かの母親と、多分その兄弟姉妹、あるいは祖父母が――。
 皆喪服を着て、静かに着席している。トンボは一つの家族に見覚えがあった。
 あれはあの一連の事件のいつだかにヨースケに招かれた墓地にいた家族だ。
 ということは、潮ヶ浜夜の家族。だとすれば。これは――。

「これより、昨年度この学校で殺害された四人の生徒を偲び、お別れの会を開きたいと思います」

 ハヤテが進行役のようだった。
 普段聞きなれないその声が、マイクで響く。
 緞帳が上がると、ステージの上には四枚の写真があった。
 早田明美、潮ヶ浜夜、曽根百合子、そして――篠塚揚羽。

「弔文献上。生徒会長、小野宮蚕」

 ハヤテが呼び上げると、カイコは立ち上がり、ステージの前で礼をし、壇上に上がり、四つの遺影にまた礼をした。
 マイクの前で三度目の礼をして、そして服のポケットから、白い包紙に包まれたつづら折りの紙を取り出し、それを開く。

「去年の四月、この学校に入ってきた新入生に、早田明美さんがいました。とても快活な少女で、いつも明るく、絵を描くことが大好きで、美術室にある白いコートの女性の絵を、とても気に入っていました。アケミさんがこの学校の生徒としていた期間は、一か月と余日という、短いものでしたが、この学校に、数点の絵を残してくれました。それは今も、美術室の傍らで、通う生徒を見守り続けています」

 アケミの母が、すすり泣く声が聞こえた。

「潮ヶ浜夜さんは、私の一学年上の先輩でした。彼女はとてもきれいな黒い髪の毛を一つに結んで、それをなびかせながら、いつもグラウンドを走っていました」

「ヨルー! 大好きだったんだからなー!」

 ヨースケがいきなり立ち上がって、大声で叫んだ。
 ヨルの家族は、泣きながらそんなヨースケを見て、少し笑う。
 カイコも笑顔で一つ頷いた。
 心なしか、ヨルの写真も、淡い笑顔を浮かべたようにトンボには見えた。

「ヨルさんはとても優しい先輩で、昨年私達六十二代生徒会の、手が足りないとき、いつも力になってくれました。私が花壇に水をやっていた時、ヨルさんは何も頼んでいないのに、いつもそれを手伝ってくれました」

「本当に大好きだったんだから……」

 ヨースケは、泣いていた。泣きながら無理に笑っている。
 横に座っていた山下がその肩に手を回し、なだめるように座らせた。

「曽根百合子さん、彼女は私と同じクラスで、私の友達でした。ユリコさんはとても恥ずかしがり屋で、あまり人前で目立つことをする人ではありませんでした。でも、私がこの学校に入学した時に、一番最初に話しかけてくれたのはユリコさんでした。それは同じクラスの新入生を探すだけの他愛のない会話でしたが、それでもその言葉が、入学したての緊張していた私の心を、ほぐしてくれました」

――そして。

「篠塚揚羽君。彼は、私の幼馴染でした。ずっと同じ小学校に通い、中学校も同じで、同じ高校に進みました。同じ生徒会役員になりました。私にとっては、かけがえのない、たった一人の幼馴染で、私が困っている時、いつでも力になってくれました。アゲハ君は生徒会の会計として、当時の会長、神楽崎ユミエに任命され、一度もその責任を果たさなかったことはありませんでした。とても責任感が強く、誰よりも強く優しい人でした」

 トンボはアゲハを思い出す。
 アゲハは自分より他人を優先する人間だった。
 自分のことは後に回して、人の助けになろうとする人間だった。
 いつも優しかった。優しくて、強かった。
 笑顔を絶やさず、不満をこぼさず、誰に対しても敬意を払っていて――。

 思うと涙が溢れてくる。次から次へと溢れて、止まらない。
 兄は、生きていたのだ。確かに生きて、この学校に通っていた。
 それなのに、今はいない。殺されてしまったからだ。
 かつて確かに生きていた人が、今、絶対に確実に死んでいなくなっている。

 それは例えようもなくつらいことだ。
 誰もそれを逃れることができない。
 誰かを失うことから。そして自らが失われることから。
 その悲しみは、誰の元にも平等に訪れる。
 誰の元にも絶対に訪れる、深い悲しみ。

「過去、この学校で起こった事件については、私が語ることではないと思います。ただ、みんなを守り、生徒の最善の利益を守ることを本懐とする生徒会の末席を担っていながら、四人もの生徒の命を守ることができなかった自分の無力さが、無念でなりません」

 トンボはそう語るカイコの気持ちが偽りでないと知っている。
 あの日に、あのビルの駐車場で、ユミエの前で、自らの罪に泣いたあの顔。
 それが、カイコの素顔なのだ。
 責任を感じているというなら、カイコ以上に責任を感じている人はいないと思う。
 カイコはアゲハを助けられなかったことを、ずっと苦しんでいた。
 それを知っていれば、カイコの今の尊大な振舞いが虚勢だとわかる。
 痛々しいほどに、自分を演じていなければ、保てないほどの後悔。
 だから今も、弔文を読み上げる手は、微かに震えている。

「今日、この日に、お別れの会を開催でき、参列していただける皆様に感謝を述べるとともに、もっと早くに行えなかった自らの不足をいたく陳謝いたします。願わくば、亡くなった、四人のその魂が、安らかに眠ることを祈るとともに、また、同じ悲劇を、今後絶対に起こさないという決意の表明に、この弔文を捧げます。西暦2020年、七月五日、埼玉県式部市立式部北高校、第六十三代生徒会長、小野宮蚕」

 カイコは弔文を畳み、包紙に入れ、それを四人の遺影の前の台に置き、登壇した時と同じように礼をし、席に戻った。

「献花。皆様、ご起立ください」

 ハヤテが言うと、静かに会場に集まった参列者は立ちあがる。
 スピーカーからは音楽が流れ、カイコから順にステージに上り、遺影の前に白いユリを並べる。
 それぞれの家族は、それぞれ思い思いの言葉を亡くなったものにかける。
 やっぱりヨースケは、ヨルの前で大好きだったと叫んだ。
 
 トンボは、姉と一緒にアゲハの遺影の前に立つ。
 かける言葉が、見つからない。
 言いたいことは山ほどあって、でもどれも一言では気持ちに足りなくて。
 言葉の代わりに涙が溢れ、それはトンボが胸に持つ百合の花にもいくつか降り注ぐ。

「トンちゃん、ほら」

 姉が促す。トンボは兄さん、と呟いた。
 それ以上は言葉にならず、結局トンボは無言で涙に濡れた花を供えた。
 多分、どんな言葉より、どんな手紙より、トンボの思いを表している白い百合を。

 そして、トンボがステージを下り、最後の参列者の山下が席に着いた。

「お見送りの歌を歌います。参列者の皆様もご斉唱ください。曲目『今日の日はさようなら』。指揮、小野宮蚕。伴奏、坂崎亮」

――え。

 トンボが戸惑っているうちに、ステージ脇のドアから合唱部がぞろぞろと舞台下に並び、カイコが登壇して指揮棒を取る。そして、舞台の傍らにあるピアノには――タスクの姿があった。

「――タスク!」

 トンボは思わず叫んだ。
 タスクはちらりとトンボの方を見て、罰が悪そうにはにかんだ笑みを浮かべた。
 そしてトンボはタイチの方を見る。
 悪戯がばれた子どものように、舌をちらりと見せている。
 さらにタスクの母親が、ごめんなさいねというように、頭を下げているのが見えた。
 では、あの電話は――。この会は――。

 カイコが指揮棒を振ると、ピアノが少しの危なげなさを感じさせることもなく、安定感のある前奏を奏でる。
 それから、合唱部と、そして参列者による歌が歌われる。

――いつまでも、絶えることなく。

――そうか。これは、遺族にとって、学校が公的に行う葬儀であり、つまり事件があったことを学校側が認めたということで。
 カイコやトンボや、あの事件に関わった人間にとっては、その区切りであり。
 そして、タスクにとっては、この演奏が、復活の合図なのだ。

――明日の日を夢見て、希望の道を。

 この歌は、死者に対する鎮魂歌であり、トンボ達にとっては、生きていく意思の表明でもある。

――今日の日は、さようなら。また会う日まで。

――また会う、日まで。

 その歌詞は、その演奏は、トンボの心に例えようもなく響いた。
 多分きっと、生きているものの魂を通じて、アゲハや、死んでいった生徒にも届いた気がした。
 タスクは、最後の一音まで、油断なくピアノを弾き切った。
 そしてカイコが、終止の合図をし、音楽が止まり、その手が下がる。
 カイコは遺影の方を向き、一礼した。
 その背に、大きな拍手が送られる。

「いい演奏だったぞ坂崎!」

 またヨースケが叫ぶ。
 するとタイチも調子づいて、合唱部最高、などと大声で言った。
 その拍手の中、タスクがピアノを立ち、マイクの前に立った。
 カイコはやや困惑した顔を浮かべていたが、何かを察したように目を伏して笑う。
 タスクは思い出したように一礼して、マイクのスイッチを入れる。

「今日の、この会は、この学校で亡くなった、四人の生徒を偲ぶお別れの会だってことは、わかっています。だから、ボクが私情で個人的なことを言うべきじゃないこともよくわかってます。でも、この場を借りて言わせてください」

 キーンと、マイクがハウリングする。
 タスクは驚いたように、マイクから離れる。
 どうやらマイクを手で握っているのがよくなかったらしい。
 そそくさとハヤテがやってきて、マイクをスタンドに立て、位置を調整しタスクを促す。

「ボクは――これまで、ごめんなさいと言ったことが、多分ありません」

 タスクの言葉は唐突で、脈絡のない告白から始まった。

「それは、その言葉がいつも、嘘くさいと思っていたからです。だって、ごめんという言葉は、要するに許せと言う意味で、なさいは命令の言い方で、つまりごめんなさいは、許してというのを強要していう言い方で、それはとても、罪を悔い、反省する言葉には思えませんでした。すみませんという言葉も、それが取り返しのつかないという事実を示しているだけ。日本語には、素直に謝るための言葉がない。ずっとそう思っていました」

 参列している家族には、タスクの言葉は無関係のものだったかもしれない。
 それでも誰もタスクの言葉を遮らなかったし、真剣に聞いていた。

「そして、それを理由に、悪いことをしても、いつも謝ることができませんでした。いつも自分が悪くない理由を探して、自己弁護を繰り返して、人のせいにしていました。それでも、罪悪感は募っていくばかりで、いつの間にかボクは、何か取り返しのつかないことをしたら、自殺するのが正しいと思い込んでいました」

 そして、一度ならず、それを実行しました。
 
 タスクは静かに言う。体育館は静まり返っていた。

「でも、それが間違いだということに、ボクはようやく、気付くことが出来ました。それを教えてくれたのは、蝶野会長であり、同級生の松木タイチであり、篠塚トンボであり、そして、今日、この壇上に並んでいる、四人の先輩達だったように思えます」

 タスクは一度、背後の遺影を振り返った。

「ボクは、六月にあった合唱のコンクールで、合唱部のみんなに迷惑をかけました。その後の一週間に、色んな人に迷惑をかけました。そして、家族には現在も、生まれてからずっと、迷惑ばかりかけていました。ボクは今日、生まれて初めて、心から、自分が悪いことをしたと反省し、謝ります」

 そして、タスクはマイクのスイッチを切った。
 大きく息を吸い、体育館中に響く大声で言う。

「みなさん、本当に、ごめんなさい!」

 下げる頭の角度は九十度。立礼における最敬礼だった。
 トンボはその下げた頭に大きな拍手を送った。
 それにつられて、拍手が沸き起こる。

「お見事!」
「ご立派!」

 ヨースケとタイチが囃し立てる。
 そしてタスクは一礼して舞台を下りた。
 その後、故人退場と称して、生徒会の委員が遺影を持ち退場し、会は閉じられた。
 会が終わると、トンボはまっすぐにタスクの元に駆け付けた。

「意識が戻ったって、聞いてない」

「ごめん。びっくりさせたくて」

 タスクの口からすんなりとその言葉が出る。
 心なしか仏頂面が普段より穏やかな気がした。

「こんな会が開かれることも聞いてない」

「口止めしたのは蝶野会長だよ」

 タイチが答えた。そしてタスクのまねをするように、ごめんと言う。

「全く。みんな勝手なことばっかりして。電話が来て、ボクがどれだけ心配したか。本当に、目が覚めたなら、その時に教えてくれればよかったのに」

 ごめん。
 またタスクが謝った。申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。

――ああ、生きてるんだ。タスクは今、生きていて、話ができて、こうやって笑いあえる。

 それだけのことなのに、アゲハとはもう二度とできないことなのだ。
 あの時、あの事件が起こらなかったら、タスクだって死んでいたに違いない。
 だから、それは、本当にそれだけのことだけど、絶対に奇跡だった。
 あり得ないはずのことだった。それが今トンボの目の前に起こっている。

 ならば祝っていいはずだ。祝福に値するはずだ。
 トンボは思わずタスクのその肩を抱きしめる。
 昔から、兄がしてくれた、掛け値なしの祝福の印。
 抱擁し、抱きしめて――快哉を上げる。

「本当に心配だったんだから」
「ごめん」
「何でボクにだけ教えてくれなかったの?」
「ごめん」
「ごめんごめんって、本当は反省してないだろ」
「ごめん」

 喜びの言葉のはずなのに、どうしてだかそれは怒っているようなセリフで。
 タスクはずっと、ごめんと言い続ける。
 これまでに言えなかった分を取り戻すかのように。

 その後、会の運営を担っていたカイコや、タスクは丁寧に校門で帰る参列者を見送った。
 やがて参列者もそれぞれの家路につき、結局あの事件に関わっていた人間だけが、タスクの周囲に固まるように集まっていた。

「さて、タスク君の再起を祝するのもいいけれど、我々としては取り急ぎ知っておかなければならないことが一つある」

 黒い背広のネクタイを緩めて、山下が言う。
 トンボは何だろう、と思っていたが、タイチやヨースケの顔は真剣で、ハヤテはカイコの前に立ちふさがるように、少しその体を肩で隠している。

「つまり、君と色鬼灰音は、結局どういうことになったのか」

「もうあんな騒動はごめんだぞ」

 タイチが辟易したように言う。
 トンボはその名を聞いてようやくその存在を思い出した。

「おいで、『灰音』」

 タスクはポケットから出したライターに火をつけ、その名を呼んだ。
 するとそこに灯っていた橙色の火が灰色に変わり、それが大きく燃え広がっていく。
 その中から、灰色の目隠しをした、青い着物姿の小学六年生くらいの男の子が現れる。
 その場にいた全員が思わず身構えるが、タスクは心配ないと静かに言う。
 灰音は音もなく、校門の前に降り立った。

「――やあ、はじめまして」

 芝居がかった挙動で一礼するその後頭部をタスクがぽかんと拳骨を食らわせる。
 そんなことをしたらあの炎で何をされるか、とトンボ達がひやひやしていると、灰音は殴られた部分を撫でて、いったいなぁと、いかにも人間じみた動作を取った。

「はじめましてより先にお前は言わなきゃいけないことがあるだろ」

「っは、人間の分際で少し主導権を握るとすぐ付け上がる。これだから自己中心性から脱却できない下等生物の上に、低俗な精神性しか持ち合わせていない子どもは――」

「お前の方がチビだろうが!」

 そう言ってタスクは優越感に満ちた鬱陶しい笑顔で、自分の頭から水平に灰音の頭に手をスライドさせ、自分の方が、身長が高いことを示す。
 多分それは、タスクがやりたくてやりたくてしょうがなかったことなのだろう。
 大人げない、というより子どもじみている。

「肉体の大きさでその存在の大きさが測れると思ってるんだからおめでたいったらないや! こちとら何千年単位で、何万世界の単位で存在し続けてると思ってるんだか。いやしくも鬼神の眷属に対し、人間の子どもごときが思い上がって!」

 偉そうなことを言う灰音の頭をまたタスクが拳骨する。

「精神的に低劣だから、暴力という原始的な力に頼らざるを得ない! 魂で勝てなければ口、口で勝てなければ力、君達人間はそうやって、常に葛藤を低次元の攻防に変換していくことに何のためらいも持たないから――」

「みんなごめん。こいつ何か神様の癖に、まだ人間界の常識とかわかってないみたい。言ってきかせてるんだけど、いまだに自分の方が主導権もってると勘違いしてて。ホントごめん。特にタイチと篠塚には、命の危険も味わわせて。悪かったと思ってる」

「――ボクを無視するんじゃあない!」

 灰音の言葉にかぶせて、タスクが謝罪を述べると、灰音は長い裾を音を立ててひるがえしながら、自分をアピールした。

「――おいタスク、こいつ演技して、オレたちの油断を狙ってるとかそういうんじゃないのか? これまで見てきたのと全然性格違うぞ」

 タイチが言ったことは、トンボも思っていることだった。
 あの病院で、墓地で、そしてカササギビルで、タイチを何度も殺そうとしていたのは、こんなどこか微笑ましいものでは絶対になかった。

「安心してよ松木タイチ。そんな姑息な手段を使うほどボクは落ちぶれた鬼じゃないから。大体こりごりというなら、ボクの方こそこりごりしているんだ。君を殺そうとすれば色鬼は誰かしら邪魔に現れるし、黒人といい、桃太といい、緑矢といい。返り討ちに遭ってこの体が傷つけば、結局は、ボクは自分の存在を削って、タスクを修復しなければならない。タスクは精神性が未熟だから、あんなこと言ってもう自殺しないみたいに聞こえるけど、まだ絶対振り切れてない。死ねばまた復活させなくちゃいけないし、代わりの肉体に移ろうとすれば、生き返らせるより多くのエネルギーを取られる。つまり、ボクはありがたくなさ過ぎて涙が出そうになるけど、これ以上タスクの身が危険にさらされることは嬉しくないし望まない。だから、当面君の命を狙うのはもう中止せざるを得ない。やろうとすればタスクの意志を乗っ取るのに消耗して、その状態はかなり不完全だから障害が現れるとすぐに負ける上に死ぬ可能性もある。君を殺すっていうのは、割に合わないんだよ」

 灰音が指を突きつけてタイチに命令するように言う。
 タイチは頭を掻いて、そりゃどうも、と訳の分からないことを言った。

「とにかく、ボクはもう少しこの世界の情報を集めて、他の色鬼と接触して、意見を集めることにする。どうやら他の色鬼も同じようなことをやっているらしいし。なんだかんだでボクみたいなのが、君の命を狙いにやってくる可能性もないわけじゃない。ならタスクにくっついて、君のそばにいるのが今のところは手っ取り早いってこと。全く、我ながら情けないことだよ。人間ごときに使役されるとは――」

 灰音は憤懣やるかたないと言った感じの声音でぶつぶつと呟く。
 で、と言ったのはタスクだった。

「本当に全く、こいつのせいだよ。月曜日のカササギビルの跡が見つかったって言うのからずっと――、こいつが、ボクが死んだという事実を焼き消したせいで。おかげでボクは生き返るし、しかもこいつそれに失敗して、色んな所に支障をきたすし、血だまりとか、さっさと姿を現して、全部言えばいいのに無理やりに乗っ取ってタイチを殺そうとするから、病院や墓地で襲ったりフェンス落としてみたり……で?」

 タスクは呆れたように頭を掻いて言ったが、その目でまっすぐに灰音を見る。

「それで、お前はボクが言った、みんなに言わなくちゃいけないことを忘れたわけじゃないだろう?」

 その言葉にいやらしさはなかった。
 毅然とした調子で、約束を守れと言っている。
 灰音はぎりぎりと歯噛みし、目隠しの下で、タスクとにらみ合う。
 目をそらしたのは灰音の方だった。

「あーもー! この度は、皆さんに多大なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした! 二度とあのようなことはいたしません! 大虚空巣を統べる鴉の名において、色鬼灰音はここに宣誓します!」

 タスクがぐいと、その頭を後ろから押して下げさせ、自分もごめんなさい、とまた頭を下げた。

「これで言われたことはやったからな。もうボクは消える! こんな屈辱は生まれて初めてだ! 特に用がないなら呼ぶんじゃないぞ! この人間ども!」

 灰音はそういうと、袖を翻し、灰色の炎を纏って、再び虚空へ消えて行った。
 あとに残されたのは、ぽかんとした顔を浮かべる――人間だけだった。

「何か、拍子抜けだな。思った以上にフレンドリーで」

 タイチが言うと、騙されるな、と言ったのはカイコだった。

「山下さんから話は聞いているが、彼の言う通り、私達は見た目の印象に騙され、表面に見えることのみに捕らわれがちだ。今回の事件も、結局は、私達が予想もしていなかった、国栖が真犯人だったわけだし、少なくとも彼は――灰音君は、一度ならず松木君の命を狙っていた存在なのだ。気楽に接していい相手ではない。少なくともそう思うべきではない」

 そうだね、とカイコはタスクに聞いた。
 タスクは真顔になり、わかりません、と答える。

「どこまで本気なのか、ってことはもちろん、わからないことだらけですから。タイチの命を狙うつもりはないと言っているけど、それだって嘘かも知れないし、話によれば、この世界に色鬼は全部で、十二人いるみたいです。その中の誰かが、灰音のようにタイチを狙わないとは限らない。今すぐにということは、ないと思いますが、ずっと安全かと言われれば、保障はありません。灰音は一週間でタイチを殺すことから、殺さないことに決めた。だったらあと一週間で再び殺すことを決断しないとは言い切れないです」

 それはそうだろう、とトンボも思う。
 何せ相手は人間ではない、正真正銘の鬼なのだから。

「まあまあ、何はともあれ、ヨルを殺した犯人は捕まったことだし、誰ひとり死ななかったことだし、こうして坂崎も復活した上に謝れるようになったことだし、俺も陸上の大会で優勝したことだし、ひとまずはお祝いしてもいいと思う人! はーい!」

「はーい!」

 ヨースケが子どものように手をあげると、タイチも同じように手を上げる。
 カイコとタスクは視線を交わして肩をすくめ、控えめに手を上げる。
 ハヤテもそれに倣う。そしてトンボも、笑って、手を上げる。
 山下は、車を出してこようと言い、校門前に七人乗りのワゴンを乗り付けた。
 ちょうどいるのは七人だった。

「さて、それではどちらに向かいましょうか?」

 山下の問いに回転ずし、と答えたのはタイチで、焼肉と言ったのはヨースケだった。

 そこにカイコが携帯を取り出し、どこかに電話をかける。

「ああ、平塚。私だ。そうだ。パーティの準備だ。寿司と、焼肉と、オードブルは任せる。七人だ。増えても対応できるようにしておけ。ああ、お土産に持ち帰るための包みも。セッティングもお前に一任する。アルコールは……運転手が酔っぱらってもいいように帰りの車と運転代行の用意を。一時間くらいで着く」

 カイコは携帯を切ると、何でもないことのように、山下に、うちに回してくださいと言った。
 隣に座っていたタスクは呆然とした顔でカイコを見ている。
 タスクだけではない。
 庶民感覚から外れた注文に、ハヤテ以外の全員がカイコを見ていた。
 カイコはそれに気付き、いけない、といった顔をした。

「差し出た真似だったかな。ここは多数決に従うべきだったか」

「い、いや、僕達は構わない、というか、願ったりかなったりなんだけど……君んちって、小野宮家の――」

 山下も驚きを隠せずに言う。

「大丈夫ですよ。蓮穣が住む本宅と、私が暮らす館は、二キロは離れていますし。本宅に入らない限りは、自由にしていいというのが、小野宮の不文律ですから」

 もう言葉の全てが突っ込みどころ満載で、トンボはどこから突っ込めばいいのかわからない。

「寿司はあるんでしょ?」

 待ちきれないと言った顔でタイチが問う。

「本マグロの大トロから、最高級のエゾバフンウニまで。食べたい放題。持ち帰り放題」

「焼肉もっすか?」

 よだれが溢れそうな顔でヨースケが聞く。

「黒部和牛でお待ちしてます。最高級のキッチンでおもてなししよう。カラオケもあるし、余興の芸人もたんといる。今宵は宴、はめを外して、何の悪いことがあろうか」

「あ、あの!」

 トンボはたまらず声をあげた。

「その、お、お金とかは? 割り勘、です、よね?」

 その途端に、急に車の中の雰囲気が盛り下がった。
 でも、トンボは間違ったことを言っていないと思う。
 そこに実は、と声をあげたのは山下だった。

「僕の傷、労災が降りた上に、警察の誤認手配の慰謝料、それとボクを撃った相手からの見舞金と口止め料と、後国栖家からの口止め料で、実は懐に一センチを超える札束が眠ってるんだけど」

 タイチがぱあっと顔を輝かせる。

「僕の手配が誤認であることを証明してくれたのは他ならぬ蝶野さんによるところが大きいし、事件が解決できたのは、君達がいてくれたからだ。さて問題。このお金は僕が独占していいものでしょうか?」

「ダメ、絶対ダメ!」

「そ、そのお金は、みんなのために使うべきっすよ!」

 タイチとヨースケが声を重ねて言う。

「いいんですか? 本当に支払っていただくとすると、かなり高くつきますよ?」

「そ、そこは小野宮のお墨付きということで……」

 カイコが改めて問うと、急に山下は自信がない声を出した。
 カイコは柔らかく笑って、では折半ということで、と言う。

「さて、それでは、場所は私の家、料理は食べ放題、費用は山下さんのご厚意と言うことで異存はないかな?」

 答えを待ちかねたように、山下は車を発進させた。
 宴の前だというのに、初めていくカイコの家への期待で、車の中は賑やかだった。
 
 助手席のタイチはその後ろのヨースケと今からご馳走のことで頭がいっぱいのようだ。
 ハヤテはヨースケの隣で無表情だが、心なしか楽しげだった。
 そして、カイコとトンボは、改めてお互いの確執を謝りあう。
 タスクはそんなみんなと共に、やはりうれしそうに笑っていた。
 多分トンボがタスクと出会ってから見た、どの笑顔よりも純粋な笑顔で。

 六月が終わり、七月になった。
 どうやら梅雨の、長く灰色の曇り空は、終わりを告げたようだった。
 眩しい西日を浴びて、トンボはそう思う。
 赤い光を受けて、鴉が一羽、飛んでいく。

colors: the Crisis by Out-Low-Object Refered as Shiki

2013.09.03.[Edit]
【七月】 一連の式部北高校生徒連続殺害事件は、国栖雄次郎と、早田明美の痴情のもつれから始まった連続殺人であり、潮ヶ浜夜、曽根百合子は明美殺しを目撃した人間として、国栖に殺され、篠塚揚羽は旧生徒会にその容疑がかけられ、特に濃厚に疑われた神楽崎弓枝の嫌疑を晴らすため、自らが囮となることで、国栖と対峙し、結果的に殺されるに至った。 ただし、この事件は殺人犯と、その死体を遺棄した人物が全く別の目的で動いて...

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